辺りは、なだらかな低い山と田んぼが入りくむ地形。背後の低い山に土塁、掘を作って一方の守りとしている。
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2020/01/15 19:07
田んぼの中に浮かんだ島のようなので別名 中島城 (2020/01/12 訪問)
辺りは、なだらかな低い山と田んぼが入りくむ地形。背後の低い山に土塁、掘を作って一方の守りとしている。
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2020/01/15 18:40
まぼろしの篠原城? (2019/12/07 訪問)
本当に行けたのか不安な「篠原城」です。
北条氏の家臣、金子出雲さんのお城で「小机城」の支城の役割もしていました。
グーグルで検索して「目的地周辺です」と言われても近くでしょうが、違うような気がします。
住宅街から舗装されてない道を上がりました。
「篠原城」を囲うフェンスは見つけましたが「篠原城址緑地」の掲示板が見つけられません。
新横浜プリンスホテルが見えました。ちょっと角度が違うような、、、。
グーグルよ、私の方向音痴をなめてはいけません!
グーグルよ、ここは、どこなのだ~~??
雨も降っていたので退陣です。
広い「篠原城」のどこかにお邪魔した事にします。
調べてみたら「篠原城と緑を守る会」の方々が大切に管理してました。
ありがとうございます!
私が行った一週間前に、篠原城お城巡り「古道を散策」という素敵なイベントがあったそうです。
実に、トホホな城攻めでした。
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2020/01/15 17:26
2020/01/15 12:19
今福砦(大阪市城東区) (2020/01/05 訪問)
今福砦は、大坂冬の陣に際して大坂城の防衛のために築かれた砦で、低湿地に三か所の堀切と四重の柵を巡らせ、大野治長家臣の矢野正倫、飯田家貞を守将として徳川方の佐竹義宣との今福・蒲生の戦いの舞台となりました。
現在の若宮八幡大神宮付近が推定地とされますが、境内に佐竹義宣本陣跡としての石碑や説明板があるだけで、遺構は消滅しています。
また、若宮八幡大神宮から東に徒歩6分の三郷橋稲荷神社のあたりが今福・蒲生の戦いの戦場だったようで、石碑と説明板が設置されています。
…ということで、大坂の陣史跡めぐり第7回でしたが、今福・蒲生の戦いは前回の鴫野の戦いとも関連しており、当初は佐竹隊が優勢だったのが、木村重成と後藤又兵衛の援軍により形勢逆転、鴫野砦を制圧した上杉隊に支援を求め、上杉隊が合流したことにより態勢を立て直した、というもので、真田丸の戦いと並ぶ冬の陣の激戦地だったようです。そういえば、大河ドラマ「真田丸」でも後藤又兵衛が堤の上で戦っている姿を見たように思いますが、あれはこの地での戦いのシーンだったんですね。
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2020/01/15 06:50
明智光秀の城 (2020/01/11 訪問)
大河ドラマの影響で訪問者急増が予想される福知山城
人混みを避けたいならば、できるだけ早く訪れるのが吉
というわけで、急いで訪問することにしました。
5:30に自宅を出発、東名阪-新名神-名神-京都縦貫-舞鶴若狭道と走って、福知山城公園駐車場に到着したのが8:30でした。
10年前に訪れたときは有料だったこの駐車場ですが、何と無料になっていました。
さらに、駐車場周辺には、以前なかった、土産物店や飲食店ができていました。
20分ほど車内でYouTubeを見てすごし、9:50ごろ登城しようと車外へ出たところ、紳士に声をかけられました。
なんと、1月4日(土)NHK総合テレビ放映された「あなたも絶対行きたくなる!日本最強の城 明智光秀スペシャル」に出演された方で、四季折々の福知山城を撮り続けているアマチュアカメラマンでした。
しばらく、話をしてから、いざ登城!
