城主・下山氏は北畠氏の幕下として勢力を伸ばした土豪で、奈垣の北部から羽根、比奈知を勢力下に納めていたと考えられています。
また伊賀侍六十六人衆の一人とされますが、第一次天正伊賀の乱の際に織田軍侵攻の手引きをしたとして、伊賀の土豪たちの恨みを買い比奈知の城を出て、この奈垣に城を築いたとされています。天正9年の第二次・天正伊賀の乱の際には汚名を返上するために伊賀の土豪たちと共に、脇坂安治の軍勢に切り込んで壮絶な死を遂げたと伝わっています。その最期に関しては諸説あるようですが、いずれも戦死か自害して果てたということです。
城址は主郭の南を除く三方を土塁と堀で囲まれていて、遺構は比較的明瞭に残っています。西には腰郭が続き、大手は西に付いていたようです。主郭の東の尾根上には横堀が続き、南の扁平地は居館のあとのようです。
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