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勝野武士

丸岡城、おまけ。 (2019/08/11 訪問)

またまたスミマセン。
画像のみ投稿させていただきます。

次回来ることがあれば、寺町や外堀の跡も見てみたいなぁ。

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勝野武士

戦国の気風を伝える天守。 (2019/08/11 訪問)

やっとこさ来ることができました、丸岡城!
やはりここの見所は『日本最古』といわれていた天守ですね。
残念ながら最近の調査によって寛永年間の建造である事が判明してしまい、その座は松本城もしくは犬山城に明け渡すことになりそうですが、それでもこの古式の姿を伝える天守の価値が落ちることは決してないでしょう。

さて早速、丸岡城へ。
明治以降建物は取り壊され、内堀も次第に埋め立てられ、現在は外堀の一部と本丸跡を残すだけとなってしまいました。石垣も天守台とその周辺に残すのみです。
しかしその石垣は天守に劣らず、野面積みの古風な石垣で見応えありです。しっかり見ておきましょう。
天守の南側に門跡がありますが、そこを下るとすぐに『雲の井』という井戸があります。丸岡城における現存唯一の井戸ですが、城が敵に包囲されたときにこの井戸に住む大蛇が霞を吐いて城の姿を隠して危機を救ったという伝説があります。別名『霞ヶ城』といいますが、その名はここからきています。

天守の東側には『お静の碑』があります。
天正四年(1576)に柴田勝家の甥の柴田勝豊が築城の際、天守台を築きますが何度も石垣が崩れるので、ついに人柱を立てることになりました。
そこで選ばれたのがお静さん。夫に先立たれ、二人の子を育てながら苦しい生活を送り、しかも片目のハンデを持っていたという後家さんでした。
お静さんは、息子を侍に取り立てることを条件に人柱になることを受け入れ、天守の中柱の下あたり深くに埋められました。
かくして天守台は崩れることなく完成、天守も建ちました。
しかし勝豊が移封になってしまったために約束はついに果たされることはありませんでした。
お静さんの怨みは亡霊となって片目の蛇になり、城の井戸深くに棲みつき、時折現れては恨み言を述べ立てたそうです。
また、人柱に立たされた四月中旬になると長雨が降り続き、『お静の涙雨』と呼ばれるようになったとか。
さらに、城の堀の藻を刈り取る時の小唄にもお静さんは登場します。
『堀の藻刈りに 降るこの雨は いとしお静の血の涙』と。

いよいよ天守へ。
天守台の野面積みの石垣も見事ですが、石段の周りにも注目。元々は付け櫓があったのではないかと推測されていますが、はてさて。
天守内部はかなり実用的。狭間や格子出窓などはもちろん出部屋と呼ばれる武者隠しも完備。外観もそうですが、無駄を省いた機能性重視の天守といえます。
また、姫路城などのような心柱が存在しておらず、一階の柱が多いのも特徴です。これは、高層建築の技術がまだ確立しきっていなかった時代における貴重な例といいます。
最上階の廻縁と欄干を頂いた望楼型というのも古い形式と言えますね。
何より大きい特徴は、天守の屋根に葺かれた笏谷石(?)製の石瓦です。北陸の酷寒にも強く、雨が降れば青みがかった石の色がより鮮やかになり見た目にも美しい表情を見せます。最大の欠点はやはり重さですね。もちろん、復元建物を除いて現存唯一の石瓦葺きの建物です。

なるほど、知らないことがかなりあったので、いろいろと勉強させていただきました。

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赤い城

住宅地の中に空堀と土塁が (2019/08/13 訪問)

住宅地の中にあります。
私有地っぽい感じですが「奥に空堀と土塁」の看板があったので進んじゃいました。
ほとんどが宅地化されていますが少しだけ土塁と空堀を確認することができました。
近くの公園にも説明板がありましたがその辺りが主郭だったのでしょうか。

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ぴーかる

草刈して。たのみます。 (2019/08/10 訪問)