この日から1年間、2階で「福知山光秀ミュージアム」が開催されます。
14:00に開館式が行われるので、関係者が準備に走り回っておられました。
福知山城は丹波国を平定した明智光秀によって築かれた城です。
天守は1985(昭和60)年に復元されたもので、福知山市郷土資料館の施設となっています。
大天守と小天守が連立し、続櫓でつながっています。
福知山城の石垣には、転用石と言って、墓石や灯篭などの石造物を利用しているものがあちらこちらで見られます。
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2020/01/15 04:40
仁科五郎、奮戦し玉砕す。壮絶な攻防戦の城 高遠城跡 (2018/09/30 訪問)
高遠城は江戸時代、高遠藩の藩庁として、明治維新まで存続したので、もっと近世城郭風に改修を受けているのかと想像していたのですが、思いのほか、戦国時代の山城のままの雰囲気でした。
高遠城は、織田信忠を総大将とする大軍の攻撃を受けました。時の城主は、武田勝頼の弟仁科五郎盛信。
木曽義昌の裏切りに始まり、次々と城を捨て、あるいは織田軍に降っていく、信濃の武田家の武将、しかし、仁科盛信は、10倍を超す大軍を相手に奮戦、激闘の末に落城、自刃しました。
寄せ手も、大将の織田信忠が自ら陣頭に立ち、指揮を執ったとされる猛攻でした。
織田軍は、無人の境を進むがごとく、ほとんど無抵抗のままに甲州に侵攻しますが、わずかに一矢を報いた、高遠城でした。
江戸時代は、譜代の小大名が入り、絵島事件で有名な絵島を預かっています。
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2020/01/14 22:17
十河・長宗我部攻防の地 (2020/01/04 訪問)
メインの引田城訪城後の勢いでtodo94さんがおっしゃるオードブルではないがランチタイム登山してきました。
城址は標高417m(比高302m私調べ)の虎丸山山頂部に築かれています。
山頂には曲輪や畝状竪堀群、山頂から延びる尾根上にも堀切などの遺構が残り、自然地形を活かした山城であったことがわかります。最近の調査では、畝状竪堀群は長宗我部氏が得意とした築城技術だったことがわかっています。畝状竪堀群の存在は、十河存保退去後も虎丸城が長宗我部勢に城として利用されていた可能性を示すものであると指摘されています。(案内板より抜粋)
虎丸山登山道は複数ある内、城址北側の県道129号より風呂地区の登山道を選択しました。
風呂登山口(34.223977,134.310460)周辺に2台程の駐車スペースがあります。
登山道は序盤は緩やかですが、沢沿いを離れた辺りから勾配がきつくなってきます。登山口より約50分程で山頂主郭部に辿り着きました。山頂部は広い削平地となっており、東側櫓台のような高まりに速玉大社が祀られ西側に小屋が建っており説明板とTigersの旗(虎に〇だから?)が掲げられています。説明板掲載の縄張図を参照し西尾根・南尾根を探索し堀切を確認、また主郭の北東下に畝状竪堀群と思われる遺構を認めてます。
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2020/01/14 22:08
武田の三日月堀が残る城 (2020/01/11 訪問)
武田氏によって改修されたと思われる三日月堀や横堀が見事に残っています。各曲輪は土塁で囲まれ、曲輪間は堀切で仕切られていて、コンパクトな城ながら、いろいろな技を使った防御が施されています。麓の誓願寺には片桐且元夫妻のお墓がありました。
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2020/01/14 21:25
細川幽斎の居城 (2019/09/17 訪問)
リニューアル前に行きましたが、写真栄えする建物で良かったので、投稿します。
ボリュームは軽めですが、イベントが多いので色々と楽しめる城だと思います。
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2020/01/14 21:04
多気山不動尊背後の山 (2020/01/11 訪問)
多気山不動の背後の多気山山頂に主郭があります。
もちろん不動尊に駐車場あり。
登城口から七曲りを登ると山頂部に遺構が残っています。
