かつやまじょう

勝山城

山口県下関市

別名 : 且山城、[勝山御殿]
旧国名 : 長門

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本丸表門石垣
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ぴーかる

勝山御殿跡 (2023/09/09 訪問)

【勝山御殿跡】
<駐車場他>駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅3城目。第38回 日本100名城、続日本100名城に負けない名城として特集されていた勝山御殿跡に行きました。今回の旅のプラン立案の後にいい場所があったのを見直して急遽プランに入れ込んだので山城の方の勝山城登城は今回は見送り、御殿跡を軽く巡りました。元々山城と御殿跡との関連はほとんど無いので御殿跡の方が城びと未登録なのですが、特集として紹介されているので、勝山城の「行った」ポチはせずに勝山城の投稿として(先達方もそういう方が多い)させていただきます。
 御殿跡を道路が分断して駐車場がありますので御殿跡には車を降りればすぐ行けます。本丸表の郭は南に大手口、東西に1か所づつあります。大手口の巨石を組んだ落とし積みと呼ばれる石垣は本当に圧巻で見惚れました。特集される名城なのに城びとフラッグが無い、実体感してみて再度城びと追加見直しが必要かと思われました。

<満足度>◆◆◆

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しんしんちゃん

「勝山御殿」 勝山城(山城)は「いつかの玉越」 (2019/12/30 訪問)

勝山城の投稿ですが、勝山御殿でお願いします。なんのこっちゃですが
勝山城と勝山御殿はまったく別の城で勝山城(山城)は訪問していないんですね。
出来ればこの城は分けてほしかった‥。勝山御殿は幕末、長府藩主毛利元周が
急ぎ築いた石垣造りの居館(府城)です。本丸を二段に分け北に御台所(居間)
を配し、南に大御書院などの主要機関を配しています。その下には二の丸を配して
いるようです。石垣は打込接と切込接の中間のようにも見えますが、カズサンさんが
書かれているように落し積みという技法を使っているようです。名工・石川延右衛門
の築いた石垣は長石を巧みに使った、なかなか味のある積み方で芸術性すら感じます。
色もなかなかにカラフルでヘビの鱗のようです。(褒めてます)山城の勝山城は
いつかの玉越でお願いします。正直いつになるのやら‥ サムデイ戦士いつかマンに
ならないように頑張ります。(宿題)

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にのまる

勝山御殿本丸玄関(覚苑寺へ移築) (2022/06/09 訪問)

2年半ぶりの帰省3日目は市内観光をしました。高校卒業と同時に上京したので記憶がその時代で止まっている場所もあり、いろいろ新鮮でした♪
スタートは城下町長府。長屋門や練塀の残る古江小路を通り長府毛利邸~功山寺~覚苑寺~乃木神社とまわりました。
覚苑寺の庫裡が勝山御殿本丸玄関の移築であるため勝山城(勝山御殿)に投稿いたします。明治初期の御殿解体の後に当地に移築されたのだそうです。勝山御殿は立派な石垣が残り2019年に国史跡に指定されています。
① 菅家長屋門
② 古江小路
③ 長府毛利邸入口
④ 長府毛利邸
⑤ 功山寺大内義長墓所
⑥ 功山寺長府藩主毛利家墓所
⑦ 功山寺高杉晋作騎馬像
⑧ 覚苑寺庫裡(勝山御殿玄関移築)
⑨ 乃木神社乃木希典夫妻像
⑩ 顔パネ

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カズサン

幕末石垣技術が残る勝山御殿 (2011/05/06 訪問)

 10年前の平成23年5月上旬、櫛崎城、長府城下町探訪を終えて今回の初登城目的の一つである勝山御殿を目指す、長府城下町からは北方約4km程、本丸西側の整備真新しい駐車場を利用。

 勝山御殿は外国船打ち払いによる四国艦隊との砲撃戦の対処で長府居館を一時覚苑寺に藩主避難するが三方を山に囲まれた田倉地区に文久3年(1863年)6月28日から築城を開始し翌年元治元年(1864年)2月1日には第13代長府藩主毛利元周が長府から移る。
 
 約7ヶ月の短期決戦築城と成りました、本丸は二段で前段が本丸表、政務の中心、奥段が本丸奥、藩主、家族の住まい、本丸の南側に石垣、虎口階段、西側に南西虎口と北西虎口が構える。
 南に二の丸、更に三の丸構えですが二の丸、三の丸には道路が通り遺構が破壊されたか維新までの時間が迫って居り充分な整備が出来なかったのか分かりませんが三の丸の虎口、階段、張出し防塁、南に城塁が残るのみ。

 石垣は綺麗に積まれ切込接ぎの様ですが落し積(交互斜め積)が用いられています、整備は訪問時の前年平成22年(2010年)完成の様子、案内板、説明板が2010年と成って居ました。
 勝山御殿の周りに山城3城紹介登城口案内板が有りましたが私の体力と興味関心点が少し合いませんので眺めるだけで終了。

 長年探訪を願って居た事が叶い大満足でした。

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城郭情報

分類・構造 山城、[陣屋]
築城主 永富嗣光[勝山城]、毛利元周[勝山御殿]
築城年 永和4年(1378)[勝山城]、文久3年(1863)[勝山御殿]
主な城主 永富嗣光、内藤氏、大内義長、入江箸親(毛利氏家臣)[勝山城]、毛利氏[勝山御殿]
廃城年 不明[勝山城]、明治6年(1873)[勝山御殿]
遺構 曲輪、石垣[すべて]、堀切、竪堀[勝山城]、御殿跡[勝山御殿]
指定文化財 国史跡(勝山御殿跡)
再建造物 説明板[すべて]
住所 山口県下関市小野(地図は勝山城を示す)
問い合わせ先 下関市総務部勝山支所
問い合わせ先電話番号 083-256-2001