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カズサン

【春日城】長野県伊那市 南信濃城廻りⅤ春日公園 (2016/05/02 訪問)

 平成28年5月連休、殿島城を終えて天竜川西対岸約3km程の伊那市の春日公園、国道153号線から大看板がよく見えます、公園の駐車場に停める。
 春日神社の南の大堀を越えて東に延びる舌状台地を活用して南北に堀切曲輪を断ち南、東は崖で防ぎ、本曲輪を二曲輪が来た西に抱き込み守ってる、三曲輪は西に南北に防御してる。
 見晴らしは天竜川、アルプスを望み素晴らしい。
 終わって来た道153号線151号線を千m超の峠越え新緑を愛でながら浜松へ帰宅。

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カズサン

南信濃城廻りⅣ、二重堀で囲まれてる (2016/05/02 訪問)

 平成28年5月連休、大島城を終えて153号線を北上、駒ケ根、伊那市を経て天竜川の東河岸段丘に築かれている、住宅街の中に殿島城址公園として整備保全されてる、車は同駐車場に停める。
 余湖図コレクションさんの俯瞰図によると単郭の本曲輪の北に二重土塁二重堀、東に三重土塁三重堀が南に同じく繋がってる、西は竪掘りで下り、西側断崖と防御を凝らしてる。

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カズサン

南信濃城廻りⅢ 二重三日月堀に大空堀 (2016/05/02 訪問)

 平成28年5月連休に松岡城を終えて北に約6km程の大島城へ初登城する、国道153号線を北上し松川町の台城公園を目指し同駐車場に停める、当日はつつじ祭りで人出は多く、いろんな色のつつじは満開、鯉のぼりは数多く泳いで居り賑わいの中での探訪は久し振りです。
 天竜川東に迫り出した舌状台地に築かれて居り西虎口に二重三日月堀の丸馬出が有名で見所、各堀も深くて広い流石武田流築城術恐るべしすっかり堀に土塁に曲輪に惚れ惚れ酔いしれ、満開のつつじ、藤、鯉のぼりが更に趣を増して呉れました。
 じっくりと探訪、観たい城郭です。

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カズサン

南信濃城廻りⅡ、東に天竜川絶景です (2016/05/02 訪問)

 平成28年5月の連休、座光寺南城、北城を終えて北へ1、2km程の天竜川河岸段丘上に松岡城を初探訪。
 車は松源寺の駐車場を利用。
 何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報、ガイドによると、城主は安倍貞任前九年の役で敗れ次男の乳母が信濃市田の郷に連れて逃げ後年松岡氏を名乗り周辺に覇を打ち立てる。
 松岡城に松岡氏菩提寺松源寺が有りここは井伊氏の23代井伊直親が井伊谷から逃れ幼少期から二十歳まで過ごした寺、平成29年の大河ドラマ女城主直虎で有名に成る、直虎の許嫁として描かれてる。
 探訪した平成28年は真田丸、人気の出る前で一人静かに探訪、鯉のぼり本丸で出迎えて呉れました、城跡は天竜川の西側の河岸段丘上の舌状台地が東に延びて先端が本曲輪、各曲輪間に空堀が南北に有り2、3、4,5曲輪、5曲輪の先に丸馬出、三日月掘りが有ったようですが丸馬出、三日月掘は埋まって跡方無し。
 本丸先端から東に天竜川を直下に見下ろす様は絶景成る眺望です。

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tos-M

金華山にそびえる岐阜城 (2012/04/21 訪問)

登山道がいくつもある岐阜城。今回は長良川に近い「瞑想の小径」から山頂にある岐阜城を経て大手口の「七曲り登山道」を下山しました。麓にある信長居館跡の発掘調査も進んでいます。

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カズサン

南信濃城廻りⅠ (2016/05/02 訪問)

