天正13年(1585)豊臣秀吉の命を受けた金森長近が、飛騨一帯を統治していた
三木氏を滅ぼし、高山城を築城して居城とした。同年、姉婿の佐藤秀方に諏訪城を
築かせています。
桜洞城から転戦、諏訪集会所駐車場(10台)<35.873830,137.211405>を利用、
諏訪神社(本丸跡)境内には飛騨川の川原石(丸石)を用いた石垣、内堀跡などが
残っています。また、新しい案内板に変わっています。
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2019/09/10 22:42
飛騨川の川原石(丸石)を用いた石垣です (2019/09/10 訪問)
天正13年(1585)豊臣秀吉の命を受けた金森長近が、飛騨一帯を統治していた
三木氏を滅ぼし、高山城を築城して居城とした。同年、姉婿の佐藤秀方に諏訪城を
築かせています。
桜洞城から転戦、諏訪集会所駐車場(10台)<35.873830,137.211405>を利用、
諏訪神社(本丸跡)境内には飛騨川の川原石(丸石)を用いた石垣、内堀跡などが
残っています。また、新しい案内板に変わっています。
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2019/09/10 22:07
上月城
尼子勝久と山中鹿之助幸盛の悲運を伝える城としては、あまりにも普通すぎる小さな山城。それがまたむしろ彼らの悲運を盛り立てるのかもしれないが。
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2019/09/10 21:02
2019/09/10 20:56
土塁と空堀跡が確認できます (2019/09/10 訪問)
永正年代(1504)竹原郷から進出した三木重頼によって築城されています。
農道をクネクネと走りますが、ラクに登城できる城址標柱が立つ南登城口前
スペース(1台)<35.880615,137.211320>に駐車、約50m進むと左側に
石積みで補強された土塁と空堀跡がシッカリ確認できます。しかし高山本線
建設で城跡の一部しか残っていません。
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2019/09/10 20:42
新庄城 (2019/09/01 訪問)
【新庄城】
<駐車場他>駐車場はなし。近くまでは車で入れる。
<交通手段>バイク
<感想>摂津国、バイクで「ちょこ城」巡りのツーリング、ラストの8城目。阪急電車下新庄駅から歩いて来れる。ここは前来城者の方々の記述通り中川清秀築城の茨木城の支城だったそうです。遺構はありません。私が訪れた時も明教寺の山門は閉じられ、入れる雰囲気ではなかったので山門のみを撮影して終了した。
「ちょこ城」巡りのツーリングはおおよそ2時間半程で巡れた。走行距離が40㎞だったので、ガソリン1リットル弱しか使っていない。1城当たりの費用が約16円程で城巡り初の再安値だった。ちょっと来城数かせぎみたいになってしまいましたがお許しを。遺構が無い城ばかりだと流石にモチベーションは全く上がらず、半分くらいから飽きてきてしまいましたが大阪在住で大阪の城のことを1城づつ調べることで勉強にはなった。またちょこ城巡りのツーリングやります。
これで一応スタンプを押印してない百・続百名城を除いて訪城した全てのお城を投稿しました。投稿するストック城が無くなったので今後は投稿に間隔が開くかと思いますがフォロワーの皆様、投稿を読んでいただいている皆様、今後とも宜しくお願い致します。
<満足度>◆◇◇
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2019/09/10 20:26
ここでも信玄を翻弄した? (2016/07/16 訪問)
北斯波砦は箕輪城主・長野業正が治めていた地域で、家臣の築いた砦とされております。
箕輪城に対し南約5km離れた場所に位置し、おそらく信玄が何度も長野業正に仕掛けては撃退された際、この砦も有効に使われたんだと思われます。
ここ単体ではそれ程堅固であるとは思えず・・・恐らく周辺に多数築かれた砦を以て強力な防御ラインを形成していたんだと思われます。
土塁も実は復元土塁で、その外側・砂利の敷かれた場所は埋まってしまった堀跡との事。。。お城っぽさはかなり薄まっている感じでした。
ただ、現代の開発が進んだ地域なので、他に築かれた砦群がほぼ残っていない中、公園化されているとはいえ残されているだけマシなのかもしれません。
公共交通機関での訪問は微妙に難しいと思いますが、車でなら高崎・前橋とも近いので、周辺の史跡を数多く巡る事が出来ます。
北斯波砦史跡公園にも駐車場ありますので。
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2019/09/10 19:19
城塞群 (2019/09/09 訪問)
