第二次天正伊賀の乱の時に柘植口から1万2000の織田勢が侵入してきて
周辺の伊賀衆は柏野城に集結し戦いましたが、あえなく敗れ去りました。
柏野城の伊賀衆は全滅してしまったのでしょうか?
この戦い全体では9万の人口の内、3万が殺されたというから
全滅に近かったのかもしれません。
近くに駐車場はありませんが、登城口には目印があってわかりやすいです。
害獣よけの扉をあけて中に入ると周囲に土塁の高まりがあって虎口を抜け本郭に
たどり着きます。しかし結構な藪でここで本丸で合っているんだっけ?
背後は高い土塁で覆われていて登るのは難儀しそうです。
西側へ進んでいくと土塁のような高まりがあって上へ登っていけそうなので
ひたすら登っていくと背後の尾根にたどり着きます。
縄張りにはないですが背後からの襲撃に備えるように東西にうっすらと
土塁が続きます。南の斜面側をみると無数の扁平地が見えますが
狭かったり傾いてたりで、なんか急ごしらえで作ったみたいです。
推測ですが織田軍の襲撃に備えて周囲の伊賀衆が集結した際に
本城が狭かったので背後の守りを兼ねて、ここに駐屯したのではないでしょうか。
想像していたよりも城域が広く、全容を把握できていないので
いずれまた訪問して縄張りを調べてみたいと思います。
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