 平成28年5月の連休に南信濃未踏の城廻り、浜松より国道151号線で東奥三河と南信濃の1000ⅿ超の峠を越えて日帰りで南信濃を攻めました。
 飯田市北部の元善光寺駅方向、国道153号線経由して麻績神社、元麻績学校を目指して神社に車を停める、麻績神社横から登城路が有り元神社経由本曲輪に直行、本曲輪付近を探訪して来た道を下城、車で座光寺小学校を目指し丘陵を登る、小学校が座光寺北城跡、曲輪、堀土塁切岸も残ってる。

 北城を探訪して居たら座光寺南城の北曲輪馬出への登城口が有りこちらからの登城が車で上がれて気軽に探訪出来るルートです。

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skoba

一番好きなお城です (2006/08/13 訪問)

現存12城国宝5城の中で一番好きなお城です。天守は大津城の用材を組み直して5重から3重の天守に蘇り、天秤櫓は長浜城から、他の櫓類も近江の居城からの移築とは時代を感じます。小さな天守ですが趣があります。急な階段にはご注意ください。

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tos-M

三大山城・美濃岩村城址に登る (2012/04/15 訪問)

信州の山に行く時に気になっていた岩村城址。地元では『女城主の城』で有名です。城下町から登ると標高差約170m。本丸までの道のりは中々の急登。建物は無くなっていましたが、見事な石垣の城。よくぞここまで残っていたものと感心。150年程の月日が木々で曲輪を埋めつくしてしまった事に哀愁を感じます。政庁は麓にあったと思われますが、その政庁跡に建てられた歴史資料館の敷地内に復元された櫓や門がありますので歴史好きにはたまらない良い城跡です。

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どう

武田氏館 (2020/01/22 訪問)

お城はまあまあ、宝物館はちょっと満足。
でも信玄ミュージアムがオープンして間もないから今後に期待します。

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tos-M

気になっていたお城・郡上八幡城 (2013/03/13 訪問)

山登りが趣味で郡上を通過するたびにお城どこにあるのだろう?と運転中にチラ見していたけど判らなかった。たまたま目的の山に行ったのだが濃霧で登山断念!ならばと思い気になっていた郡上八幡城へ行く事に。事前情報を持たずに訪れた山頂に立つ天守は見事でした。
江戸時代から残っていたお城ではない事は判っていたが、木造で作られている事は知らなかったので木の温もりを感じると共に天守からの見晴らしの良さに感動しました。山城はいいですね。

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ぴーかる

須知城(志宇知城) (2020/01/13 訪問)

【須知城】
<駐車場他>琴滝駐車場15台程あり
<交通手段>車

<見所>石垣・虎口
<感想>日帰り京都城攻めの旅4城目。行く方は、添付写真の琴滝周辺案内板の琴滝・小瀧池ルートからは登山道がないので注意が必要です。案内板の落合からのルートは道がありそうなのでこちらの方がいいかもです。私は初め小瀧池の方から試みたが道が無い急直登を断念し、琴滝から崖を直登して尾根に出て尾根沿いに(ここも城跡まで道は無い)行った。案内板にはいかにもハイキングコースかのように書かれていますが、実際には道はないです。琴滝からだいたいの感じを書き入れときました。琴滝から尾根までどこから登ってきたか分かるようにしておけば迷うことはなさそうですが、案内板に書き入れた「タニ」の場所に鹿ではない大きいウ○チがあったので熊のかもです。

 この城は南北朝時代に須知景光によって築かれたと云われ、織田勢の丹波進攻の際は須知氏は当初明智光秀に味方するが途中で離反したために逆に1579年光秀によって攻撃されて落城、須知氏は滅亡した。その後光秀の拠点としての城とした。

 城跡は東西の山の尾根に沿った規模の小さい連郭式の山城で、主郭から西に4曲輪くらい連なり、主郭東側は堀切を挟んで一つ山上に曲輪がある。石垣は主郭部に多く残っており、高さ3㍍程のものが主郭東~北面に鈍角L字状に、主郭西面と西側の虎口箇所、主郭南側に帯曲輪があり、そこの側面にもあった形跡がある。主郭東側にある曲輪にも虎口らしきところに石垣跡が見られた。
 道無い所を頑張り登り、いきなり東側の高石垣にぶつかったのでなんか感動しました。小さいながらも見応えありました。

