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しろし

福岡行き飛行機からの

多分 名古屋城です。

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モト

見事な堀、土塁、そして大規模な遺構は続名城百選に恥じない城跡です! (2019/03/05 訪問)

空堀から土塁、この城跡に見られる遺構たちはダイナミックで、さすが続名城百選でした!
車を停めてすぐに長い堀が見えます。
その堀に土盛りの出っ張った2つの出構です。
きっとここから迫り来る敵を迎撃するんだろうななんて想像しながら進みます。
もうテンションが上がりまくりです。
乾門の枡形虎口が見えてきます。
ここから登城です。
ここに到達するまでに、先程の出構ももちろんですが、高い土塁や空堀などすでに見所は満載です。
井戸跡などを見ながら広い本丸跡には武田の家臣たちの塔婆のような物がありました。
武田の名将たちの名前を確認しましたが、それだけでも武田好きではなくても心が踊ります。
西三の丸跡を見ながら大手門の方にまわりますと三日月堀も見ることができました。

雰囲気満点の遺構たちに大満足でした。
三日月堀をみると武田〜って感じもするのは私だけでしょうか。

駐車場も広く停めやすく、整備されすぎもなく所々にある案内板も見やすいので見学しやすい城跡でした。
なにより遺構は見応え十分です。
今更私が言うまでもなく、かなりオススメの城跡です!

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くろもり

奇襲厳島 (2019/07/29 訪問)

宮島のフェリー乗り場の広場から厳島神社へ向かう途中、左手にごつい丘があり、そこを登って行くと宮尾城跡です(スニーカーで大丈夫です)。特に遺構は見当たらず、小さな曲輪跡のような平坦地があるものの、城というよりは高台から周囲を見渡すことができる砦のような印象でした。

厳島神社近くの、五重の塔と千畳閣(豊臣秀吉の命で、安国寺恵瓊[あんこくじえけい]が建立。秀吉の死により未完成)のある『塔の岡』と呼ばれる所は、陶軍の総大将・陶晴賢公が本陣を構えていた場所で、毛利方の宮尾城が良く見え、陶軍との距離が非常に近いことに驚かされました。※宮尾城跡から塔の岡も良く見えます

現在も見ることができる厳島神社の大鳥居の足が6本になったのは、天文16年(1547年)に周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務めた大内義隆公が建てたものからと資料から確認できるそうで、厳島神社の宝物館に義隆公が奉納した厳島神社の『木製銅字扁額』(扁額=鳥居の真ん中上に文字が書いてあるもの)を見ることができ、往時の物にとても感動しました。

厳島神社境内の出口付近に重要文化財の『反橋』があり、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたものとの説明がありましたので、毛利好きの方はお見逃しなく。

大河ドラマ『毛利元就』の厳島の戦いの回で、合戦に敗れた陣内孝則さん演じる陶晴賢が浜辺で力尽きるシーンはとても印象に残っています。晴賢公は島の西へ逃れ、観光客等誰も訪れないような広島大学の植物実験所のさらに奥の森で亡くなったと推測されているようで、碑もあるようです。いつの日かお参りに行きたいですが、いつになるやら・・・

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ぴーかる

八木土城(兵庫県養父市) (2019/07/07 訪問)

【八木土城】
<感想>昨日の投稿八木城のつづきの八木土城です。八木土城は八木城から北西に200m程登ったところにある。この200mは結構な登りなので、トレッキングシューズは必要です。城はおおよそ南北の尾根状に15の曲輪が連続していて各曲輪の面積は比較的小さめ。曲輪の片方だけに土塁がある所もある。主郭の一つ手前の曲輪には外枡形虎口の遺構が見られる。主郭部が最高所でさらに北側の搦め手方向は2・3程の曲輪しかなく、堀切となっている。パンフレットに戦国時代は八木城と八木土城が一連となった城郭であり、後に八木城に石垣を築いて独立したため、2城に分離したという説があるそうです。また外枡形の遺構などは別所重棟による改築という説があるそうです。

 曲輪は小さいが、15もの連続した連郭式の城跡は珍しいし、1つの城跡として十分見応えあった。築城年代も違うみたいだし、八木城と分けてもいいかと私は思います。登城~下山まで約3時間2城分攻めて今日の目的を果たし十分満足した1日でした。満足度も八木土城を個別に。

