さくらぼらじょう

桜洞城

岐阜県下呂市

別名 : 冬城
旧国名 : 飛騨

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大堀切
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しんちゃん

三木氏の冬の城。かつては飛騨一国を手中に収めるも。 (2024/10/12 訪問)

桜洞城は三木大和守直頼か、その祖父である久頼による築城と伝わります。とある煩悩の登城目録さんの投稿にもある通り、冬の寒さを避けて住むための「冬城」とも呼ばれたそうです。
桜谷公園の駐車場から橋を渡って、右手(西)の石段を登った先の丘陵が城址なのですが、この石段、なかなか急です。初見では「ほんとにこの階段?」といったのが正直な感想です。
階段を登った平地一帯(畑地)が城址で、標柱のある林の中の堀切や石積は外側の守りだと思われます。
戦国時代、三木自綱(姉小路頼綱)はこの地域では最大の勢力を誇り、上杉謙信の死後は本格的に織田信長に従い、同盟を強めたとのことです。頼綱は長男・信綱や弟・鍋山顕綱に謀反の嫌疑をかけ殺害し、天正11年(1583)ごろには飛騨一国を手中に収めるほどに勢力を伸ばしましたが、織田信長の死後に起こった羽柴秀吉と柴田勝家・織田信孝との戦いでは柴田側の佐々成政に味方し、秀吉方の金森長近に攻撃を受けます。息子の秀綱は松倉城落城の際、落ち武者狩りに会い殺害され、頼綱は隠居城の高堂城を攻められ朝廷からの勧めもあり降伏したとのことです。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:桜洞城 (2023/04/24 訪問)

萩原諏訪城からの転戦です。桜谷公園入口(35.881730、137.211201)から進入し、先にある駐車場に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、永正年間(1504年〜1521年)に三木直頼によって築かれたと云われています。一説には直頼の祖父久頼によって築かれたとも云われています。
三木氏は1411年(応永18年)姉小路尹綱の乱を鎮圧した功によって、京極高員(高数)が足利幕府より飛騨国竹原郷を得ると、三木正頼が京極氏の代官として竹原郷に入部したことにはじまります。
二代三木久頼の代に主家の没落に乗じて竹原郷を横領し、四代三木直頼は三木氏中興の祖といわれ、北飛騨の江馬氏や姉小路氏などと接触して三木氏の勢力を拡張します。
六代三木自綱の代に全盛を極め、1579年(天正7年)に松倉城を築城して居城を移すまでの間、三木家の居城でしたが、それ以後は松倉城の支城となって自綱の子信綱が城主となります。
なお、三木自綱は夏を松倉城、冬を桜洞城に居城とするようになり、それぞれ夏城、冬城と呼ばれたそうです。
1582年(天正10年)江馬輝盛が南飛騨へ侵攻すると、吉城郡荒城川で迎え撃ち大将江馬輝盛を討ち取って江馬氏の本城高原諏訪城を落とし、飛騨の大半を支配下に置きましたが、 信長死後、越中の佐々成政に与して羽柴秀吉と対立することとなります。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の命によって飛騨に侵攻した越前国大野城主金森長近を自綱は高堂城、広瀬城で迎え撃ったが敗れ降伏しました。
自綱の次男秀綱の籠る松倉城も落城して三木氏は没落し、萩原諏訪城が築かれると桜洞城は廃城になりました。

桜谷公園にある地図(一番はじめの橋の近く)を確認すると桜洞城への道が書いてあり、そこの橋を渡って右側奥に階段があり、それを登って西へ進むと城址です。
現在高台の上は畑として開墾され、荒廃しています。
高台の西側に桜洞城の標柱が建ち、土塁・空堀・石積の遺構がわずかに確認できる程度です。
攻城時間は25分くらいでした。
次の攻城先=牛臥山城(城びと未登録 岐阜県高山市)、山下城居館(城びと未登録 岐阜県高山市)、飯山城(城びと未登録 岐阜県高山市)を経由して高山陣屋に向かう予定でしたが、予定時間の遅れにより、直接、高山陣屋に向かいます。

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冬城 (2022/05/19 訪問)

 戦国時代、飛騨の覇者三木自綱の居城で、冬城(夏城は松倉城)として使ったとされています。空堀、土塁、石積み(当時のものでしょうか)が少し残っています。戦国居館として屈指の規模だったようですが、開発により一部しか残っていないのが残念です。
 JR飛騨萩原駅より徒歩にて登城しました。下呂市立萩原小学校と萩原町商工会の間の道から踏切を渡り、坂を上りきる前の舗装された左へ行く道へ進むと標柱のある登城口に行くことができます。約15分くらいです。北側の桜谷公園からも登って来ることができます。

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くっしー

どいう縄張なのかよくわからなかった (2021/09/05 訪問)

桜洞城跡の存在を示す下呂市教育委員会の標識がなければどこに城があったのかわかんないですね。

土塁っぽい土の高まりとか、堀っぽい溝はありましたが、城の構造はよくわかりませんでした。

車は桜谷公園の駐車場を利用しました。そこから徒歩10分です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 三木直頼
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 三木氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(桜洞城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県下呂市萩原町
問い合わせ先 下呂市教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 0576-52-2900