柏原陣屋から丹波篠山市の東に大渕地区へ初めて行きました。
土居の内の路上に駐車して、住まれている方に一声かけて周囲を探索しました。
ここは畑氏屋敷跡で、今も畑さんの住居になっており、県指定史跡であります。
南側が土居の遺構が綺麗に残っていて感動しました。
お庭の中に立派な石碑があります。お住まいの方から祖父が建てられたと聞きました。
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2020/01/11 14:47
2020/01/11 14:26
勝間田氏の城 (2020/01/11 訪問)
見所は東尾根の5重の連続堀切だと思います。各曲輪には標識があり、その他の堀切や土塁、切岸もわかりやすかった。建物跡の礎石も復元されています。
駐車場から城址まで舗装された道が続いています。駐車場にはきれいなパンフレットが置いてありトイレもあります。駐車場からガードレールなどに案内があります。竪堀に枯れ木などが堆積していてよく見えない所もありましたが、城址は概ね整備されていて散策しやすかった。パンフレットには井戸跡も発掘されたとありましたが、どこにあるのかわかりませんでした。ただ少し奥へ入ると猪の排泄物と思われるものを2か所で見つけました。三の曲輪には猪用と思われる罠も置いてありました。
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2020/01/11 10:45
サタデーナイトフィーバー (2019/12/29 訪問)
高知バスセンターにてG6~G9方面行のバスにて学校分岐バス停下車、すぐ前に岡豊(おこう)城の入口になります
博物館が休館なのは知っていたので、そのまま城域に・・・登城口に建つ長宗我部元親像がサタデーナイトフィーバーを彷彿させて思わず笑ろてしまいました(爆笑)
おかげでこの後ずーっと脳内にサタデーナイトフィーバーの音楽がループwww
肝心のお城は思っていたよりは高低差が大きく、でも規模はそこまで大きく無かったです
河後森城同様曲輪がメインのお城ですが、石積みが比較的多かったのが印象的
竪堀や堀切も少しありましたが、道の整備がされているのに反して遺構部分が草ボウボウだった為に見辛かったのがちょい残念
決して評価が低いお城では無く、むしろ続100名城として及第点のお城なんですが・・・遠くからここだけを見に来るにはちょっと物足りなさがあります。。。が、高知に高知城があるので、セット訪問すれば満足出来る事間違い無しです
(自分は高知城訪問済&桂浜訪問優先した為、今回は高知城はスルー・・・なんて贅沢なww)
ネットのガセ情報で博物館休館の時期でも遺構のどこかに続100名城スタンプあると確認していたものの、結局どこにも無くて再訪を余儀なくされました・・・でも高知、また来たいと思える程見たい場所多く、そんなに落胆はしなかったのは自分でも驚きです(・ω・;)
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2020/01/11 10:13
1つ1つの遺構が素晴らしい!興国寺城🏯 (2020/01/03 訪問)
遺構度→★★★★☆ 復元度→★★☆☆☆
施設充実度→★★★★☆ 楽しさ度→★★★★★
北条早雲が初代城主を務めたと言われている興国寺城に行ってきました!
北条、今川、武田という戦国3大名から争奪戦を受けている為、多くの改修が施された城です。
遺構は天守台、石垣、土塁、空堀等が残っていました。
とても1つ1つの遺構の質が良くびっくりするほどでした!
特に空堀はとても天守台から見ても素晴らしいのに、空堀に降りることが出来、そこから見ると深さと幅が更に強く伝わって来て圧巻です!
冬場で雑草などの草などが少なく見易かったという面もありますが、とても元になっている遺構が立派でダイナミックでした!
面積があまり広いというわけではないので短時間で見ることが出来るというのはとても良い点です!
しかし質の良さは1流ですが、あまり量が多くないというところが少し残念でした。
あれもう見終わったの!?というレベルです。遺構の質が良い為に何かもったいない気もしてしまいますが、質が良い為見ていても飽きないので質の良さが量をしっかりとカバーしていると思います。
駐車場はとても広い為車でも行きやすいと思います!
