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とりの子

今年の振り返り

今年は、35城の城をめぐりました。
城にはまったのも今年です。
11月には、城郭検定も受けました。
では、今年のぼくのすきな城ランキング!!
ぜひ、最後まで読んでください!

第五位はこの城!!
三原城!!
天守台の石垣がきれいでした。

第四位はこの城!!
安土城!!
織田信長の気持ちが味わえる城でした。

第三位はこの城!!
姫路城!!
ぼくが城にはまる第一歩の城です。
白鷺の天守群が美しかったです。

第二位はこの城!!
備中松山城!!
なんと、昨日の朝までは一位だった城です。
岡山の誇りです!!

第一位はこの城!!
彦根城!!
彦根城をおーすすめー!
ひこにゃんがかわいかったです。
国宝の天守がきれいでした。
時間があれば、玄宮園も見たかったです。
西の丸三重櫓はとくにおすすめです。



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スミヤキ

眠らない城 (2019/11/17 訪問)

福井城を検索すると24時間営業と表記されています。
ほんまかいな? と確認すべく、夜討ち朝駆けもとい、朝散歩してきました。

お堀まわりを照らす行灯風のライトが幻想的な風景を醸し出し、日中とは違う雰囲気の先に、一際明るい御廊下橋があります。橋を渡ると山里口御門が復元公開されています。この門は、本丸西側を守る門として築城当時から有り、天守台下門とも呼ばれ、構造と向きの異なる2つの門と周囲の石垣で枡形門の構えをなしています。パンフレットによると一応、櫓門内部公開は、午前7時~午後6時になっています。門は、終日開放しています。

この福井城、二の丸・三の丸は市街地化されほぼ消滅、本丸は福井県庁・県警察本部・県会議事堂に大半占拠され、片隅に天守台跡、井戸が遺構として残っています。
寛永元年(1624年)、福井藩第三代藩主松平忠昌公が当時の北ノ庄の名を嫌い、縁起の良い名前にと「福の居る場所」という意味の福居に改められたそうです。「福の居る場所」が、休み無しの24時間営業なら、心強いですね。

皆様にとっても新年が、福の多い「福の居る」年になりますように。良い年をお迎えください。

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まっぴー

2019年 僕の行ったお城ランキング🏯【後半】

僕が2019年に行ったお城をランキングにして発表します!
(※あくまで僕が決めた順位なのでそこはご了承ください。)

2019年に僕が行ったお城一覧
・・・大多喜城、山中城、江戸城、八王子城、淵野辺城、岡崎城、犬山城、安土城、彦根城、佐倉城、元佐倉城、沼田城、名胡桃城、箕輪城、金山城、高遠城、高島城、久留里城、早川城等
→この一覧にあるお城の中からTOP10を発表します!

それでは5位から1位までの発表です!
(10位から6位が気になる方はマイページからご覧ください。)

5位・・・山中城

まさに土の城の最高傑作と言っても良いような素晴らしい城郭でした!
遺構は堀、土塁などが残っており、残っている場所の少ない障子堀も残っています。種類は確かに多いとは言えないものの良好な状態で残っており、当時の北条氏の築城術を結集させた素晴らしいお城です!
天気の良い時は障子堀と富士山の2ショットを狙うことも出来ます!
とても見所がある城郭なので2時間くらい取っておくとゆっくり見れると思います。
しかし、台風により多くの被害がありました。台風の被害の復興を頑張ってください。応援しています。
土の城を見たい方にはお勧めです!
その為山中城が5位です!

4位・・・岡崎城

家康公の出身地ということもありとても充実している城郭でした!
復元された建物が多い中で井戸や空堀が残っていました。空堀は天守の周りに巡らされておりとても立派でした。
天守や櫓門、櫓などが復元されており、天守からの眺めも良かったです!
天守内や家康館などの色々な場所が博物館になっており、出土物やジオラマ、シアターなどとても充実していました。
また公園内にも本多忠勝公、徳川家康公の銅像や岡崎城をイメージした時計台など様々な仕掛けがありました!
その為岡崎城が4位です!

