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くろもり

長篠城を眼下にとらえる (2019/07/15 訪問)

飯田線の鳥居駅から新昌寺の鳥居強右衛門墓碑、武田四将(和気宗勝・高坂助宣・小山田昌晟・横田康景)墓碑をお参りし、豊川沿いの鳥居強右衛門磔の場を訪れた後、牛渕橋を渡り鳶ヶ巣山へ登りました。車での訪問の場合、砦入口付近の路肩が駐車場となっています(5台くらい)。

想像していたより比高のある山でした。Google Earthだと牛渕橋の辺りとは80~90m程の比高があるようです。少し下った西の曲輪跡と思われる所から、長篠城がまさに手に取るように見ることができました。砦跡には砦の碑?や説明板、慰霊碑等がありました。はっきりとした遺構は分かりませんでしたが、土塁跡のような地形等は見ることができました。

ここを守っていて討ち死にした武田(河窪)信実公も、まさか奇襲されるとは思ってなかったのではないでしょうか・・・信実公にはこんな逸話が残されています。「ある時、徳川家康の家臣篠瀬某が、主命に背いて怒りを買い、信実の許に逃げ込んできたので信実はこれを保護した。しばらくすると、家康の勘気も解けたので帰参を許すとの知らせが届いた。帰参を希望したものの、信実に対して何の恩返しもしていない。篠瀬は苦悩の末、その胸中を信実に告白すると、信実は「少し待て」と言って座を立ち、しばらくすると2羽の立派な鷹を携えて戻ってきて「三河殿は鷹狩りを好むと聞く。帰参の折にこれを献上いたせば、お主への心証も良くなるであろう」と言って鷹を与えた。この話を聞いた家康は、信実の爽やかな心根に深く感じ入ったと言う。 」以上Wikipediaより 家臣に信頼される将だったであろうと想像できる逸話です。

本当は、長篠・設楽原の戦いがあった6月29日(旧暦ではなく新暦)に訪れたかったのですが、その日は雨で、翌週も都合が合わず、この日も天気は怪しかったのですが、ここを逃すとまた1年行かないだろうと思い、雨の中の散策になりました。最後の後押しをしてくれたのは、他サイトで恐縮ですが、『お城めぐりFAN』の「梅雨時の土砂降りの頃(合戦の季節)いらっしゃった方、川の様子を御覧下さい。城を抜け岡崎に援軍を頼みに走った鳥居強右衛門はこの濁流を泳いで下ったんですよ。死んじゃうよな。」[長篠村の田吾作 (1999.03.24)] の書き込みを見て、決心がつきました。長篠村の田吾作さんありがとうございました<(_ _)>
こんな季節に鳥居強右衛門は豊川を泳ぎ、雨が見込める季節だからこそ勝頼公も決戦の地へと向かってしまったのかと考えてしまいました。

鳶ヶ巣山砦跡から東隣にある姥ヶ懐(うばがふところ)砦跡に三枝守友・守義兄弟の墓があるとの情報があったので、行ってみましたが、柵が鎖でがっちり閉じられており、お参りに行くことができませんでした。三枝守友公のお墓があるとは知らなかったので、この付近の散策では一番楽しみにしていた所でしたが、参れず残念です・・・最近では、三枝昌貞となっているようですが、私の中では守友の印象が強いです。武田二十四将の一人に数えられる方です。

にのまるさん。城郭検定1級合格おめでとうございます!三枝兄弟の墓の情報が合格祝いになるといいのですが、既にご存知でしたら申し訳ありません!ぴーかるさんも準1級合格おめでとうございます🌻

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うさぎ屋

滝山城趾 (2019/07/21 訪問)

全体的によく整備されていて、まわりやすかったです。
ただ、雨の後に訪れたためところどころ滑りやすかったです。

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小城小次郎

松江城

南側から訪ねた時と北側から訪ねた時とでは、お城の雰囲気も石垣も全然違って見える。整備された南側と、比較的古い姿を残す北側と、どちらが好きかはきっと人それぞれだろう。

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赤い城

神奈川と山梨の県境 (2019/07/20 訪問)

