幕末、鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府軍が譜代大名の城である淀城に入ろうとして、
淀藩に拒絶された。その城も今は石垣を残すのみ。
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2019/09/26 17:39
淀城登城 (2019/09/24 訪問)
幕末、鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府軍が譜代大名の城である淀城に入ろうとして、
淀藩に拒絶された。その城も今は石垣を残すのみ。
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2019/09/26 17:19
大名御殿の小学校 (2019/07/12 訪問)
織田長益(有楽)の五男・尚長が、父の隠居に伴い1万石の分治を受けて立藩、柳本に陣屋を築いて、明治に至るまでこの地を治めました。
現在の柳本小学校が柳本陣屋の藩邸(御殿)跡で、その北側にある黒塚古墳(柳本城跡)と周濠を陣屋北方の守りとし、小学校校庭の西辺と、大手西門脇の使者溜跡などに往時の石垣が見られます。
藩邸は明治以降は柳本小学校の校舎として使用されましたが、昭和41年、校舎の改築に伴って大書院と玄関が橿原神宮に移築され(現在の橿原神宮文華殿)、通常非公開ながら、塀越しにその姿を覗うことができます。
また、小学校の南西には柳本藩織田家菩提寺の専行院があります。
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2019/09/26 11:13
初秋の城めぐり 北陸5城 (2019/09/23 訪問)
台風17号に追いかけられるように北陸の5城を巡ってきました。
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2019/09/26 11:06
【駿河・石脇城】 静岡県焼津市 伊勢新九郎の居城 (2018/03/09 訪問)
産経新聞静岡県版の日曜日に静岡古城研究会水野茂会長著の古城をゆくが毎週記載さ石脇城が紹介、興国寺城に移る前に居城していたとの内容でした、それじゃ登城しなくちゃと何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの情報とガイドを調べ出掛けて来ました。
石脇城は初の認知、夫々の情報でナビに登城口標柱の場所を入れ浜松より地道国道1号線バイパスを経由して日本坂トンネル近くの国道150号線1本北の道に入る、標柱発見するも駐車場は無い村内車を石脇城を廻るように走行し石脇浅間神社境内前の空きスペースに駐車後は歩いて標柱の登城口より初登城、急峻な崖上小山に在る城で南面側、西面側の竹林が伐採され見える化状態でした。
日本坂西の位置は駿府の守りを抑える交通の要衝、山上の曲輪だけでは狭く生活面は不便なので麓に居館が有ったのではと思ったりします?。
この後興国寺城に移り廃城に成った。伊勢新九郎はこの後は伊豆、相模に侵攻し戦国大名の先駆けと成る北条早雲です。
この後は近くの城廻りとチョイ寄り「花沢城」「持舟城」焼津歴史民俗資料館では見学と城の資料探し、「小川城」「小川遺跡」「花倉城」の日帰り城廻りでした。
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2019/09/26 10:26
今は末裔が住む (2019/09/22 訪問)
斎藤氏の末裔が住んでるようです、なのでちょっとお邪魔しました。中までは入れませんからね!
