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ぴーかる

荒神山城 (2019/11/15 訪問)

【荒神山城】
<駐車場他>山頂の荒神山神社Pあり。
<交通手段>車

<感想>平日日帰り彦根市の城攻めの旅4城目。山頂には駐車場・NHKのTV塔・荒神山神社があるが城跡に関する碑もなければ説明板もないのでどこが城跡かわからなかった。神社の少し手前参道横に曲輪跡らしき石垣遺構があったがよくわからず。神社の石垣は素晴らしかったので添付写真は主に神社の石垣を載せます。神社から少し北に下がったところに巨大な古墳がある。
 この城跡にて今回の旅終了。260㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

西尾城

二の丸櫓が出来上がると、本丸と二の丸の櫓がどちらも"丑寅櫓"という珍妙な現象が発生する。珍妙と言えば城内に京都から「近衛邸」が移築されているのも珍妙だし、その庭にまるまる丸馬出が取り込まれているのも珍妙。

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チェブ

城跡公園と城山公園。 (2019/11/16 訪問)

「栗原城」の支城、「花崎城」に行った事にします。
この2城、上杉 謙信さんが小田原城攻めの帰り、家臣の木戸氏に攻めさせ落城しました。
確か謙信さんの小田原城攻めは撤退したはず。
何で今更、攻撃したんだろう?
この辺り、謙信さんの とばっちりで落ちたお城が目立ちます、、、。
私は「花崎城跡公園」だけ行きました。線路沿いにある公園で奥に教習所がありました。
帰って来て、皆さんの投稿を見たら様子がおかしい!
線路の向こうに「花崎城山公園」があったんですね。

「城山公園」をお薦めします。
私は行ってませんが(笑)

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カズサン

南朝方井伊氏三岳城の北の守り (2019/11/29 訪問)

 登城して居て矛盾するのですが林道危険でドコモ東海の管理道路の為お勧めできません。

 南北朝期井伊氏南朝方として後醍醐天皇の宗良親王を奉じて井伊谷に拠点を設け、井伊家より分かれた田中氏が田沢の地に移り天山に築き田沢氏を名乗り三岳城の北辺の守り支城と設けられる、三岳城の落城に先だって延元4年(1339年)秋の頃落城。

 トーダイさんの投稿で知った古城盛衰記さんのガイド、田沢多目的集会所のご婦人の方に道情報を聞き小型車でも数年前には行ける事を確認

 浜松市北区引佐町田沢の田沢小中学校より渋川方面に約1.1km程の切通峠に林道入口、古城盛衰記さんの案内に有った入口の田沢城道標は見つかりません、林道を走行、舗装路と砂利道、杉の小枝、落石小石を取り除きながら超低速で走り、轍の有る処は車の腹を擦り、離合も困難な所も有ります。(約5.3km全行程)
 入口から2.4km程の所で三叉路でドコモ東海の看板「ドコモ専用道路関係者以外津工禁止」、ここまで来て道が狭く路肩土でバックも出来ずそのまま進行、入口より約4.5km程の所に「史跡田沢城(天山城)跡」田沢自治会案内板が有りこの辺りが城跡の様子、更に進行し約5.3km程で山頂、ドコモ東海中継所、中部電力マイクロウェーブ中継所前の広場が有ります。
 中継所フェンスの城山案内板は風か劣化かなくなって居ました、途中の田沢城道標は見つかりませんでした、取り除いたのか劣化で無くなったのかはわかりません。
 林道工程危険道、専用路、林道作業の重機は入って様子は伺えます、落石、倒木、落ち枝で危険です。

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刑部

雰囲気の良いお寺 (2019/12/01 訪問)

城址らしさよりお寺 そのものに魅力を感じました。カフェがあり竹林・・・京都の雰囲気です。

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カズサン

秀忠生母西郷の局ゆかりの山城 (2019/11/29 訪問)

