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カズサン

有楽斎幻の城 (2019/05/30 訪問)

 緒川城の次に知多半島の背骨の丘陵を横断して伊勢湾東側に位置する知多市大草、大草公園と成ってる大草城跡を探訪、欝蒼とした樹木の中に囲まれています、周りは田畑住宅地ですが良くここまで遺構が残ったなとの感想です、これには尾張藩重臣山澄淡路守の尽力の賜物(展望台内部の説明文に依る)
 本丸、二の丸各囲みの大土塁、ぐるっと内堀水堀と残って居り二の丸土塁上には遊歩道が有りますが出来上がってから十年以上たって居り木々で欝蒼としています、昨夜の雨と暑さでやぶ蚊の攻撃に遭い露出部分は腫れあがり持参のキンカンで応急処置。
 天守閣風の二層三階展望台は周辺の見晴らし絶景、伊勢湾越しに伊勢、鈴鹿山脈が見渡せます。

 この城は織田有楽斎が隣の大野城を領有し直ぐに近世城郭として築城したが本能寺の変により中断し幻と成る、そのまま継続して居れば伊勢田丸城の様に石垣造り金箔瓦3層か5層の天守が出来上がってた事でしょう。

 樹木で欝蒼としてますが見える化の景観整備をするとこんなに立派に残ってる城跡を更に知名度の上がる城に成る事でしょう知多市の踏ん張りに期待したいし応援も惜しみません。

 駐車場は南側馬出曲輪跡に5~6台分

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ぴーかる

今治城 (2018/08/12 訪問)

【百名城39城目】
<駐車場他>城前に有料駐車場あり。また城の南東面に無料路上Pあり。
<交通手段>車

<見所>鉄御門・再建櫓・石垣・堀

<感想>伊予国攻城の旅6城目。この城も2度目の来城。模擬天守で縄張りもほぼ四角。1度目来た時にちゃんと見なかった鉄御門・櫓の再建建物を特に観察した。石灰岩の石垣の石は目を引いた。城内には海蝕跡の石灰岩もある。天守内と櫓内にも各々展示物があるが、甲冑が多い。じっくり見ているとそこで結構時間はとる。城内の敷地は神社と社務所が面積を占めていて遺構の見所は少ない。内堀は1周1㎞無いので1周して外観を鑑賞した。石垣は最大13mの高さで砂の上に建てているそう。藤堂高虎の直線的高石垣・堀幅も広いので外観の見応えはあるが、堀にはゴミが結構固まって浮いていたので残念。観覧料金500円で松山・大洲城と同じにしてはコスパも低く、駐車料金もとるからにはそういう所もきちんとしてほしいと感じた。この城にて伊予国攻城の旅終了。愛媛県での百・続百名城の残すは能島城のみとなる。1泊2日走行距離1130㎞無事走破(*^^)v

<満足度>★★★☆☆

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ぴーかる

湯築城 (2018/08/12 訪問)

【百名城38城目】
<駐車場他>西口・北口有料駐車場あり。 <交通手段>市電

<見所>堀・土塁・武家屋敷・本壇

<感想>伊予国攻城の旅5城目。松山城から市電で湯築城へ。典型的な中世の円形輪郭式縄張りだった。最初にスタンプの為資料館へ。城と河野氏に関するビデオと資料を見る。→武家屋敷→外堀土塁→土塁展示室→遮蔽土塁→本壇→杉の壇→湯釜の順で巡った。資料館の方は非常に説明が熱心でとても好印象、ポストカードや折り紙をもらえた。外堀土塁は高く大きくて見応えある。内堀の南東側に巨石があり目を引き内堀と一体化した庭園跡兼天然の石垣?のような印象。城山は低く平丘城といった感じですぐ登れる。本壇には展望台があって面積は小さめ。杉の壇は鍛冶跡が多く発掘されたようであり面積は広い。石垣が丸石で野面積みであったが当時のものか判別不能。湯釜はいつでも温泉ただで入れていいな~と。全部巡っても1時間半程度で見れます。

