みょうじょう

名生城

宮城県大崎市

別名 : 御所館、義隆館、名生館
旧国名 : 陸奥

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ぎりょう

今回は「名生館官衙遺跡」として探訪です (2024/10/05 訪問)

米どころとして名高い宮城県北大崎地方も稲刈りがすすみ、新米が出まわる季節になりました。この夏から始めた古代東北の城柵遺跡訪問の五ヶ所目として「名生館官衙遺跡」を訪ねました。この遺跡は「名生館」の名が示す通り、中世にこの地方を治めた奥州探題、斯波大崎氏の拠点の一つ名生城があった場所でもあります。名生城としてはこれまでに数度訪問しており、この欄に投稿済です。これまでは中世城館としての縄張りや遺構の確認が目的でしたが、今回は古代城柵をイメージしての訪問です。
ここは7世紀末から平安期まで使われた「玉造柵」に比定される古代城柵です。昭和55年の発掘調査では四面庇付き瓦葺き建物の遺跡も見つかっており、その瓦の製造された年代が多賀城跡のものより古く、多賀城創建(今年は多賀城創建1300年です)以前からこの地方が律令政府の支配にあったことを物語っています。
大崎地方の北西部、標高40m、比高10mの丘陵に位置し、東西700m、南北1100mの広さで、古代城柵としての規模は大きいといえるでしょう。古代東北蝦夷の三十八年戦争時代には征討軍の中継基地としても利用されたようです。宮沢遺跡(宮城県大崎市)は北東に9.4km、伊治城(宮城県栗原市)は北に30km、蝦夷の拠点胆沢(岩手県奥州市)までは北に82kmあります。
周辺はいま、民家や田畑となり、官衙としての遺構はありません。農家さんの倉庫脇にある説明板の推定復元図を見、政庁跡の平場から遥か北方を望み当時の威容を思うばかり。
東北自動車道古川ICから4km(9分)

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ぎりょう

かつての土塁、濠跡を確認! (2023/04/23 訪問)

今日は地元大崎市の名称となっている「奥州探題大崎氏」の居城名生城に。自身が所属する古文書の会定期総会があり、記念講演および城址探訪が企画され会員諸氏と城址を歩くことができた。この城の詳細については過去(2020年1月)にこの欄に投稿済みであり、そちらを参照していただきたい。
会議・講演は大崎市の岩出山中央公民館(スコーレハウス)で開催。その後希望者30人ほどがかつての北館跡に建つ浄泉院駐車場に集合し、宮城県北地区の中世城館研究の第一人者佐藤信行氏にご案内いただいた。コースは北館をスタート地点として大館、小館、内館と進み、各館を防御した壕跡や土塁、空堀、帯曲輪などを見ることができた。
自身これまでに数回訪れているのだが、城域も広く、高低差もあまり無く、現在は民家や農地に改変されて判りにくかった遺構も時間をかけて歩くことではっきりと確認することができた。
さすがに日頃から「古文書が語る地域の歴史」について深い関心を持って学習している会員諸氏だけあって真剣そのもの。天正18年(1590)大崎葛西一揆の際に一揆勢が立て籠もり、蒲生氏郷により攻め落とされ伊達政宗との確執で氏郷が数ヶ月籠城したことを皆さんご存知で、いったいどの館に籠ったものかと楽しい話題で大いに盛り上がった。

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大崎氏の城 (2022/09/22 訪問)

 奥州探題であった大崎氏の城ですが、古代には官衙がありました。両方の案内板が近距離に立っています。浄泉院周囲の北館跡周辺位空堀跡と思われる所がありますが、藪になっています。どこが遺構かどうか判断できませんでした。
東大崎駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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カズサン

以前より認識しやっと初登城 (2020/10/26 訪問)

 高清水城を終えて陽が沈み前急いで名生城を目指す、以前より大崎地区の名城として知っていましたが4年前に岩出山城を登城しながら近くの名生城を越えて涌谷城の桜を優先、今回下越奥州城廻りに加えました。
 ナビを城郭放浪記さんGoogleMap地図より取り敢えず史跡マーク名生城と浄泉院北の進入路辺りに合わせ走行、近くの大崎神社に着きほっとしましたが丘陵を登り村中の道が狭いナビ目的地に着くと名生城の案内解説板が有りその前が私有地の駐車可能場所、浄泉院への案内指示板も有り、道も狭く不安なので史跡マーク名生城周辺での探訪に終わりました。
 名生城は低い丘陵地北東に各曲輪を堀で囲み群郭式の城郭、案内板が有る所が大館、浄泉院の有る所が北館、大崎神社の有る所が小館、名生城、名生館官衙遺跡に詳しい方にガイドをお願いしてゆっくり探訪したい、一人でふらっと来ての探訪は難しいような気がします。

 歴史的には名家斯波氏の流れで斯波家兼が大崎氏の祖、奥州探題を務め大きな勢力を持ったが小田原征伐に参陣せず奥州仕置きで領地没収改易と成る。
 詳細説明は地元先達のぎりょうさん投稿をお読み下さい。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 大崎家兼
築城年 正平6年〔南朝〕/観応2年〔北朝〕(1351)
主な城主 大崎氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(名生城跡)
再建造物 説明板
住所 宮城県大崎市古川大崎城内131
問い合わせ先 大崎市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0229-72-5036