名鉄「名電山中駅」より徒歩にて登城しました。
東海道を押さえる要衝の地にあり、愛知県下最大級の山城です。東側の登城口より登り、西側の登城口へ降りて来ました。木も伐採されていて、道も比較的整備されているので歩きやすく曲輪もわかりやすかった。各所に残る堀切は見所のひとつです。北東尾根の曲輪の先にある堀切が私的に一番よかった。竪堀の案内が各所にあります。多くはシダ類などの草で見にくかったのですが、ある竪堀は少し下に降りて確認するとすばらしい遺構でした。
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2019/12/21 22:47
愛知県下最大級の山城 (2019/12/21 訪問)
名鉄「名電山中駅」より徒歩にて登城しました。
東海道を押さえる要衝の地にあり、愛知県下最大級の山城です。東側の登城口より登り、西側の登城口へ降りて来ました。木も伐採されていて、道も比較的整備されているので歩きやすく曲輪もわかりやすかった。各所に残る堀切は見所のひとつです。北東尾根の曲輪の先にある堀切が私的に一番よかった。竪堀の案内が各所にあります。多くはシダ類などの草で見にくかったのですが、ある竪堀は少し下に降りて確認するとすばらしい遺構でした。
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2019/12/21 22:33
榊原康政生誕の地 (2019/12/21 訪問)
三河上郷駅から徒歩5分くらいの所に案内板等があります。このあたりを中心に城郭があり、家下川を天然の堀としていたようです。土塁らしきものが見られます。榊原康政の生誕の地と伝わっています。
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2019/12/21 22:29
酒井忠次生誕の地 (2019/12/21 訪問)
酒井忠次の生誕の地と伝えられています。遺構はありません。城山公園となっていて城址碑があります。
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2019/12/21 22:19
鳥羽山城からの景色 (2019/12/22 訪問)
ナイスショット撮れました^_^
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2019/12/21 22:12
見応えあり!! (2019/12/07 訪問)
五段堀切が見応えあり!富士山も綺麗に見えます
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2019/12/21 22:11
「池辺陣屋」 (2019/12/21 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
池辺陣屋は小笠原和泉守宗忠が築いた陣屋跡である。小笠原宗忠は徳川家康の四男、松平忠吉の筆頭家老として活躍した。1608年には笠間3万石の大名となったが、翌年改易された。現在、遺構は残っていないが、宗忠寺に陣屋についても記された碑がある。
<アクセス>
JR鴨居駅 徒歩20分
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2019/12/21 18:24
北遠の山城 (2019/12/21 訪問)
知れば知るほど奥深い二俣城。若い頃は、花見の名所程度にしか思ってなかったこの場所が、凄い山城であったとは…。
重要な事は当時の二俣川が今と違い、城の西側を流れていた事だ。この日は子供達を連れて散歩がてらに来たが、近いうちにまた来よう^_^
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2019/12/21 18:14
年明け恒例甲州散策 (2018/01/01 訪問)
ここ数年の年始は祖父のお墓詣りに合わせて弔問外交的に甲州の史跡巡りしております。
2018年は元旦に北杜市長坂周辺の史跡・菩提寺等を見学させて頂きまして、そのうちの1ヶ所が深草館になります。
以前ここから北にある谷戸城見学した際に立ち寄ろうとするも、この周辺とても道が解り辛く更に当時は解説が無かった為に断念した経緯があります(-ω-;A
館は鋭い堀に囲まれており、入れる場所が丸太橋である事は解っていたのですが、なかなかその場所が見つからず・・・ようやく見つけた場所は偶然なのか丁度車止められるスペースがありました。
会社でも体重何トンになった?(←失礼なw)と聞かれる自分、丸太折れないかどうかドキドキものでしたが、無事城域に入る事に成功。