<満足度>◆◆◆
<写真の説明>写真の曲輪の番号は5番が主郭のすぐ一つ下の曲輪、あと数字がいくほど更に南方向の末端の曲輪になります。

<温泉>八鹿氷ノ山ICの近くに「とがやま温泉天女の湯」という日帰り温泉があります。わずかに白濁した俗にいう美人の湯です。食堂もあり、地鶏のから揚げ定食をいただきました。

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朝田 辰兵衛

玉ノ岡中学校正面玄関までの登りが… (2018/09/22 訪問)

登城しているという実感があります。正面玄関の裏側に回りこめば,パンフ置き場があり,登城口となります。
食事は,菅谷館のほうに近づき“ラーメン五月”へ。辛モツやきそばで。

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カルビン

d(゚Д゚)b<ヒミコサマー! (2019/07/27 訪問)

吉野ヶ里公園駅から一面田んぼだらけの道を10分程進むと、吉野ヶ里遺跡公園にたどり着けます。
猛暑一転、見るからに雨雲に覆われ、正面から冷たい風が吹いてくるという。。。ヤバイ、これ積乱雲じゃ・・・

ゲリラ豪雨になりそうな空模様にちょっと身構えながら、無事吉野ヶ里遺跡公園の入口の屋根付きゲートに到着したところで、豪雨まではいかないものの結構な雨が降り出し。。。

遺跡公園内は基本屋外なので、小さい折り畳み傘では荷物が濡れてしまう。。。と思っていたら、返金式のコインロッカーがあり、更に無料の貸し出し傘を準備して下さったおかげで、雨の中とはいえ身軽な散策が出来ました。

お城とは一味違う、本当に弥生時代に来た感覚で、先日の疲労も朝の体調不良も忘れる程楽しかったですε=( ^Д^)/
そして帰る頃には飽きる程、昔の建造物が分譲住宅じゃね?ってくらい・・・更に古墳も数えるの諦めた程沢山ありました。
勿論基本レプリカですが、現存史跡を固めて現存保護している所も多かったと思われます。

土曜日と言う事も重なり、来場客もかなりおりましたし。。。駅から歩いてここまで来る際には1人しかすれ違わなかったのに。。。
ほとんどの方は車で来られていたんでしょうね。


公園内はかなり広く、見学には結構な距離歩きまして。。。散策中は雨強く降ったり止んだりしてましたが、戻ってきた頃には雨も一段落しました。
そして荷物を取りだした辺りで忘れてた疲労もぶり返してしまった為、入口にあった休憩所で20分くらい休んでから移動再開しました。


無事佐賀県の元祖・続100名城全部回れましたが・・・本当に田んぼ多かったな~
(「佐賀県」の歌、場所によっては大げさでは無かったと知るw)

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丹羽長重

✨磯田先生の地元✨ (2019/04/30 訪問)

岡山城といえばやはり磯田道史先生です!(宇喜多氏や小早川氏じゃないんかい😅)とても尊敬しています!
そんな岡山城にGW行ってきました。3日目、宿泊場所の倉敷から山陽本線で4駅、岡山駅に到着。3日目は最初に備中松山城を見るつもりでしたが、雨のため平城の岡山城を最初にもってきました。
岡山駅から路面電車で移動です。電車好きの僕としては福島ではなかなか乗れないのでとても興奮しました。
そんなこんなで最寄りの「城下」駅から歩きお城に向かいます。旭川沿いを歩いていると、金箔が貼られた豪華絢爛な天守が見えてきました。この旅行初の天守があるお城です!また、外観は黒っぽい色をしていて美しさのなかから勇ましさを感じる天守でした。近くで見るとかなり迫力があり、さすが豊臣家五大老の一人、宇喜多秀家の居城だなと感心しました。
さて、本丸下段へあがります。まず僕は月見櫓に目がいきました。天守は黒っぽい色ですが月見櫓は白で最上階には木板が張られており、昔感が漂っていました。やはりその通り!江戸時代から残っていて重要文化財に指定されていました。結構個人的に好きですこの櫓。
次に本丸下段のほぼ中央にぽっかり空いた穴に注目しました。なんとその下には宇喜多時代の石垣が展示してありました。もちろん下におりれます。なにか江戸時代の石垣とは違い、野面積みで荒々しさがありました…
そして天守へ!天守の内部には資料がたくさん展示されていて本当にいろいろ学べます。なんといっても磯田先生の解説が聞けるんです(*゚∀゚)=3!!!磯田先生は話が上手なので一回聞いただけでだいぶ岡山城について知ることができました。
ちなみに僕が歴史学者になりたいと思ったきっかけは磯田先生の影響です。そんな磯田先生のお話が聞けて良かったと思います!
皆さんもぜひ訪れてみてください!

