しもやまかいのかみじょう

下山甲斐守城

三重県名張市

別名 : 下山甲斐城
旧国名 : 伊賀

投稿する
主郭
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ぴーかる

下山甲斐守城(奈垣) (2024/11/16 訪問)

【下山甲斐守城】
<駐車場他>谷部への降り口<34.591562,136.152772>に車を寄せれば1台駐車可能
<交通手段>車

<見所>土塁・横堀・虎口・切通し・落とし穴?
<感想>日帰り伊賀攻めの旅1城目。下山甲斐守城はここの奈垣と、また比奈知という地区に2つあります。今回は城びとフラッグの方のみ登城。下山甲斐守城はここら一帯の土豪下山氏の築城によるもので、伊勢国司北畠氏に属して(北畠氏館・霧山城から近い)いました。1579年第一次天正伊賀の乱の際に下山甲斐守は織田信雄に伊賀攻めの手引きをしたとされます。城びとの城郭情報では築城年が1579年となっているので、それまで居城としていた比奈知から乱の前後にここの奈垣に築城し入城したと思われます。御存じの通り最初の伊賀攻めは失敗しますので下山甲斐守は自刃したとも第二次天正伊賀の乱で憤死したともいわれますが定かではないようです。

 登城口は上記駐車ポイントから城跡の南にある谷部へ降りた道から入ります。しんちゃんさんの案内通りに土橋を渡り登って(道はない)行けば城跡にたどり着けます。城跡は大きく2構造に分かれていて主郭の南側に谷部の扇状の段曲輪があります。上段が主郭で高土塁囲みの曲輪で虎口が南西口と北西口の2か所あります。南西口が大手口のようで外枡形の四方土塁が残り、その枡形の南麓側へ切通しが2本あります。面白いのがその2本の切通しの合流地点(舛形のすぐ下側)に大穴がありどうも井戸ではないようなので私は落とし穴ではないかと判断しました。切通しのうち1本は折れ曲り、主郭の下正面を通るので主郭からさんざんに攻撃される構造です。北西口の虎口は搦手のようで虎口手前から道がジグザグに折れ曲がっている遺構が良く残っています。
 主郭は南は大手道がある崖になっていて切岸、土塁はほぼ無い。残りの3方が3m程の高土塁で横堀があり横堀外側の土塁もほぼ同じ高さで囲んでいます。技巧的な虎口の造りと高土塁、見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

伊賀の裏切り者・下山氏の最期には諸説あり (2024/10/06 訪問)

城主・下山氏は北畠氏の幕下として勢力を伸ばした土豪で、奈垣の北部から羽根、比奈知を勢力下に納めていたと考えられています。
また伊賀侍六十六人衆の一人とされますが、第一次天正伊賀の乱の際に織田軍侵攻の手引きをしたとして、伊賀の土豪たちの恨みを買い比奈知の城を出て、この奈垣に城を築いたとされています。天正9年の第二次・天正伊賀の乱の際には汚名を返上するために伊賀の土豪たちと共に、脇坂安治の軍勢に切り込んで壮絶な死を遂げたと伝わっています。その最期に関しては諸説あるようですが、いずれも戦死か自害して果てたということです。
城址は主郭の南を除く三方を土塁と堀で囲まれていて、遺構は比較的明瞭に残っています。西には腰郭が続き、大手は西に付いていたようです。主郭の東の尾根上には横堀が続き、南の扁平地は居館のあとのようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

来ました。 (2024/10/06 訪問)

ようやく奈垣の下山甲斐守城にやって来ました。ここはちょっと入り口が分かりにくいです。なかなか立派な遺構を残す城なのに案内板が見当たりません。南側の道沿いに側溝(小川)が有るのですが道が突き当たりになる手前に土橋がかかっている箇所があります。
ここから渡らないと、危険を冒して側溝をまたいで渡らないといけません。できれば下をツンツンするストックは持っていきたいところです。側溝をわたって茂みをぬけると道が主郭まで続いています。左手(西側)に居館跡らしき扁平地が数段あり、そのまま尾根に登って主郭のある西側に向かいます。尾根の南側には横堀が続き、西手に見える堀と土塁を越えると主郭が見えています。
主郭の周囲は南を除き、堀と土塁で囲まれ、西側は小規模な郭のようになっています。
東と北の堀は良く認識できますが、なんとなく堀底がフラットではない様子。畝のようだったり、深い場所が見受けられます。自然にそうなったのかもしれませんが、堀底を移動しにくいように意地悪な仕掛けがしてあるのかもしれません。
堀底に落とし穴みたいなのは、有りそうで無かったですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

奈垣と比奈知、両方回るのがルーティン? (2024/10/05 訪問)

下山甲斐守城は奈垣と比奈知の二か所が有るようです。どうやら二か所回るのがルーティンのようなので先に比奈知の方を回ってきました。この周辺は道が非常に狭く、切り替えして戻ってくるのは非常に骨が折れます。車は付近の空きスペースに駐車させていただくと良いでしょう。
城址は私有地で住宅の間を通っていく必要が有ります。ご主人に確認して許可をいただきました。「草が生えててたいへんだよ」とアドバイスをいただきます。先に訪問した比自山城で十分にもまれてきたので大丈夫です(たぶん)。
ご忠告の通り、確かに藪がぼうぼうです。登城道を登ってすぐの堀切を南東方向に進みます。主郭の北西に郭が二段続いているので、何とか通れる道を進みます。主郭は土塁で囲まれ周囲には堀が配されています。土塁は十分な厚みを持っており、南の隅部は櫓台と思われる広さがあります。主郭の周囲の堀を確認して引上げ、民家の方に無事帰還しましたと報告して引き上げました。
夕方に訪れたせいか写真がピンボケ気味です。それなりの性能のコンパクトカメラ(ルミックス)を使用していますが、そろそろ寿命でしょうか? だいぶ酷使してます。じつは今、高性能コンパクトカメラが凄い値上がりしているので、何とか持ちこたえてほしいところです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 下山氏
築城年 天正7年(1579)
主な城主 下山氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物
住所 三重県名張市奈垣字竹之垣内