<満足度>★★☆☆☆

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カズサン

家康生母誕生の城 (2019/05/30 訪問)

 桜井城の次に知多郡東浦町役場近くの水野氏家康生母於代の方誕生の城を探訪、車は東浦町役場駐車場を使用、役場東の案内標柱に役場駐車場を利用下さいと注記有り、城跡は役場東県道に出て北に細い道を約200~300m徒歩5分ほど北から東に回りこんもりした樹木有り小さな公園に土塁が大きく残ってます。
 於代の方誕生石碑、緒川城解説板、緒川城石碑、東屋、トイレが有ります。
 移築城門として東浦町役場西に於代公園、隣接して水野氏菩提寺水野氏4代の墓の有る乾坤院の総門を訪ねる、総門前に駐車場有。

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カズサン

桜井松平氏の城 (2019/05/30 訪問)

 城びとに会員登録し登城マイマップが完成し日々更新して居ります、愛知県登城も約80城に及んでますが三河と尾張の境目に当たる知多半島辺りの空白地域が有り各リストアップし探訪廻って来ました。
 岡崎IC経由岡崎市内の通勤渋滞に遭い予想時間の約1時間遅れで安城市桜井町の城山公園に成ってる桜井城跡に到着、城跡情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさんぐうグルマップで駐車場の当たりを付け、城山公園の南側桜井靖霊神社との間の道を県道44号線から南入右折。
 軽自動車2台くらいの駐車可能スペース有り。
 遺構らしき物は南西角の土塁、土塁上に城名石碑、南入口に説明解説板が有り後は公園に成り面影は400年以上の廃城で城跡の面影は殆ど有りません。桜井靖霊神社の由緒書には本丸跡に建立と有り神社、公園は本丸には当たるのでは?
 18松平氏の一つ桜井松平氏の居城跡、5月18日訪ねた復元天守閣尼崎城の城主に成った桜井松平氏の故郷です。

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チェブ

源 頼朝さんの布陣伝承地。 (2019/04/20 訪問)

新緑の気持ちいい4月に「滝野川城」に行きました。
豊島氏一族の滝野川氏の居城です。
太田 道灌さんに攻められ「滝野川城」は廃城しました。
私は京浜東北線の王子駅から飛鳥山公園の中の「飛鳥の小径」を通りました。
王子駅は北区、23区内です。
飛鳥山公園は木々があり自然いっぱいの公園で意外でした。
そこから歩道橋で街道を渡り石神井川沿いの遊歩道を歩きます。
こちらの遊歩道も緑が多く歩きやすい道です。
金剛寺がお城跡のようです。
お城の石碑や説明板はありません。
「源 頼朝の布陣伝承地」の説明板が金剛寺の入口にありました。
ぐるっと裏側に行くと「弁財天洞窟跡」の説明板です。
お城跡以外にも沢山の歴史がありそうな「滝野川城」でした。

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イオ

雑賀合戦の地 (2019/05/25 訪問)

「ニッポン城めぐり」で行われていた「雑賀合戦」のイベントにちなんで、舞台となった城に行ってみよう、と和歌山市内での所用を済ませた後、立ち寄ってみました。

中野城は、和泉国から紀伊国への入口にあたる地に築かれた城で、織田信長の紀州攻めに際しては雑賀衆の最前線となりましたが、織田方に開城した後は、この城に織田信忠の本陣が置かれたようです。

パームシティの駐車場の北奥に車を駐めて、駐車場を出たところに標柱と説明板があります。標柱の後方にある民家の塀の下部の石垣は当時のものと伝わり、前方の畑は横堀跡で、横堀沿いに北に進んだところには貴志南小学校の校門があり、説明版が設置されています。この小学校が中野城の中心地と考えられ、発掘調査で火縄銃の弾が出土しているとのことです。