ここからはTOP3の発表です!

🥉3位・・・彦根城

国宝の名に恥じない名城でした!
遺構は天守や櫓、馬屋、丸、曲輪、石垣などです。天守は今まで見た中で一番美しい天守でした!
天守の中も風情があり、階段には滑り止めがついていました。ありがとうございます!
しかしその裏側には豊臣秀頼に攻められた時のための仕掛けが多くあり、それが残っていました。外から見えない狭間や階段が歪になっていたり、石垣が折れ曲がり先が見えないなど様々な仕掛けが施されていました!
玄宮園も日本の和の心が現れている素晴らしい庭園でした!そこから見上げる天守もまた良かったです。
博物館も井伊直政の甲冑や井伊家ゆかりのものが展示されていて素晴らしかったです。
ひこにゃんにも時間帯が合えば会うことが出来ます。
その為彦根城が3位です!

🥈2位・・・安土城

織田信長の城郭らしくお城自体ももちろん、施設もとても充実しており、現存天守とはまた違う雰囲気を醸し出していた城郭でした!
遺構は天守台、石垣などで天守台の石垣にはヒビが入っており、天主が燃えてしまった時の残虐さが伝わってきます。
天守台は1枚の写真では入り切らない大きさです!
ほかにも入山入り口の石段の途中には秀吉邸宅跡があります。
入山料はかかるものの杖はタダで借りることができるので是非使ってください。
博物館は主に滋賀県立安土城考古博物館、安土城天主信長の館、安土城郭資料館があり、特に安土城天主信長の館は安土城天主の上層部が原寸大で復元されており、大迫力です!
こんなに豪華絢爛な天守が存在したんだという驚きで胸がいっぱいになります。改めて信長の凄さを感じた気がします!
とても見所がある城郭なので全体をゆっくり見るなら3〜4時間あったほうが良いかもしれません!時間は多めに取っておいてください!
その為安土城が2位です!

🥇1位・・・犬山城

断崖絶壁の崖の上に立つ現存天守は他の城には無い犬山城ならではの城郭だと思います!
遺構は天守や石垣です。
天守と言えば「どーん」というイメージですが、犬山城天守は小ぶりで犬のような天守です!
あまり飾っていないところがまた良いと思います!
小さいからといって防御を怠っているという訳でははなく断崖絶壁の上に立ち、敵を寄せ付けない城郭です!
現存天守あるあるですが階段は急なので足が大丈夫な時に来ることをお勧めします。
天守からの眺めは木曽川を一望することが出来ます。
また木曽川を渡った麓からの見上げる犬山城も最高なのでぜひ見てみてください!
断崖絶壁の崖の上に立つ犬山城の凄さが実感できます。木曽川も天然の堀になっている為攻める気にもなりません…
犬山城は色々な表情を持つ良い城郭です。
その為犬山城が1位です!

2019年 僕の行ったお城ランキング王者は「犬山城」でした!

皆さんも自分の2019年に行った城を振り返って順位をつけてみると面白いかもしれません。
以上2019年 僕の行ったお城ランキングでした!

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ミッピのパパ

妄想ロマン (2019/11/16 訪問)

築城後わずかで武田勝頼自らが火を放ったという、武田滅亡につながった悲しい城。戦国時代の城ではあまり見かけない「出構」がある城で、実際に見学することを楽しみにしていた。出構がどのように使われたのか明確になっていないようで、それがロマンを感じさせる。また、丸馬出や三日月堀も特徴の一つ。でも、馬出し、三日月堀の先が、木や草に覆われていて先が見通せず、どんな状況のもと、この馬出しが作られたのだろうかと、こちらもロマンを感じさせる。

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ミッピのパパ

草が要害 (2019/11/16 訪問)