主郭は御殿平と呼ばれていて石碑が建っています。
見晴らしも素晴らしい 。筑波山が良く見えました。
曲輪や堀、桝形虎口も見ることができました。
本格的に見学すると結構な時間がいりそうな良い城でした。
近くには石で有名な大谷資料館もあります。
次の機会には行ってみたい。
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2020/01/14 20:45
土岐明智城(多羅砦)岐阜県恵那市明智町 (2019/12/15 訪問)
【土岐明智城】
<駐車場他>城跡前にP20台程あり。
<交通手段>車
<感想>日帰り御城印5城分購入の旅3城目。城びとマークにはないが、御城印があるので行ってみた。城跡そばが千畳敷き公園というところになっていて公園整備されているので駐車場・トイレがあります。城名が多羅砦・千畳敷砦・落合砦であったりどう呼ばれていたかよくわからない。観光案内所で頂いた案内図に
「室町時代の美濃国明智村の勢力圏は、白鷹城(明知城)が明知遠山氏の勢力圏であり、土岐明智城(多羅砦)は仲深山砦とともに土岐明智氏の勢力圏であった。」と記述されているので、正しいなら明知城を中心に盆地を3城で守っている感じを受けたという私の記述は間違いでした。
三の曲輪そばに明智光秀公産湯の井戸があります。城跡として残っているのは主郭・出丸(二の曲輪)・三の丸からなっていて、土俵がある広場も曲輪になっていたようだ。主郭は加工されていなく、間伐しただけなので切岸・腰曲輪からの竪掘りっぽい遺構が見れる。出丸はぐるりを柵で設けて町を眺望できる。明知城がまん前に見えます。三の曲輪は井戸の北東側の楕円形の削平地で特になにもない。
案内図の通り遠山・土岐の勢力圏が分かれていたなら、明知城に光秀の学問所があったり、明知城と仲深山砦が谷を挟んだだけの超間近だったり、麓の案内板と案内図の説明が違ったり、つじつまの合わないところが多いが、光秀の母の出身地はここかもしれないとか考え思うのもまた楽し。
<満足度>◆◆◇
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2020/01/14 19:37
2020/01/14 18:57
光恩寺。 (2019/11/30 訪問)
鎌倉時代に佐貫 嗣綱さんが築城した「赤岩城」に行きました。
光恩寺さんがお城跡のようです。
大きな駐車場がありますので車、大丈夫です。
まずは光恩寺さんの山門前に浅くなった堀跡が見られます。
ではっ、お邪魔します。
「赤岩城」の石碑や説明板はありません。
長屋門が見えたので近くに行くと「日本初の女医 荻野 吟子」の銅像と説明板。
長屋門は吟子さんの生家の門なんだそうです。
「赤岩城」の何かを探していたら堂山古墳がありました。説明板には頂上に「館林城」の城主のお墓があるそうです。この館林城主は佐貫さんの子孫でした。
古墳もお城の土塁のような役割、したのでしょうか。
近くに利根川があり、赤岩渡船の案内板を見ました。
後で知ったのですが、上杉 謙信さんも渡ったんだとか。
お城、お城と夢中になり利根川には行ってません。
「赤岩城」以外の歴史にも触れられたに違いないお城巡りでした。
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2020/01/14 18:12
鴫野砦(大阪市城東区) (2020/01/05 訪問)
鴫野砦は、大坂冬の陣に際して大坂城の防衛のために築かれた砦で、低湿地に三重の柵を巡らせ、豊臣方の井上頼次を守将として徳川方の上杉景勝との鴫野の戦いの舞台となりました。
現在の城東小学校が推定地とされますが、小学校東側に大坂冬の陣と鴫野古戦場の石碑や説明板があるだけで、遺構は消滅しています。
また、石碑と説明板の道向かいにある八劔神社には上杉景勝の本陣が置かれたため、境内に上杉景勝本陣之地の石碑が建てられています。
さて、鴫野砦に加えて、大坂の陣史跡めぐりをもうひとつ(第6回)。
鴫野砦から南西に徒歩15分の白山神社は、冬の陣において本多忠朝が陣所を置いたとされ、境内のいちょうの巨樹は、忠朝が登って戦況を偵察したと伝わります。
本多忠朝というと、冬の陣において酒のために失態を演じたとされますが、ここに陣を構えていた時にやらかしてしまったのかなぁ、と考えると、先日、一心寺の墓所を訪れているだけに感慨深いものがあります。
