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刑部

福島市に行く途中 (2019/05/02 訪問)

途中で寄った城址です、主郭部だけが遺る城址です。

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ぴちょまる

堀越城跡 (2019/05/03 訪問)

大浦(津軽)為信公が、南部氏の拠点、大仏ヶ鼻城(石川城)を攻めるために構築した。
石川城と堀越城は街道が通っていて、2km ほど。まさに目と鼻の先。
本丸は小さいが、ニノ丸、三ノ丸跡も復元しようとしており、国道を挟んだ東側はまだ整備中。

為信公は、南部の一族から独立した後、豊臣に認められ大名となり、関ヶ原では、東西に別れて参戦。
真田と似たところがある。
調べてみると興味深い話が色々ありそう。


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刑部

強風の中 訪問 (2019/05/02 訪問)

強風なのに噴水から水出しているので水しぶき凄い! ここは神社感がありますね。

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コバトン

攻め手にとって恐ろしい土塁の城 (2019/05/04 訪問)

障子堀で有名な山中城へ。
三島駅からバスで40分くらい。
さっそく見事な空堀がお出迎え。飲料水確保のためのため池を回り左右を高い土塁で囲まれた道を登る。
土塁は保護のまめに芝生で覆われており独特な雰囲気を醸し出しているが、本来は土が剥き出しだったらしい。
二の丸から西の丸に登るといよいよ障子堀が見えてくる。
一つ一つの堀が意外と深くてハマったら脱出には時間がかかり、弓矢鉄砲で簡単に狙い撃ちされてしまう。見た目は美しいけど攻め手にとっては恐ろしい堀だ。後北条氏の巧みな築城術には感嘆する。見所満載のお城です。

ここからは個人的な意見です。随所に生垣が整備されていてとてもきれいなのですが、少し過剰かと。もしかしたら芝と同様に土塁の保護のためなのかもしれませんが。。
また、GW真っ只中だったので三島駅から乗るバスが激混みで乗せてもらえないこともあります。帰りも近くにある三島スカイウォーク付近の渋滞で1時間近く遅れていました。午前中に行ったため山中城自体は人も少なくゆっくり散策を楽しめましたが、土日祝日は時間に余裕をもって計画を立てた方がよいと思います。

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カルビン

大盛況 (2019/05/04 訪問)

中津川から苗木城直行バス(期間限定)を利用して登城。
過去1度早朝にガッツリ見学していた事とバスの時間の関係で、見学時間はスタンプ含め50分くらいだった為、麓付近までしか行かず、そこで軽く見学を。

GWとはいえ同じ駅で降りる人の人数から、そんなにバス乗らないだろうと思っていたら・・・結構な人数乗りこんできまして
(ギリギリ全員座れるくらい)
更に現地では車の駐車場入り待ちの列が出来る程の大盛況(@Д@;)

山城巡りでこれだけの人がいたのは初めてでした。
ちなみに最初に訪問した時は誰にも会わなかったのに・・・ここ2、3年の間にこんなに変わるんですね~(汗)

周りに木々の無い岩肌のお城なのでもれなく絶景が見れますが、その代わり高い所が苦手な人には厳しいお城です(ー∀ー;)

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たくわん

豪徳寺 (2018/08/29 訪問)

世田谷城址のすぐそばには井伊家の菩提寺でもある豪徳寺がある。

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ふうちゃん

安芸高田市民族歴史博物館の方にお世話になりました。 (2017/09/15 訪問)

郡山城の本丸で地蜂に刺された。薬を求めて、麓の歴史博物館を訪ねた。館の職員の方に親身になって心配して頂き、医者まで紹介して頂いた。その時、貰った軟膏がまだ手元にある。

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たくわん

世田谷城址公園行ってきました (2018/08/29 訪問)

三軒茶屋から二両編成の世田谷線に乗って世田谷城址公園行ってきました。堀切のような段差がそこかしこにあって城跡なのかなぁて感じ

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ふうちゃん

10合目まで登って (2018/11/16 訪問)

鳥取城の頂上、10合目まで登りました。秀吉が、ここを攻める最上の方法が兵糧攻めだと考えた理由がわかった気がしました。秀吉は、相当戦略を計画的に練っています。

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刑部

石垣が遺る城址 (2019/05/02 訪問)