上下赤坂城から金剛山・千早城の間にはたくさんの城跡があるとのこと。行きやすそうな尾根沿いの坊領山城(国見山城)、猫路山城を上赤坂城、千早城に挟んで歩いてきました。千早城→金剛山を先にして、下りが長い山道を行きました。
金剛山山頂を出て直ぐに山崩れで、本来の道が行けず迂回を迷う。出会う登山者に聞きながら、上赤坂城に向かう、桐山・二河原辺道への分岐に至ったが、ここからが難渋。倒木、草藪で、迷いそうになりつつも、坊領山城、猫路山城を経て、なんとか上赤坂城にたどり着けた。
金剛山山頂では雲がかかっていたが、上赤坂城では晴れ渡り、素晴らしい眺望。
バス停に向かう途中に、楠木正成公生誕の地の道の駅(千早赤阪道の駅)があり、スイカと甘酒のスムージーが乾きを癒してくれました。
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2019/09/10 18:59
円頓寺。 (2019/08/31 訪問)
ちょっと前に投稿した「八幡塚砦」を築いた、六郷の領主 行方 直清さんの「行方氏館」です。
京浜急行 蒲田駅から歩きました。
住宅街の中にある円頓寺が「行方氏館」です。
この円頓寺、直清さんの弟 日芸さんが館を直清さんや一族の為に寺院にしたそうです。
円頓寺の入口、右手に石碑があり由来が刻まれてました。ちょっと読みづらいですが。
おじゃまするとお墓の一角に直清さんの供養塔がありました。
遺構はありません。
暑かったので、すぐに失礼しました。
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2019/09/10 17:24
福井城と北ノ庄城と美人三姉妹 (2019/08/15 訪問)
お盆休みを利用して、今回は福井県のお城めぐりをしてきました。
日本百名城、続百名城の中で福井県には六つのお城がありますが、その全てを見てきました。
お城名をあげると、丸岡城、一乗谷城、福井城、越前大野城、佐柿国吉城、玄蕃尾城です。
それぞれおもしろいのですが、今回は福井城のことを書いてみようと思います。
福井城は徳川家康の次男、結城秀康により江戸時代に入ってから築城されました。
ここを訪問して一番印象に残っているのは笏谷石(しゃくだにいし)の石垣がとてもキレイだった事です。
また屋根瓦も笏谷石を切り出して造ったものだったそうです。
現在は本丸跡に県庁、警察署、県議会、公園が入っていてそのあまりの広さに驚きました。
さて、福井城の前、ここにはかつて柴田勝家の北ノ庄城がありました。
北ノ庄城と言えば、そう織田信長の妹、お市とその娘三姉妹が、勝家と暮らした場所。
小谷城の落城により悲しい思いをした母子が、さらに北ノ庄城落城により母、お市と勝家を亡くし、
三姉妹は取り残されるという、再び悲しい思いをした場所であります。
やはりこの母子には思い入れがありますねえ。
福井城の近くに「柴田神社」があり、ここは柴田勝家が祀られていますが、
勝家、お市、三姉妹の銅像が境内にあり、お参りしたのは言うまでもありません。
前からこの銅像を見たいと思っていましたが、やっと実現しました。
私が撮った写真ですが、夕方だったので、影が掛かってしまいましたね。
しかし、この三姉妹は成長してその後の日本の歴史に大きく関わっていきますから、本当に面白いですね。
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2019/09/10 11:42
伊勢城廻Ⅷ 桜の頃はさぞ見事でしょう! (2018/12/08 訪問)
三重県亀山市川崎町の峰城、古城を終えて山なりの道約10km南西に進行するが道を間違え1号線下りへ、ナビは賢い細く狭い山道をヒヤッとする所も有りましたが無事到着。
国指定史跡として良く保存管理されています、土塁、石垣、石組みの溝、時期的に楓の紅葉が夕陽に当たり奇麗でした、春の桜の時期は人でも多いでしょうが見事な桜を満喫する事でしょう。
関氏の山荘として建てられた小野川が大きく迂回した所に建て防御としては抜群です。情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの資料による。
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2019/09/10 11:08
【伊勢・古城】 三重県亀山市川崎町 伊勢城廻Ⅶ (2018/12/08 訪問)
三重県亀山市の峰城を終えて北東対面(直線0.7km先)に在る古城(フルシロ)をチョイ寄り探訪する、情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの資料による。
八島川北岸の河岸丘陵崖上に方形主曲輪と小さな曲輪を数個付けた城郭、対面の峰城に移る前の関氏の城郭ですが秀吉との攻防戦で秀吉軍の陣城の可能性もある。
一色公民館の傍に案内解説板が在る、城内薮化で入り切れませんでした。
