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児島湾に臨む小山 (2020/02/09 訪問)

現在は干拓地が拡がっているが、戦国時代は児島湾は広かったと。宇喜多直家は16才で最前線の乙子城主となった。備前、美作の城の多くは、宇喜多直家が絡んで説明される。

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小城小次郎

小川城

単身流れてきた赤松氏の一族が謙信に認められて小川可遊斎を名乗り、見知らぬ土地で孤軍奮闘したという熱い歴史を負っている。そんなお城が、今や新幹線駅から徒歩圏の超駅近物件へと変貌した。

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まーやん

八木城大河ドラマ出るかなー① (2020/02/11 訪問)

地元の方々が遊歩道などを整備されたと伺ったので久々に登ってきた。
春日神社に車を置き内藤ジョアンの碑を左へ曲がると京都縦貫道下の隨道が城門風となっておりそこを抜けると登山口だ。
麓エリアに武家屋敷群があり階段状の平地が見られる。
城山登山道はかつて地元小学生が城山の合目標柱を建ててくれていたが、間隔が驚く程適当だった。(かわいい笑)今は山頂からしっかり計測され標柱が立てられている。
山頂の少し手前に対面所という番所の役割を果たしたと言われる曲輪がある。
石垣が見えてきたら馬屋を上がり左に曲がれば本丸だ。本丸には金之間と呼ばれる一段高い曲輪があるほか東側は三段になっている。
本丸からは京と丹波の境西山山系から愛宕山系、大堰川(桂川)など亀岡盆地が一望できる。
急峻な地形を生かし竹に油を塗り立て掛けて滑って登れないようにして明智軍をかわしていたが火を放たれ炎上したと伝わる。
また、妙見宮辺りに地下道の出口があり難を逃れられるようになっていたという伝承も。(ほんまかいな)

山陰道を眼下に見下ろし、篠山街道へも近接し、船井郡と桑田郡に跨がる広大な城域は、武将名のついた曲輪が多数あり一般的な名称ではなかなか説明しにくい(笑)

馬屋から二之丸の間には堀切があり、亀岡市神前(こうざき)方面には竪堀も見られるとのこと。

烏嶽曲輪を見た後、妙見宮から降りようとしたが倒木により通行が規制されており、来た道から下山した。

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カズサン

本丸と平井丸探訪 (2016/05/05 訪問)

 平成28年5月連休滋賀の未踏の城廻り、三雲城を終えて観音寺城初登城、何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報ガイドで繖公園側から狭い観音正寺参道を登り有料ゲートで有料山林通行料600円を払い離合困難な道を走行、対向車が来ない事を願いながら走行するもタクシーと遭遇し何度か谷側ギリギリに幅寄せしてタクシーの素晴らしい運転技術に救われて切り抜けほっとして観音正寺駐車場に車を停める。
 駐車場から10分位の道のりでも各曲輪を上下に確認し観音寺城のスケールの大きさを実感する寺に入る前にも土塁石垣門、参拝料500円を払い、100名城スタンプゲット、観音正寺、観音寺城の資料併せて戴く。
 全城廻るのは無理なので観音正寺から観音寺城へ降りるゲートを開け閉めして観音正寺石垣下を通り案内に従い本丸へ、本丸石階段を降りて観音寺城の写真でよく露出してる平井丸石垣門の立派さにびっくり、池田丸方向は見下ろすだけの探訪。
 参拝者は多いのですが登城者は私一人。
 下城は対向車が無く無事下山しました、やれやれ安堵感満載。
 

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チェブ

秘密基地のような、お城跡。 (2020/01/03 訪問)

久野 宗隆さんの築城した「久野城」です。
桶狭間の戦いでは宗隆さんの子、元宗さんは今川軍。討死してしまいました。
久野家は宗能さんが継ぎます。ちょっと先々心配な今川家から離反して徳川家に従いました。
でも、一族や家臣の中で今川家か徳川家かと揉めたようで、、、。家康さん暗殺計画があったんだとか。

家康さんが関東転封になり久野家も下総国佐倉へお引っ越しです。
代わって秀吉さんの家臣が入りました。
「久野城」の石垣を許可なく修築した為、蟄居。
そうして、久野 宗能さんが隠居城として「久野城」に復活します。
お帰りなさい!久野家の皆様!

