ながはらじょう

永原城

滋賀県野洲市

別名 : (永原御殿)
旧国名 : 近江

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todo94

近江の城めぐり⑥ (2024/03/09 訪問)

浮気城からの転戦です。大きな横断幕が張られていて説明板も建っていますが、城内へは立入禁止となっています。少し離れた場所にある浄専寺の移築城門は何とか見つけることができました。イオさんの投稿にある、史跡公園としての整備を心より待ち望みます。

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イオ

永原御殿 (2023/11/19 訪問)

永原御殿は、室町期に永原氏が築いた永原城を前身として、この地を与えられた徳川家康が上洛時の宿所として築いた館城で、秀忠、家光の三代にわたって使用されましたが、家光以降は幕末まで将軍の上洛はなかったことから、江戸前期に役目を終えて廃城となりました。

出張!お城EXPOでのテーマ展示やパネル展&紙芝居により永原御殿の予備知識と発掘調査現地説明会資料を仕入れた上で、本丸東辺の堀跡に設けられた駐車場から登城開始。駐車場奥の説明板の立つ位置が東之御門跡で、その脇から本丸内へ。本丸内の御殿は遺っていませんが、建築図面が伝えられている上に、発掘調査により古御殿の建物礎石や御亭の基壇が確認されています。まずは時計回りに本丸内を一周。大手門にあたる南之御門跡は東側にブルーシートが掛けられていますが、発掘調査により櫓門の存在が裏付けられています。南辺の土塁をたどり南西隅には坤御矢倉跡、さらに西辺の土塁沿いに北に向かうと乾角御矢倉跡があります。乾角御矢倉は平櫓だったようですが、発掘調査では櫓の礎石列や櫓に登るための雁木が確認されています。本丸の北部は未整備ながら、竹藪の中に北辺の土塁が続いていました。

駐車場に戻ると今度は反時計回りに外周をひとめぐり。北東隅部には永原御殿址の石碑があり、北西隅から西辺を南に進むと土塁沿いに堀が続き、その手前の田んぼも堀跡と思われます。南西隅から二の丸南辺を東に進むと、本丸外周南東辺に土塁基底部の石垣が遺り、その手前の田んぼが堀跡のようです。

また、永原御殿から北東約750mの浄専寺には永原御殿の御門が移築されています。近くの説明板によれば、御門とあわせて石垣も移設されているとのことで、門の東側の石垣を見てみると、なるほど矢穴のある石垣がいくつも見つかりました。

…ということで、未整備の部分もありますが周囲(東辺以外)を囲む土塁は状態良く遺り、発掘調査も進められていて、出張!お城EXPOで聞いた話では、史跡公園として整備される計画もあるそうで、これからがますます楽しみな永原御殿でした。
 

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永原御殿 (2023/10/21 訪問)

 もともと城があった場所に徳川氏が上洛時の宿舎を建てたとのことです。土塁がよく残っています。
浄専寺に移築門がありますが、今回は行っていません。

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ぴーかる

永原御館 (2022/09/04 訪問)

【永原城】
<駐車場他>菅原神社前<35.090128, 136.035426>あり。
<交通手段>車

<見所>土塁・御亭跡
<感想>日帰り東近江ちょこ城巡りの旅3城目。現地説明板よると永原御殿は徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍が利用した専用宿館です。1591年に家康が在京賄料として秀吉から野洲郡9万石を与えられます。関ヶ原後の1601年に永原に宿泊します。家康が7回、秀忠3回、家光2回利用したそうです。
 現地は本丸部分の西側半分程度が残っています。南側の二の丸部分は会社になっていて、本丸東半分や東側三の丸は道路や宅地になっています。当時は本丸・二の丸・三の丸全てを堀で囲み各々独立した郭であったようです。野洲市歴史民俗博物館の2Fに永原御殿の復元模型がありますので一見してもよいでしょう。本丸内部は土塁と側面に沿ってよく整備されています。中心部分は竹藪がすごくて入り込めません。本丸の西の端真ん中辺りに御亭(おちん)跡があって、土台と石列がきれいに残っており見応えあります。北に徒歩10分程にある浄専寺に移築門が残されています。
 城の位置も中山道のすぐそばにあり、なるほどの立地で行ったことのある岐阜県大垣市の御茶屋屋敷と繋がる。東海道の水口城(家光が1回利用)もあるので将軍超贅沢、上洛時は主に中山道を主に利用していたのかな?

<満足度>◆◆◇

<周辺観光>北に徒歩5分程の所に妓王・妓女屋敷跡があります。現地説明板によると、妓王・妓女は平安時代後期の姉妹で橘次郎持長の娘、乱で両親を亡くし京にでて白拍子になり平清盛の寵愛を受けます。清盛に望みを聞かれ故郷の人々が水不足で苦しんでいるので水路を引いて欲しいとの願いが聞き入れられて野洲川から水路を引いてもらえて米どころとなります。妓王寺は門が閉じられていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 永原氏
築城年 室町時代
主な改修者 徳川幕府
主な城主 永原氏
廃城年 貞享3年(1686)
遺構 曲輪、土塁、櫓台、横堀、石垣
指定文化財 国史跡(永原御殿跡及び伊庭御殿跡)
住所 滋賀県野洲市永原1093
問い合わせ先 野洲市役所
問い合わせ先電話番号 077-587-1121