でも周りは土塁・堀が残ってます。
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2019/09/26 06:06
大野城 (2010/04/26 訪問)
所要で常滑市内の国道155号を走っていました。
ナビに「大野城」とあるのに気づきました。
ほどなく国道脇に「←城山公園」との表示板を見つけました。
用事を済ませた帰路再びこの場所にさしかかると天守閣っぽい建物がちらっと見えました。
これは行かなければいけません。
小高い丘の麓に駐車場があります。
ここから、ひたすら登っていきますが、階段の段差が小さくて長くてけっこう辛い。
頂上へ着き門をくぐると、
不自然な天守閣らしき建物がありました。
でもよく見ると、
天守閣型の展望台なのです。
確かに見晴らしは良く、伊勢湾が一望できます。
中部国際空港も見えました。
おそらく、この展望台のような天守閣は存在しなかったはずです。
天守閣のすぐ南に佐治神社があります。
裏(北側)から見ると櫓の跡に建てられているのがわかります。
丘の南側を降りてみると、空堀の跡や
土塁の跡が見られました。
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2019/09/26 00:40
2019/09/25 23:10
宍戸氏400年の城 (2018/02/26 訪問)
宇都宮に出掛けた折り北関東道を飛ばして友部ICを降り宍戸城跡へ。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん)
鎌倉期から佐竹氏秋田転封まで笠間のこの地を守り宗家は帰農、一族は一部秋田佐竹氏へ、南北朝に北朝側の功績で安芸下向、五龍城を築いた安芸宍戸氏もこの一族で長州の家老職。
江戸期に徳川光圀の弟が1万石で諸侯に列して陣屋を築き明治に至る、現在土塁上に神社が鎮座し土塁が残ってる。
現在陣屋の城門が笠間市土師の民家に移設され現存。
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2019/09/25 22:00
思川段丘を活用した丘城 (2018/02/26 訪問)
小山城(祇園城)、小山評定場所の小山市役所までは行ってたのですが鷲城は支城、小さい城と思いパスしていましたが今回の宇都宮訪問の折探訪しました駐車場は小山総合公園を利用、登城は運動公園北側奥の登城口を利用。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
思川登城口、鷲神社下虎口、神社、中城、神社鳥居案内板、標柱、国道50号線橋より櫓台望み、中城、外城間の堀切を通り、思川登城口、小山総合公園に至る。
総合公園には大勢の人が出ていましたが城域は私一人時期的には良いタイミングの城探訪でした。
思川の河岸段丘を大堀切で中城、外城、外郭を切り分け、思川を水堀に縄張りされた土の城郭で充分見応えが有ります。
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2019/09/25 21:51
下りるために登る。 (2019/09/15 訪問)
史跡をぐるりと一周したあと、入生田駅(箱根登山鉄道)まで歩いて下りました。
前回訪城時に後ろ髪を引かれながら諦めた道です。(この時は連れが2人おり、多数決で負けた。)
途中にある早川石丁場あたりから遊歩道に入リました。
すぐに矢穴と刻印のある石の展示があり、早川駅からの武将パネルのように、石を見ながら歩ければ3kmの道のりも楽しいかも!と思ったのですが、期待した2個目の石はいくら歩いても現れなくて…。
下りだし、上原城や唐沢山城のようなヘアピンカーブではないので思ったほどたいへんではありませんでしたが、ちょっと飽きてきました。
が、引き返すわけにもいかないのでそのまま進むと、石曳道が出現。山から削り出した石材を川まで運ぶ道です。ほかにもまだ発見されていない何かが眠っているんじゃないかと思うとわくわくしてきます。
さらにさらに下りていくと残念石の展示場がありました。
山の中にはもっとたくさん転がっているそうですが、一般人がふらっと入ってはいけないみたいで(T ^ T)
無事に入生田駅に到着しスッキリ(^ ^)
次は真鶴とかの海岸にある石丁場に行きたい!
*土日祝日は小田原駅から石垣山城までバスが出ています。(小田原城も通ります。)
「小田原宿観光回遊バスうめまる号」で検索してみてください。
お城expoのついでに行かれる方にもきっと便利です。しかも安い(^^)
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2019/09/25 21:46
有子山城
ほぼ直登の急坂を制覇したその先に、雄大なパノラマに加え石垣や大堀切や石切場など魅力満載。だが一番凄いのは地表面に当時の遺構を色濃く残す「千畳敷」だと私は思う。
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2019/09/25 21:40
城跡には電波塔施設があります (2018/08/03 訪問)
竹山城は、明応2年(1493)新免伊賀守貞重により築城され、城の東西に
竹が繫茂していたので竹山城と名づけられました。三代伊賀守宗貫の時、
