滝川氏城は滝川三郎兵衛(雄利)によって築かれたと伝わります。
縄張りは余湖くんのお城のページから参考にさせていただきました。
縄張り通り周囲を高い土塁で囲まれていて
南側と西側には堀切があります。
馬出しは果樹園になっているようなので、誤解をさけるため
土塁は確認していません。
主郭はとにかく広く、平方形をしていて、まるでグラウンドのようです。
北東にネットがあるので球場としても使われているようですね。
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2023/07/26 20:35
伊賀最大の単郭城郭はまさにグラウンド。 (2023/07/15 訪問)
滝川氏城は滝川三郎兵衛(雄利)によって築かれたと伝わります。
縄張りは余湖くんのお城のページから参考にさせていただきました。
縄張り通り周囲を高い土塁で囲まれていて
南側と西側には堀切があります。
馬出しは果樹園になっているようなので、誤解をさけるため
土塁は確認していません。
主郭はとにかく広く、平方形をしていて、まるでグラウンドのようです。
北東にネットがあるので球場としても使われているようですね。
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2022/06/28 12:14
2021/04/20 22:03
伊賀未踏の城廻りⅡ 最大級の方形単郭城郭 (2021/04/11 訪問)
伊賀の乱最後の籠城戦を戦った柏原城を終えて北東へ約9km程の所にある滝川氏城を目指す。
情報とガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションさんGoogleMapに依る。
駐車場:滝川氏城の北側土塁下(三重県名張市下小波田869)をGoogleMapで確認しナビにセット。
北の帯曲輪の様に成って居り奥に遊戯設備あり手前に5、6台?は駐車可能、道が狭く入り込みに切り返し必要。
概要:案内板がフェンス内側に架かってるこれ一枚だけ。主郭の内部はグラウンドに成ってる、約70m四方で日頃見慣れてる方形単郭城郭の4倍の広さ、国内最大級の広さ大きさでしょう!初の体験です。
周囲は厚い高土塁と深い堀で囲ってる、南西角外に馬出的出丸が在る現在果樹園、外曲輪の東側と西側から主郭を囲ってる空堀と土塁を確認、重厚な造りで圧倒されます。
歴史:天正9年(1581年)織田信長が伊賀に攻め入った「天正伊賀の乱」に総大将信雄の家臣滝川雄利が築いた城郭、県内最大で兵の駐屯地と考えられる。道を挟んだ南側には信雄の陣屋と言われる桜町中将館が在り、天正12年秀吉に追われるまで、南伊賀の支配の拠点と成りました。(案内板より抜粋)
出丸西、東より南の桜町中将城への道を探したが民家庭、私有地の様でここに駐車して次の探訪はを試みたがNG、車で路駐探しに向かう。
投稿写真の順番が投稿クリック時に前二枚が消え編集で後の二枚を追加、ちょっと投稿時の小さなトラブルが在ります。
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2020/01/02 22:31
兵站拠点のみならず (2019/12/01 訪問)
第二次天正伊賀の乱において、柏原城などの抵抗により長期戦になったことから、滝川雄利が兵站拠点として築いた城で、丸山城と同じく、滝川雄利が伊勢・松ヶ島城に移った際に廃城になったものと思われます。
三重県内最大の単郭式城郭で、現在はグラウンドになっている主郭の四方は分厚く高い土塁が取り巻き、土塁の外周には深い横堀を巡らせています。主郭南部の虎口を出ると馬出状の曲輪があり、馬出の西(主郭の南西)側には腰曲輪が設けられ、柏原城がある南西側の防備を固めていることが窺えます。
それにしても、5万の大軍の兵站拠点ということで規模の大きさはある程度想定していましたが、土塁の分厚さと高さ、さらに横堀の深さは全く想像を超えていました。単なる兵站拠点ではない、充分に防衛線も戦える城ですね。
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分類・構造 | 丘城 |
---|---|
築城主 | 滝川雄利 |
築城年 | 天正9年(1581) |
主な城主 | 滝川雄利 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
住所 | 三重県名張市下小波田 |