秋晴れの朝一番に登城。空気もひんやりとして心地よい汗をかく。”要害”というすごい名前の城になっているので、ずっと気になっていた城跡。城跡はというと草に覆われて、看板がないとないとただの山道にしかみえない。草が多すぎて、中心となる主郭以外どこからどこまでが曲輪なのか、判別がつかなかった。下山の際に、シニアの団体の方々とすれ違った。ハイキングに来られたようだが、ここはそんなに有名なハイキングコースなんだ?と思った。

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ミッピのパパ

信玄の影で認知度は低いが、しっかり整備された城跡 (2019/11/15 訪問)

武田氏館跡を見たあとに訪問。徳川時代の『これぞ城跡!』とばかりに見事な石垣が組まれている。公園としてしっかりと整備されているので分かりやすい。武田信玄のネームバリューが抜群なだけに、どうしても影が薄くなってしまう甲府城だが、城跡は見事だと思う。

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ミッピのパパ

武田信玄のネームバリューは強いが・・ (2019/11/15 訪問)

城好き以外は武田信玄をお祀りしている神社にお参りすることが目的だろうが、城好きは参拝そっちのけで、城(館跡だけど)としての痕跡がどこかに残っていないかとウロウロと探し回ってしまう。googleマップで神社横に大手門跡を見つけたので現場を見るもわかるようでよくわからなかった。、神社前に新しくできた信玄ミュージアムも、出土品がみられるというわけでもなく、パネルばかりで今一つの施設だった。甲府のお土産・温泉では武田信玄のネームバリューは強いが、歴史的遺構が少ないのは残念。

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ぎりょう

「天文の内乱」伊達稙宗・大崎義直連合軍の攻撃で落城 (2019/12/31 訪問)

延宝年中(1673~81)に仙台藩が幕府に提出した「仙臺領古城書上」の記事では 「稲葉村 平 古川城 東西七十間 南北四十九間 城主古川刑部少輔持忠。天文年中註罰。天正之比古川弾正居住。木村彌市右衛門居住。伊勢守子。」とある。また安永四年(1775)に書かれた稲葉村の「風土記御用書出」写しの記事では 「古城 一古館 竪五拾間 横七拾間 右ハ本丸と申伝候 四方掘相廻 二・三ノ丸・外郭等引続有之候事」とあり、以下二之構屋敷、西館、外郭、土櫓、馬場先、大手先の記述が続く。城主についてはほぼ古城書上に準ずるが、大崎・葛西一揆の終息後木村氏が改易され政宗の領地となると鈴木和泉守が城主となる。その後鈴木氏が桃生郡深谷に領地替えとなり古川城は廃城。古館は御蔵入畑に惣堀は苗代や田畑に開発されたと言う。
城は大崎平野の中心に位置し、古館(本丸)の外周を惣堀で囲み、外郭、二ノ構(二ノ丸)、西館(三ノ丸)で守られた規模の大きい平城であったと考えられる。現在古館は大崎市古川第一小学校・外郭は古川中学校の校地となり他の郭も市街地化され跡形をとどめない。城址の東側を流れる緒絶川と、同城の搦手門を移築したと伝わる鈴木氏の菩提寺瑞川寺の山門にわずかに往時をしのぶばかり。

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うっちー幸村

日本一美しい山城🏯 (2019/12/28 訪問)

この城は日本一美しい山城だと思います。美しい山の中にたくさんの遺構がのこっていて、すごく整備されていました。掃除が行き届いてました掃除してくださっている方に大変感謝いたします。なんとも障子堀と土塁が凄くたまらない🎵
城ファンには必要な城🏯だと思います。一度行くと帰れないです。しかし、台風の被害か土塁が崩れていました。凄く悲しく思いました。あらためて台風の恐ろしさを感じました。あと、堀の中に入ってる人もいました。酷い人ですね土塁が崩れるからやめてほしいです。
もう僕はこの城好きになりました日本にこんな凄い城🏯があったとは❗後、あらかじめ言っておきますけど一度見たら離れられなくなりますのでご注意下さいちなみにお城好き、お堀好きは大興奮すると思います

