応仁の乱の頃、「妙椿の動向は中央の政界をも揺るがす」と言われた斎藤妙椿の築城とされ、可児川北岸の河岸段丘に築かれた平城です。
南側の可児川が天然の堀、東側、西側、北側は空堀と土塁で囲まれており、西側と北側は竹藪と化していますが、東側は幅広く深い空堀と高い土塁が状態よく残っています。北側と南側に虎口があり、北側の虎口の脇には土塁が見られますが、城内は私有地(民家や畑など)とのことなので、それ以上内側の様子は未確認です。
写真ではなかなか伝わりませんが、実際に周囲を歩いてみると竹藪の中の堀の深さと土塁の高さを感じることができると思います。15分もあれば外周を歩いて一周できますので、お近くに来た際はぜひ。
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