また、雑賀合戦の地としては、中野城の北西部に織田方の付城とされた木本城(城びと未登録)があるようなので、そちらにもついでに行ってみました。しかし…。下調べで、大規模に造成されて霊園となり痕跡すら残っていないことは承知していましたが、広大な敷地の一部にしかお墓は建てられておらず、あとは空き地のままで、夕闇迫る中、何やらもの悲しい気分になりました。宅地化などで遺構が消滅した城は数知れずありますが、史跡を破壊するのなら、せめて有効に活用して下さい…。
 

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長月十六夜

坂道が素敵✨ (2019/05/26 訪問)

転用石はすぐそばでたくさん観察出来るのが面白い。色とりどりのカラフルな天守石垣。めっちゃ大きな井戸も興味津々。川底より深いらしく、覗き込んでも何にも見えない(._.)
天守へのアプローチの坂道が眺めもよくて、趣深い。

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くろもり

高崎・前橋を眼下に抑える (2015/05/14 訪問)

巨大な空堀あり、土塁あり、石垣もあり、長野氏と武田氏の壮絶な戦いの歴史あり、井伊直政が城主を務めたりと。遺構好きの人も、武将好きの人もときめくことができるお城だと思います。

二の丸跡でボランティアの方からパンフレットを頂き(ありがとうございました!)、石垣は虎韜(ことう)門・鍛冶曲輪・三の丸・御前曲輪の西側で見ることができました。

城下の水の手曲輪に「水汲みに行くのが地獄の一の木戸行くとは見えて帰る人なし」の碑がありました。おそらく、武田軍に包囲された長野軍の兵が命がけで水汲みに行っていた様子を表している歌だと思うのですが、御前曲輪にも井戸があったので、本当に命がけで水の手曲輪に行ったのかな?と少し疑問に思いました。御前曲輪の井戸は昭和2年に発見され、底から長野氏累代の墓石が多数掘り出されたそうです。墓石を井戸に沈めたのでしょうか?なんてバチあたりなことを・・・

城址からは南に10km離れた高崎市庁舎ビル(高崎城址)がはっきりと見えたので、同じく南東に10km離れた前橋の群馬県庁ビル(前橋城址)も見えるんじゃないかなと思います。

帰る際に城址を眺めながら、箕輪城主で箕輪城落城の際に自害したとされる長野業盛公の辞世の句を思い出していました。
「春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里」
享年23歳と伝わります。

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オイラー

岡山城登城 (2019/02/10 訪問)

百名城66城目

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オイラー

鬼ノ城登城 (2019/02/10 訪問)

百名城66城目

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ぴーかる

松山城 part2 (2018/08/12 訪問)

<感想つづき>つづきはわたくしの見学順になります。松山に前泊して朝8:30に二の丸駐車場が開くまで手前で駐車、待つ間二の丸石垣を撮影、9:00前に開いて駐車後二の丸へ。二の丸は庭園・大井戸・様々な果実が植栽されている。→登り石垣を観察、木で見えにくいので少し山に分け入らなければならない。→長者平に出て本丸東面石垣・巽櫓を下から見上げる。本丸東面石垣の真中辺りは刻印のある石垣が多い。→戻って揚木戸門跡・大手門・戸無し門・筒井門・隠れ門→本丸・本壇へ。連立式天守の中庭から天守のB1Fへ入り、1Fに行く。連結式櫓を一周して天守2Fより上にあがる。上から現存・再建櫓が並び立つ光景も良い。本壇後に→艮門・同東続櫓→本丸下段に降りて本丸北側石垣、ここ下から上に眺める現存の野原櫓・乾櫓が最高に良かった。→本丸西側石垣、乾門・乾東続櫓を観察→また本丸に入って野原櫓・乾櫓を観察、内部が入れなく、覗けないのが残念。→本壇石垣北側の仕切り門内塀にて一通り観察した。2時間半の急ぎ足の攻城でしたがじっくりゆっくり見ると半日以上は楽しめる城です。写真も過去に撮影したものをある程度端折っても過去最高の359枚撮った。大好きな城のひとつ

