しもやまかいのかみじょう

下山甲斐守城

三重県名張市

別名 : 下山甲斐城
旧国名 : 伊賀

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西の郭
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しんちゃん

伊賀の裏切り者・下山氏の最期には諸説あり (2024/10/06 訪問)

城主・下山氏は北畠氏の幕下として勢力を伸ばした土豪で、奈垣の北部から羽根、比奈知を勢力下に納めていたと考えられています。
また伊賀侍六十六人衆の一人とされますが、第一次天正伊賀の乱の際に織田軍侵攻の手引きをしたとして、伊賀の土豪たちの恨みを買い比奈知の城を出て、この奈垣に城を築いたとされています。天正9年の第二次・天正伊賀の乱の際には汚名を返上するために伊賀の土豪たちと共に、脇坂安治の軍勢に切り込んで壮絶な死を遂げたと伝わっています。その最期に関しては諸説あるようですが、いずれも戦死か自害して果てたということです。
城址は主郭の南を除く三方を土塁と堀で囲まれていて、遺構は比較的明瞭に残っています。西には腰郭が続き、大手は西に付いていたようです。主郭の東の尾根上には横堀が続き、南の扁平地は居館のあとのようです。

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しんちゃん

来ました。 (2024/10/06 訪問)

ようやく奈垣の下山甲斐守城にやって来ました。ここはちょっと入り口が分かりにくいです。なかなか立派な遺構を残す城なのに案内板が見当たりません。南側の道沿いに側溝(小川)が有るのですが道が突き当たりになる手前に土橋がかかっている箇所があります。
ここから渡らないと、危険を冒して側溝をまたいで渡らないといけません。できれば下をツンツンするストックは持っていきたいところです。側溝をわたって茂みをぬけると道が主郭まで続いています。左手(西側)に居館跡らしき扁平地が数段あり、そのまま尾根に登って主郭のある西側に向かいます。尾根の南側には横堀が続き、西手に見える堀と土塁を越えると主郭が見えています。
主郭の周囲は南を除き、堀と土塁で囲まれ、西側は小規模な郭のようになっています。
東と北の堀は良く認識できますが、なんとなく堀底がフラットではない様子。畝のようだったり、深い場所が見受けられます。自然にそうなったのかもしれませんが、堀底を移動しにくいように意地悪な仕掛けがしてあるのかもしれません。
堀底に落とし穴みたいなのは、有りそうで無かったですね。

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しんちゃん

奈垣と比奈知、両方回るのがルーティン? (2024/10/05 訪問)

下山甲斐守城は奈垣と比奈知の二か所が有るようです。どうやら二か所回るのがルーティンのようなので先に比奈知の方を回ってきました。この周辺は道が非常に狭く、切り替えして戻ってくるのは非常に骨が折れます。車は付近の空きスペースに駐車させていただくと良いでしょう。
城址は私有地で住宅の間を通っていく必要が有ります。ご主人に確認して許可をいただきました。「草が生えててたいへんだよ」とアドバイスをいただきます。先に訪問した比自山城で十分にもまれてきたので大丈夫です(たぶん)。
ご忠告の通り、確かに藪がぼうぼうです。登城道を登ってすぐの堀切を南東方向に進みます。主郭の北西に郭が二段続いているので、何とか通れる道を進みます。主郭は土塁で囲まれ周囲には堀が配されています。土塁は十分な厚みを持っており、南の隅部は櫓台と思われる広さがあります。主郭の周囲の堀を確認して引上げ、民家の方に無事帰還しましたと報告して引き上げました。
夕方に訪れたせいか写真がピンボケ気味です。それなりの性能のコンパクトカメラ(ルミックス)を使用していますが、そろそろ寿命でしょうか? だいぶ酷使してます。じつは今、高性能コンパクトカメラが凄い値上がりしているので、何とか持ちこたえてほしいところです。

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奈垣と比奈知の2ヶ所あります (2022/11/05 訪問)

「下山甲斐守の城は伊賀には、奈垣と比奈知の2ヶ所あります」と城びと先達が書いてくれています。甲斐武田一族の下山氏が、応仁年間に奈垣に住し、さらに、北方面に進出するため、下比奈知に築城したと。比奈知の方は、山裾の説明板に「私有地のため無断入山禁止」とあり、YAICHIさんは、説明板前までのアプローチであったようです。
三重の山城 ベスト50を歩く、には、「左手民家の福本家垣根内右横の上り道を5分で城の北西丘端へ」とあり、福本さんが、キーパーソンのようです。
説明板から高台のお宅を見ると、家回りの手入れをしておられる方が見え、近づいて、城を見学したい旨言うと、快諾してもらえ、道も教えてもらいました。名前は聞かなかったげど、きっと福本さん。
登り始めてすぐに、狐と見つめあい、城域際で、狸と見つめあいました。恐がる気配なし。
薮こぎほどではありませんが、やや繁り気味で、遺構が写真になりませぬ。目ではよく認識できます。
下りは、福本さん宅に直降。猿と目が合いました。猿は、大きくて、恐いわー。福本さんに、狐、狸、猿に会ったと言うと、「鹿も出るよ」と。その後、爆竹をならして追っ払っておられました。獣害、たいへん。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 下山氏
築城年 天正7年(1579)
主な城主 下山氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物
住所 三重県名張市奈垣字竹之垣内