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カルビン

三国同盟の地とは少し離れてます (2015/05/30 訪問)

実は太原雪斎と山本勘助が互いの利益を考えて、北条を含めた同盟を主君に勧めたとされる三国同盟
善徳寺城はその場所・・・と思われがちですが、実際三国同盟が取り交わされた場所は善徳寺であって善徳寺城では無かった
(実際に善徳寺城と善徳寺は少し離れてます)
確かに今川のお城に武田・北条共に主君含め小人数で入るのはちょっと信用できないでしょうからねw

善徳寺城を見学するには車を停める場所が見つからなかった為(自分は無理やり車の中から周辺撮影した)、ゆっくり見学するなら岳南鉄道線吉原本町駅から行くのが良いでしょう

で、そこから三国同盟が取り交わされた善徳寺跡地は1kmくらい東北東に離れた場所にあり、こちらは公園化していて、車も2、3台止められる駐車場があります

周辺は住宅地になっていて道が狭いので、もし車で訪れる場合はご注意を

(善徳寺城の写真は最初の3枚で、残りは善徳寺跡(公園)のものです)

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ぽんたっく土佐守

ビジホの貸自転車は役に立つ! (2018/10/21 訪問)

名鉄豊田市駅から自転車で約10分。
豊田市美術館(現在閉館中)の敷地内にあります。
七つの州を見渡せたことから「七州城」ともいうそうです。
これといった遺構はありませんが、
復元された隅櫓と移築された又日亭がありました。
この日の朝の気温は11℃。
冬が近づいていると感じたことでした。
余談ですが、
宿泊を伴う城攻めをする際に私がよく利用するのが
宿泊先の貸自転車です。
早めにチェックインして自転車を借りたり、
遅めにチェックアウトして自転車を借りたりすることで
行動範囲がグンと広がります。
時間を気にすることなく、
しかも無料で借りることができるので
重宝しています。
公共交通機関利用派の方にはおすすめです。
(みなさんご存じかもしれませんが…)


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勝野武士

復元された建物群の迫力。

水堀と石垣、復元された長屋と櫓門、そして移築復元された数少ない現存物見櫓が立ち並ぶその威容たるや、かなりの迫力があります。
隣接する烈祖神社境内もかつての陣屋敷地。庭園の跡でしょうか、かなり大きな立石が立ち並んでいます。
そして最近、お寺に移築されていた大手門が100年以上ぶりに里帰り。そして周辺の整備とともに当時の姿に復元されました。
また一つ、新たに陣屋の魅力が加わりました。
次は陣屋敷地内の整備でしょうか。ますます楽しみです。

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勝野武士

近江屈指の水城。

野面積みの天守台がポツンと残っていて、その周辺はいかにも堀の跡といった感じ。乙女が池とセットで訪れてみれば水城らしさがイメージできるかも。
江戸時代には跡地が大溝陣屋として転用され、長屋門の他、城下町の遺構として水路や武家屋敷の跡なども残されている。

なお、大溝城とは関係ないが、乙女が池の周辺は奈良時代に勃発した藤原仲麻呂の乱の最後の激戦地だったようで、仲麻呂は乙女が池の辺りで討ち取られたとか。
また、30分程湖岸道路を南に歩くと、湖上の鳥居で有名な白髭神社があります。時間に余裕があれば是非。

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チェブ

私有地の中のお城。 (2018/10/06 訪問)

三田氏といえば、辛垣城主、青梅一帯を支配していた三田氏?国立(くにたち)はちょっと離れているので、本当かなぁ?と疑りながら説明板を見たら、やはり不明との事です。
ただ、城跡だったのは確かです。
私は坂を下って着いたので土塁?自然地形?という感じでした。みなさんなら分かると思います。
散策できるように公園になってますが、私有地の所もありますので注意が必要です。
古民家の柳沢家住宅があり駐車場も少しあります。
三田氏は山城のイメージです。この場所、背は低い山、前は平野。山の暮らしは疲れたのでしょうか?