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2019/09/10 10:31
秀吉との攻防で有名な城 伊勢未踏の城廻りⅥ (2018/12/08 訪問)
三重県四日市市采女町の采女城を終えて南西方向直線で約10km先の峰城を目指す、城郭情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの資料による。
ナビの地点は国道306号線と県道637号線の交差点八島川を渡った辺りにし走行しあそこが城かな?と分かりゆっくり走ってると路肩に峰城の標柱が在り方向を示してる。 少し回りを走るが駐車出来る適当な所が無いので近くに在るJA鈴鹿の駐車場を利用した。
JA鈴鹿さんから田圃道を約400~500メートル程の所に登城口が有る、途中に案内方向板が出てる、登城口には案内解説板、峰城想像俯瞰図が掲示されてる。
案内方向板に従って登城坂を登り本丸、天守台まで行けるあまり整備は良くなく遊歩道以外に踏み入れるのは躊躇します、杉林等に覆われており見通しは良くない、林間に各曲輪を確認する。
天正11年(1583年)滝川氏と秀吉の攻防で開城、天正12年(1584年)織田信雄と秀吉の攻防数日で落城、その後廃城の様子。
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2019/09/10 08:54
何度でも訪れたくなる、それが名城なんでしょうね。 (2019/04/11 訪問)
門と堀と二基の櫓があります。
城址は公園として整備され、歩きやすく見学もしやすくなっています。気軽るに寄れる城址です。
ですが、その割に何度も来たくなってしまう城址なんです。
きっとこれは名城ってことですよね!
櫓、門と復元のようですが、なんとも雰囲気があります。
桜の季節には花見の方も多く訪れています。
また、近くの学校では城址で卒業写真のようなものを撮ったりするみたいです。
地元にも愛されてるのを感じました。
やはり名城ですね。
私は門から眺める景色が気に入っています。
ぜひぜひ一度は訪れていただきたい城址です。
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2019/09/10 07:39
2019/09/10 07:02
堀の底まで (2019/02/02 訪問)
神社脇に解説板があり、続日本100名城のスタンプも箱に入れて設置されています。
この城は珍しく堀の底まで歩いて行けます。
コンパクトな城跡で、30分ほどで一回りできました。
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2019/09/10 06:55
掛川城 (2010/05/29 訪問)
バイクで行きました。大手門駐車場はバイクもOK(100円)でした。御殿は見所充分です。
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2019/09/10 06:42
駿府城 (2010/05/29 訪問)
三重の堀のうち、内堀こそはほとんど残っていませんが、中堀・外堀はかなり残されており見応えがありました。ただ、外堀を一周するとかなりの距離になります(私はバイクを使いました)。
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2019/09/10 06:27
山中城 (2010/05/28 訪問)
全部まわるのにきっちり2時間かかりました。スタンプを押した売店でもらった地図を手にして歩きました。迷いやすい(実際迷った)のでこれは必須です。
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2019/09/10 06:03
2019/09/09 23:09
天守内探訪 (2019/08/31 訪問)
小田原駅から向かう途中にある三の丸(幸田口門跡)土塁。
ここは前回チェックしたし、とスルーしかけたのですが、土塁の奥の方がどうなっているのか気になったので行ってみたところ…三の丸のお堀だった通りへ抜けられました*\(^o^)/*
そしてそのままぐるっと鐘楼のある大手門跡に回り、結果的に正規ルートで堂々と登城いたしました。
足しげく通っている小田原城ですが、天守登閣は3年前のリニューアル後は初めてです。いつでも見られると思うとなかなか入らないもので。(特に有料施設^^;)
今回は「センゴク権兵衛原画展」目当てでもあったのでじっくり2時間かけて見学しました。ついさっき通った幸田口門と大手門の位置がよくわかる模型があったりで楽しかったです。
歴史を学びながら上階へと行くと抜き打ち試験問題があったりもします。
いつか摩利支天像を近くで見てみたいです。
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