「久野城」は田んぼや民家がある、のどかな風景の中に、こんもりとありました。
駐車場もトイレもあります。
城攻めは1月3日だったのにトイレは清掃されてました。
地元の方々が大切にしている「久野城」です。
「ご自由にどうぞ」のパンフレットをいただき出陣です。
この日、風が強かったのでヨロヨロ歩きましたが大丈夫!
危険な所は歩きやすく石が敷かれ、手すりも場所により設置してあります。
パンフレットを見なくても案内板があります。たぶんチビッ子用ですが、、、。
コンパクトで親切な「久野城」。秘密基地にしたいお城跡です。
ちなみに子供の頃、無人の神社の床下が秘密基地で、捨て猫とマンガを隠してました(笑)

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とりの子

冬の特別公開と期間限定の御城印 (2020/02/11 訪問)

今日、姫路城へ行きました。姫路城に行くのは3回目です。冬の特別公開があると知ったので、行って来ました。今回初めてガイドをしてもらい、いろいろなことを教えていただきました。
特別公開の帯の櫓は、姫路城で一番高い石垣の上に建てられた櫓です。中は入れませんでしたが、櫓の近くまで見学できました。
太鼓櫓は、初公開でした。中がななめになっていました。

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とってぃ

工事中なところも (2020/02/11 訪問)

工事中なところもあっていけるルートが限られていました。

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芦屋の豪邸もいろいろ (2020/02/01 訪問)

トーダイさんが登城の際は、黄砂で景色が霞んでたとのことから、大阪湾方面と神戸方面の眺望写真をアップします。登山道は、更に奥の荒地山に続くハイキング道であり、けっこうハイカーに会いました。一人で黙々と道を整備している方も。
麓の説明板に、わざわざ「中世の城跡としての遺構は何も残っていない」と書くのもどうなんでしょう。
下山後、豪邸見物を兼ねて平野城まで山手を散策しました。

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とってぃ

公園になっている (2020/02/11 訪問)

きれいな公園になっており、碑などが建っていたが、跡は分からず。

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まふ

久しぶりに (2020/02/09 訪問)

9日に、久しぶりに行って来ました。
御城印が有るけど、和歌山城非公認で、表記は、虎伏城と成ってました。

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しろちゃん

こんな近くに、感動 (2020/02/09 訪問)

二十代半ばまで、比較的近い所に住んで、沢山城の近くの道路を何度も行き来してましたが、看板もなかったので素通りしていました。

沢谷戸公園の西側の登り口より登城しました。
この山は、地主さんが好意で開放していただいている様です。
周囲には、立入禁止もありますが、十分堪能出来ます。感謝です。
小さい城跡と思っていたので、曲輪の大きさに驚きました。

東側は急斜面で、南側は谷戸が形成され、曲輪の中心部は東南部に位置している。曲輪は、北側へ数段に渡り展開されています。
調布方面からの攻撃に備えた城である事を感じさせられます。

城の縄張りは、都筑区の茅ヶ崎城に似ていました。
城の規模と縄張りから、北条氏時代の城跡である事を伺えます。


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どう

五稜郭 (2019/07/01 訪問)

以前より気になっていたので、大きな期待を持って訪問。その反動があって、う~んと言う感想。でも学校だから仕方ない。もし自分が五稜郭の学校出身と思うとちょっとうらやましいし。
形や堀は狭いが見事。
しかし攻められたらこの狭さはどうだろう?

展望台には道に迷いたどり着けず。
もう少し詳しい案内あってもいいのではと思ったが、それも学校だから仕方ないか。
都会なら学校全体一望できたら大問題。


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todo94

観音埼灯台へ行く前に (2020/02/08 訪問)

観音埼灯台からのぼれる灯台スタンプラリーをスタートさせることが今回のドライブ最大の目的。観音埼灯台に近い城・佐原城に立ち寄っていきました。小さな小さな説明板と城址碑がありました。

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小城小次郎

小島城

姉小路氏の城として築かれたが、金森氏によって相当手を加えられたらしく、荒々しい石垣と技巧的な枡形虎口を今に伝える。築城当時はこの石垣も麓からよく見えたことだろう。

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ほむほむ

払田柵と掘田城の近くにあります。 (2018/09/16 訪問)

払田柵の案内板を見ていたら、載ってたので行きました。
払田柵から車で3分程で着きます。
しかし駐車場はありませんでしたので、西門跡の近くに路駐して散策に行きました。
堀跡は綺麗に残っており、元々水田だったようで整備もされています。
城館跡としては保存状態はかなりいい状態ではないでしょうか?