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中川藤兵衛尉

雑賀崎城 (2019/08/04 訪問)

雑賀崎台場とは違います。雑賀衆が、大坂本願寺から退去してきた教如を洞窟に匿った際にその上に建てた城です。城の遺構はなく、上人窟も落石で行けません

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中川藤兵衛尉

元番所台場 (2019/08/04 訪問)

有料ですが、中に入れます。600円を支払う価値はあると思います。遺構はありませんけどね

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中川藤兵衛尉

雑賀崎台場 (2019/08/04 訪問)

現存石垣や現存土塁など、見所は多めです。加えて、幕末の海防拠点の一つということで、景色が綺麗です

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中川藤兵衛尉

水軒住吉前台場 (2019/08/04 訪問)

現・住吉神社。境内の北西部に土塁があるとのことでしたが、はてさて

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中川藤兵衛尉

弥勒寺山城 (2019/08/04 訪問)

Google mapで示されてる位置とは違い、展望台からもっと内に入った所にあります。遺構はありませんが、説明板や石碑が完備されています

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中川藤兵衛尉

雑賀城 (2019/08/04 訪問)

セブンイレブンの裏山が城跡。有名な雑賀衆の拠点なんやから、石碑とか説明板とかを設置してほしいです

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トーダイ

城址はミカン畑の上です (2019/08/04 訪問)

戦国時代の天文年間(1532~55)大洲城蔵岳城主宇都宮清綱は、領地を長男豊綱に譲り、
三男房綱を連れて、この地に移った。天正2(1574)年1月15日長宗我部元親に内通
した大洲の大野直行の軍勢が来攻し、落城した。(案内板より)

八幡浜浄水場<33.467853,132.435548>北に案内板を確認するが、辿り着くまでミカン
畑を縫うように走る狭い道、要注意です。城址は少し南に建つ鉄塔下、地形アプリで
曲輪跡が確認できるが、夏草に阻まれて撤退です。

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にのまる

五輪塔と宝篋印塔。 (2019/07/17 訪問)

荻野山中陣屋から路線バスで本厚木駅に戻り、次に目指したのは海老名城。
海老名城は隣の厚木駅が最寄駅なのですが、小田急線はひと駅区間が短いところが多いので歩けるかもしれないと徒歩ルートを検索したところ、行けそうだったので徒歩で向かいました。相模川を渡る橋からの眺めが美しく、風も気持ちよかったです。

道路造成中か何かで行き止まりになったあたりが城址で、細い参道の先に廟堂がありました。
付近の墓地も移設した感じで、土地の境界も曖昧だったので、この場所を残しながら区画整理中なのかもしれないと思いました。

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小城小次郎

三刀屋城

承久の乱で共に信濃から移籍して尼子十旗に数えられながら、領地と切り離されても毛利氏に従い続けた三沢氏と、毛利氏と決別し三刀屋の名乗りも捨てて元の「諏訪部」に戻った三刀屋氏と、果たしてどちらが潔いのか。難しい。

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カルビン

でんでんでででん(S・A・G・A♪♫🎶) (2019/07/27 訪問)

バスに乗って県道を走っても一面田んぼだらけって程でもなかった佐賀県(柳川から佐賀と佐賀城から佐賀駅に移動する際限定ですがw)
水ヶ江城から佐賀城に移動(徒歩10分程)している際に小雨が降ったにも関わらず、佐賀城前にあった鍋島直正像の前に来た事には猛暑復活orz

しかも本丸歴史館の開館時間9:30に対し、到着したのが8:45分頃。。。

とりあえず日差しが陰るタイミングに合わせて本丸跡や櫓台等を見学しました・・・が、やはり時間余って本丸歴史館入口エリアにあったベンチで15分休憩 A;ーωー)=3

佐賀城の周辺だけ見学する分には元祖100名城にはちょっとボリューム不足感を感じていましたが、本丸歴史館が素晴らしいんです(@д@)v
入館無料なのですが、今まで見て来た御殿系の建物の中でもトップクラスの広さとリアリティがありました。
まだ出来たてで新しさがあるのに。。。

石垣と本丸歴史館周辺と水堀・・・の城域だけでなく、周辺にもお城の遺構はあったと思われますので、全部含めて100名城認定は納得できますが、肝心の龍造寺家菩提寺(高伝寺)とか、鍋島直茂誕生地(本庄館)とか佐嘉神社(カノン砲・微古館)とか、これまた猛暑の為にショートカットせざるを得なかったのが痛かったorz

