くしざきじょう

櫛崎城

山口県下関市

別名 : 串崎城、雄山城、長府城、長府陣屋
旧国名 : 長門

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

にのまる

202年城初め (2024/01/01 訪問)

城納め翌日の城初めです。
隣接する病院の面会時間の隙を見てダッシュ💨してきました。

高台によみがえった天守台はここが城跡であったことを教えてくれます。

海峡を見つめる鯨はここに水族館があったことを懐かしく思い出させてくれます。

海岸の波しぶきは源平の時代へと誘ってくれます。

大手口の野面積石垣は激動の時代を乗り越えてきた力強さを感じさせてくれます。

故郷はやっぱりいいなぁとしみじみ思い、また、今年一年穏やかに過ごせますようにと祈念しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

毛利秀元が改修して入城。住宅地に現存石垣が残る。 (2019/12/31 訪問)

櫛崎城は関ヶ原の合戦の際に西軍の総大将であった毛利輝元に代わって南宮山に陣を構えた毛利秀元が改築した城です。戦国期は大内氏の家臣の城でしたが関ヶ原の合戦後に西軍に積極的に関与したとして毛利氏が減封された際に秀元が長府藩五万石の居城として入城しました。まもなく元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となったため秀元は三の丸の位置にある豊浦高校のあたりに居館を構えて藩庁としたとあります。関見台公園には天守台と石垣が復元され、公園から住宅地にかけて石垣が現存しているようです。現存石垣には石碑が残り民間のものと見られる建物が建っているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

櫛崎城 (2023/09/09 訪問)

【櫛崎城】
<駐車場他>関見台公園駐車場 無料数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>現存石垣・復元天守台
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2城目。現地説明板によると櫛崎城は戦国時代に大内氏重臣の内藤隆春が築城したとされています。関ヶ原合戦後に長門国を与えられ山口城に居城していた毛利秀元が内分分地5万石という形でこの地に移り、城を改築城し名称を雄山城として支藩の長府藩主となります。一国一城令によって城は廃城となり秀元は山麓居館に移ります。幕末には館は内陸に勝山御殿を築造し移り住み、城跡は砲台として利用されます。
 城跡は丘城で山頂付近から復元石垣、山頂に復元天守台があります。本丸跡に積み方の違う石段や天守台下部の一部に積み方の違う石垣が見られるので当時の遺構かと思われます。また山の北麓西面に当時の高石垣が残され(山頂部分は民家となっています)かなり見応えがあり、なかなかの遺構かと思います。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

毛利秀元の城 (2023/07/15 訪問)

串崎城と海峡メッセ下関で行われた50周年記念事業講演会に行ってきました。
時間の関係で本丸のみの訪問でした。
串崎城は、関ヶ原本戦の2年後の1602年に毛利秀元によって築城され、僅か13年後の1615年に一国一城令により廃城となり、その後は城の西側に居館を構え幕末まで「長府陣屋」として支配しましたね。
また、二ノ丸に船手組屋敷や煙硝倉を置いていました。
現在は、かなり住宅が建ち並んでいます。
「御城山絵図」は1858年当時の城の現状を記録したものです。
現地で地形や残存する石垣を見てみるとよく似ており、串崎城の縄張りがよく解りました。
海に突き出た台地全体が地域で、南北と東の海に面した箇所は断崖絶壁で、残る西は薬研掘になっており、更に石垣によって囲まれています。
3箇所の虎口、西側には8mの高石垣を築いて、北端部に内枡形の松崎口という虎口が有りました。
海岸に開く浜ノ坂口という虎口が有りました。
南端には、三軒屋口という海岸に通じる虎口が有りました。ニノ丸の海側に詰ノ丸があり、その反対側には西ノ檀が有りました。
西ノ檀は、2つの曲輪で構成され、南側曲輪は細い尾根状の曲輪で搦手口を挟んで本丸と接し、その北端部には建物が建っていました。
最南端が本丸で、その北西隅に天守を配置して北東部には搦手口が有りました。
串崎城は、関ヶ原本戦直後の緊迫した状況下で築かれました。
毛利秀元は、吉川広家や安国寺恵瓊と南宮山の麓で陣を構えていましたが、徳川家康との間で領地安堵の密約が出来ていたので、大坂城にいた毛利輝元と共に全く動きませんでした。
東軍勝利後、領地安堵の密約は反故にされ結局周防国と長門国の2国だけになりました。
下関海峡の対岸には、黒田長政(肥前国)、細川忠興(豊前国)らの関ヶ原合戦に於いて東軍に属した諸大名が配置されていました。
そこで、毛利輝元は国境の城の築城が急務と考えて、領国の防衛体制構築を急いだのですね。
毛利氏領国の西端に位置する串崎城は、下関海峡や瀬戸内海に睨みを利かせて、主に九州方面からの攻撃に備える役割を担っていたと考えます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城、海城
築城主 稲村景家?、厚東氏内藤隆春
築城年 天慶3年(940)?
主な城主 内藤氏、毛利氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣
再建造物 石碑、天守台
住所 山口県下関市長府外浦町1
問い合わせ先 長府観光協会
問い合わせ先電話番号 083-245-0595