大手門が現存しています。ちょうどお祭りをやっていました。
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2019/05/06 07:49
2019/05/06 07:44
2019/05/06 07:39
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2019/05/06 02:02
2019/05/05 23:44
武庫川を望む小さな丘城。 (2019/05/05 訪問)
小浜宿を見たついでに寄ってみました。
JR新三田駅近く、国道176号線の大原交差点から東に入るとすぐそれとわかる地形に出くわします。
なぜか案内板も説明板もありませんが、その場所こそが大原城跡です。
比高約20m程の小高い丘陵の突端にあり、主郭の東に二の郭が並び、それを帯曲輪と水堀(空堀?)で囲んだという小さなお城です。
南西には武庫川が流れています。
この城の主であったという大原氏は、大原村と川除村の二か村を所領していた豪族であったそうです。
天正年間の初め頃に、摂津の平定を目指していた荒木村重によって攻められ落城した、ということ以外詳しいことはあまりわかっていないようです。
正直、あまり期待せずに行ってみたら、まずそのいかにも城跡って感じの雰囲気にまず驚きでした。
大半が竹藪と化してはいるものの、登城道の下には帯曲輪のような地形がしっかり残っていました。
そして主郭と二の郭を分けるように大堀切があって思わず「お~」と声が出てしまいましたw
そして主郭まで登ってみると、小さな神社があって、そんなに敷地自体は広くはないが櫓台のような高まりや土塁がしっかり残っていて、思ってた以上に良好に遺構が残っていました。
土塁の一部が凹んでいたのですが、おそらく大堀切の上を木橋が架けられていて二の郭と行き来出来るようになっていて、凹んでいる部分がおそらく門があったのかなぁなんて想像を巡らせる事が容易に出来ます。
どこへ行くにしても、正直行ってみないと実感なんて湧かないものなのですが、やはり行ってみないとわからないもんですね。
予想以上の収穫といいますか、一日の最後に充実感を得ることができた、そんな大原城跡でした。
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2019/05/05 23:25
本丸よりも狼煙台のほうが魅力的。 (2019/05/04 訪問)
狼煙が春日山から良く見えるように,眺望も開けています。8月の謙信公祭では“狼煙あげ”が行われますので,興味のある方はぜひどーぞ。
標高:143m,比高:約35m。登城口は,三の郭に通じる南東側登城口と,本丸から狼煙台の間の鞍部に通じる東側登城口がメジャーです。西側から尾根伝いに攻めるタフなルートもありますが,もうこの季節はおすすめしません。
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2019/05/05 22:50
2019/05/05 22:07
楠木正成について学べる (2019/05/05 訪問)
連休で最寄りの駐車場が満車だったので、金剛山ロープウェイ乗り場近くの府営駐車場に停めて、バスで二停下った金剛山登山道バス停で降りて、約600段の階段をひたすら登りました。(バスは2バス会社運行しているので、金剛山登山道口とロープウェイ間はそこそこ本数もありました。)金剛山登山客はものすごく多いのに、千早城跡を目指す人はほとんどいませんでした。帰りは裏道からまつまさ方面に下山し、名物の棚田米プリンをいただきました、あっさりしていて、喉越しも良く美味しかったです。
帰りに大阪府で最初に出来た道の駅、道の駅ちはやあかさかに寄り、地元の野菜とお米で出来た絶品カレーをいただきました。ものすごく可愛らしい道の駅です。
その道の駅に隣接する千早赤阪村立郷土資料館では説明員の方の詳しい解説により、楠木正成や千早城についてしっかりと学ぶことが出来ました。おかげで千早城跡見学が充実したものになりました。
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2019/05/05 22:03
天然の要塞城 (2017/09/24 訪問)
日本五大山城、日本五大山岳城にも数えられている。
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2019/05/05 22:03
2019/05/05 21:57
栃木はかんぴょうだけじゃなくて生姜も名物だった!? (2019/04/21 訪問)
皆川城の帰りに寄りました。
小さな公園で、公園内と少し離れたところに説明板がありました。埋め戻されていますが発掘調査で障子堀が見つかったのだそうです。
すぐ近くの「岩下の新生姜ミュージアム」がインパクト強すぎでした。
入場無料ですし、栃木城とのセット訪問を全力でおすすめします(^^)
栃木城と西方城(←今日行った)の中間に「合戦場」という駅がありました。宇都宮氏と皆川氏が戦った(1523年、河原田の戦い)ところで、近くに合戦場郵便局や合戦場小学校もあり、升塚が残っているそうです。
合戦場小学校って、運動会の騎馬戦とかすごく盛り上がりそう!
