名鉄勝幡駅より徒歩10分。織田信長生誕の城と言われています。案内板と碑が2ヶ所にありました。遺構はありませんが、勝幡駅前にはも復元模型が展示されていて在りし日の勝幡城を見ることができます。
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2019/08/11 02:33
織田信長生誕の城 (2019/08/10 訪問)
名鉄勝幡駅より徒歩10分。織田信長生誕の城と言われています。案内板と碑が2ヶ所にありました。遺構はありませんが、勝幡駅前にはも復元模型が展示されていて在りし日の勝幡城を見ることができます。
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2019/08/10 23:59
吉田郡山城 (2019/08/09 訪問)
2019夏の広島〜山陰〜北陸城巡りの旅1城目。
広島バスターミナルからバスが出ていて、安芸高田市役所まで1.5時間ほど。
麓の資料館で予習した後、いざ登城。
道中では、蚊なのか小蝿なのか、とにかく虫が大量に寄ってきて大変でした。
やっぱり山城は夏を避けるべきですね。
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2019/08/10 23:05
神職の城 (2019/08/10 訪問)
尾張一宮駅もしくは名鉄一宮駅(建物同じ)より徒歩10分くらいの所にある三菱UFJ銀行一宮支店の前に碑と案内板があります。真清田(ますみだ)神社の神職関氏の城です。
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2019/08/10 23:01
信長の弟の城 (2019/08/10 訪問)
名鉄開明駅から徒歩5分くらいの所にある一宮市立開明小学校が跡地です。門を入った所に碑と案内板があります。ときどき学校内に案内板などがある城址がありますが、ハードルが高いですね。ここは門外からでも写真は撮れます。織田信長の弟で、近江宇佐山城で討ち死にした織田九郎信治の城です。
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2019/08/10 22:58
尾張浅井氏の城 (2019/08/10 訪問)
「かりやすか」と読みます。名鉄苅安賀駅より徒歩5分くらいの所にある自動車学校の前に碑があります。遺構はありません。尾張浅井氏の城です。
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2019/08/10 22:54
山内一豊生誕の城 (2019/08/10 訪問)
名鉄木曽川駅から徒歩にて登城しました。
山内一豊生誕の地と言われています。一宮市立黒田小学校付近が城址です。遺構はありませんが、石碑と案内板、山内一豊の銅像があります。
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2019/08/10 22:50
水攻め (2019/08/10 訪問)
名鉄「羽島市役所前」駅より徒歩にて5分くらいの所に羽島市歴史民俗資料館があり、その前に碑と案内板が建てられています。遺構はありません。小牧長久手の戦いのときに水攻めにより落城。関ケ原の戦いでも西軍に味方して落城しています。
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2019/08/10 21:53
勝連城 (2019/07/29 訪問)
晴天の中、素晴らしい景色でした。観光客も少なくゆったりと散策できました。
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2019/08/10 20:43
2019/08/10 20:36
さぞかし混雑すると思いきや・・・ (2019/07/28 訪問)
事前予約時に7/27に宿泊すべく宿がなかなか見つからず、エリアを広げてやっと見つけたのが福岡県甘木という所・・・
何か聞いた事ある場所だな?と思って確認したら、行っては見たいが在職中には行く事は出来ないかな?と思っていた秋月城への玄関口にあたる場所だったんですね。
と言う事で今回の行軍に秋月城も混ぜまして、甘木鉄道甘木駅前発の朝1のバスで秋月エリアへ。
秋月は小京都とされている事からバスも満席になると思いきや・・・最初から数人しか乗らず、降りる時には自分最後の一人でした(汗)
目的地の博物館前バス停を降りてすぐ人が少なかった理由はわかりました・・・お店や施設、まだ開店前だったんですねw(到着8:00頃w)
まだ涼しい時間帯だと思いきや、既に直射日光の厳しい気候・・・前日の目眩を思い出して慎重に日影を選んで歩き、水分補給もこまめに。。。
バス停からほぼ真っ直ぐ・500mくらい進んだ左手に秋月城の水堀と石垣・門等があります。
秋月城は現在その大半が秋月中学校の敷地となっており、遺構はこの中学校に利用されている石垣側面と長屋門と、更に奥にある神社の山門が黒門であるのが残っているだけの模様です。
が、それだけでも見学しに来た甲斐がありました。
ついでに黒田如水にゆかりのあるとされる日照院というお寺も参拝させて頂きましたが、こちらには特にそれを示すものは無く。。。更に武家屋敷にも足を運びましたが、やはり開館前と言う事で外見のみの見学で・・・結構な登り坂をこれまた湿度の高い中距離歩いた為、前日のようにならないかと戦々恐々してましたw
