桜洞城は三木大和守直頼か、その祖父である久頼による築城と伝わります。とある煩悩の登城目録さんの投稿にもある通り、冬の寒さを避けて住むための「冬城」とも呼ばれたそうです。
桜谷公園の駐車場から橋を渡って、右手(西)の石段を登った先の丘陵が城址なのですが、この石段、なかなか急です。初見では「ほんとにこの階段?」といったのが正直な感想です。
階段を登った平地一帯(畑地)が城址で、標柱のある林の中の堀切や石積は外側の守りだと思われます。
戦国時代、三木自綱(姉小路頼綱)はこの地域では最大の勢力を誇り、上杉謙信の死後は本格的に織田信長に従い、同盟を強めたとのことです。頼綱は長男・信綱や弟・鍋山顕綱に謀反の嫌疑をかけ殺害し、天正11年(1583)ごろには飛騨一国を手中に収めるほどに勢力を伸ばしましたが、織田信長の死後に起こった羽柴秀吉と柴田勝家・織田信孝との戦いでは柴田側の佐々成政に味方し、秀吉方の金森長近に攻撃を受けます。息子の秀綱は松倉城落城の際、落ち武者狩りに会い殺害され、頼綱は隠居城の高堂城を攻められ朝廷からの勧めもあり降伏したとのことです。
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