<満足度>◆◆◆

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にのまる

ずっと行きたかったとこ。 (2020/01/19 訪問)

 金ヶ崎駅からずーっとずーっと歩いて最初に目にした胆沢城関連の場所は三代清水の案内板です。三代清水は坂上田村麻呂、源頼義、源義家が飲んだと伝えられる清水が今も湧き出ているとのことですが、寄り道せずに政庁地区に向かいました。
 何もなかったとしても行きたかったところなので現地の空気を吸うだけでも満足できたと思うのですが、整備された中を歩くことができて感慨もひとしおでございました。おまけに埋蔵文化財調査センターで、推しメン阿弖流為氏にもお会いできましたし(*^^)v
 埋文センターの見学時間を30分程度と見込んで外を長時間歩き回ってしまいましたが、センターの中の方がもしかしたらもっと面白かったかもしれません。短めのビデオは見られたのですが、20分ver.が見られなかったのが心残り。漆紙文書や出土品ももっとじっくり見たかったしAR胆沢城もやりたかった…。
 今回は平泉館とセットにしましたが、またいつか、今度は鳥海柵とセットで行きたいです。

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イシテル

美濃本郷城(岐阜県揖斐郡池田町本郷字北瀬古) (2020/02/06 訪問)

岐阜県池田町のマンホールカードをいただきに町役場へ行こうとして、Googleで位置を確認していると、最寄り駅である養老鉄道の北池野駅から一駅先の美濃本郷駅の近隣に「本郷城跡」とあったので、寄ってきました。
「お城選択」の検索で出てきませんので、その他の城として紹介します。
大垣駅から養老鉄道に乗換え、美濃本郷駅で下車、住宅地を歩き約7分(550m)で到着。
住宅地の中に本郷城跡の案内板がありますが、駅から歩いていくと案内板が裏側になっていて、見逃し行過ぎてしまいました。
Googleマップで行過ぎたのを気付き、引き返すと「本郷城跡」と記載が分り、矢印の方向に進むと、到着。
櫓台を囲む一角が遺構として保存されており、城址碑と説明板が設置されています。
説明板から本城は、「築城時期は明らかでは無いが、池田氏(834~847頃)、美濃国守護_土岐氏(1390頃)、豪族_国枝氏と移り変わり本拠としていた。関ケ原の戦いで城主であった国枝重元の弟:修理亮政盛が西軍に属した為、東軍に城を焼き払われた。」そうです。
堀と土塁を二重に巡らせた輪郭式平城であったが、現在は内郭の櫓台を含む部分(35m四方)が現存し、池田町の史跡として保存されています。
遺構も少なく住宅地の一角にひっそりと残されている城址で訪れる人も殆どありませんが、一般に知られていないが地元で大切に保存されている城址も良いものです。

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林金兵衛屋敷跡 (2020/02/07 訪問)

 春日井駅から徒歩にて登城しました。駐車場になっていました。土塁、空堀が一部残っていますが、フェンスで近づくことができません。

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カズサン

江戸東京博物館、江戸城模型展示と真田丸特別展 (2016/05/27 訪問)

 平成28年5月北海道新幹線利用のフルムーン旅行で北海道旧渡島国城廻りを終えて浜松に帰る前に東京両国に寄って以前から行きたかった江戸東京博物館に行きました、内部展示の江戸城に関する資料展示、江戸城模型、江戸城の復元映像等を見学したいとの希望を持ってましたので希望が叶いました、併せて大河ドラマ真田丸の特別展も見学。65歳以上割引で680円/人。

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子安神明社 (2020/02/07 訪問)

高蔵寺駅より徒歩にて登城しました。子安神明社が城址です。入口正面の祠横に城址碑があります。空堀が残っているとのことでしたが、伐採された木に埋もれている所かと思いましたが、よくわかりませんでした。

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姫街道

高天神城下の代官所 (2020/02/07 訪問)