関ヶ原の合戦で西軍宇喜多秀家に属し、敗戦のため廃城となりました。
登城入口<35.112107,134.324338>で案内板を確認後、約1700m登った
山頂の竹山城跡駐車場(馬場跡)を利用、西郭と太鼓丸跡に電波塔施設、
主郭跡は夏草ボーボー、しかし眺望は素晴らしい。
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2019/09/25 21:20
花崗岩巨石を活用。全山、曲輪だらけ (2019/09/20 訪問)
比高130mと低いこともあり、麓近くから全尾根にとてもたくさんの曲輪が作られている。山体は花崗岩。高い切岸が花崗岩露頭で形成されているところがあり、見入った。
主郭の一段下の郭に共同受信アンテナがあり、登山道は整備されている気配があるが、わかりにくなりつつある。ケーブルが麓まで埋設されていて、表示があるので、それをたよりに下山しようとしたら、城にするだけあって、最後の10m余りで崖状に。崖崩れ対策のコンクリート壁、フェンスも行く手を阻む。登城の道の取りつき部分も急斜面で、かつ、花崗岩が風化した真砂土で滑り、立木をつかんでよじ登った。
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2019/09/25 21:12
2019/09/25 20:49
土塁に囲まれた館跡です (2019/09/25 訪問)
鎌倉時代から室町時代前期に造られた賀陽氏の館跡と伝えられています。
農道が狭いので近くの空地<34.662028,133.843678>に駐車、グーグル
地図(写真)で確認後、土塁跡に囲まれた70mx60mの館跡(民家)
入口近くまで探索、幅約30mの堀跡から白鳥が飛び立ち驚く。
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2019/09/25 20:33
撫川城 (2019/09/14 訪問)
【撫川城】
<駐車場他>城跡前に3台分程の駐車スペースあり。
<交通手段>車
<見所>石垣・総門
<感想>日帰り備中境目7分の3城攻めの旅、4城目。庭瀬城跡から200m西に位置する城跡。戦国時代は庭瀬城と二個一のような感じで備中境目7城の内の一つ。江戸時代は庭瀬藩の戸川氏が改易後交代寄合旗本として5,000石を知行し撫川陣屋と称されたそうです。
城跡は入口に移築現存の陣屋総門がきれいに残っており見応えある。城跡東側は土塁になっており、西側は野面の3m程の石垣になっている。北西隅は張出しが見られる。内部は井戸跡あり、現代の神社がある。
<満足度>◆◆◇
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2019/09/25 19:07
日枝神社が建っています (2019/09/23 訪問)
東急新丸子駅から徒歩で7分。
日枝神社が建っている辺りが跡地のようです。
遺構はありません。
太田道灌に敗れた豊島氏が籠城したとされています。
隣の駅の武蔵小杉はタワーマンションがたくさん建っていますがこちらは下町っぽい感じでした。
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2019/09/25 17:51
黒塚古墳 (2019/07/12 訪問)
天理市柳本町には、室町期には柳本城が、江戸期には柳本陣屋が築かれ、いずれも黒塚古墳周辺を城域としていますが、写真の掲載枚数の都合もあり、柳本城と柳本陣屋の2回に分けて投稿させていただきます。
柳本城は室町期に楊本氏によって築かれましたが、十市氏が勢力を伸ばすにつれ没落し、やがて十市氏の支配下になったようです。
柳本城は、黒塚古墳の後円部を主郭とし、前方部(二郭)との間には幅6m、深さ3mの堀切が設けられていたことが発掘調査で判明しています。現地はもっぱら古墳推しで、堀切(掘割)の説明板がある他は、城址碑も柳本城についての説明板もありませんが、古墳を取り巻く周濠には水堀としての姿をうかがうことができます。
さて、その黒塚古墳、三角縁神獣鏡の大量出土により話題になりましたが、隣接する黒塚古墳展示館には、黒塚古墳の竪穴式石室が実物大で再現されていたり、出土した三角縁神獣鏡の複製が展示されていたりで、無料ながらなかなか見応えがありますので、お時間のある方は、あわせてぜひ。展示館には無料の駐車場もあります(場所はわかりづらいですが)。
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2019/09/25 15:14
鳴海城跡 (2019/09/25 訪問)
旧東海道を笠寺から有松、桶狭間まで歩いて行く途中によりました。江戸方にむかい左側に小高い城跡があり、公園となっています。
また、右側には鳴海神社があり、そこに大きな城跡の碑がありました。
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2019/09/25 12:30
ゴルフ場に喰われた城址 (2019/09/22 訪問)
案内板から500メートル、ゴルフ場なので途中までで戻って来てしまいました。
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