北条氏が武田の侵攻に備えた城。
秋山川沿いに位置します。
車を停めようと急カーブ沿いの広い空き地に入ったところ、路線バスのUターンのための地で駐車禁止。
向かいにも駐車出来そうな空き地?があったので停めさせて頂きました。
秋山川にかかる吊り橋を渡ったらすぐ城址です。
説明板が立っていて広い曲輪が残っていました。
蛇行した秋山川に囲まれ、自然の要害となっています。

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トーダイ

クルマで上がれます (2017/07/18 訪問)

坂北村全部と本城村の大部分を本領としていた青柳氏の城であった。青柳氏滅亡後、
武田信玄は川中島への拠点として改修、天文22年(1553)10日間泊まっている。
武田氏滅亡後は小笠原貞慶が、また、川中島への拠点とした。天正11年(1583)
4月から1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、青柳城と麻績城の取り合いが4回
繰り返された。山城には武田・小笠原の改修により、各時代の特色が残っている。
(案内板より)

登城入口<36.430087,138.017269>から道標に惑わされながら約4キロ走り、青柳
城址公園駐車場<36.428536,138.036191>にようやく到着、一から五の郭のほか
二重の堀切(X2)、石垣跡など見どころが多い、素晴らしい山城です。

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カルビン

ペンパイナッポーアッポーペン(こさか違い(笑)) (2014/12/28 訪問)

この日朝から小幡城を見学した後南下しながら牛久城や木原城等複数のお城を見学し、小坂城にも立ち寄りました。

小坂城はグーグルマップで偶然見つけた場所で、この日訪問した6城のうちで一番期待していなかったのですが・・・
皆様の投稿にあるように、無名で規模もそこまで大きく無いものの、かなり優秀なお城でした。
(今ではちょっと名の知れたお城になったようですね)

凸凹にうねる郭、堀、土橋、土塁等、それ以外にもいろいろ見る事が出来るとは(驚)

規模で言えば小幡城や牛久城に届く訳も無く、100名城に選ばれるまでは行く訳もありません・・・が、土のお城ってこういう物なんだ。。。というのを手軽に学ぶには持って来いの場所です。
ちょっとした坂の登り降りはあるものの山登りする事も無いですし、城址公園入口には数台ではありますが駐車場もありますので。


そして神社仏閣の好きな方には、ここから2.5km離れた場所には牛久大仏もありますので、日本一大きな仏像の中に入ってみるのも宜しいかと。
(大型エレベーターで一気に胸の部分まで登れるんですよ)

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カズサン

二の丸発掘調査始まる (2019/07/24 訪問)

 二の丸跡に在った元城小学校が統廃合に寄り移され跡地の二の丸が発掘調査を開始しました今年6月から翌年3月までと掲示板に出ていました。
 元二の丸御殿が有ったと言われてますので校舎が取り壊され本格的な全面発掘調査が出来新たな情報、従来からの痕跡、言い伝わってる事の確認とか大変貴重な調査に成る事でしょう、発掘調査結果が楽しみです。
 二の丸と本丸の境の本丸土塁根石の確認、現在浜松市役所の地下駐車場に本丸石垣根石が保存されています、その北側方向の確認も楽しみです。
 本丸は東側約半分が削られ通路に成って居り東側に土塁、石垣跡の基壇と思われる土塁状のものが有ります、今回の調査結果で、本丸の復元、二の丸御殿の復元、本丸鉄御門多門櫓、菱櫓、裏御門も併せて復元されると嬉しいのですが、難しいでしょうね。

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トーダイ

堀切・竪堀など確認できますが、夏は? (2019/01/16 訪問)

この地は紀北地方に勢力を張った北畠の臣加藤氏が築いた山城の設けられていたところである。
最初にここに城を築いたのは、初代加藤甚左衛門で至徳元年(1384)のことであったという。
織田信長の三男で伊勢国司北畠氏の養子となった信雄に天正4年(1578)加藤五代甚五郎が
熊野征伐を命じられた。甚五郎は兵を進め一度は三木城(現鷲尾市三木浦)まで進出したが
新宮の堀内氏を中心とする熊野侍の反撃にあい敗れ、長島城へ退き、追撃してきた熊野勢を
迎え討ったが利があらず、また、赤羽谷の奥村氏の内通などもあり、ついに落城、甚五郎は
54歳を最後として自刃をとげたといわれている。(案内板より)