この代官所、国の重要文化財に指定されているが、なんと現在の当主が普通に住んでいる。敷地の中に当たり前のように軽トラが駐車されてたりして、生活感が凄くある。
人の敷地へ無断で入っているようで後ろめたさすらあった。
さて、この地域で1570年に建てていて、現存している事実は凄いと思う。なぜなら東へ約5キロ程度行くと激しい戦が度々あった高天神城があるからだ。
8代目黒田家の時、第一次高天神城の戦いが1574年。当時、8代目黒田家当主は徳川方の高天神城主小笠原信興に仕えていた。
結果は、武田方の圧勝。普通ならこの大邸宅、武田方に壊されるように思うが、、、この第一次高天神城の戦後、武田方の高天神城の武士達に対する対応は実に穏便だったようだ。城主の小笠原氏も援軍をよこさなかった徳川を見限って武田方になってしまい、黒田氏は第一次高天神城の戦に負けて、なんと「帰農」したとある。実際に、邸の中には農器具が並べてあった。
ところで、帰り道、黒田代官所を北に県道を1キロも走った当たりに突然聞いた事がない城が現れた。「堤城」と書いてある。黒田家の関係かと思って立ち寄ったが、どうも関係無いようだ。ただ、この堤城の案内板にある松井氏、遠江国風土記に「1514年に菊川から二俣に移居す」とある。今川氏は北遠地方における今川勢力の中核的存在として松井氏をおいたようである。寄ってみるものである。

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カズサン

千貫櫓・多門櫓・煙硝蔵特別公開と御座船乗船 (2016/05/28 訪問)

 平成28年5月北海道新幹線利用のフルムーン旅行で旧渡島国城廻りを終えてJRフルムーンパス最終日に大坂城で内部特別公開をしてる千貫櫓・多門櫓・煙硝蔵と内堀周遊御座船の乗船、天守閣を探訪見学して来ました。セット入場券1200円/人、御座船乗船1500円/人。
 久しぶりに本丸、西の丸、二の丸と廻りました兎に角凄い大城郭です。

 この後には名古屋に戻り名古屋城本丸復元御殿を見学して今回5日間の城廻り終了。

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ぴーかる

園部城 (2020/01/13 訪問)

【園部城】
<駐車場他>博物館無料駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>日帰り京都城攻めの旅3城目。園部高校の正門(櫓門)正面から撮影するのみとなった。南丹市立文化博物館も祝日休みで御城印購入できず・・・調べてなかった。(+o+) あまり遺構みてないので今回満足度はなしで。

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カルビン

北条一門に追われた梶原家の第二の拠点 (2018/04/15 訪問)

続100名城1発目のスタンプ入手は小牧山城でしたが、その足で羽黒城にも訪問致しました。

1つ前に訪れた楽田城があまりにも何も無さすぎた為、羽黒城も期待薄でしたが・・・なかなかどうして、しっかりとわかる遺構(堀・土塁・土橋等)がよく残ってくれたものです。
山内一豊や堀尾良晴にも縁があるお城でもあるので、歴史的にも面白い場所かと(家康が小牧長久手合戦で廃城にしたのを再建した)

平城の羽黒城ですが、城碑のある場所がちょっとした高台になってました。。。もしかしたら本丸を防衛上少し高めに盛っていたもかもしれません(もしくは櫓台?・・・にしては低すぎるか・・・)

そんなに広くはないものの、思いの外満足できました。


駅から余裕で徒歩圏内にあるので、近場に行ったなら是非セット訪問したい場所です。

そして城域の裏手にある興禅寺にも土塁があり、ここは源頼朝に仕えて義経の悪口を告げ口しまくったとされる梶原景時の子孫で、羽黒城城主にて織田信長に仕えて本能寺の変で殉死したとされる17代当主・景義の菩提寺でもあります。

景時が最後残念な結果で果てた後、その子孫は頑張ってやっとの事で勢力を取り戻したのに、ここで御家断絶してしまうとは・・・先祖の行いが祟ったのかも・・・と勘繰ってしまいます。
(景時、頼朝亡き後北条氏に追われるまでの拠点(神奈川県寒川付近)では住民に慕われていたとの事なので、祟ったのはもしかして義経・・・?(怖))

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