くしざきじょう

櫛崎城

山口県下関市

別名 : 串崎城、雄山城、長府城、長府陣屋
旧国名 : 長門

投稿する
天守台
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

朝田 辰兵衛

下関でくじらも見に行きました🐋 (2024/06/21 訪問)

櫛崎城から見えるくじらは「くじら館」で,現在は閉鎖中。モニュメントとして活用されているとのこと。櫛崎城の眺望に,いいアクセントとなっています。
天守台のある公園の北側には,石垣遺構が遺っており,碑とパネルが設置されています。ただし,撮影時は注意です。石垣の上に民家が建っていますので…。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

202年城初め (2024/01/01 訪問)

城納め翌日の城初めです。
隣接する病院の面会時間の隙を見てダッシュ💨してきました。

高台によみがえった天守台はここが城跡であったことを教えてくれます。

海峡を見つめる鯨はここに水族館があったことを懐かしく思い出させてくれます。

海岸の波しぶきは源平の時代へと誘ってくれます。

大手口の野面積石垣は激動の時代を乗り越えてきた力強さを感じさせてくれます。

故郷はやっぱりいいなぁとしみじみ思い、また、今年一年穏やかに過ごせますようにと祈念しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

毛利秀元が改修して入城。住宅地に現存石垣が残る。 (2019/12/31 訪問)

櫛崎城は関ヶ原の合戦の際に西軍の総大将であった毛利輝元に代わって南宮山に陣を構えた毛利秀元が改築した城です。戦国期は大内氏の家臣の城でしたが関ヶ原の合戦後に西軍に積極的に関与したとして毛利氏が減封された際に秀元が長府藩五万石の居城として入城しました。まもなく元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となったため秀元は三の丸の位置にある豊浦高校のあたりに居館を構えて藩庁としたとあります。関見台公園には天守台と石垣が復元され、公園から住宅地にかけて石垣が現存しているようです。現存石垣には石碑が残り民間のものと見られる建物が建っているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

櫛崎城 (2023/09/09 訪問)

【櫛崎城】
<駐車場他>関見台公園駐車場 無料数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>現存石垣・復元天守台
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2城目。現地説明板によると櫛崎城は戦国時代に大内氏重臣の内藤隆春が築城したとされています。関ヶ原合戦後に長門国を与えられ山口城に居城していた毛利秀元が内分分地5万石という形でこの地に移り、城を改築城し名称を雄山城として支藩の長府藩主となります。一国一城令によって城は廃城となり秀元は山麓居館に移ります。幕末には館は内陸に勝山御殿を築造し移り住み、城跡は砲台として利用されます。
 城跡は丘城で山頂付近から復元石垣、山頂に復元天守台があります。本丸跡に積み方の違う石段や天守台下部の一部に積み方の違う石垣が見られるので当時の遺構かと思われます。また山の北麓西面に当時の高石垣が残され(山頂部分は民家となっています)かなり見応えがあり、なかなかの遺構かと思います。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城、海城
築城主 稲村景家?、厚東氏内藤隆春
築城年 天慶3年(940)?
主な城主 内藤氏、毛利氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣
再建造物 石碑、天守台
住所 山口県下関市長府外浦町1
問い合わせ先 長府観光協会
問い合わせ先電話番号 083-245-0595