スタンプは24時間いつでも押せると思います。スタンプも押しやすく、インクもしっかりありました。
上でも書いた通りあまり面積は広くないので1時間は要らないと思います。
整備されていて登りやすいですが、土が剥き出しになっているところも多少あるので雨が降った後は注意してください。
遺構の質を求める人や土の城を味わいたいという人にはオススメです!
ぜひ行って見てください!
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2020/01/11 06:25
敵に塩を送る (2019/07/31 訪問)
松本の新春の伝統行事「松本あめ市」が、11日 、12日に開催されます。
諸説あるようですが、この「あめ市」、同盟関係の悪化に伴い今川家より塩止めされた、武田信玄に対して、長年敵対関係にあった上杉謙信からの塩が、武田領内の松本に届けられた事に始まった「塩市」が、その起源とされています。
現在の令和まで400年以上も続いていることが、驚きでもあり、素晴らしいことですね。故事にもなった「敵に塩を送る」、松本に塩が届いた日に因み、1月11日は「塩の日」になっています。文禄時代(1593~4年)に建てられた現存する木造天守の松本城と共に末長く後世まで、伝え残してもらいたいですね。子供の時、初めて見て感動した松本城は、今見てもやっぱり、カッコいいよね。
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2020/01/11 00:11
2020/01/10 23:41
2020/01/10 23:40
続日本100名城の7城目 & 東美濃の山城周遊スタンプラリーの3城目 (2019/03/12 訪問)
続日本100名城の7城目 & 東美濃の山城周遊スタンプラリーの3城目(フルコンプ!)
ブログ1: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42983684/
ブログ2: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42987091/
ブログ3: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42990892/
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2020/01/10 23:30
2020/01/10 23:16
東美濃の山城周遊スタンプラリーの2城目 (2019/03/10 訪問)
東美濃の山城周遊スタンプラリーの2城目。 登城&スタンプ。 岩村歴史資料館閉館で2日連続通い。
ブログ1日目: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42973869/
ブログ2日目: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42978132/
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2020/01/10 23:02
2020/01/10 22:51
諏訪原城から高天神城を攻め上がる (2020/01/10 訪問)
距離にして20km。諏訪原城から高天神城を攻めた。道中、高天神城に近くなると峠はあるが、さほどではなく、むしろ現在の菊川市中心部を通る事の方が気になった。ただ、「高天神城攻防城砦図」を見ても、諏訪原城から高天神城への道中、特に城や砦が無く、朝立てば昼には着いたかなとも思う(笑)さて、二回目の高天神城。北遠の山城を見てまわってきた影響からか、標高は高く感じない。良く言われる高天神城西側緩斜面も明らかに弱点だとわかる。井戸曲輪を挟んだH型の尾根形状。岩で堅く、弱点の西側尾根を切り捨てれずに必死で守ったのもわかる。それはさておき…今回気が付いたのは、加藤先生が講演会おっしゃっていた、本丸へ続く尾根の厳しさだ。現在の山道の横にひっそりと残っていた。きっと当時は現在の山道は無く、人一人がやっと通れる幅で、当時は岩山剥き出し状態。敵は、厳しい尾根を這うように本丸へ向かう途中、無残にも石でも投げられ、崖底へ落ちたのだろう。。。さらに、この城では「高天神城の六砦」が、凄く有効的だったと想像される。高天神城と砦の位置関係が抜群に良いように感じた。今回も北側駐車場から攻城したが、次回は南側や、西側緩斜面からの攻城に挑戦してみたい。
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2020/01/10 22:37
2020/01/10 22:10
後ろ堅固の城 (2020/01/10 訪問)
