百地丹波は服部氏族から分かれた伊賀三大上忍の一家で
他には服部半蔵(千賀地)、藤林長門守がいるようです。この三家
服部家以外は名前もはっきりせず、ミステリアスな所が忍者の上忍らしくて
良いですね。
百地丹波城はもちろん、百地丹波の城(砦)で構造も城郭らしく
しっかり造ってあるようです。
せっかくですので、おっちゃんさんの掲載していただいた縄張りで
紹介させていただくと(ありがとうございます)、郭Cが主郭で周囲を高い土塁で囲い
北と南に虎口を設けてあります。
東に二の郭となるB郭があり、その間に堀切がありますが主郭の東側に
虎口のような切欠きがあり、そこから直接B郭に行くことが出来ます。
B郭から先にA郭があり、そこにも土塁が残っています。
主郭の南に式部塚があり、その間にも堀切があるようですが
どうにも紫式部と百地丹波が結びつきません。
イメージが違いすぎるんですよね‥正直自分の中に忍者に対して雅な
イメージがまったくありません。(失礼)
清竜寺が郭Dとなっているので、ここは普段の生活に使っていたのでしょう。
郭Dの南に池があって、その南に台地があるので、ここは物見に
使っていたのではないでしょうか。
屋敷の近くに池があるのが上忍らしいですね。
冗談抜きで良い井戸を巡って殺し合うぐらいの人達らしいので。
(甲賀流忍術屋に関する資料より推測(私見あり))
補足‥主郭北側の土塁の向こうはコンクリの絶壁です。こういうの
危ないから嫌いだな‥。
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