【尾高城】
<駐車場他>城跡に多々あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀・土塁

<感想>日帰り米子御城印取得と鳥取県の城攻めの旅1城目。米子到着後に米子歴史資料館にて御城印を購入し、そこで尾高城のパンフレットを駄目もとで尋ねたら奥から出してきていただけたのでよかったです。
 この城跡は本丸・二の丸が平山城の一番比高が低い位置にあり、連郭の曲輪はなだらかに上がっていく形となっていて変わっている。一番離れた天神丸曲輪がシャトー尾高というホテルとレストランの施設があり、駐車場に城跡の石碑もあった。とりあえずまず、城跡では最上部にあたる南大首郭そばの駐車場に停めて南大首郭から攻めたが、写真の通りすごい雑草で、以前の方々の投稿のお写真とは状態が「全然違うー」と少し怒々でつぶやきながら、雑草を掻き分け掻き分けの城攻めとなった。南大首郭は三方を高さ2~3メートルの土塁で囲んだいい曲輪で、そこを突っ切ると、次に中の丸という本丸のすぐ北側に位置する重要な曲輪だろう、ここは横掘で囲んでいた。2番目の添付写真の通り、黄色矢印の先が曲輪の虎口で、赤矢印の先が虎口にある説明板なのですが、雑草がすごくて入れない状態、本丸・二の丸は私有地となっているため元々入れないが、その前に雑草が酷くて近づくことすら出来なかった。
 城一帯はかつて福祉センターの施設になっていたらしく、現在は施設も寂れて運営している様子はないので他の曲輪がゲートボール場や梅林になっていたが今は寂れていた。
おそらく雑草を刈る時があるのだろう、タイミング良ければ遺構が現わになりとてもいい城跡が楽しめると思うのでもったいなかった。規模・見応えは◆◆◆だが、雑草で一つ減らします。

<満足度>◆◆◇

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ヒロケン

鬼怒川を見下ろす景勝地 (2019/08/10 訪問)

勝山城は鬼怒川を見下ろす崖端城として宇都宮城とともに廃城になるまで300年の歴史があります。南北朝から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となっていて、その間に改修が行われ城の各所に堅固な設備が見られます。
城域は南北450m、東西は北辺で約320m、南辺で約200mあり、段丘先端部の本丸をL字型に二の丸・三の丸が囲む連郭式の縄張りが想定されます。本丸は方形で東西80m、南北70mで、本丸を一周する土塁は堀底から7~8mあり大手口には橋が架かり、横矢掛けの構造を備えています。

皆さんの投稿を拝見して登城を決めましたが、「土の城」ということもあり、あまり期待していませんでしたが、予想に反して素晴らしい城跡でした('∀`)スンヴァラッッスィィィィィィィ。

さくら市ミュージアム駐車場(無料)に車を駐車し、ミュージアムをぐるりと半周したところに、橋が架かる大手口。大手口周辺の堀が深く、土塁が高い。゚+.(*`・∀・´*)゚+.゚良い!。本丸を囲む、高い土塁、深い堀をパシャパシャ写真に収め気分はマックス。
綺麗に整備され、手入れが行き届いている。ハーフパンツ・サンダルで臨んだが全然問題なく、楽しむことができる城跡でした。

PS.この後、登城した川崎城址にも同じ格好で挑んだが、本丸・南丸で断念(>_<)。草がボーボーで二の丸・三の丸に達することが出来ず。それでも、二の丸に行こうと草露を我慢しながら果敢に挑んだが、途中で蛇(・┰・)を発見。一目散に退散です。

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街道おじさん

丸亀城登城 (2019/05/16 訪問)

名城が沢山ある四国を代表する素晴らしい城。
高石垣であまりにも有名な城をようやく見ることが出来嬉しい。
城とは関係ないが、讃岐富士もその美しい姿を見せてくれた。

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街道おじさん

高松城登城 (2019/05/15 訪問)

海城で別名玉藻城とも呼ばれる城。
天守は残っておらず天守台のみであるが、堀端の月見櫓や艮櫓がたいへん美しい。

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街道おじさん

松山城登城 (2019/05/15 訪問)

連立式天守が美しい城。
松山市の象徴の様な城で、石垣・門等も見応えがある。

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勝野武士

北ノ庄城、おまけ。 (2019/08/11 訪問)

画像をいろいろ撮ってましたが、紹介しきれなかったものもありますので、今暫くおつきあいを(_ _)

公園内にある石碑は日本画家として世界的にも有名な平山郁夫画伯の筆です。
画伯、なんと柴田勝家公の末裔なんだそうですよ!初めて知りました…。

今回福井城関連で見れなかったもの…福井城本丸内(御廊下橋と山里口御門、天守台など)、中央公園(御座所跡)、養浩館庭園、舎人門、瑞源寺(本丸御殿の一部が本堂、書院として残っています)。見れなさすぎでしょ(T_T)
次回への課題ということで…。

とりあえず越前にきたら、おろしそばを食わぬ訳にはゆかぬ。私のオススメは、つくも地区にある老舗『三井屋』です。約20年前もここでいただきました。やっぱり美味い…!

