かつやまじょう

勝山城

山口県下関市

別名 : 且山城、[勝山御殿]
旧国名 : 長門

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織田晃司

御殿と山城 (2020/08/09 訪問)

勝山御殿と勝山城は隣接してますがまったくの別物です。
勝山御殿は気軽に散歩感覚で行けますが
勝山城はほぼ登山。「天狗の岩屋」から先の傾斜はキツいです。

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にのまる

祝・国史跡(勝山御殿) (2020/01/03 訪問)

勝山御殿は昨年、国史跡に指定されました。
色褪せた看板は以前のままでしたが、「㊗️国史跡」の大きな横断幕が掲げてありました。
見渡す石垣全てが当時のままというわけではなさそうですが、とても気持ちのいい公園です。

お殿様の引越しだ!と領民総出でわずか半年で築いた御殿は、曲輪を囲う石垣も見た目の美しさは二の次で、とにかく急いで積み上げたんだろうなという感じです。
一方で、枡形の大手口や、緩やかなカーブに横矢のかけられた石垣は、少し離れたところから見ると、防備の面だけではなく、藩主御殿の表玄関としての見た目にも拘ったのではないかと思うくらい美しいです。

そしてどうしても気になるのが、後背に聳える勝山城です。大内氏最後の城と考えられている勝山城は勝山三山の真ん中で、御殿跡の裏からハイキングコースを50分とのこと。今回は写真⑦のところまで行ってみました。

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勝山御殿 (2019/09/20 訪問)

 勝山御殿と言われている城址は幕末に築かれたもので石垣など残り整備されています。背部の勝山などには中世城郭がありますが、時間の関係で今回は行けませんでした。

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トーダイ

約2時間の登山です (2017/11/17 訪問)

勝山頂上周辺は絶壁で要害の地、付近に山城の遺構である郭や櫓跡がある。
大永元年(1521)から大内家の重臣、内藤興盛が九州に対する備えとして在城した。
弘治3年(1557)3月、毛利元就に追われた大内義長が山口を棄て、内藤隆世と
ともに籠城した。毛利軍は攻略に手間どったため、矢文を放ち降伏を促した。
投降の勧告を受けた隆世は、主君義長の助命を請うため、一身に責を負い自刃した。
義長は、直ちに下城し長府の長福寺(功山寺)に入ったが、毛利軍に攻められ自刃した。
大内氏最期の山城、落城後、毛利元就が入江箸親を城番として置いた。(案内板@頂上近く)

勝山地区公園駐車場(20台)を利用、見事な石垣が残る勝山御殿跡を30分ほど散策する。

その後、勝山頂上へ登ると決めるが、2年前(今も?)はサイト情報が少なく、登城入口
(道路奥)の「勝山三山(青山、勝山、四王司山)登山マップ」と地形アプリだけで出発する。

約600m進むと勝山登山口(分岐点)<34.029288,130.974812>に着くが、登山マップ上の
「近道」が記されておらず、正しいか分からない。地形アプリを見ると正解と確認できるが、
頂上まで折線(登山道)が続いてない!

登山マップを信じ、地形アプリで確認しながら進むと、最初はハイキングコースで楽勝だったが、
坂道に変わり、岩場をロープを伝って渡り、石垣跡を楽しみ、急斜面をロープを手に登り、
約30分で頂上(主郭)に辿り着く。要所の道標で迷わないが、少しキツイ登山道です。

頂上周辺の土塁・曲輪群など確認後、時々ロープを手に下り、出城跡・ひとやすみ展望台を
経由して駐車場へ戻るが、約2時間の登山です。

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城郭情報

分類・構造 山城、[陣屋]
築城主 永富嗣光[勝山城]、毛利元周[勝山御殿]
築城年 永和4年(1378)[勝山城]、文久3年(1863)[勝山御殿]
主な城主 永富嗣光、内藤氏、大内義長、入江箸親(毛利氏家臣)[勝山城]、毛利氏[勝山御殿]
廃城年 不明[勝山城]、明治6年(1873)[勝山御殿]
遺構 曲輪、石垣[すべて]、堀切、竪堀[勝山城]、御殿跡[勝山御殿]
再建造物 説明板[すべて]
住所 山口県下関市小野(地図は勝山城を示す)
問い合わせ先 下関市総務部勝山支所
問い合わせ先電話番号 083-256-2001