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2019/05/05 21:27
2019/05/05 21:08
天然の地形を利用した寺内町。 (2019/05/05 訪問)
初めて小浜宿に行って参りました。
「おばま」ではありません。「こはま」と読みます。
明治時代以降に宝塚温泉街に賑わいが移るまで、ここが宝塚で一番賑わった場所でした。
西宮街道、有馬街道、京伏見街道が合流する交通の要衝であり、江戸時代には宿場町として明治時代まで大いに栄えた小浜宿ですが、そのルーツは16世紀前半までに成立していた浄土真宗(一向宗)門徒による寺内町に由来します。
小浜の寺内町は周辺よりも高くなった台地上に寺内町を展開するといった風に、地形を巧みに利用した町で、今でも大堀川沿いにその面影を見ることができます。
但しこの大堀川、何と人口の堀なんだとか。
道理で流路が自然っぽくないわけだ。
かなりの大規模な土木工事だったことでしょう。宗教の力、恐るべし。
そして北、西、南側をその大堀川がぐるりと巡り、東側には土塁と堀が守りを固めていたといい、東門跡周辺に僅かながらその跡が残っています。
また、北門跡には現在国府橋が架かっていますが、これは明治時代以降に架けられたもの。
本来は、小浜に北から入るには細く狭い『いわし坂』を通らなくてはならず、この辺りの大堀川はさながら深い谷のようです。
なるほど、所謂『小浜城』と呼ばれるわけです。
小浜の寺内町の中心は、小浜御坊の別名を持つ毫摂寺です。
このお寺の出身の娘が、後に豊臣秀次に見初められ側室として嫁ぐ小浜の方ですが、例の秀次事件によって六条河原で一族もろとも処刑されてしまいます。そしてその件に連座して小浜の町は焼き討ちされてしまうという、実に血生臭い歴史があるのです。
寺内町から宿場町への転換期はこのあたりからかもしれません。
元々交通の一大拠点で賑わっていたし、秀吉が有馬へ湯治に向かう途中に千利休に茶を点てさせた話もあるほど良質な水が豊富だった事もあり酒造りの名所としても知られていたそうです。
平和な世の中になり、いつしか物々しい防御の必要性は薄れていったことでしょう。
今は年月の経過と共に古い建物は姿を消してゆき、阪神大震災によって甚大な被害を受け、当時の面影はすっかり薄れてしまいましたが、町割りと町名は当時のまま。
当時の賑わいに想いを馳せながら歩くのも良いものですよ。
…なんか、『小浜城』じゃなくて『小浜宿』のレポートになってしまいましたねw
あ、マイカーで訪れるならば『旧和田家住宅』近くのコインパーキングが安いしオススメですよ。
但し道が結構狭いので、くれぐれも通行には気をつけて。
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2019/05/05 19:57
2019/05/05 15:43
2019/05/05 14:27
2019/05/05 14:15
こどもの日 (2019/05/05 訪問)
隣接する真田神社の御朱印をいただくのに30分ほど待ちます。
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2019/05/05 14:10
2019/05/05 14:05
県庁が城址 (2019/05/02 訪問)
県庁になった城址なので特に見る所は無いようです。
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