あとは、南条SAの土産物コーナーにて見つけた、マエダセイカ様の羽二重餅。
包み紙がなんと福井城の古図!お城好きにはたまらないでしょう。
気がつけばコレ持ってレジに並んでました(笑)。

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刈谷わんさか祭特別版御城印 登城!

初代藩主水野勝成ゆかりの場所である愛知県刈谷市で行われる「刈谷わんさか祭り」にて
今年の初代藩主水野勝成入封400年を記念して・・・

刈谷わんさか祭り限定の御城印を特別に販売します!
販売価格:200円(税込)
枚数:限定200枚

また協賛事業である福山城築城400年カープコラボTシャツも販売。
販売価格:2600円(税込)

ぜひ刈谷わんさか祭りへ!!

【刈谷わんさか祭り】
日時:8月17日(土)11:00~21:00(花火大会 19:00~20:15)
場所:刈谷市総合運動公園(愛知県刈谷市築地町荒田1番地)

詳しくはこちら→https://www.kariya-guide.com/festival/000006.html

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勝野武士

約20年振りの福井城(+北ノ庄城)。 (2019/08/11 訪問)

会社に共通の趣味の方がいまして、その方と越前日帰り旅を敢行。個人的には高校以来、実に約20年振りの福井再訪となります。
但し今回は時間の都合上、柴田勝家の北ノ庄城メインです。

天正三年(1575)、越前一向一揆との戦いで活躍した功績により信長より越前北ノ庄四十九万石を与えられた勝家は、翌年天正四年(1576)に越前一向一揆を平定、北ノ庄城築城と城下町の整備に着手しました。
足羽川を天然の堀として利用し、その足羽川と吉野川(後の百間堀)との合流点に築かれたというこの城の規模はかなり壮大だったようで、特に天主はかなり大きかったらしく、秀吉が小早川隆景に送った書状の中で「城中に石蔵を高く築き、天主を九重に上候」と記しています。この時代に九層の建物を造るなんて可能だったのかという疑問はさておき、それだけ大きい天主だったのでしょう。
また、ルイス・フロイスが天正九年(1581)に北ノ庄を訪問した時の記録によると「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」とあります。また、町の規模が安土の2倍程(!)もあることや、勝家によって足羽川に架橋された九十九橋(半石半木という独特な構造の大橋)についても触れられています。
天正十一年(1583)に北ノ庄城は未完成のまま落城してしまいますが、勝家は治政7年間のほとんどを城と城下町の経営に費やしていたようで、まさに現代までの福井の発展の基盤は勝家によって造られたと言っても過言ではないでしょう。
そんな北ノ庄城は江戸時代に入ってから越前六十八万石の太守となった結城秀康によって築城し直されます。地上から勝家の痕跡を無くすかのように…。

柴田神社境内(北ノ庄城址・柴田公園)がかつての本丸跡と伝えられ、発掘調査の結果を踏まえ美しく整備されています。
この地は福井城日向門跡でもあり、遺構のほとんどは福井城関連のものですが、その下の層からは北ノ庄城のものと思われる石垣の根石部分が出土し、今も見ることが出来ます。
あと、柴田神社に隣接して資料館(入館無料!)がありますので、是非行ってみて下さい。柴田勝家が九頭龍川に架けた舟橋の鎖や九十九橋の石の橋脚、北ノ庄城ゆかりの出土品や石瓦なども展示されています。必見ですよ!

ちなみに、柴田神社の御祭神は言うまでもなく勝家公とお市の方です。
北ノ庄城が落城した四月二十四日の夜半、首の無い武者の行列が城へ向けて音も無く九十九橋を渡るといい、それを見たものは怪死を遂げるという…そんな怪異を勝家公や死んでいった者達の怨霊と考えたのか、この地に石の祠を造り、その四月二十四日に福井藩士を中心に祭礼を行ったのが始まりなのだとか。

他にも勝家、お市、三姉妹の銅像があったり九十九橋が再現されていたりと見所がたくさん詰まった柴田公園。
行ってみて本当に良かった…!

