投稿の写真は永原城というよりは永原御殿で江戸時代に家康・秀忠・家光の三代将軍が宿泊した防御性を備えた御殿です。中山道の脇街道である朝鮮人街道の付近に築かれていました。天正19年(1591)に家康は秀吉から野洲郡9万石を与えられていますが、初期の御殿がどのタイミングで築かれたのかは良くわかりません。関ヶ原の合戦の翌月には永原に宿泊しているので、このころには既に何らかの居館施設があったのだと思われます。家康が7回、秀忠が3回、家光が2回、宿泊に使用しており、寛永11年(1634)家光の上洛に先だち大規模な改修が行われたようです。
改修後には本丸の南に二の丸、その東に三の丸を配し、周囲に堀を巡らせた平城のような構造をしていたようです。2017年から発掘調査が行われ、その遺構の重要さから普段は立ち入りを禁じられています。
永原御殿の南西、「下海道(朝鮮人街道)」沿いに六角氏家臣永原氏の居城・永原城(上永原城)跡があります。永原氏が上永原城を廃して移ったのが永原御殿跡とされる永原城だったようです。
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