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カルビン

遠近法 (2016/11/19 訪問)

愛知県西部から岐阜県にかけて史跡・神社仏閣巡りで訪問した際、黒田城に立ち寄りました。
遺構は残っておらず、小学校の一画にお城があった事を示すものがあるのみ・・との情報だったので、軽く受け流すつもりでの訪問に。

一画に解説や城碑、そして山内一豊が妻・千代に結婚資金として実家より持たされた(婚礼品を売って作ったとも)お金をもらって購入した名馬・・・を引くシーンの像があります。

皆様この像に関していろいろと書かれております。
確かに像が小さ過ぎるっていうのもあります。。。一豊の顔が西郷さんみたいにゴツくない?・・・っていうのもあります。。。が、
それよりも何よりも、まず台座が立派過ぎるんじゃね?って所を指摘したいと思っております(―ω―;)

誰がこの大きさの像にこの台座を合わせて設置する事にGOサイン出したんだ!ってツッコミ入れたくなる程のアンバランス(笑)
間違い無くネタとして成立します、ここw


おそらく大半の方は笑ってしまう黒田城ですが、ここから踏切&川を挟んで逆サイドには山内一豊の父盛豊と兄十郎の墓がある法蓮寺がありますので、合わせて訪問されると良いと思います。

ちなみにJR木曽川駅・名鉄線新木曽川駅のどちらからも徒歩5、6分程度(400~500m)で行く事が出来ます。

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片上湾からそそりたつ流紋岩の山体 (2019/05/19 訪問)

備前守さんの投稿に従い、東出丸の北東側の大東地区から登頂。下りは、本来の大手道である城の南西方向にある城下地区目指し、藪こぎして降りられないかと大手曲輪、大手腰曲輪から、先に進もうとしたが、道の痕跡が見つけられず、かつすごい急斜面。城域を半周する犬走りをたどるだけに終わった。しかし犬走りまで枝打ち、整備してあることがわかり、感心と感謝。片上湾越しの南西方面からの富田松山城の姿をアップします。

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ぴーかる

松山城 part1 (2018/08/12 訪問)

【百名城37城目】
<駐車場他>二の丸駐車場無料あり。 <交通手段>車

<見所>私的には全てです。

<感想>1泊2日伊予国攻城の旅4城目。今回で3度目の来城。何度きても素晴らしさに感動が湧き起こる城。写真の投稿を10枚以上したいので2回に分けさせてもらいます。<(_ _)>
まず本丸の各遺構は天守受付でもらえるパンフレットにて確認できる。また他の遺構も沢山あるので、現地の案内板で確認して回ると良いでしょう。私的にはロープウェイで往復はもっての外で、各門跡・二の丸(200円)・二の丸石垣・登り石垣等を見てほしい。本丸は西面以外は下段を回れるので、東面石垣の刻印・西面のはばき石垣・北面の現存の櫓である野原櫓・乾櫓を下から見上げると当時の迫力ある櫓のたたずまいを実感できる。本丸・本壇にある復興櫓も現存のものとぱっと見はわからない程よく溶け合っていてすごく良い。じっくりゆっくり見ると半日以上は楽しめる城です。続く

<満足度>★★★★★

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ぴーかる

大洲城 (2018/08/11 訪問)