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オダリン

城下町杵築 (2009/11/10 訪問)

評判の良い武家屋敷は見れなかった。何故かというとどしゃ降りの雨と遠距離を車で帰る日だったから。

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勝野武士

現在は何も残ってない…。

今は住宅地と小さい公園になっているのですね。
20年以上前に一回だけ行ったことがあります。
当時は海から近い、草が生い茂った小さい丘って感じでした。
この頃の状況も、古い説明板があるだけで本当に何もなかった…。
ただ、海に近いだけあって、三木城への海路による物資輸送の拠点となったのもなるほど納得の立地でしたね。

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勝野武士

蘇る天守。

明治の廃城以来取り壊しが進み、市街地化の波に晒され、ついにはかつて外堀として利用されていた庄下川が残るのみとなってしまった尼崎城。
そんな城跡に、尼崎の新たなランドマークとして天守が再建されつつあります。
大きさや高さ、おおよその外観は当時のものを忠実に再現しているのだとか。
しかし場所は全然違い、当時の二の丸北西隅あたりに建てられています。
本丸跡は現在学校の敷地…それならば致し方無しか。
ついこの間までは桜井神社にある天守の鬼瓦と伝わる戸田氏の九曜紋入りの大きい瓦と石碑があるぐらいでしたから…。
なおこの天守、地元出身であるエディオンの創始者が私財を以て市に寄付という形で再現されているとのこと。すげぇ。

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モト

曲輪がありました (2018/10/10 訪問)

城址はお寺が建っています。
裏に曲輪跡が見られるとのことでしたので少々気が引けましたがお墓を通って裏へ。
ほんとだ曲輪だとわかるような場所がありました。
この曲輪で城址の雰囲気をたっぷり味わえました。
曲輪はかなり急な斜面のようになっています。
ここは切り通しなのかは不明ですが、ここも遺構の1つなのでしょうか。

お墓を通ってきたせいか、出会った曲輪に思わずありがたや〜と手を合わせてしまった私でした。

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todo94

続日本100名城スタンプ58個目 (2018/10/20 訪問)

10年前も10月に訪れたが、その時は夕刻で秋祭りとかぶってしまっていて、山頂の本丸まで辿り着いた後、そそくさと引き上げてしまった。今回はじっくりと攻城。灯台もめぐり、東二の丸、北二の丸、北曲輪と一通り巡ることができた。見どころである北二の丸の石垣も初めて拝むことができた。残念ながら上部の石垣は崩落の危険があるとのことでシートがかけられていた。

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勝野武士

『清須越し』ならぬ『船上越し』?!

高山右近によって近世城郭として整備された船上城。
しかし、手狭な上に長らく豊臣秀吉の直轄地となっていたこともあった為に、新たに徳川譜代としての西国街道の押さえの城として人丸山に明石城を築くにあたって、一国一城令で廃城が決まった城からリサイクル用材が集められたが、船上城も例外ではなく、城の建物や石垣などにとどまらず家臣屋敷の建物なども移築されたという。
明石城の南側、堀沿いにある『旧織田家長屋門』もそのときのものなんだとか。
現在本丸跡の土壇は私有地の為立ち入りが容易でない。しかしすぐそばを流れる溝は内濠の名残なのだとか。
『古城』『古波戸』の旧地名も残る。

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勝野武士

珍しい陣屋庭園遺構。

現在は大歳神社境内となっており、多少荒れてはいますが池泉回遊式庭園(雪見灯籠や築山もあるよ)は必見!
あと、よく見ると外周の土居の跡や排水溝の跡もあったりで見所ありです。

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勝野武士

愛称『志方の城山』。

頂上が平たく削られたような山容で、遠くからでも目立ちすぎなぐらいに目立ってる。
本丸跡からの見晴らしも良く、かなり広い範囲に睨みを利かせられたであろう。山城を築くにはうってつけといえる。
別所方に組した山城で、縄張図を見てみると尾根づたいに幾つも曲輪が作られ、さながら山全体が要塞の様相。所々に石積や土塁の遺構もみられる。
地元の伝承によると、斜面に竹の皮を敷き詰めたりして羽柴秀吉の軍勢を苦しめたが、火攻めにあって落城し、今でも焼け米が出てくるとか(当然ですが掘らないでね)。
また埋蔵金伝説もあり、「朝日照る、夕日輝く木の下に、瓦千枚、金千枚」と暗号らしき歌が伝わるが、今も見つかっていないそうな(きっと危険だから探さないでね)。
登山道は整備されてるが、夏は草ボーボーで藪蚊も凄い為、冬場に訪れるのがオススメです。

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dougen

2015.3.7登城 (2015/03/07 訪問)

沖縄北ICから海中道路方面に行く途中に勝連城址があります。
城址は一部整備中の所もありましたが、良く整備されており、問題なく散策できました。
他の世界遺産の沖縄のグスクと異なり、山城を総石垣にした様な縄張りで、石垣は美しい曲線です。
訪城時、100名城に選定されてもおかしくない城と思いましたが、後日目出度く、続100名城に選定されました。
山上の石垣が美しく、圧巻ですので、非常にオススメの城址です。