案内板のある駐車場からゆっくり登って降りて30分、登るたびに眼に映る状況が変化します曲輪・虎口・石垣 頂上は開けていて眺めがよく いつのまにこんなに登ったのかと思いました。

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ふうちゃん

初めての日本百名城 (2016/08/25 訪問)

わたしが日本百名城を意識して巡り出した記念すべき初めての城です。大阪で同窓の集まりがあり、足を伸ばしてみましに。登山口の茶店で食べたぜんざいの味と店の人の親切が忘れられません。

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ふうちゃん

一人で初めての本格的山城へ (2016/08/25 訪問)

壺阪寺の駅からタクシーで、麓の城下にある案内所でスタンプを押してパンフレットをもらい登山口に着いた。マムシ、スズメバチ注意の案内を横目に見ながら山道を一人で歩いた。そして、この石垣に出会った。さすが三大山城。この時、他の二つにも登りたくなったのを覚えている。高取城には水堀もあるという。次回はそこに行ってみたい。

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刑部

城址とお墓 (2019/05/02 訪問)

案内板通りに進んで行くと駐車場に突き当たります 二の丸の直ぐ下に駐車 そこから徒歩で直ぐです 奥の土橋を渡ったところに政宗の祖父のお墓がありました。

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勝野武士

兵庫津に眠る『幻の城』。 (2019/05/04 訪問)

兵庫城は『幻の城』と言われます。

信長の命により池田恒興によって、花隈城の遺材などを利用して築かれて以来、江戸時代に入ってからも陣屋→兵庫勤番所と形態を変えながら実質的に存続し、幕末~明治にかけて初代兵庫県庁としてそのまま使用されてきた重要拠点でありながら、新川運河開削と都市化によって地上から姿を消してしまったからです。

ところが、今から5年前にイオンモール建設に伴う発掘調査により、兵庫津の町屋の跡とともに初めてその織豊期の城らしい総石垣の姿を現したのです!(現地説明会、マジで行きたかった…)

で、現在どうなってるのかが気になって訪れてみました。
私にとっては3度目でしょうか。

現地にはやはりイオンモールがドドンと鎮座しておりました。
すなわち現在のイオンモール敷地一帯が城跡ということになります。
東側のイオンモール入口すぐのところには真新しく兵庫津遺跡の説明板が、北側の市営地下鉄海岸線中央市場駅の出入り口を出て左に曲がってすぐのところに兵庫城跡の説明板が新たに設置されていました。
どちらも5年前と7年前の調査結果を反映させたものであり、ものすごくわかりやすかったです。
さらに説明板の台座として何やら思わせぶりな石垣が!
説明板には…、
『この石垣の石材は、発掘調査中に出土した兵庫城の石垣に使用されていた可能性のある石材を利用したものです。』
…なんかぼやかし気味に書いてるのは気になるのですが。調査範囲のどの辺りから出たものだろう??

まぁでも、以前は本当に石碑だけという状況だったので、そのころに比べたらかなりの進歩(?)だと思います。これで知名度も多少は広がるでしょうか。
ちなみに、発掘調査で出土した遺構はイオンモールの下に埋め戻して保存されているそうです。
記録だけ残して破壊されてるんだろうなと思っていたので、少し安心しました。

イオンモールを出て運河沿いを歩いてみましょう。キャナルストリートとして整備されており、開放感があって良い雰囲気です。
水面を覗き込むと、時折海の魚が泳いでるのが見えます。たまにボラがジャンプしてるのを見ることができますw
キャナルストリートを半分程歩いたところに、ここに以前からの兵庫城跡の石碑と説明板があります。

やはり当時の面影はほぼ皆無なのですが、ここは行基上人が開港して平清盛が大規模に整備して発展させ、そして織豊期から明治に至る超重要な場所です。
そういったことにいろいろ想いを巡らせてみると面白いかもしれませんよ。

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いんげん丸虫

公園だけど (2019/05/02 訪問)

広い駐車場もあり春は桜、秋はコスモスと観光で賑わうみたいです。改修部分も多いようですが、高い切り岸、岩盤を削った堀切など堅固な大城郭を感じさせます。

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todo94

えさし藤原の郷の近く (2019/05/02 訪問)

