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todo94

山城攻略ならず (2019/03/09 訪問)

勝山御殿だけで勝山城に行ったというのは、ちょっと許せなかったので、今回は山城攻略を大目標にして赴いたのですが、手前の道を上ってしまって完璧に迷ってしまいました。いくつも竪堀らしき物は拝むことができたのですが、どこを彷徨っているのか結局わからずじまい。遭難しかかりましたが、田倉山からはすんなりと下ってくることができて事なきを得ました。

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刑部

北浦が見える城址公園 (2019/03/07 訪問)

城址公園なので駐車場・トイレあり、歩きやすく本丸からの眺めもいいです。

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朝田 辰兵衛

まだ主郭部は雪で覆われています。 (2019/03/09 訪問)

ですが,本丸には祠がポツンとあるのみ。碑は登城口にあります。さらに,東側の堀切には熊が頻繁に出没するとのこと。ただ,5合目あたりまでは雪はまばらでしたので,登城道を外して南東側をトライしてみました。結果して,先週の乙吉城登城がいいトレーニングになりました。
標高:479m,比高:270m。柿崎城の詰城とのこと。慶長2(1597)年,柿崎憲家時代に伏見城普請の不手際で改易となり,猿毛城はこのときに破却されたと伝わります。

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桜も蓮もなく (2019/03/09 訪問)

 2回目以降の登城は投稿しないようにしていたのですが、この時期(3月初旬)に訪れて印象がよかったので投稿しています。桜も咲いていない、蓮も枯れているこの時期は城跡を楽しむには最高の季節ではないでしょうか。木々の葉も落ちて土塁や三重櫓を障害物少なく見ることができます。土塁の城の中では堀幅も広く好きな城址です。

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田野口藩陣屋 (2019/03/09 訪問)

 龍岡城駅から徒歩にて登城しました。このコンパクトな要塞は何のために作られたのでしょうか。堀も未完成であり素人目には実戦向きとは思えません。

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石田町ですから (2019/03/09 訪問)

織田対浅井の中で横山城は重要な役割を果たします。南麓は石田町ですので、時代はちとずれますが、石田三成も縁。横山城から北へ尾根をたどると、郭跡がたくさんあり、先端の竜が鼻は、姉川の合戦で信長が合戦開始直前まで陣を置いたところです。
晴れた日であったので北城からの眺望はすばらしかったです。

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赤い城

相馬馬追の舞台 (2019/03/03 訪問)

小高駅から徒歩で15分くらい。
小高神社が跡地です。
馬追も実際に見てみたい。

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復旧されてました (2019/03/07 訪問)

昨年の台風被害の後、1月は、登頂禁止であったとのことですが、地元の方々(きっと)の努力で登頂できるようになってました。写真のように作業中ですので、山崎城内もまだ倒木多し。主郭に向かう竪土塁にも倒木が被さり、下からはよくわかりません。一旦、主郭に登ってから虎口を下ると分かりやすかったです。

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スミヤキ

幟旗が道しるべ (2019/02/22 訪問)

標高276m の古城山に築城された梯郭式山城です。織豊時代は、森氏の居城でした。1601年に廃城になり、64年で役目を終えますが、遺構は今日までしっかり残り、携わった城主たちの人生は儚くも心に沁みます。

詳細を知るには、城の麓にある可児市戦国ミュージアムがおすすめです。金山城跡までの登城ルートも親切丁寧に教えていただき、出丸の駐車場から、三ノ丸、二ノ丸、本丸へと最短経路で登ることが出来ました。幟旗が道しるべになります。

3月末まで「東美濃の山城周遊スタンプラリー」が催され、限定山城カードをもらえます。美濃金山城、岩村城、苗木城と三城制覇すると特製トートバッグもいただけます。ちょっと得して楽しめる企画ですよね!

秋には、全国山城サミットも開催されるようです。この地域のイベント企画運営力、情報発信力は注目です! 携わる方々の情熱が伝わってきますね。

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赤い城

坂上田村麿が築いたとも言われています (2019/03/03 訪問)

相馬駅から徒歩で20分。
跡地には相馬神社が建っています。
丘陵上に輪郭式築かれています。
江戸時代には中村藩の藩庁となりました。

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赤い城

片倉景綱の居城 (2019/03/03 訪問)

白石駅から徒歩で10分。
復元された三重天守が綺麗です。
一国一城令後も存続した城のひとつです。
市民の散歩コースにもなっているようです。

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赤い城

福島県庁 (2019/03/03 訪問)

福島駅から徒歩で10分。
福島県庁が跡地です。
土塁が少しだけ残っています。

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赤い城

本丸から会津の山々が見渡せます (2019/03/03 訪問)

二本松駅から徒歩で15分。
戦国時代は鶴ヶ城の支城、幕末は悲劇の舞台となった城です。二本松は菊人形が有名、次回はその時期に来たいです。
本丸の石垣は復元されており見応え有りです。

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ぽんたっく土佐守

本丸から先も見所満載 (2019/03/09 訪問)