その名前通り居館タイプのお城で、外周を空・水堀と蔀土塁で囲まれており、中の曲輪が土塁と虎口で2つに分けられているような感じでした。
技巧的?と言われるとそこまでではありませんが、外周だけ見てもまま満足出来るお城かと思います。
難点だったのが大量に積った落葉・・・
ミツバチの巣箱と思われるものが置かれていたので、春から晩夏には手入れされているかもしれませんが、冬季は定期的に整備されてはいない様で、一歩一歩10cmくらいは埋もれておりました。
平坦な場所なので滑って転ぶことは無さそうですが、足首が高い位置まで守られた靴で行かれる方が無難かと。
さてお城EXPO開催で皆様鼻息も新ぶってらっしゃると思いますが、自分は今年もスルーです。
ただでさえ自分のペースで見学したいのに、お城でも結構引っかかるのに、こういうイベント行くと必ず変な人に捕まって聞きたくもないウンチク自慢されるんです・・・そういう空気醸し出しているのかな・・・
そういう薄っぺらい押し売りは止めて下さい(怒)
皆様におきましては存分に楽しんできて下さい<(_ _)>
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2019/12/21 17:01
小机小学校 (2019/12/21 訪問)
羽沢横浜国大駅から歩いてアプローチしました。小机小学校の校舎のほど近く、きれいに整備された城の遺構っぽい土の起伏を視認しましたが、入り込むことはできません。とりあえず雲松院の写真は撮っておきました。
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2019/12/21 00:38
2019/12/21 00:34
The戦国の城 (2019/03/30 訪問)
埼玉県にお出かけに行った時に足を伸ばして行きました。この城はとあるテレビを見て知り、素晴らしいと思っていた城です。
早速駐車場へ。駐車場からテクテクと歩いていくと大きな櫓が見えてきます。黒く板張りで望桜型なあたりが戦国時代の荒々しさをかもし出しています。近くまで行くと塀や門、大きな櫓がそびえ、まるで戦国時代にタイムスリップしたような気分になります。
では登城。なかも綺麗に整備されていて楽しく見学できます。さらに櫓にも入れてかなり満喫できました。
次に本丸を目指すべく入り口である櫓門へ向かいます。途中見えてくる内堀?は草も刈られていて見やすかったです。堀もまぁまぁ深く関東の城の特徴である土を生かした縄張を分かりやすく見学できます。
本丸前の櫓門に到着。僕はこんなところに櫓門があるなんて登城したとき知らなかったのでビックリしました。小さいですが逆にコンパクトサイズの櫓門ということで結構好きです。本丸は今は何も無いですが、整備されているので心地よくまわりを見渡せます。
僕はこのお城、続日本百名城に入れても良いんじゃないかと思います。ぜひ皆さんも来てみてください。
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2019/12/20 23:56
2019/12/20 23:54
2019/12/20 23:50
2019/12/20 21:11
村雨城 (2019/11/17 訪問)
【村雨城】
<駐車場他>駐車場なし。
<交通手段>車
<見所>土塁・堀切
<感想>甲賀郡中惣遺跡群のうちのひとつ。主郭は四方を土塁で囲み、最大の高さは5m程。虎口は南西に一つあり、南西の入城口から虎口に至るまでに地形を利用した削平地の郭が大手道を南北で挟み込むようにある。曲輪内部は草が多くて入れない状態。主郭東側横は主郭に沿うように細長の腰曲輪があり、その横から切岸で大谷池ほとりになっている。主郭南側は案内板の縄張り図では曲輪があるようだが、樹木がひどくて立入れなかった。主郭北側は少しの尾根道があり堀切を2つ挟んで寺前城がある。50mの間で隣接しているので、村雨城が主城、寺前城が副郭という説もあるが定かではない。主郭以外の曲輪の樹木整備に力を入れてほしいと思いました。次に寺前城に行く。
日帰り甲賀市の城攻めの旅1城目。城跡入城口は甲南ICを降りてすぐの交差点北側にある。駐車場がなく路駐も無理そうなので、入城口前の道路脇農道にギリ停めさせてもらいました。農閑期なので失礼して。
<満足度>◆◆◇
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2019/12/20 20:28
標高802m、爽やかな場所です。 (2019/08/03 訪問)