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橋吉

青い空と白い石垣のコントラスト (2020/02/02 訪問)

座喜味城は、15世紀初期に護佐丸(ごさまる)によって築かれたと伝えられています。
当時、琉球は3つの国に分かれており、中山の重臣である護佐丸が北山を監視するためにつくられたとされています。

2020年2月現在、道路工事のため、道路の通行制限がありますが、
案内板に従えば迷うことなく到着できます。

広い無料駐車場が用意されています。

世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムの入り口で続日本100名城のスタンプを押すことができます。

ミュージアムを出てしばらく歩くと、
見えてきました。
青い空と白い石垣のコントラストが息をのむ美しさです。

土木技術の高さがうかがわれるアーチ形の門
門を抜けると石垣に囲まれた曲輪が広がります。

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カズサン

石垣の枡形虎口が素晴らしい (2016/05/05 訪問)

 平成28年5月連休滋賀県未踏の城を日帰りで探訪しました、三雲城初登城です、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんです。
 草津線三雲駅あたりから吉永の西住寺を目指し団地住宅地を山手へ奥の青少年自然の家に向かい途中から林道にそのまま進み突き当りに登城口と駐車エリアが在る。
 登城口から石垣の枡形まではそんなに時間は掛からない、枡形虎口前には石、岩がごろごろしてる、主郭の石垣枡形が見所、奥の西面に主郭上段から流れる土塁、主郭上段には大岩がでんと収まってる、北東見張り台には八丈岩が聳えてる。
 観音寺城の六角氏が二回も逃げて避難した城でも名を博してる。車で上がればお手軽に探訪でき八丈岩からの眺望は素晴らしい。

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イオ

ただの陣城にあらず (2020/02/01 訪問)

室町前期に富島氏が築城し、戦国末期には浅井氏と織田氏の境目の城となりましたが、織田氏が美濃と近江を領したことで役割を終えて廃城。関ケ原の戦いに際して、西軍総大将・毛利輝元の本陣とすべく石田三成の命により大垣城主・伊藤盛正が改修するも、輝元は大坂城から動かず、小早川秀秋が盛正を追いやって布陣しました。松尾山からの小早川隊の東軍への参戦が勝敗を左右したのはご承知のとおりです。

急ごしらえの陣城かと思いきや、山頂の主郭から北東、東、南、南西にのびる各尾根筋に曲輪を設けた大規模な山城で、各曲輪(南西の曲輪を除く)の周囲を土塁がめぐり、主郭の南部には土塁で枡形虎口が築かれていて、北側には竪堀が長く伸びています。そして主郭からは関ケ原の主戦場が一望のもとに見渡せます。北東の曲輪の土塁には折れが設けられ、南の曲輪には堀切と土橋の先に虎口があります。西の曲輪と南西の曲輪の間には大きな堀切、南西の曲輪の南端尾根筋には堀切が交互に3本並んでいます。また、曲輪間の斜面などに階段状に曲輪が設けられ、大軍の収容を想定していたものと思われます。

前々から関ケ原古戦場に行ってみたいとは思っていましたが、昨秋の山城サミットでガイドマップをもらって行きたい思いに火がつき、ニッポン城めぐりの関ヶ原イベントにあわせて訪れることができました。…と言っても、松尾山城については「関ケ原の戦いの転機となった地でもあるし、せっかくだから登ってみるかな。遺構もあるようだし」程度でさほど期待してなかったんですが、まさか遺構がこれほどの規模で状態よく残っていたとは! 北麓の登城口駐車場から主郭まで約30分を要しますが、特に急登でもなく歩きやすい道ですし、時間が許せばぜひ登ってみて下さい。ただ、松尾山はヤマビルが出るらしいのでご注意を。この日は真冬だったので遭遇せずに済みましたが…。
 

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YAICHI

御茶屋御殿跡と合わせて (2020/02/09 訪問)

枚方城は現在の枚方小学校の建っている場所にあったと言われています。遺構はおろか、石碑、案内板もありません。城主は百済王氏の末裔と称する本多内膳正政康なる人物で、娘を秀吉の側室に出しています。秀吉は城址近くに御茶屋御殿を建て、娘をそこに住まわせたと伝わります。御茶屋御殿跡展望広場は綺麗に整備された公園で、眺望もよく、合わせて訪問されるとよいと思います。

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tos-M

信濃の名城 国宝・松本城 (2014/08/25 訪問)

松本城はいつも登山帰りに寄りたいと思っていたお城。この日は上高地を目指して国道19号線を車でとばしていたが、天気は下り坂。迷った挙句、登山をあっさりあきらめ行った場所が松本城でした。地味に黒いお城の印象でしたが、お堀端から見る角度で違った顔を見せるお城にうっとり。視覚効果抜群のきれいな現存天守でした。黒門や太鼓門も復元されており、枡形虎口を形成されているため入城時に防御力を体感できるいいお城ですね。

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