浄土ヶ浜レストハウスにて本州最東端到達証明書をゲットしてから、長駆、駆けつけました。釜石ジャンクション周りの三陸道、釜石道が開通して交通アクセスは便利になっていました。

広大な二の丸には嘗て御殿があり、復元図の看板が建っていました。古い時代の館跡であった本丸周りには空堀、土塁がめぐり、中々見栄えが良かったです。藤原経清、清衡の父子にちなむ二清院も建てられています。

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勝野武士

御影城=平野城。 (2019/05/04 訪問)

恥ずかしながら『城びと』を見なかったらおそらく知ることがなかったであろうお城です。
少し前から気になっていたので、花隈駅から阪急電車で御影駅へ。
そして、北口から出て少し西に歩くとキレイに整備された広場があり、そこに『御影城跡』の石碑がありました。

このお城は南北朝時代に赤松円心が家臣の平野忠勝に築かせ守らせたというお城です。
西に石屋川、東に池と湿地帯、北に山に囲まれた丘陵地を選んで築かれたようで、南には遠く山陽道と大阪湾を見下ろせるというのもグッドだったようです。

…私、ここでしくじってしまいました。
遺構なんて残ってないだろうと思って、石碑だけ見て引き返してしまいました。
や、実際遺構自体は残っておらず、場所もはっきりしてないようなのですが。

あとでいろいろ調べてみると、景色は宅地化などですっかり変わってしまったものの、東に湿地帯の名残だという深田池公園があったり、西に流れる石屋川もいまだ健在。
城跡推定地近くの御影北小学校の南側は切岸っぽくなってたりするそうで。
さらに、平野忠勝は打出浜の合戦(観応の擾乱の最初のほうの戦い)で足利尊氏・高師直方について敗れた後に帰農して(廃城もおそらくこの頃か)、地元の人々に農業を教える指導者として余生を送り亡くなったそうで、そんな彼の菩提寺として中勝寺が今もあるそうです。
なんてこった、知っていれば絶対行ってた…orz

ということで、またいつかリベンジしてやろうと思います。
石碑から西を見れば、立地的なところは何となく察する事はできますが…。

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スミヤキ

感謝!感激!群馬プレDC③ (2019/04/07 訪問)

城好きには堪らない、無料シャトルバスの運行サービスを利用した上州真田三名城を廻る行程は、岩櫃城から名胡桃城、最後は沼田城です。

沼田城は、利根川と薄根川の合流する河岸段丘の台地上に位置しています。二つの川側は、約70m 程の崖となっており、天然の要害です。
豊臣秀吉の小田原征伐後、沼田領は真田氏に回復、昌幸の嫡男信幸が治めます。この信幸により大改修と拡張が施され、段丘崖を背にした本丸を取り囲むように前面に幾重にも堀や土塁を巡らした梯郭式の、本丸に五重天守と三重櫓を持つ、近代城郭に変貌を遂げた平山城が完成します。雄大な素晴らしいお城だったと想像できますよね。残念な事に分家独立した沼田真田氏は、1681年に改易になり、翌年に城は全て破却されてしまいます。

現在城址は沼田公園になり、当日は桜まつりのメインイベントデーに重なり、老若男女沼田の人々全てが、公園に集まっているのでは、と思うほどの賑わいでした。城内の桜は、ようやく咲き始めた状態でした。さすがにこの日は、城好きには場違いな、浮いた存在と感じられ、早々に立ち去ることに。周辺の遺構を見て帰りました。城址から200m 離れた沼田小学校の正門は、当時沼田城の大手門があった場所らしく、冠木門が再建されています。また、水利に恵まれない沼田に新たに用水確保の為、二代信吉が自ら手掛けた城堀川の布積み石垣の遺構が、自身が眠る天桂寺横で見られます。

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長尾景仲 (2019/05/04 訪問)

 渋川駅より徒歩にて30分くらいで城址に行くことができます。
空堀が見事です。しかし農地になっている所もあり、また空堀も藪になっているところがあります。空堀だけでも整備すれば、もっといい城址になると思います。

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関東管領の城 (2019/05/02 訪問)

 崖の上に築かれた城です。土塁と堀の一部が復元されています。

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