福岡県耳納山脈沿いにある耳納スカイライン、東に向かい高良山神籠石~住厭城~毘沙門城~発心城を過ぎ標高を上げながら東へ走っていくと標高802mに筑後鷹取城が有ります。城郭は道路から見える位置にあり、2.3台駐車出来るスペースに置き登城しました。城域はコンパクトで、樹木など遮る物など何もない空間です。雲ひとつない絶好の天候の中、30分程曲輪・小口などの遺構を見ました。
その時は十分な下調べも無く登城しており、畝状竪堀の言葉すら知らず、夏草育成の真っ最中で見る事が出来ませんでした。いつか再登城した際には見たいと思っています。
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2019/12/20 11:15
要害山城
武田氏時代の原型に徳川・豊臣の諸将がパーツを加えたことで、大小さまざまな技巧が散りばめられた稀有なお城が出来上がったということのようだ。
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2019/12/20 08:41
二本松少年隊と伊達政宗の悲劇の地 (2019/05/20 訪問)
二本松城跡は、JR東北本線二本松駅から徒歩15分~20分くらい。けっこうの急傾斜を一度登って降りて、歩いていくと、箕輪門と三の丸跡の石垣が見えてきます。
二本松城は、戦国時代は、二本松畠山氏の居城、二本松義継は、伊達政宗の父輝宗を拉致しますが、伊達政宗に追いつかれ、もろともに射殺されたとも、輝宗を刺殺したうえで、自害したともいわれますが、その死体は、政宗に切り刻まれたうえで、藤蔓でつなぎ合わせて晒されたとされます。
難攻不落を誇りましたが、父の仇討に燃える政宗の前に落城、二本松氏は滅亡しました。
その後、数家の城主の変遷を経て、丹羽長秀の孫光重が入城、近世二本松城が完成しました。
明治維新時の戊辰戦争では、藩主長国は、城を捨てて米沢に逃亡、主力は猪苗代方面に出撃の中、少年部隊を含む留守部隊は、新政府軍と激戦を展開し玉砕、城は半日ほどで落城しました。
二本松少年隊は、隊長木村銃太郎以下、多数の若い命が失われました。
現在、二本松少年隊の像の傍らに息子を送り出し、息子のための軍服を仕立て直す母親の像が設置されています。
城跡は、近世二本松城と、中世山城の遺構を散見することができます。
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2019/12/20 00:13
藤田城(福島県伊達郡国見町) (2019/12/04 訪問)
藤田駅から阿津賀志山防塁に向かう途中、藤田城の案内板を見つけました。「ここから200メートル」とあれば寄らない理由はありません。
城びとにも城めぐにも登録されていませんが、現地の説明板を読むと↓↓↓のようなことが書かれており、重要なお城だったということがわかりました。
✳︎阿津賀志山の戦い(1189年)の折に、鎌倉軍の源頼朝が本営を置く。
✳︎南北朝時代には霊山城の支城として南朝方の拠点となる。
✳︎室町期の城主藤田氏は伊達稙宗、晴宗父子が争った天文の乱で稙宗方について敗れ、藤田城も廃城となる。
住宅街の方形の空き地で、土塁に囲まれ、堀跡や枡形虎口も確認できます。現在見られるそれらの遺構は天文の乱の頃のものだと考えられているのだそうです。
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2019/12/19 21:02
残念な素行も結果オーライ (2016/08/15 訪問)
室町幕府最後の第15代将軍・足利義昭が織田信長に反旗を翻したのがここ槙島城。
(2回目の反旗とされてますが、実はもっとやっていたのでは?)
自分に人望・権力があると勘違いし、明智光秀や細川幽斎にも裏切られ・・決起したもののほとんど有志が集まらずに子供を人質にして降伏するという残念なイメージがあります。
(あくまでも情報は各種小説なので、実際は違ったのかもしれませんが・・・)
そんな舞台になった槙島城、開発の手が進んでお城の痕跡が残っていないっていうのもありますが、地形的に決して決起するには適した場所では無かったと思われ・・・
書面をばら撒いて決起を促す能力だけは抜群だったとされ・・・所詮己の才能を生かせられるだけの性格を持ち合わせていなかったんだろうなぁ(汗)
でも最終的に信長よりずっと長生きしてるんだから。。。結果オーライですかね?
と言う事で現在小さい公園に槙島城の解説が残るのみになっております。
平等院や宇治・上宇治神社等の名所が近いので、そちらのバーター的な訪問で十分だと思います。
自分の名前が上がる度に記事が参考になっているんだなぁ(と思いたい(汗))・・・とほくそ笑んでおりますカルビンでした( ̄▽ ̄)ニヤリ
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