その後は福井城本丸跡をチラ見して、丸岡城へ向かいました…。
時間の都合上いろいろ見れなかったので、今度は近いうちに再訪して細かく見てやろうと固く決意した私でした。

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たかさん

またもや山城・・・だが、 (2019/08/14 訪問)

2か月程お城に行けず、やっとお盆休みになったので行きたかったお城に行きました。
少し渋滞にはまりましたが、約3時間半で到着。ところが、カーナビの指示通りに行ったところ、
本丸跡付近の山上付近の小さい駐車場(約10台)に案内され、山城登城の楽しみである登山が
出来ませんでした・・・
ただ、緑と石垣のコントラストは良かったです。(これで3大山城制覇)
後、城下町の散策はドラマの舞台にもなったいましたが、
昭和の雰囲気がありお勧めしたいと思います。

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朝田 辰兵衛

勝頼が生きていたら聞いてみたい。 (2018/11/16 訪問)

①現状で何割の出来なのか…?/②親に自慢できるポイントは…?/③自己採点。

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小城小次郎

高縄城

渥美郡に根を張る戸田氏が最初に築いたのがこのお城だとか。全国にぽつぽつ存在する、いわゆる難攻不落(敷地に女子校が建っている)のお城のひとつ・・・でもある。

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atsufumi

台風接近中につき、お気をつけください。 (2019/08/14 訪問)

元、国宝!
1945年7月29日の大垣空襲にて焼失、残念。
スタンプラリーやってた。
http://www.ogakikanko.jp/event/driftersstamp/

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赤い城

甘棠院の境内が館跡 (2019/08/13 訪問)

久喜駅から徒歩で15分。甘棠院の境内が館跡です。
山門の脇に空堀が残ります。
北側には土塁もあるそうですが時間なく空堀のみ見学して撤退しました。

お盆なのでお墓参りの方もいらっしゃいました。
今年は帰れないけど先祖には感謝です。

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びーこ

トイレは重要 (2019/08/12 訪問)

1年ぶりの登城は秋田城。続100名城になったということで、トイレも綺麗に整備されていた。さすが古代水洗トイレを目玉にいしているだけのことはある。
ボランティアのガイドさんと大阪から登城というご夫婦と共に、ゆっくりと見て回った。やはりガイドさんの説明があると分かりやすいし、見逃してしまいそうな部分もしっかり見れる。無料なのでガイドしてもらうことをお勧めする。
最後には城内に自生している鬼クルミや杏の実を記念に頂いた。こういうちょっとした心遣いがとても嬉しい。

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丹羽長重

🐱猫城主さんじゅーろー🐱 (2019/04/30 訪問)

GW3日目。雨のため平城の岡山城を先にして備中松山城は午後から行くことにしました。この判断が大正解。午後は雨がやみました。なので岡山駅から山陽本線、伯備線を乗り継ぎ備中高梁駅に到着。ここからタクシーでお城に向かいます。備中松山城は凄い山城と聞いていたので、覚悟して向かいました。
タクシーで登城口に到着。見るからに急な坂が続いていました。でも、よいしょよいしょと登っていくと岩の上に縫うように積み上げられてる石垣が見えてきました。この迫力に大感動!!これぞ日本の山城!という感じです。しかもこの石垣、大河ドラマ真田丸で使われています。真田丸すべて見ていたのでたまりませんでした✨
そして汗をかきながら本丸へ。入り口の受付でチケットを買い、入ります。すると、備中松山城に行きたかった一番の理由である猫城主さんじゅーろーがそこに!!今にでもなでなでしたいところですが混んでいたので先に櫓や天守を見ることにしました。天守は現存12天守の一つです。2階建の小さな天守ですが、正面の唐破風が美しく、堂々たる雰囲気です。中は木で歩くたびにミシミシと音をたて、時代の古さを物語っています。
そして、偶然にも普段は非公開の二重櫓にも入れました。(なんだっけこの企画…)二重櫓はシンプルなつくりですが、天守同様歴史を感じました。
さて、全部見終わりついにさんじゅーろーをなでなで。人慣れしていてなでなでされてもずっと寝ていました💤
すると、散歩の時間になりさんじゅーろーが見回りを始めます。僕は回り込み、さんじゅーろーと備中松山城のツーショットを、撮ることができました。
本当に備中松山城に来て良かったと思いました。なので是非来てみてください!おすすめします!

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街道おじさん

三原城登城 (2019/05/13 訪問)

中国地方の英雄毛利元就の三男で知将として名高い小早川隆景が築いた海城。
お堀の水に映る天守台や石垣が素晴らしい。

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街道おじさん

福山城登城 (2019/05/12 訪問)

筋鉄御門や伏見櫓が残り重要文化財となっている。
戦後再建された複合式の天守閣の美しい。

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