「岩槻城」の城主、高力 清長さんの家臣 中村 吉照さんが築いた「針ケ谷陣屋」です。
埼玉県の浦和市にあり、迷いました。
この辺り、一方通行が多く車は不向きです。
遺構を見に行くより、1城でも多く「行った」をポチッとしたかったので「三郎山」の説明板を確認しに向かいました。
「三郎山」の由来は「針ケ谷陣屋」の前には、やはり「岩槻城」の城主、太田(北条) 氏房さんの家臣 熊沢 三郎左衛門さんの館があったそうです。
三郎左衛門さん→三郎山です。
皆さんの投稿を見ると最近は「三郎山」の説明板もないようですね。写真②の説明板の跡を見つけた時はテンションが上がりました。
その壁を振り返り、ゆるーく下ると左手に公園があります。その入口に写真①がありました。
近くにマンションや住宅街、商店街があり歩行者や遊んでいるチビッ子が多かったので、2枚の写真を写して退陣です。
今年も、皆さんの投稿を頼りに たくさん城攻めします。
楽しい一年にしましょうね。
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