もう少し後の時間に来れば博物館も武家屋敷も入れたんですが・・・この日帰宅で予定も詰まっていたので、この辺で甘木駅に戻るバスを待つ事に。。。結局1時間ちょいしか滞在しませんでしたw
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2019/08/10 19:52
信長陣城 (2019/07/15 訪問)
【虎御前山城】
<駐車場他>登山口南側駐車場または展望台まで車で上がれる。
<交通手段>車
<見所>陣跡・竪堀・横堀・堀切
<感想>>日帰り浅井三姉妹お初ゆかりの城攻めの旅4城目。今日最後はお初ゆかりと言えば小谷城とおもいきや虎御前山陣城。まあ近いのでお許しを<(_ _)>。小浜城→佐柿国吉城の御城印取得→小谷城御城印取得→虎御前山に来た。虎御前山は南北に細長い山で、私は南の矢合神社麓の駐車場に駐車して登城した。登城されるなら南側山上の展望台まで車で行けるのでそこまで行った方が絶対にいいです。結果的に私は南の麓から登城し北の登城口へ下山して車まで戻ったので2時間以上たっぷり歩く歩く、おかげで虎御前山は制覇した満足感はあった。
陣跡は展望台の南側に蜂谷頼隆陣跡、展望台は田んぼアートが見られます。展望台北側に丹羽長重陣跡、ここからNTTの鉄塔までが古墳群になっている。そこから南から順に滝川一益陣跡→堀秀政陣跡→織田信長陣跡→木下秀吉陣跡→柴田勝家陣跡となっている。堀秀政陣跡手前に堀切、礎石建物跡とその横堀がありこの辺りから城跡っぽくなってくる。信長陣跡前後は曲輪も大きく、木もある程度伐採されているので見易い。最北に秀吉・勝家陣跡があり、秀吉陣跡は曲輪が上下の2段構造で、下段北側に方形の堀かざし堀なるものがあった。勝家陣跡は手入れがされてなかったので全然良く分からずです。北側は急斜面で勝家陣跡の山道を下ると県道265に出る。最北から木々の隙間から小谷山城がわずかに見えるが、葉の落ちた冬場の方が良いようです。
山城を攻める場合の対抗する大規模な山陣城の感じ、例えば鳥取城攻めの太閤が平や郡山城攻めの尼子氏の青三井山など、戦国時代の城攻めの雰囲気が少し味わえた。1日走行距離357㎞無事走破。
<満足度>◆◆◆
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2019/08/10 19:42
2019/08/10 19:35
2019/08/10 18:00
晴れ (2019/08/10 訪問)
保存館終わってたぽい
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2019/08/10 16:07
2019/08/10 15:48
其の弐、東門跡から礎石建物跡も絡めてグルリと探訪。 (2019/07/21 訪問)
粛々と続けさせていただきますm(_ _)m
南門跡を過ぎると、巨石がかなりゴロゴロしているのが見受けられます。元々高石垣が築かれていたのか、単に落石によるものか…。
この鬼ノ城は所謂『桃太郎伝説』に関連付けて語られることが多く、それによるとここは温羅(うら)という鬼神が本拠としていて、吉備の中山に陣を構えた大吉備津彦命と対峙したそうな。
そんな伝説とも相まって、どことなく人ならざるものの住処だったのではという雰囲気さえ漂います。
なお、『屏風折れの石垣』近くには『温羅舊跡』と刻まれた石碑が立っています。
少し小振りな東門跡を抜けて、また暫く歩くと通称『屏風折れの石垣』に着きます。
千年以上前の遺構とは思えぬ程立派な高石垣も見事ですが、その縄張と立地に注目してみましょう。城内には所々に出っ張りが設けられていますが、その方面に睨みを効かすべく造られたのでしょう(西門近くの角楼もおそらく同じ役割)。
また、ここから西門までの北半分は南半分と比べて造りが違うように見えます。
出っ張りもないし城門は小規模な北門の1ヶ所のみ。土塁も少し低いように思います。
これは南半分、即ち瀬戸内海方面を重視して築かれたことを示しているようです。
南方面に、脅威勢力となっていた『何か』が存在していたのでしょうか?それとも白村江の戦い後、唐や朝鮮の船団の襲来を想定したものだったのでしょうか?興味は尽きません。
北門跡を過ぎて礎石建物跡へ。
今でも発掘調査で見つかった礎石の数々をはっきり見ることが出来ます。確認されているだけで兵舎2棟、倉庫5棟がありました。礎石の大きさからも、それなりに太い柱を使用した立派な建物が建っていたと考えられます。
礎石建物跡からは城内側の道を抜けて鬼城山頂(狼煙台跡)へ向かうのですが、これがまたしんどかった…。足元もあまり良くないので、登山靴は必須でしょう(履いてきてて良かった…)。
またアップダウンも結構あったりするので、整備されているとはいえ、やはり山城。油断は禁物です。所々にマムシ注意とかスズメバチ注意とか書かれた看板もありますので、それなりの対策は必要でしょう。
西門に着くと日はすっかり傾いておりました。
所要時間は2時間。
さすがに正直、少し疲れました(笑)
しかし本当に見所満載です。
何で今まで行かなかったんだろうと軽く凹むぐらいに素晴らしいお城でした。
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2019/08/10 14:46
其の壱、復元西門から南門跡を探訪。 (2019/07/21 訪問)
皆様、暑中お見舞い申し上げますm(_ _)m
さて、やっとこさ来ましたよ!鬼ノ城!!
