さくらまちちゅうじょうじょう

桜町中将城

三重県名張市

別名 : 桜町館
旧国名 : 伊賀

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小城小次郎

桜町中将の城 (2025/03/30 訪問)

隣接する滝川雄利の滝川氏城と同様に、桜町中将と呼ばれた織田信雄が第二次天正伊賀の乱に際して設けた拠点という。民家の脇を抜ける登城路にはちょいと抵抗感あるが林の中に厳然と残る真四角な土塁と堀には圧倒される。

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ぴーかる

桜町中将城 (2024/11/16 訪問)

【桜町中将城】
<駐車場他>滝川氏城のグランド下部の公園に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>土塁・横堀
<感想>日帰り伊賀攻めの旅2城目。桜町中将城は1581年に第二次天正伊賀の際に織田信雄(桜町中将)の陣城として築城しました。登城口は<34.654479, 136.142319>の畑のあぜ道を南下して林に入るとすぐ左手に土塁と横堀が現れるのですぐ分かります。城跡は単郭方形の高土塁のある主郭のみで周囲を横堀で囲んでいます。主郭の周囲はやはり守りに特化した遺構は見られないが、主郭の北側の曲輪には井戸跡が残されています。石組でないところから見ると当時のものかとも思われます。土塁の高さはすごくて3.5mほどあり見応えがあります。虎口は南に切り虎口が1か所あります。良好に遺構が残されていていい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:桜町中将城 (2024/09/27 訪問)

滝川氏城から徒歩5分くらいで、雑木林へ入る分岐点(34.654484、136.142317)に着きました。

1581年(天正9年)北畠信雄によって築かれたと云われています。
1581年(天正9年)第二次天正伊賀乱で柏原城に籠もった伊賀衆に対して、北畠信雄が桜町中将城を築いて在陣したそうです。

分厚い土塁と空堀が確認できます。虎口は南にありました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=丸山城を目指す為、美旗駅から電車で上林駅に向かいました。

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しんちゃん

コンパクトだけど土塁と堀切がしっかり残る。 (2023/07/15 訪問)

桜町中将城は織田信長次男、織田信雄によって築かれたと伝わります。
信雄の官位のひとつに左近衛権中将というものがあるので
これが城名の由来でしょうか。
城としてはコンパクトで陣城のような感じですね。
主郭を土塁で囲み南側に虎口を設け
北東西を深い堀切で囲ってあります。
南側にも郭が設けてあるようですが、多数の兵員は
北西の滝川雄利が守る滝川氏城に駐屯させていたのではないでしょうか。

民家のわき道を登って行った先にこの城があるのですが
はたから見ているとこんな城が雑木林の中にあるなんて
ちょっと思いつかないでしょう。
そういえば北側にあった標識に桜町中将城(雑木林)と書いてあったような
気がしますが、この城の登城方法としては南側から
民家のわき道を抜けてはいっていっくのが正解な気がします。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 北畠(織田)信雄
築城年 天正9年(1581)
主な城主 織田氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 三重県名張市下小波田字内山