JR徳島駅から市営バスに乗って40分で着きます。
本丸までは途中の曲輪などを散策しながら
ゆっくり登って30分。
石垣と本丸からの眺めは見事です。
多くの方がここで引き返していきますが、
ここから先が山城の真骨頂。
櫓台、陰滝など見所満載です。
たっぷり2時間30分ほど
一宮城を満喫しました。

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赤い城

冬季は閉鎖されています (2019/03/02 訪問)

会津本郷駅から徒歩で20分。
普通は車での登城ですね。
しかし冬季は閉鎖されていて登れませんでした。
リベンジしたいですね。

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赤い城

上杉景勝の未完の城 (2019/03/02 訪問)

会津若松市中心部から4kmくらい。
上杉景勝が新たな居城として築城したものの関ヶ原敗戦で未完となった。
本丸部分には私有地も多いです。

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カルビン

(東)日本3大なんちゃって天守?の1つ (2016/03/20 訪問)

以前お城巡りで関東鉄道常総線に乗った際、「豊田城祭り」みたいな中吊り広告があり、大きな天守の写真が・・・
豊田城なんて天守のあるお城、茨城県にあったっけ?って思ってました。

ふとそれを思い出して検索してみたら、誰が名付けたんだか、日本三大なんちゃって天守っていうのが出てきまして(笑)
天守は存在しなかったものの、実際に豊田城が存在すると言う事で行ってみました。

まず本命は本当の豊田城。
小貝川の土手に城碑と解説がありますが、ほんの少しだけ土塁・堀?みたいな形状が見られるものの、遺構は残って無いと言っても良いくらいの状態です。

そしてそこから西に真っ直ぐ行くとなんちゃって三重櫓があり(汗)
更にその北北西にある常総市地域交流センターがなんちゃって天守なんですが・・・これがまたデカいんです(滝のような汗)
解説にはしっかり「豊田城」とも書かれてます(言いきっちゃってますw)

作成した経緯は存じ上げませんが、櫓も天守もその力の入れ様半端ないです。。。大迫より半端ないですwww


自分が訪問した時は周辺一帯が台風か何かの為に川が氾濫してしまった後の事で、天守入るのには制限がありましたので、無理して登る事はしませんでした。


天守が存在しなかったのに模擬天守が建てられているお城は数ありますが、ここ豊田城の模擬天守をもし見られたなら、その大きさに圧倒される事間違いありません(―∀―;)

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ヒロケン

譜代大名の出世城 (2019/03/02 訪問)

1570年徳川家康が浜松城へ移ったあとは、徳川家康の長男信康が在城し、1579年信康自刃後は、石川数正等が城代として岡崎城を守備しました。1590年徳川氏関東移封後は、田中吉政が転封されてきて岡崎城を修築。総延長4.7kmという総掘りはこの時に造られ、田中堀と呼ばれました。関ヶ原の戦いの後、1617年本多康紀によって三重三階で東に井戸櫓、南に付櫓を持つ複合天守が建てられた。
以後も岡崎城は「神君出生の城」と神聖視され、譜代大名が封じられました。大名は岡崎城主となることを誇りとし、その後、老中となる人物も多かったので「出世城」とも噂されたお城です。

この日「行った城」を稼ぐ為、あまり興味のなかった奥殿陣屋・上野上村城・井田城を訪門。少し欲求不満気味(o´Д`)で岡崎城へ。
岡崎城へは、100名城の名古屋城・長篠城 続100名城の吉田城・浜松城といった自分の住む地域から近いということで、年に数回訪れている城で、少々飽き気味のお城でした。

行けば行ったで「さすが100名城」本丸北側にある青海堀と呼ばれるお堀何とも格好良いぃ〜。三重五階の復興天守(コンクリート)・東照公産湯の井戸・今回、初めて発見した、井戸櫓前の出世の井戸ヽ(*´∀`)ノ帰路につく頃には、満足で満腹でした。

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todo94

本日の朝駆け (2019/03/09 訪問)

朝一でレンタカーを借り受けて向かったのは、火の山城。関門海峡を望む素晴しい眺望が得られるのですが、山城のあった山頂部は火の山砲台築造により遺構が破壊されてしまっています。そこから至近の前田台場は四カ国艦隊に壊滅させられた故地。富樫倫太郎の「風の如く」をちょうど読み進めている最中なので実にタイムリーでした。案内表示の裏側が説明板になっているのも実にナイスでした。

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TESTU89

上田城の背後を守る城 (2016/09/10 訪問)

戸石城は砥石城とも紹介されますが、全山が頁岩で覆われているとても滑りやすい城です。
米山城、戸石城、本城、桝形城の4つより構成されています。米山城は言わば出城ですが、戸石城、本城、桝形城は同じ尾根上に並ぶ一体の非常に大きな山城群です。
尾根の上にはかなり広い郭が形成されていて、村上氏が支配していた当時は居館のような大きな建物が有ったと思われます。
真田昌幸が砥石城を拠点にしていた時期が有りましたが、この時は伊勢山にある「内小屋」と呼ばれる山麓の居館を使っていたと推定されます。
戸石城は真田昌幸が本拠地を上田城に移したのちも、上州や越後を結ぶ街道や何より上田城の背後を守る城として整備されており、徳川軍が上田城を攻めた折にはここから出撃した別動隊により背後をかく乱されました。

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