長島神社駐車場(20台)<34.199744,136.332061>を利用、中腹の愛宕山大権現裏から
(夏は見えない?)木段が整備された登城路で城跡まで約5分、主郭周辺は荒れていますが、
城跡碑・堀切・連続竪堀など確認できます。

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チェブ

六郎さんと四郎さん。 (2019/07/21 訪問)

埼玉県深谷市の「人見館」に行きました。
説明板によれば平安時代末期に人見六郎政経さんが築きます。
室町時代に丹波にお引っ越し。
その後、深谷上杉氏一族の上杉 憲武さんが改修します。

私、人物が好きで「人見館」の人見氏を調べてみました。
六郎政経さん以外に四郎入道恩阿さんのお名前を見つけました。
次郎さんや三郎さんはいません。
この二人、兄弟ではなさそうです。
まだまだ調べがい、ありそうです。
お城に戻ります。
「人見館」の横に水路がありました。当時もあったのでしょうか?
後で調べて分かったのですが「土塁だなぁ」と簡単に確認した遺構は二重土塁でした。
この「人見館」、重厚な構えだったんでしょうね。
夏草が伸びてます。やっぱり冬の方が見やすいと思います。

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イオ

日前神宮・國懸神宮 (2019/06/18 訪問)

延徳年間(1489~1492)に紀伊国造・紀俊連が日前神宮・國懸神宮の神領を護るために太田城などと共に築いたとされ、戦国期には太田城の支城となり、羽柴秀吉の紀州攻めにより廃城となったようです。

城域の真ん中を県道(宮街道)が通っており、県道の北側にある畑が堀跡で、畑の中の一段高くなったところが曲輪らしいですが、そう思いながら見てようやくそんな気がしなくもない、という程度で、このために訪れる価値があるかというと…。

あまりに見どころがないので、当初の築城目的である日前神宮・國懸神宮に行ってみると(秋月城から徒歩10分)、中学校や高校、幼稚園に囲まれた街中の神社でありながら、鳥居の先の神域に足を踏み入れると鬱蒼とした木々に覆われて空気が一変するのを感じます。大正期に境内の建物が一新され、古くからの姿は残っていないようですが、歴史のある格式の高い神社であることに違いはないので、秋月城とあわせて……というか、日前宮(日前神宮・國懸神宮の総称)のついでに秋月城をどうぞ。
 

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カズサン

ちょい寄り丸亀城 (2018/06/25 訪問)

 昨年6月下旬四国西部、香川県城巡り24日は丸亀城近くのホテルに宿泊し此処まで来たら寄らなくちゃと24日夜、駅近くの食堂で夕食を済ませ、夜の丸亀城堀端周辺を散策し翌日早朝朝食前に撮影散策しましたので写真を添付します、写真説明は皆さん良くご存じの事とでしょうから省きます。
 
 四国城巡りが終わって7月上旬に大雨に寄り丸亀城の高石垣の崩落報道に接し大変悲しんでおります、早い復旧と復興を期待しております、頑張れ「丸亀城」。

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カズサン

模擬天守は郷土館 (2018/06/24 訪問)

 昨年の6月下旬高知県西部から香川県に入り城廻、古代城郭城山城を探訪した後、丸亀宿泊前に時間も有り模擬天守の在る由佐城を探訪しました、駐車場は郷土館前に完備、郷土館の方に由佐城の資料、パンフレット有りませんかと尋ねましたが特になし。
 由佐城を後にして丸亀方面へ、途中聖通寺城を探訪し宿泊先の丸亀城近くのホテルへ。

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にのまる

5ヶ月ぶりのスタンプゲット (2019/06/30 訪問)

東北地方最後のスタンプ入手してきました。
なかなか遠くて帰りの電車の時間を考えると抱き合わせ訪城できるところが見つからず、鶴ヶ岡城一択で。
本丸を囲む広大な堀は圧巻でした。
本丸角櫓跡と二の丸北門跡、水堀の外から見る御金土蔵、ベンチのように置かれた矢穴のある石などがお気に入りスポットになりました^_^