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チェブ

大変、お世話になりました。 (2019/11/30 訪問)

古河公方の家臣、広田 直繁さん・木戸 忠朝さん兄弟の「羽生城」に行きました。
一度、北条氏が「古河城」を攻めた時に「羽生城」も落城しました。
しかーし、上杉 謙信さんに取り返してもらいました。
兄弟は謙信さんの関東侵略の際、北条軍と戦います。
場所的に最前線では?
その間、相越同盟が成立したり破棄したりで、御二人ともホッとしたりヒヤヒヤしたのではないでしょうか?
住宅街にある「羽生城」です。
入口に石碑と説明板があります。当時は池や沼で囲われた天然の要害に守られた「羽生城」だったんですね。
遺構はありません。
猫ちゃんが、日向ぼっこをしている古城天満宮です。

皆さん、今年もお世話になりました。
毎日「みんなの投稿」を読むの楽しみにしていた一年間でした。
自分が行ったお城は、他の方の違った見方や感想で、また行きたくなりました。
また、行った事のない お城には、早く行きたいと楽しみになります。
また2020年も雨にも風にも、はたまた夏の虫や藪にも負けずにお城巡り楽しみましょう。
ありがとうございました。

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カルビン

伊達政宗長男のお城 (2019/12/28 訪問)

築城マニアもとい名人・藤堂高虎が伊予を治める際に築城したのが宇和島城(と今治城)

その後高虎が津へ転封後に藩主となったのが伊達政宗の長男・秀宗

長男ではあるものの、正室・愛姫の子では無かった為に跡継ぎになれないのを見越して、伊達政宗に渡される褒美の代わりに秀宗を分家として藩主にしてもらったんですね。

政宗を恨むが故に彼が付けた重臣を亡き者にしてしまい、一時期取り潰しの恐れがあったものの、政宗との和解のおかげで藩は存続したみたいですな。


そんな宇和島城は秀宗にはほとんど改造されずにはぼ藤堂時代の状態で残っているそうで。。。潜在写真だとものすごい高所にある感じでしたが、登城に苦労すると思いきやそんなに高い山では無かった為、余裕で登城出来ました。
石垣と建造物メインのお城な為、自然遺構は殆ど見受けられませんでした。。。そういう時代に造られたお城って事なんですね。

宇和島城も同じ四国の今治城や高松城と同様に当時は海城であったものの、現在は埋め立て・開発によってその名残は見られませんでした。

今治城も松山城も城主像があったのに、宇和島にはありませんでしたね。。。あると思ったのにな~


と今年の更新はここまで。
また来年もボチボチ投稿して行きたいと思いますので、皆様宜しくお願いします&有難う御座いました<(_ _)>

良いお年を~( ー∀ー)ノシ

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くっしー

しっかり土塁が残っていビックリ(゚o゚)/ (2019/12/31 訪問)

こんなとこに城跡?ってな場所にあったので遺構は何も残っていないのかなと思ったら、かなり大きな土塁が残っていました。
城というよりは、江戸時代の居館跡ですね。

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くっしー

秀次居館跡前の石垣に感動 (2019/12/31 訪問)

麓からロープウェイに乗ると、すぐに本丸跡(現在は瑞龍寺)にたどり着きます。まあ、秀次切腹後に破綻されたからほとんど何もないのかと思ったら、ガッツリ石垣が残っていて感動。
さらに、麓のロープウェイ乗り場から南の方に行くと八幡山公園というのがあって、その端っこに大手道が残っています。そこを5分程登るとデカい石垣があるのです!この石垣が素晴らしかった😆その上が、秀次居館跡らしいですが、そこから上には登れませんでした。
どうせなら、ロープウェイ使わずにそこから本丸跡まで登れると楽しいんやけど残念😅

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ぴーかる

日野中野城 (2019/11/17 訪問)

