ながはらじょう

永原城

滋賀県野洲市

別名 : (永原御殿)
旧国名 : 近江

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①永原御殿跡
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)18日目(最終日):永原城 (2024/10/09 訪問)

桜生城から徒歩35分くらいで、説明板付近(35.091569、136.036370)に着きました。

永原城の築城年代は定かではないようですが、佐々木氏の支族永原氏によって築かれたと云われています。
永原氏の出自は詳らかではないようですが、六角氏に従った国人領主であったそうです。
永原御殿は、江戸初期に将軍上洛の宿舎として造られましたが、将軍上洛が停止されると1686年(貞享3年)廃城となりました。

本丸には土塁や石垣が残っているようですが、土塁修復中の為かつ竹林で私有地という事もあり断念しました。
説明板付近から徒歩2分くらいの上田産業㈱前のこの位置(35.090413、136.035666)に永原御殿跡の看板があったはずですが、失くなっていました。
攻城時間は10分くらいでした。今回の公共交通のみで(東海&関西遠征)城巡りは、ここがラストです。
千葉の自宅に戻る為、家棟団地バス停から近江鉄道湖国バス➡JRを利用して、草津駅に向かいコインロッカーより荷物を取り出してから自宅に戻りました。
本日の攻城徒歩=31898歩、攻城距離=22.32Kmでした。
遠征の総攻城徒歩=602,651歩、総攻城距離=421.79Kmでした。

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しんちゃん

入れま10 (2024/02/11 訪問)

投稿の写真は永原城というよりは永原御殿で江戸時代に家康・秀忠・家光の三代将軍が宿泊した防御性を備えた御殿です。中山道の脇街道である朝鮮人街道の付近に築かれていました。天正19年(1591)に家康は秀吉から野洲郡9万石を与えられていますが、初期の御殿がどのタイミングで築かれたのかは良くわかりません。関ヶ原の合戦の翌月には永原に宿泊しているので、このころには既に何らかの居館施設があったのだと思われます。家康が7回、秀忠が3回、家光が2回、宿泊に使用しており、寛永11年(1634)家光の上洛に先だち大規模な改修が行われたようです。
改修後には本丸の南に二の丸、その東に三の丸を配し、周囲に堀を巡らせた平城のような構造をしていたようです。2017年から発掘調査が行われ、その遺構の重要さから普段は立ち入りを禁じられています。
永原御殿の南西、「下海道(朝鮮人街道)」沿いに六角氏家臣永原氏の居城・永原城(上永原城)跡があります。永原氏が上永原城を廃して移ったのが永原御殿跡とされる永原城だったようです。

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カズサン

永原御殿本丸外堀探訪と移築門 (2024/06/24 訪問)

 永原御殿本丸発掘中の続きです。

 永原御殿本丸内部と発掘調査中現場を見学観察して、永原御殿の外堀を見学できる範囲で探訪、入口の東の外堀は埋まっています、北側は駐車場、南側は発掘調査現場作業コンテナ事務所エリア、南の外堀は水田に成っている、北側は集落の道と発掘調査作業機器の置き場倉庫、西側は一面水田ですが、畦道が舗装されて北から南へ伸びて居る、畦道から本丸土塁の間が水堀跡、水堀の半分は埋めれれて水田に成っている、水堀が有る事は判るのですが樹木、草が茂り良くは判らない、水堀が東に折れる南掘り辺りまで確認して戻る。
 北に約600m程の所に浄専寺(野洲市北941)が在り、南側に永原御殿移築門が在ります、が痛みが激しく近くは立入禁止、同南側に「史跡永原御殿御門」の案内板が有るが生垣の新芽の伸びで下半分判読できない。
 車は乗専寺と北自治会館の間の広い道の浄専寺側に幅寄せして路駐可。

 永原御殿本丸内部と水堀の一部復元がされて史跡公園化で今後の保存整備がなされると大変ありがたい。
 当日の真竹伐採作業ボランティアの方々に感謝も仕上げます。
   

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カズサン

永原御殿本丸発掘中 (2024/06/24 訪問)

 近江の永原御殿を探訪したいと思っており、近年発掘調査・現地説明会等も開催されて居り各博物館等で永原御殿発掘のチラシも散見されて探訪を誘われて居りました。前泊の八日市から戻る形で野洲市の永原城・永原御殿を初登城。

 駐車場:永原城北東堀跡埋められてジャリ駐車場を利用。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップ、野洲市HPによる。

 東側に真竹を切り開いた導入路が有り進行するが鎖チェーンが張られて進入禁止、近くにコンテナの事務所が有り人の気がするのでノックして、訪ねると気持ちよく鎖チェーンを外して本丸内部の発掘現場ブルーシートの掛かってる辺りまで案内頂きました。最近も発掘調査結果現地説明会が開催されたようです。
 南側の土塁、西土塁、坤角櫓跡、本丸中心部の御殿跡発掘調査現場はブルーシートが掛っている、乾角櫓跡もブルーシートが掛っている、登る階段が有ったので土塁まで登にり近くで観察、外の水堀は真竹竹林で良くは見えないが少しは竹林間で見える。発掘調査現場は真竹を伐採して見学歩きやすくなっていますが、伐採の竹の残りと新しい真竹が伸び始めてツンツンしており登山靴、安全靴での探訪が安心安全です。
 当日は現場作業の方々で真竹の伐採をされて居ました、今年の春に伐採したばかりですと言っていましたが真竹の成長は早く伸びも早い、大変な作業です。
 滋賀県には江戸幕府の宿泊所・御茶屋御殿がここの永原御殿と水口城御殿、伊庭御殿、柏原御殿と4ヶ所も有り歴史文化財が豊富です、発掘調査が更にされて成果の結果として史跡公園永原御殿の復元が楽しみです。

 撮影見学して、現場作業事務所に寄りお礼の挨拶し、もし資料が有ったらとお願いしたが残って居なかった、後日野洲市のHPより永原御殿の発行必要資料を入手する。
 
 続き、永原城本丸水堀跡と移築門を投稿します。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 永原氏
築城年 室町時代
主な改修者 徳川幕府
主な城主 永原氏
廃城年 貞享3年(1686)
遺構 曲輪、土塁、櫓台、横堀、石垣
指定文化財 国史跡(永原御殿跡及び伊庭御殿跡)
住所 滋賀県野洲市永原1093
問い合わせ先 野洲市役所
問い合わせ先電話番号 077-587-1121