 天下布武さんの最近の投稿を見て姫街道国道362号線は浜松豊橋往来によく利用してる道です、城びとの城地図に未踏ののままに成って居り気に為ってた所、投稿に刺激され天下布武さん情報、古城盛衰記さん情報、余湖図コレクションさん情報を確認知識を吸収し国道362号線本坂トンネルを西に通り抜け嵩山(スセ)交差点を西600m水路沿いの道を北山方向、駐車場は有りません自動車整備工場?過ぎて若干広い路肩に路駐。
 そこより30m程水路に丸木5本の橋、橋傍に黄色い標柱に微かに月ヶ谷城表記が見える、竹林を奥へ、赤い矢印板の方向に進む、所々に赤い矢印板が本曲輪まで案内して呉れる。
 杉林で暗く、道を倒木で塞がれ迂回し進む、岩が石垣の様に見える所も有り城兵が待ち伏せしてる様、私の足で登り25分、降り15分比高140m程。
 余湖図コレクションさんの俯瞰図で山頂の曲輪を探訪、低木の薮状態で屈みながら、深い井戸が気に為り落ちない様に慎重に回る、1曲輪に山桃の大木、虎口、切岸、2曲輪に虎口2ヶ所、3曲輪に深い井戸、虎口が見られる、4曲輪は1曲輪の北側控え曲輪の様子、現在の登城路は北より4曲輪切岸、1曲輪切岸を登ってたどり着く。
 低木伐採し、杉林を間引き見える化、明るくするとコンパクトな山城標本の様な状態に成るのかなと想像したりします。

 桶狭間後家康が自立し西郷氏も協調し今川氏に攻められ落城との事。

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いんげん丸虫

仁田山城 群馬県 (2019/11/17 訪問)

谷山城から尾根を1.3km歩くと仁田山城に着きます。
道の駅やテーマパークではなく、上州名物からっ風という超天然の群馬を感じながら城巡りできたのは贅沢でした。
1つの尾根を加工するシンプルな構造ですが遺構はよく残っています。

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中川藤兵衛尉

白木陣屋 (2019/12/01 訪問)

今度は膳所石川氏の分家の陣屋。石垣が残ってるとのことですが、草が生えてて言われないと分かりません

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中川藤兵衛尉

大ヶ塚寺内町 (2019/12/01 訪問)

東西を急な坂と川とで守られた寺内町(城)。南北の二区画に分かれているのも面白いし、融通念仏宗の大念寺、真言宗の顕証寺、浄土宗の善正寺と念仏諸宗が勢揃いしてるというのも興味深い

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中川藤兵衛尉

富田林寺内町 (2019/12/01 訪問)

歴史的景観も素敵なんですが、寺内町内外の比高差が、まさしくここが「城」だということを見せてくれています

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ホリタカ

ブラタモリの翌日に (2019/12/01 訪問)

ブラタモリで岡山 鬼ノ城を観た翌日に来ました。テレビで予習してたので、ちゃんと学習広場にも寄りました。

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YAICHI

「姫屋敷」とも (2019/12/01 訪問)

城域は綺麗に埋め戻されていますが、その広さから大きな屋敷跡ということがわかります。東側に穴太積の石垣が見られます。

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カズサン

岐阜城が遠望出来ます (2019/11/30 訪問)

 大桑城を終えて近くの関城を初登城、案内は城郭放浪記さんで安桜山公園の西に関市安桜山公園駐車場利用、わかくさトンネル南側より道東側に案内板、階段を登って公園、御嶽神社階段を登り拝殿へ、大桑城の登城で足ががくがく、拝殿で下城しようとしたのですが登城口の椛の紅葉が素晴らしくもう少しと六合目、ここまで来たら頂上へと比高90m、九合目は霊域で東屋、本曲輪は神社が鎮座、西の曲輪と思われる場所に三階建ての展望台。
 ここからは遠く南西に金華山岐阜城が見え、西に伊吹山、北方面に雪を被った御嶽山、穂高、北東に南アルプスの高の峰が見通せ、丁度大型双眼鏡三脚付き持ち込んでる方がいらしゃり双眼鏡で遠望しました、市民の皆さんの散歩道の様でそこそこの方が登城されていました。
 岐阜金華山の岐阜城遠望の写真はズームレンズが135㎜で大きく撮れませんので目で脳裏に焼付投稿できません。