滞在予定時間は3時間あったので致道博物館や致道館もゆっくりまわれるはずが最後は時間がなくて駅までダッシュ💨(致道博物館の中の移築古民家に長居しすぎました。人々の暮らしの気配が感じられる古民家、モデルハウス気分で見てしまいます。私の部屋はここにしよう、とか。)

〈おまけ〉
6/9の城郭検定で念願の1級に合格しました😭
こちらのサイトやみなさまのご投稿がモチベーションアップや知識量集積に繋がったことは言うまでもありませんm(_ _)m
検定はいろいろあるお城の楽しみ方の一つだとは思いますが、素直にうれしいです。

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todo94

戸次川の戦い (2019/07/20 訪問)

「センゴク権兵衛」のクライマックスとも云える戸次川の戦いで、島津家久軍に包囲される城です。山城オフシーズンだというのに、しかも雨が降りしきっているというのに、城攻めに踏み切ってしまいました。傘をさしての山城攻城は初めての体験かと思います。コンクリートの登城路を勢いよく水が流れており、積もった落ち葉もたっぷり水を含んでいて靴はびしょ濡れとなってしまいました。二の丸には立派な城址碑。三の丸まで足を伸ばしてから本丸へ。堀切や畝状竪堀の先に主郭。その一角には櫓台もありとても楽しめる山城でした。大野川は降り続く雨のため濁流となっていました。この流れだったら仙石秀久も渡河を諦めたと思うのですが。帰宅後、思わず、センゴク権兵衛を読み返してしまいました。

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シャルル

今治市 (2019/06/10 訪問)

お濠に鯛が泳いでいた。

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うさぎ屋

松代城の城門 (2018/10/26 訪問)

松代駅が廃駅になり、しばらく訪れる機会がなかったですが、
昨年久しぶりに行ってみました。
早朝だったので、まだ城門は閉ざされていました。
城下町に武家屋敷の門がのこっているので、色々とまわりました。
しかしながら、以前あった屋敷門は駐車場になったり、なくなっているものもありました。
少しずつ城下町も変わってきてます。

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くろもり

家康の「兵糧入れ」の舞台 (2019/06/23 訪問)

丸根砦から徒歩で訪れました。1.5km弱程で15分~20分くらい。帰りの大高駅までは1km弱で10分程だったと思います。車での訪問の場合、駐車場はなく、道も狭く近隣の住民の方の迷惑になると思われるので、大高駅に駐車して訪れるのがよいと思います。

比高は15m程だと思いますが、鷲津砦・丸根砦と違って城域が広く、多くの兵が収容でき、砦ではなく確かに城でした。

最大の見所は城を東西に分断している大きな堀切でしょうか。個人的には、鷲津砦跡・丸根砦跡が一望できる眺望が、松平元康(後の徳川家康)公の大高城への「兵糧入れ」の舞台を彷彿とさせてくれて良かったです(兵糧を待ちわびる今川方の鵜殿長照公の気持ちになって)。

城と駅の間に大高八幡社があり、由緒によると「大高城主・花井備中守が創始したと伝わる」とのことでした。また、「桶狭間の合戦の翌年に松平元康が参拝したとの伝承もある」とのことです。

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カズサン

城山城古代城郭 讃岐富士が絶景 (2018/06/24 訪問)

 山頂公園に成って居り車で行く事が出来る駐車場完備、山頂からの眺めは素晴らしい讃岐富士がビューポイントかも?

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カズサン

多度津陣屋 香川県多度津町 (2018/06/24 訪問)

 昨年6月下旬高知県四万十市土佐中村城探訪を終え翌日朝中村城遠望を撮影し、国道56号線を東へ高知自動車道、高松自動車道経由して香川県へ宅間城(香川県三豊市)天霧城山麓(香川県多度津町)多度津城(香川県多度津町)を探訪後、多度津陣屋を探訪。
 まず車を近くの多度津町役場駐車場を利用し町立資料館に寄り情報収集し陣屋内を散策し東大手門跡広場の案内板確認し大手門、御殿跡方向へ、現在はJR四国の工場群に成って居り詳細は分からず。
 資料館に多度津陣屋の立体模型が有り往時を偲ばせる。

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コロスケコロコロ

尼崎城! (2019/07/21 訪問)

平成最後のお城は、キレイで良かったです。近隣にお住まいの方は、完成されていく様が見えて羨ましい。

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