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2020/01/14 09:59
曲輪、土塁が確認できます (2019/09/05 訪問)
本郭跡に曲輪や土塁といった遺構がありました。
案内板のある場所に車を停めるスペースがあり、やや勾配のある登城口を登っていけば本郭に辿り着けます。
本郭には明らかな城跡だとわかる土塁があり、曲輪もすぐに確認することができました。
曲輪と曲輪の間には堀もありました。
あまり訪問者は多くないようで本郭までの道は夏場はやや草が多く生えておりました。
見学時間はそこまでかかりませんが曲輪や土塁の残る城跡が気軽に楽しめる城跡なのではないかと思います。
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2020/01/14 09:17
2020/01/14 08:58
2020/01/14 00:04
玄武の小山 (2020/01/13 訪問)
平安京造営時、北の拠点とされた玄武の小山で、風水で大地のエネルギーが溢れ出る所とされた。この小山の真南に大極殿、朱雀大路が配されたらしい。
また、ここは応仁の乱だ西軍の陣地となり、その名残で付近一体を今も西陣と呼び、西陣織にもその名が残る。
南東部分は織田信長公をお祀りした建勲神社があり、読みは「たけいさお」だそうな。「けんくん」は俗称のような説明書でした。
お城の遺構はほぼなく、建勲神社敷地内に空堀がある模様。(写真の空堀は神社敷地と公園の間にあるもので空堀かどうかは不明)
南側には特にチャートの露出が顕著で、石垣のような役割を果たしていたのかも。
市内が一望出来るほか五山送り火が見えるデートスポットでもあります。
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2020/01/13 23:59
多彩な遺構で満足度の高い山城 (2020/01/12 訪問)
散策コースだけなら、お散歩レベルで1.5時間もあればひと周りできます。
遺構は、技巧的なもの(連続した枡形、馬出など)があり、楽しめます。
散策コースを外れると、黒豆のような動物のフンがたくさん落ちているので足元注意。
帰りは道の駅にしかた、隣の天然温泉で一休みできます。
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2020/01/13 23:41
定刻通りに着かない+来ないバス (2020/01/12 訪問)
JR宇都宮駅西口より12番・楡木車庫or運転免許センター行のバスにて上欠下バス停下車、そこから徒歩20分で犬飼城登城口へ。
当初滞在時間を80分確保していたのに、バスの到着が20分も遅れ(宇都宮市街が渋滞していたのもありますが、常時バス自体が法定速度より10kmくらい遅く走っていた・・・・運転手遅れ挽回する気も無し)、大幅な見学時間減を余儀なくされ。。。お城までの移動時間を引くと、実質見学は20分弱にorz
登城口へは道案内があるので、狭い所入る訳ですが解りやすく、また専用の無料駐車場もあったので、車で来られた方が良さそうです
肝心のお城ですが、冬枯れを期待していたのに結構藪残し・・・近年の土のお城、温暖化のせいか冬でも写真撮影に耐えがたい場所が多く、ここ犬飼城もちょっと残念な視界となっておりました(悔)
遺構は堀がメインで、見学ルートがちゃんとあり、虎口から堀底路に降りて主郭まで迷う事なく行ける様に小看板がルート上に設置されている親切設計
路は落葉が酷くて歩き辛く、視界が雑草の多く、辟易する事間違い無し・・・遺構がなかなかのものだっただけにかなり残念でした。。。しかも滞在時間を削られた分、二ノ丸へ続く土橋から先を見学する時間が足りなくなり、泣く泣く見学中断しバス停に戻る殊になりました(悲)
ついでに書くと、戻りのバスもきっちり7分遅れました・・・しかも4人バス待ちしているのに、運転手スルーしかけると言う。。。ついでに書くと行きと同じ運転手で、予想通り宇都宮駅の到着12分遅れました(駅周辺渋滞緩和していた分早かったが・・・怒)
宇都宮駅初の関〇自動車のバス利用される方、どの路線でも漏れ無く到着遅れ発生していた為、事前にネット検索した時間に対し、+20分は余裕もって設定された方が無難です(危)
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