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中川藤兵衛尉

膳所藩代官所 (2019/12/01 訪問)

西代本多氏の本家筋に当たる膳所本多氏が構えた出張所

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中川藤兵衛尉

西代陣屋 (2019/12/01 訪問)

僅か二代で畳まれた、この地を治めた本多氏の陣屋。現在は長野小学校。因みに、読みは「にしだい」

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中川藤兵衛尉

河合寺城 (2019/12/01 訪問)

河合寺というお寺さんを楠木氏が城にしたもの。現在は長野公園の一角、展望台に至る中腹の休憩所

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カルビン

セット訪問推奨地 (2014/06/09 訪問)

JR高崎線の深谷駅はお城の宝庫。
城びとに掲載されている深谷城・庁鼻和城・皿沼城・人見氏館の他に城びと掲載外の秋元氏館・東方城・幡羅館等が徒歩圏内にある激戦区になっております。

その中の主役?となる深谷城は現在公園になっており、お城だった事を示す現存品はなりを潜め、お城ファンにとってはちょっと残念な状態になっております。
ま、駅近物件なので開発の手から逃れられなかったのは仕方がない事で、むしろ城址として残っている事が良かったとした方が宜しいかと。。。

ここはあえてお城を数訪問する事をメインで、且つ東京駅を模した深谷駅や深谷のゆるキャラ・ふっかちゃんを見に行くくらいの軽い気持ちで訪問された方が良いかもしれません。


ちなみに深谷城の遺構は公園内ではなく、その隣にある冨士浅間神社に外堀跡(すんごい浅くなってるw)があったので、これは見落とさない様にしておきましょう(汗)

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中川藤兵衛尉

烏帽子形城 (2019/12/01 訪問)

山容が烏帽子っぽいからという理由でこんな名前になった城。命名のネタっぷりとは裏腹に、ド迫力の横堀や執拗に巡らされた土塁などが現存して見応え満点

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カズサン

美濃守護土岐氏最後の居城 (2019/11/30 訪問)

 前々から気に為って居り山城サミット可児大会の城紹介コーナー大桑城の担当の方から情報を得て、中腹まで車で行け駐車場が有ると資料を頂き初登城しました。
 大桑地区に入る処で城下防御の四国掘りを探訪し、幟旗沿いに進行し大型バス駐車可より直ぐの古城山登山口(ここは健脚コース)、さらにはじかみ林道を紅葉を眺めながらゆっくり2.7km九十九折を進行し中腹の駐車場に小型車20台は可能。
 はじかみ林道登山口、登城口から案内書には約750m、時間20~30分と有り登城開始、私の足では休み休みで50分、降り30分でした。登りの階段、上部の方では急峻な崖道をロープの助けを借りて登る箇所が三ヶ所あり気が許せません。
 伝天守跡にはミニ模擬天守、遠くには金華山の岐阜城の影が小さく眺望できます、見晴らしは絶景です、厳しい山城ですが沢山の方が登城されて居ました。
 「土岐氏最後の居館、大桑城」「明智光秀ゆかりの地」二つの幟が通り沿い、あっちこっちに立てられて居ます、来年の大河の盛り上がりが感じられます。
 
 大桑城のパンフレットによると守護土岐氏は1535年、長良川の洪水をきっかけに、山県市大桑地区に守護所を移し大桑城や城下町を整備、その後斎藤道三に攻められ落城、土岐頼芸は追放され大桑城は守護土岐氏の最後の居館と成った。(1542年一時、1552年再び土岐氏滅亡)

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城好きのメガネ

「伝太田道灌屋敷跡」 (2019/12/01 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
伝太田道灌屋敷は名将・太田道灌の居館跡である 。明確な記述は残されていないため、正確な場所は不明である。横浜市立太田小学校や三春台第二公園付近と推定される。現在は、遺構が消滅している。

<アクセス>
京急本線 黄金町 下車徒歩15分

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