かしわのじょう

柏野城

三重県伊賀市

別名 : 福島城
旧国名 : 伊賀

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①城址碑
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:柏野城 (2024/09/26 訪問)

新堂駅より徒歩20分ちょっとで、標柱前(34.816652、136.191751)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、福島宗雄によって築かれたようです。

単郭の城は北側を除く三方が土塁で囲われています。
西側には空堀があり、北西部に土橋があります。
攻城時間は20分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に向かう為、とりあえず甲南駅から津駅に向かい荷物をコインロッカーから取り出した後、三重県の松阪駅に向かいました。
本日の攻城徒歩=41104歩、攻城距離=28.77Kmでした。
(ただし、甲南駅➡竹中城~新宮支城➡甲南駅の間はレンタサイクルを使用しましたので、攻城徒歩/攻城距離は誤差があります)

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しんちゃん

背後の尾根にも防御施設が。いまだ全容つかめず。 (2023/06/25 訪問)

第二次天正伊賀の乱の時に柘植口から1万2000の織田勢が侵入してきて
周辺の伊賀衆は柏野城に集結し戦いましたが、あえなく敗れ去りました。
柏野城の伊賀衆は全滅してしまったのでしょうか?
この戦い全体では9万の人口の内、3万が殺されたというから
全滅に近かったのかもしれません。
近くに駐車場はありませんが、登城口には目印があってわかりやすいです。
害獣よけの扉をあけて中に入ると周囲に土塁の高まりがあって虎口を抜け本郭に
たどり着きます。しかし結構な藪でここで本丸で合っているんだっけ?
背後は高い土塁で覆われていて登るのは難儀しそうです。
西側へ進んでいくと土塁のような高まりがあって上へ登っていけそうなので
ひたすら登っていくと背後の尾根にたどり着きます。
縄張りにはないですが背後からの襲撃に備えるように東西にうっすらと
土塁が続きます。南の斜面側をみると無数の扁平地が見えますが
狭かったり傾いてたりで、なんか急ごしらえで作ったみたいです。
推測ですが織田軍の襲撃に備えて周囲の伊賀衆が集結した際に
本城が狭かったので背後の守りを兼ねて、ここに駐屯したのではないでしょうか。
想像していたよりも城域が広く、全容を把握できていないので
いずれまた訪問して縄張りを調べてみたいと思います。

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ぴーかる

柏野城 (2022/12/30 訪問)

【柏野城】
<駐車場他>柏野公民館横のごみステーション兼公園に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>土塁・空堀
<感想>伊賀市の公式観光サイトによると柏野城の築城年代は定かではないが、福島宗雄によって築かれたといわれています。平成元年に市の指定史跡に指定されています。伊賀天正の乱にて織田軍の進攻により落城しています。
 上記駐車場に城跡までの案内板があります。城跡入口の獣よけ柵を開けた所から城跡になりますので登る必要はありません。伊賀甲賀特有の単郭式の丘城で主郭は3方の土塁で囲み、西側背後は高土塁、その後ろに空堀があります。主郭の北東部に腰曲輪、北側にも空堀、空堀の北に曲輪があります。主郭北西部に北と西の空堀を分ける土橋があります。

<満足度>◆◆◇

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少し手入れが進んでいました (2022/02/11 訪問)

昨年4月にカズサンさんが訪問された時には、本郭以外は、かなりな竹林乱立で、ちゃんと見ることができなかったとか。まだ、倒木、倒竹がありますが、本郭外を一回りでき、東側の郭や西側の堀切に立ち入ることができました。
この小さな城でも天正伊賀の乱で近在の土豪が立て籠り、織田軍と戦ったとのこと。一重の土塁を頼りに、凄まじいことです。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 福島宗雄
築城年 元徳3年(1331)
主な城主 福島宗雄
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(柏野城跡)
再建造物 石碑
住所 三重県伊賀市柏野
問い合わせ先 伊賀市役所
問い合わせ先電話番号 0595-22-9611