二回目の攻城。今回は、西向き扇城の最南端にある二の曲輪東内馬出付近の勉強をテーマにのぞんだ。二の曲輪東内馬出は土塁もあり非常に堅固な馬出しだが、そこから外側に張り出すように作られた、ニの曲輪南馬出及びニの曲輪東馬出については土塁もなく、まさに「戦の最前線、特攻隊の曲輪」だ!特に、東側は断崖絶壁であるニの曲輪東馬出については、ニの曲輪東内馬出からの土橋は一人がやっと通れる幅の崖の尾根で、今日では立ち入り禁止となっているが、ニの曲輪東内馬出から意を決っして東馬出しに突撃していったであろう勇ましい武士達の姿が浮かび上がり武者震いが起きる。土塁がない狭い曲輪である南馬出しや東馬出しからは、多くの鉄砲弾が出土されており、激しい戦の跡が伺える。後ろ堅固城、扇城に対して、敵は正面からは来ない。扇の端部から攻めてくるのが自然な考えであり、防御・攻撃の施設が端部にある理由も、ただ諏訪原城は、後ろ堅固城の陣営であるが、他の有名な山城に比べると、後ろが断崖絶壁とまでは言えず、攻め上がろうとすれば攻めれたであろう地形だ。したがって扇の要、本曲輪の後ろにも内堀があるのが面白い。この城は、旧東海道沿いにあり、「来るなら来い」的な城だったのではないかと感じた。
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2020/01/10 20:37
令和2年初の登城詣で (2020/01/10 訪問)
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
本日浜松城二の丸北下段駐車場の北側に在るホテルコンコルド浜松で新年会が有りましたので新年会終了後令和2年初めての登城として浜松城に登りました晴天西日に付き日の当たる面を撮影。
登城後秀忠公の産土神社である五社神社を初詣、国宝の五社神社、諏訪神社各本殿は昭和20年の空襲で焼失し戦後市民の力で五社、諏訪併せて再建し現在に至っています、勿論徳川家康公も祀って有りますので往時の参勤交代の行き帰りには各諸侯参拝を欠かせ無かった様です。
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2020/01/10 19:27
阿木城 (2019/12/15 訪問)
【阿木城】
<駐車場他>登城口前に3台程度あり。
<交通手段>車
<見所>堀切・竪掘り・曲輪
<感想>日帰り御城印5城分購入の旅1城目。御城印購入する岩村城に近く、ここも御城印が頂けて、整備が良いということで来城した。登城口は城跡東側の道路沿いにあり、阿木駅からも案内があるのですぐわかるかと思います。
山城扱いにはなっていますが、比高はそれほどなく、ハイキング感覚で行けます。堀切の下や竪掘り近くまで見るにはトレッキングシューズが必要です。
城跡はかなり広い円形の主郭に帯状の腰曲輪があり、主郭部分は10㍍程の切岸になっている。腰曲輪の一部が広い削平地で二の曲輪がある。二の曲輪を含む腰曲輪の下のほうは山の形状に沿って堀切・竪掘り・曲輪等がある。
存在する遺構部分はちょうどいい感じに間伐されており小さい城跡ながらも非常に見応えあり綺麗にしていました。御城印・パンフレットを作成したり、絶えず整備をされている地元の方の気持ちが伝わりました。
見終わって車に戻った時にちょうど地元の整備されてる方が防獣柵の搬入をしていたのでお話しできました。
<満足度>◆◆◆
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2020/01/10 17:55
正覚寺合戦 (2019/12/14 訪問)
平安初期に空海の開基による正覚寺を戦国期に畠山政長が城砦化した城で、明応2(1493)年の正覚寺合戦で焼失、正覚寺も廃寺となりました。また、天正5(1577)年には石山本願寺攻めのため織田信長がこの地に本陣を置いたようです。
現在の旭神社が城跡で、境内の石柵で囲まれた巨木の脇に城跡碑が、その近くに旭神社誌がありますが、遺構は消滅しています。
旭神社から東北東に徒歩3分の東之坊は、正覚寺旧六坊のうち唯一現存しており、山門脇には「正覚廃寺の由来」の石碑が建てられています。
東之坊から東南東に徒歩1分のところには、畠山政長の墓所があります。畠山政長といえば応仁の乱の発端の一人として後世に大きな影響を与えた有名人…のはずですが、金網とブロック塀に囲まれた墓所は訪れる人影もなく(というか柵に鍵がかかっています)、何ともうら寂しい雰囲気でした。
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2020/01/10 15:57
2020/01/10 15:44
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