【日野中野城】
<駐車場他>日野川ダム公園駐車場無料
<交通手段>車

<見所>切通し・石垣
<感想>蒲生氏郷の祖父定秀の築城、氏郷が1584年に伊勢国松ヶ島に転封後、二人領主を変え、1600年に廃城、江戸時代に入り城内に市橋氏が仁正寺藩立藩、陣屋を建て明治まで続く。
 本丸跡はダム公園の駐車場~住宅地に城跡碑がある辺りと思われるがそれらしい遺構は残っていない。残る遺構は本丸跡北側の土塁・石垣切通しと階段状の石積み・空堀・水堀の一部がある。仁正寺陣屋跡の石積みも残っている。堀切のある土塁上にはそれぞれ神社が建てられている。説明板の縄張り図(大正6年実測図)と残る北側土塁の高さからみてここも主郭の四方を高土塁で囲んだ城だったが石積みみ、切通し石垣、深い水堀等、有力豪族が造った城らしいところもあった。
 ちょっと北上したが、日帰り甲賀市城攻めの旅7城目。

<満足度>◆◆◇

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とってぃ

雪のため… (2019/12/31 訪問)

麓の看板まで

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とってぃ

この辺らしい (2019/12/31 訪問)

看板はないが、高昌寺の裏辺りらしい

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城好きのメガネ

「古河公方終焉の地 古河公方館」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★★★★☆
古河は足利家の直轄地であり、政治・文化・軍事の重要拠点であった。古河公方館は足利成氏が大拡張を行い、南北1800m、東西550mにおよぶ大城郭へと発展させた。西を渡良瀬川、東を広大な水堀が囲い、防御だけではなく、交通・物流の拠点となる。戦国時代には北条氏綱は息女を足利晴氏に嫁がせ、義氏が生まれる。古河公方家の権力を手に入れた後北条氏にとって古河は関東の中心地ではなく境目の城となる。北条氏照が栗橋城に入ると古河城を後北条氏の家臣が牛耳ることになる。小田原征伐後、後北条氏が滅亡し、豊臣秀吉が古河城の破却を命じ、廃城となる。現在、土塁などが残されている。

<アクセス>
JR古河駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「古河城」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
古河城は、徳川家康が関東入りした際に、娘婿である小笠原秀政が入封した。古河城は、東北の外様への備えの一翼を担った。 徳川将軍による日光社参では、岩槻城・古河城・宇都宮城に宿泊した後、日光に入ることを恒例とし、将軍の宿城の一つとしても重要視された。また、藩主が頻繁に交代するが、大老の土井利勝・堀田正俊、老中の永井尚政・松平信之・本多忠良・土井利厚・土井利位など幕政に参画した。特に、土井利勝は、食糧・薪確保のために江戸の家臣の子息たちに桃の種を集めさせ古河に植えさせた。幕末には、勤皇か佐幕かに分かれたが、最終的には勤皇となる。新政府軍に恭順した。現在、旧古河城乾門が移築現存している。

<アクセス>
JR古河駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「県史跡 足利政氏館」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
古河公方になった足利政氏の館跡とされる。足利政氏は5代鎌倉公方であり、初代古河公方となった足利成氏の嫡男である。政氏は関東管領家と連携し、新興勢力である伊勢宗瑞と対峙した。しかし、政氏が関東管領と連携を強化するものの、嫡子の高基は相模の伊勢宗瑞との結びつきを画策し、父子の対立が表面化した。さらに、次男の義明が高基と対立し、安房の里見や真里谷の支援を受け、小弓公方として独立する。1516年、高基に古河城を攻められ、小山家なども離反し敗北する。後継の座を高基にゆずり、甘棠院に隠居した。現在、土塁や空堀が残されている。


<アクセス>
JR久喜駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「久喜陣屋」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
徳川家譜代大名の米津政武が立藩した。5代米津通政が移封する際に陣屋を廃したとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR久喜駅 徒歩15分

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