はぎわらすわじょう

萩原諏訪城

岐阜県下呂市

別名 : 諏訪城
旧国名 : 飛騨

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南側の堀
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しんちゃん

ホテル金森 (2024/10/12 訪問)

萩原諏訪城の写真の残りです。金森長近が三木氏を滅ぼしたのち、諏訪神社を上村に移して当地に諏訪城を築城しました。諏訪城は一国一城令の後、高山城を本拠地とした金森氏の旅館として77年間、使用されたとされます。元禄5年(1693)金森氏が出羽国上山に国替えされると旅館は破却され、以前の諏訪神社に戻ったとされています。その後飛騨は明治まで180年以上「天領」として幕府の直轄地になったようです。

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しんちゃん

石垣と堀が残る。 (2024/10/12 訪問)

萩原諏訪城は飛騨川左岸の河岸段丘に築かれていました。元々は諏訪神社を移動して築いた城ですが、廃城後に再び諏訪神社が戻されています。
天正13年(1582)に豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨一帯を統治していた三木氏を滅ぼし、その後に萩原諏訪城が築かれたとされています。元和元年(1615)の一国一城令の後は、高山城を本拠地にした金森氏が通行時の「旅館」として使用していましたが、金森氏が出羽国上山に国替えされると破却されたようです。
虎口は西と南に付き、東にも諏訪神社の出入口が付いています。南と東には堀が残り、石垣も残っています。北西を除く三方に櫓台が残り、北東には諏訪稲荷大明神、南西には諏訪忠魂者・他3社、南東には那智社などが祀られています。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:萩原諏訪城 (2023/04/24 訪問)

宮地城からの転戦です。諏訪会館入口付近(35.873769、137.211438)に駐車し、諏訪神社入口(35.874270、137.211447)に向かいました。

1585年(天正13年)佐藤秀方によって築かれました。
1585年(天正13年)越前国大野城主金森長近は羽柴秀吉に命によって飛騨へ侵攻し、三木自綱を敗って飛騨を平定します。
これによって金森氏は飛騨を与えられ高山城を築城して居城とし、姉婿の佐藤秀方に命じて桜洞城を廃して諏訪城を築かせこの地方を治めさせました。
1615年(元和5年)元和の一国一城令によって廃城となりましたが、その後も「金森旅館」という名称の陣屋として存続します。
しかし、1692年(元禄5年)金森氏が出羽国上山へ転封となると破却されました。
その後、1709年(宝永6年)に諏訪神社が戻ってきて現在に至るようです。

城は現在の諏訪神社を本丸とし、南中学校付近を三の丸、その間に二の丸を配した平城です。
石垣、堀などが確認できます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=桜洞城に向かいます。

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諏訪神社 (2022/05/19 訪問)

 金森長近が飛騨を統治するために南部の拠点として築かせた城です。川原石の石垣と堀が一部残っています。
 JR飛騨萩原駅より徒歩3分くらい。諏訪神社となっています。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 金森長近
築城年 天正13年(1585)
主な城主 佐藤氏、金森氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(諏訪城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県下呂市萩原町萩原
問い合わせ先 下呂市観光商工部観光課
問い合わせ先電話番号 0576-24-2222