【百名城36城目】
<駐車場他>市民会館有料駐車場あり。(有料ですが安いです)
<交通手段>車

<見所>現存4櫓・下台所・石垣

<感想>伊予国攻城の旅3城目。この城も2015年からの2回目。駐車場そばに苧綿櫓(現存)があるが中には入れない。駐車場に城の案内盤があり、三の丸南隅櫓(現存)が非公開になっているが、実際はお殿様公園になっていて内部に入れ鬼瓦等の展示物・内部隠し狭間もあり見応えがある。下台所は現存、下台所・市民会館の天守側に段階状に高石垣があり見応え十分。二の丸奥御殿跡は整備中、本丸の下段の帯曲輪は道になっており、ぐるり1周できて搦手側の肱川方にも行くことが可能なので散策した。本丸は下段に井戸丸・暗り門があり、本丸・天守となっている。本丸側の天守台は無くて、はばき石垣程度、連結の高麗櫓(現存)・台所櫓(現存)は石垣の台は無い。入口は台所櫓でここでスタンプ押印、大洲市の洪水の募金を気持ち程度させてもらう。2Fは入れない。高麗櫓は1・2Fに行ける。天守は1・2Fが吹き抜けで階段の踊り場があり変わっている。古写真を見たり再建のVTRを見たりすると、再建の努力がうかがえた。城見学後に肱川の対岸側にも行って大洲城を撮影した。お城が程良く眺望できていい感じです。そのあと大洲市街に行ったが、肱川洪水氾濫の影響で店舗が半数以上休店していた。

<満足度>★★★★☆

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いんげん丸虫

上境城 長野県飯山市 (2018/11/11 訪問)

千曲川に近い丘の上にある城跡です。
深さ6mはある美しい二重横堀がみられます。
写真は朝靄の中の上境(かみざかい)城です。

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チェブ

幻のお城。 (2019/05/04 訪問)

福島県の会津若松市にある「神指城」に行きました。
越後から会津に移封された上杉 景勝さんが、直江 兼続さんに築かせた「神指城」です。
1600年3月から12万人で工事が始まりました。
が、6月で中止です。
家康さんの上杉討伐です。
でも、家康さんは関ヶ原の合戦に変更し引き返してしまうので、上杉 景勝さんはいい迷惑ですよね。
上杉家は1601年に米沢に引っ越しました。
天守以外は完成していたらしいんです。
「神指城」の石垣は会津若松城で再利用したそうです。
現在の「神指城」グランドの奥に遺構があります。
会津若松城の2倍の大きさだったらしいので、周りの田んぼもお城跡でしょうね。
ちょっと草がボーボーしていました。
「CGで再現された勇姿」のポスターはボロボロです。
頑張れ「神指城」!!

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イオ

藤堂高虎最初の城! ですが… (2019/05/21 訪問)

根来寺や高野山と並んで「三ヶ寺」と称され権勢を誇った粉河寺が、戦国末期に寺の防衛のために本堂南側の猿岡山に築いた城で、羽柴秀吉の紀州攻めにより粉河寺が焼亡した後は、粉河に封じられた藤堂高虎の居城となりましたが、高虎の伊予宇和島への移封に伴い廃城になったようです。

下調べでは、城域は公園化されていて、城址碑と説明板があるだけとのことで、全く期待せずに訪れましたが、「戦国和歌山の群雄と城館」の縄張図を見ながら歩いてみると、曲輪の形状は案外残っていて、本曲輪の周囲には付曲輪や溜池?と思しき窪地があること、猿岡山の南麓を流れる中津川が天然の堀となっていることなどがよくわかり、思いの外楽しく見て回ることができました。

アクセスはJR和歌山線・粉河駅から徒歩約20分、車なら粉河寺参拝者用の駐車場(500円前後)から徒歩5分程度ですが、藤堂高虎の最初の城とは言っても石垣など目立った遺構は何もなく、このためだけに訪れるほどではないので、西国三十三所・粉河寺の参拝ついでくらいでどうぞ。30分もあれば充分ひと巡りできます。

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刑部

私の出生地 江戸 (2019/05/30 訪問)

何度も来ていますが令和になって初めて訪問です。 江戸城は計り知れない広大な城、1日中周っても周りきれない。そんな江戸城下に生を受けて数十年 街並みはだいぶ変わりました・・・と天守台から思いふけてみました。

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