滝川氏城から徒歩5分くらいで、雑木林へ入る分岐点(34.654484、136.142317)に着きました。
1581年(天正9年)北畠信雄によって築かれたと云われています。
1581年(天正9年)第二次天正伊賀乱で柏原城に籠もった伊賀衆に対して、北畠信雄が桜町中将城を築いて在陣したそうです。
分厚い土塁と空堀が確認できます。虎口は南にありました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=丸山城を目指す為、美旗駅から電車で上林駅に向かいました。
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2024/10/24 05:34
公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:桜町中将城 (2024/09/27 訪問)
滝川氏城から徒歩5分くらいで、雑木林へ入る分岐点(34.654484、136.142317)に着きました。
1581年(天正9年)北畠信雄によって築かれたと云われています。
1581年(天正9年)第二次天正伊賀乱で柏原城に籠もった伊賀衆に対して、北畠信雄が桜町中将城を築いて在陣したそうです。
分厚い土塁と空堀が確認できます。虎口は南にありました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=丸山城を目指す為、美旗駅から電車で上林駅に向かいました。
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2023/07/26 21:06
コンパクトだけど土塁と堀切がしっかり残る。 (2023/07/15 訪問)
桜町中将城は織田信長次男、織田信雄によって築かれたと伝わります。
信雄の官位のひとつに左近衛権中将というものがあるので
これが城名の由来でしょうか。
城としてはコンパクトで陣城のような感じですね。
主郭を土塁で囲み南側に虎口を設け
北東西を深い堀切で囲ってあります。
南側にも郭が設けてあるようですが、多数の兵員は
北西の滝川雄利が守る滝川氏城に駐屯させていたのではないでしょうか。
民家のわき道を登って行った先にこの城があるのですが
はたから見ているとこんな城が雑木林の中にあるなんて
ちょっと思いつかないでしょう。
そういえば北側にあった標識に桜町中将城(雑木林)と書いてあったような
気がしますが、この城の登城方法としては南側から
民家のわき道を抜けてはいっていっくのが正解な気がします。
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2021/04/21 11:52
伊賀未踏の城廻りⅢ 信雄陣城薄暗い! (2021/04/11 訪問)
滝川氏城を終えて徒歩で南東直線約200m程に在る、桜町中将城登城を試みるが2ルート供民家庭先なので車で大回り、来た道を引き返し田植え前の農作業の軽四が農道に横付けして有り車にぶつからない様、田圃に落ちない様ゆっくりと慎重運転、県道692号線に出て南東500m程の所に目的路駐場所を定めて走行、目的の路駐は無理なので農作業されてる婦人に桜町中将城の登城路と路駐可能場所を尋ねる。
路駐場所:名張市下小波田1018宅の西石垣下、県道692号線沿い側溝蓋の上白線側道の内側に1、2台可能。
概要案内:路駐場所から30m程北に戻り集落の細い道を東に約100m程、途中細い堀切道に成り婦人に教えて貰った「車1台が駐車できる場所から登る」と、場所はぬかるんで居り薄暗いが眼前に城塁が入り坂道を上がると主郭の南側堀、東側土塁確認し、南側の虎口にたどり着く、前に滝川氏城を見てるので落差は有り過ぎ、薄暗く杉林は乱立、主郭は狭いと成ってしまいますが、土塁の幅は広く、南虎口の横は櫓台が有った様な広さ、主郭北西角に虎口状のスロープが在り土塁に登り観察、南を除く三方に空堀が巡る、南虎口から来た道の反対西側に登城路が有りそうなので西側北の別集落に降りる、直ぐ北西は滝川氏城か?を通って路駐場所へ戻る。
杉林が乱立して観察しにくい又暗くて鬱蒼としてる、曲輪土塁空堀の残りは良いがもう少し景観と案内板の設置を願いたい。またお尋ねしてお答えいただいた方に感謝申し上げます。
歴史:天正9年(1581年)第2次天正伊賀の乱で伊賀土豪衆が立て籠もった柏原城に対して信雄の命で滝川雄利が滝川氏城と信雄の陣屋、陣城として築いた。
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2020/01/03 20:23
実戦現役の城 (2019/12/01 訪問)
第二次天正伊賀の乱の際に、総大将・北畠(織田)信雄が自らの陣所として滝川雄利に命じて築かせた城で、織田信長が陣中見舞いに訪れたりもしましたが、本能寺の変の後は役割を終えたようです。
なお、桜町中将は信雄の異称で、京の屋敷の所在地と官位名にちなんだものなんだとか。
この地域の典型的な単郭方形の城で、主郭を分厚く高い四方土塁が囲み、その外周には深い横堀、さらに土塁がめぐります。南側に虎口、南西隅に櫓台があり、外周の土塁北側には囲みを持つ屈曲した土塁と、その外側に堀切が東西に長く続いています。
滝川氏城から歩いて南西側から登城しましたが、いきなりの深い横堀と高い土塁にテンションが上がります。そして櫓台を見上げつつ、南側に開口した虎口から主郭に入ると……暗っ!! 雑木林と化していて日光が届かない上に、高土塁に四方を囲まれていてほとんど光が入らず、日中でも日暮れ時のようです。しかし、遺構は状態良く残っており、横堀の深さと土塁の高さ、急峻さは、雑木を伐ってしまえば、このまま現役で実戦に耐えるんじゃないかと思えるほどでした。私の拙い写真ではこの感覚が伝わらないのがもどかしいですが…。
前々からこの地域の単郭方形城郭に行ってみたいと思っていましたが、期待を遥かに超えていました。伊賀もや甲賀も余裕で日帰り圏内なので、これからもあちこち行ってみたいと思います。今後の楽しみがまたひとつ増えました。
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分類・構造 | 丘城 |
---|---|
築城主 | 北畠(織田)信雄 |
築城年 | 天正9年(1581) |
主な城主 | 織田氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
住所 | 三重県名張市下小波田字内山 |