やはり夏場はお城シーズンでは無かったか・・・
これは他のお城も含めて、再訪に来ないといけないかもしれませんね・・・あまりにも遠すぎる為、何時になるかはわかりませんが(汗)


当初佐賀城から佐賀駅は歩いて向かおうと思ってましたが、目の前にバス停があって本数も多かったので、利用させて頂きました。

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ぴーかる

八木城(但馬国) (2019/07/07 訪問)

【八木城(但馬国)】
<駐車場他>八木地区公民館が登城者の専用駐車場となっています。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀切・石垣・曲輪

<感想>日帰り御城印と八木城攻めの旅2城目。この日メインの八木城、八木土城もいい城跡だったので別途投稿します。駐車場は国道9号線の南側の公民館に駐車できます。最初に公民館から東200m程に八木城交流館があるので行く方は立寄ると良いです。そこにパンフレット(八木城・八木土城の縄張り図があるので役立ちます)がありますので頂いて、トイレを済ますと良いでしょう。
 国道9号線を北に渡った登城口のちょっと西側辺りが八木土城時代の城主居館跡(御里屋敷)で段階の石垣が残っている。東方向に八木城時代の城主居館跡(殿屋敷)がある。
 入山ゲートを入っていざ山城攻めスタート!下調べで城郭は秋葉さんと呼ばれる石像がある所あたりからとあったが、麓からしばらく登ると比較的すぐに土塁と埋もれた石垣が結構続き、尾根の道、両サイドの下方には曲輪もいくつか見られるので秋葉さんに着くまでにかなり楽しめる。
 秋葉さんからはメインの城郭となっていて、連郭式で東方向に曲輪6個程、南方向に4個程ある。登山道は東方向の曲輪沿いで、Ⅳ曲輪に三面の石像(三つ顔さん)、二の丸・本丸にも石像があり城跡を守護していてすごく良い雰囲気です。本丸は総石垣造りで、南西面の高石垣は「くの字状」の折れがあり、本丸虎口に櫓台・西の奥隅に天守台らしき跡がある。櫓台の算木積みが1方向は完全に崩れていて案内板通りではなくなっていて、1方向を残すのみとなっていた。他サイトの方々の数年前の写真よりも更に石垣の倒壊が進んでいるように感じた。本丸北面の石垣は丸っこい石で苔むして味がある。
 遺構を一通り巡って更に数百m登った八木土城に向かった。八木城は遺構の多さ、大きさ、存分に見応えあったいい城跡です。個人的には八木土城も合わせれば同じ兵庫県の続百名城黒井城より良かったと思う。知名度と整備の差かな。

<満足度>◆◆◆

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チェブ

石碑探し。 (2019/06/23 訪問)

東京都世田谷区の「奥沢城」です。
「世田谷城」の城主、吉良氏が築城し家臣の大平氏が守ります。
「世田谷城」の出城の役割だったのでしょうね。
九品仏浄真寺がお城跡です。
都の天然記念物のイチョウや庭園がありました。
毎年、都内の紅葉スポットにランクインするので11月頃がいい季節ですよ。
、、、と、これは九品仏浄真寺情報です。

「奥沢城」、仁王門の左側に土塁があります。
みなさんなら、すぐ見つけられます。
そこに小さな「奥沢城」の石碑がありました。
私、この石碑がなかなか見つからなくて九品仏浄真寺の土塁らしい小山を見て回りました。
ちなみに入口近くです。

「奥沢城」の大平氏の常盤姫が「世田谷城」の吉良氏の10人目の側室になり赤ちゃんを宿します。
他9人の奥様達が妬み無実の罪を常盤姫に擦り付けました。
常盤姫は遺書を鷺の足にくくりつけ「奥沢城」の方向に放します。
しかし、雨で文が重くなり鷺は途中で死んでしました。(吉良氏が狩で射落したという説もあります)
常盤姫は自害しました。

常盤姫がお嫁入りするまで過ごした「奥沢城」。
紅葉の美しさ、常盤姫にも見せてあげたいです。

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BUGTI

立派な模擬天守の城 (2019/08/03 訪問)

城郭風の郷土資料館が建っているのは二の丸跡で、本丸は月岡神社となっている。遺構はほとんど残っていないが、西内堀だけがひっそりと残っていた。資料館には戊辰戦争での上山藩についての展示もあり、小藩ながら戦いに参加して苦労したことが想像されました。

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