ホテルから車で40分ちょっとで、説明板付近駐車スペース(35.032942、132.927720)に着きました。
1316年(正和5年)山内首藤家の惣領通資によって築かれたと云われています。 山内氏は相模国鎌倉郡山内荘発祥で源頼朝に従って功を挙げ備後国比婆郡地毘荘の地頭職を得ました。
1355年(文和4年)に通資は甲山城へ居城を移し、蔀山城は弟の五郎通俊に譲られました。通俊は多賀山氏を称し、多賀山内首藤家として代々蔀山城を居城とします。
1526年(大永6年)多賀山通続のとき、尼子氏から大内氏に鞍替えしたことから尼子氏によって攻められ、1529年(享禄2年)に落城しました。
その後、安芸の毛利元就に従っていましたが、1591年(天正19年)19代多賀山通信のとき毛利輝元によって改易となり廃城となりました。
大山神社鳥居から参道があり、大山神社の遊歩道が本丸まで続いているようですが、朝から雨が降っているので鳥居前まで行って引き返しました。
国道432号線南麓に居館跡があり、その少し東の熊野神社鳥居横に城趾碑が建てられています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=大富山城に向かいました。
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