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勝野武士

小野藩の中心。

神戸電鉄粟生線小野駅から歩いて数分、現在は小野小学校および小野市立好古館の敷地となっており、特に目立った遺構はないが、段丘上に築かれており、周囲を囲むようにため池があり堀の役割を果たしていた。
今もその地形や痕跡が残っている。
好古館では小野藩関連の展示あり。

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へいくろう

一夜城まつり (2018/10/21 訪問)

一夜城まつりにあわせて行ってきました。
続100名城で9個目。
石垣がふんだんに使われていたことがよくわかる城跡でびっくりしました。
展望台や物見台からは小田原城もしっかりと見ることができました。
当時の小田原攻めの壮大な様子が感じられてとても良かったです。
またこの日は 一夜城まつり が開催されていて、二の丸跡ではステージイベントを楽しむことができました。
そしてこのお祭りのためにJR早川駅からはシャトルバスがでており、登り坂で約2kmの道のりを歩かなくて済んで助かりました。
とても良いところで気に入りました ♪

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勝野武士

本丸跡の高土塁と堀切は必見。

段丘上に本丸跡が残っていますが、結構な高さの土塁が残っていて、天守台もあります(上には祠があります)。
そして堀の跡も残っています。
全体的に保存状態が良く、石垣こそありませんが見応え十分です。
なお、二の丸跡には城主一族の墓地もあります。

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くろもり

Googleマップ君の案内に注意です (2018/10/19 訪問)

カーナビで検索できなかったので、Googleマップで「小島陣屋跡」を目的地に設定して訪れたのですが、案内通りに進んだ所、駐車場のある裏門側の北側ではなく、表門側の南側に誘導されました。表門側には駐車スペースがないので戻ろうとした所、近所の方が出てきて「止めていいよ」と仰ってくれたので、駐車させて頂きささっと散策しました。
静岡市の小島陣屋のHPには専用駐車場はないと書いてありましたが、北側は5~6台は軽く止められるスペースを整備してくれています。パンフレット等も置いてあり、以前は畑だったようですが、訪問できるように整備してくれているようです。
コンパクトながらも石垣が多く、陣屋のイメージが変わる穴場的な所かもしれません。
妻も「岩村城をずっとコンパクトにした感じで、想像してたよりずっと良かった。」とのことでした。
表門側はマロンちゃん(近所の方のワンちゃん)が元気に吠えるので、散策には気を付けてください。
車で訪れる際はくれぐれも北側に駐車するよう、愚か者のくろもりと同じ轍を踏まないようご注意ください。
近所の方々にはこの場を借りてお詫びいたします。

※追記 現地でもらったパンフレットを見ると、「駐車場は小島町自治会館駐車場をご利用下さい。」と記載がありました。
パンフレットのPDFは静岡市の小島陣屋のHPからダウンロードできますので、そちらで確認できます。
自治会館の近くに小島陣屋の書院建物が移築されているらしいです。
後、現地にトイレはなかったので、近くのコンビニ等で済ませてからの方が良いでしょう。

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勝野武士

陣屋敷地が奇跡的によく残っています。

若狭野集落にひっそりと、その跡はあります。
陣屋当時の建築物としては、藩札を作っていたという『札座』と、表門(?)が寺院の山門として移築現存しているのみで他に目立った遺構はないように見えますが、陣屋の古絵図と現況を照らし合わせてみると、跡地がそのまんま神社やら畑やら藪やらに転用されてたりして、敷地自体は結構大部分が残されてます。神社境内には井戸の跡と石碑もあります。
…とはいえ、跡地は結構荒れ気味で、唯一現地に残っている札座は老朽化が激しく、このままでは倒壊の危険すらあります。早急な保存対策が望まれます。
あと、周辺の道がかなり細く、駐車場はおろかそのスペースもあまりありません。私有地もありますので、見学には細心の配慮を。

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勝野武士

秀吉の岩風呂とサウナ。

有馬温泉街の少し高台に温泉寺がありますが、その裏手に極楽寺があります。その極楽寺に隣接して『太閤の湯殿館』という展示施設があります。
内部は蒸風呂と岩風呂の遺構を露出展示しており、わずかながら湯山御殿の面影を偲べます。
周辺には露地庭園の跡と帯曲輪の石垣が!
そして隣接している念仏寺は北政所御殿(=奥御殿?)の跡だといいますが、細い道を通って念仏寺周辺を探ってみると、なんと帯曲輪の石垣の積み方によく似た高石垣が!
…あくまでも推測ではありますが、念仏寺と湯殿館との位置関係や石垣からみても、かなり広大な城構えの山里御殿のようなものだったようです。
まだまだ謎の多い湯山御殿。
それ故にロマンをかき立てられます。

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