我が人生初の古代山城ですよ!!
この鬼ノ城、調査によって7世紀後半に築かれたことはわかっていますが、いったい誰によって造られたのか、その年代も目的も、いつ放棄されたのかさえ文献に記載が無いため全くわかっていない、文字通りの『謎の古代山城』なのです。
白村江の戦いや他の朝鮮式山城や神籠石式山城との関連性も含めて、千年以上前の古代ロマンを掻き立ててくれます。
高まる胸の鼓動を抑えつつマイカーで麓から登ること15分ほど。(途中に『鬼の釜』なるものもありますが、今回は時間の都合上スルー)
広い駐車場が整備されているのでそこでマイカーを停め、まずは鬼城山ビジターセンターで情報収集。
無料で展示を見学出来るほか、関係書籍を購入する事も出来ます。
また、鬼ノ城内にはトイレがないので、登城前には必ずここで済ませておく事を強くお勧めします!
そしていざ鬼ノ城へ。
整備された遊歩道を歩くこと10分ほどで『学習広場』へ。ここでは復元された角楼と西門、そして版築土塁を一望出来ます。
学習広場から少し歩いて、角楼を見上げながら土塁沿いに歩くと西門の前に出ます。
古代山城の本格的な復元建造物はここだけなので、もうそれだけでも見る価値があるってなもんです。
実質三階建て構造なので実に壮大です。柱や門扉などに付いた手斧の跡も素晴らしいです。高欄外側に付いた盾の独特な文様も目を引きます(本来は高欄の内側に付けるそうですが)。
…なお、内部は残念ながら建築基準法の関係で立入禁止です。
高さ約6mはあろうかという版築土塁はとても見応えがあります。鬼城山の山頂をぐるりと囲むように全長約2.8kmにわたって築かれており、城内の排水の為に造られた水門や4ヶ所の城門などの要所要所に石垣が築かれています。
そして、雨水や経年劣化などによる土塁へのダメージを軽減するために土塁の内外に敷石が築かれているのも大きな特徴です。
また、水門遺構も大きな見所の一つです。間近で石垣を観察できる第0~第2水門のうち第2水門以外は排水口を敢えて設けず、石垣の隙間を利用(?)して排水しています。
城内には現在6ヶ所の水門が確認されていますが、驚くべき事に、それらの水門は現在もしっかり機能しているのです。それも結構な水量を排出しているところもあります。
城内の水源の豊かさもさることながら、当時の築城技術の高さには本当に驚かされます。
だってこれ千年以上前の遺跡なんだぜ…?!
もちろん、城門の遺構も見逃せません。
西門以外の3ヶ所の城門は発掘調査の結果を受けて整備されており、礎石など加工の跡もよくわかります。
特に西門と同規模の南門跡については、実はこの南門こそが正門ではないかという説があります。
見所満載の鬼ノ城、スミマセン…まだ続きますm(_ _)m
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2019/08/10 14:38
晴れ (2019/08/10 訪問)
天守閣は風が抜けて涼しいっぽい
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2019/08/10 12:27
2019/08/10 10:35
晴れ (2019/08/10 訪問)
駐車場探したっぽい
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