まるやまじょう

丸山城

三重県伊賀市


旧国名 : 伊賀

投稿する
天守台
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ぴーかる

丸山城 (2024/11/16 訪問)

【丸山城】
<駐車場他>丸山集会所
<交通手段>車

<見所>切岸・櫓台・天守台
<感想>日帰り伊賀攻めの旅3城目。丸山城は1576年に伊勢国司の北畠具教が隠居城として築城を開始したが、織田信長と不和になり三瀬館に移った為に途中放棄となっていた。1578年に北畠信意(織田信雄)は伊賀攻めの拠点として滝川雄利に修築を命じ開始します。危機感を感じた伊賀郷士達は同年、修築途中の丸山城を攻撃して滝川雄利達を退去させます。翌年の1579年に北畠信意が軍を率いて伊賀に攻め込む第一次天正伊賀の乱が起きます。丸山城の廃城年は定かではないようで、伊賀郷士達が攻めた時とその後織田信雄が丸山城を滝川雄利に与えて1584年に滝川雄利が伊勢松ヶ島城に転封となるまであったとする説があるようです。
 城跡は山城扱いとなってはいますが比高が100mないであろう丘城といった感じです。山全体に曲輪群を配した規模の大きな城郭で登城口に入ってすぐ曲輪群が見られます。城跡は主郭を中心におおむね南の登城路、北尾根の曲輪群、西尾根の曲輪群と3方向に分かれています。南側のピークに祠のある出丸のような曲輪があります。祠がある所が櫓台だったようにも感じます。北尾根の曲輪群は2郭を中心に横堀が走り広い削平地を取っています。西尾根の曲輪群は一番尾根が長く、真ん中辺りに古墳を利用した櫓台、西端に配水池に改変された櫓台があります。西尾根は尾根下段にも曲輪群があり見応えがあります。
 主郭は北西に天守台があり、周辺に礫石が沢山落ちているので現地説明板の通り当時は石垣造りであったことが分かります。藪化していましたが天守台の周囲を1周しましたが石垣は全く残されていなく、全部崩落したようです。主郭は広い削平地で北に土居があります。主郭も藪が酷くて少し残念な感じでした。
 甲賀・伊賀地方のスタンダードの単郭方形高土塁の城郭構造ではなく、山の地形に沿って大小不定形な曲輪群を備えた城跡でしたので伊賀ではない縄張りだということがよく分かる構造でした。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:丸山城 (2024/09/27 訪問)

上林駅から徒歩10分くらいで、登り口標識(34.699699、136.161504)に着きました。

築城年代は定かではないようです。1578年(天正6年)北畠信雄は伊賀の領国化を図り、家臣の滝川三郎兵衛に丸山城の修築を命じたが、完成する前に伊賀国衆らによって攻められ落城しました。
その後、織田氏の大軍によって伊賀を制圧、三郡は信雄に与えられ、これによって信雄は家臣滝川三郎兵衛雄親に再び丸山城を築かせたと考えられているようです。

丸山城の主郭まで見学路が設けられています。
丸山城山頂主郭には一段小高く方形の土壇があり、この上に丸山城の石碑が建てられています。
主郭の西側面には横堀、北東側に虎口、南にも桝形虎口が見られます。
写真はたくさん撮りましたが、ピンボケ写真が多く投稿に耐えられません。よって、駅や電車の写真も投稿させていただきました。
攻城時間は35分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に向かう為、とりあえず上林駅から松阪駅に向かい荷物をコインロッカーから取り出した後、奈良県の新王寺駅に向かいました。
本日の攻城徒歩=25891歩、攻城距離=18.12Kmでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

映画「忍びの国」で有名になった城。 (2023/07/15 訪問)

かつて伊賀の国人衆が織田信雄の築城途中の丸山城を攻めたことが天正伊賀の乱の
発端となり、織田信長の伊賀平定のきっかけとなりました。
最近では「忍びの国」という嵐の大野くん主演の映画にも出てきましたね。
北からも登城できるようなのですが、南からのルートが一番安全そうなので
南から攻めました。その際、近くにある公民館の駐車所を使用させていただいています。
南口から入ってすぐに、小さな神社のある郭のような場所があり、ここから北上すると
すぐに主郭にたどり着きます。主郭の中心は天守台になっているらしく
大きな城址碑が建っているのですが、ひどいヤブでまったく周囲の状況が判別できません。
足元も定かでなく危ないので、尾根上の郭を通過しながら西の下山口を目指します。
途中、堀切や土塁の遺構を目にしたのですが、それほど大きなものでもないようです。
西の丸の端が給水施設になっているようで、そこから道沿いに下山していきます。
下山途中、いくつか兵を駐屯できそうな扁平地がありました。
主郭部以外はそれほどヤブ化しておらず歩きやすいのですが
肝心の主郭があの状態なのは残念な所です。
自治体が草刈りをしてくれると助かるのですが‥



+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

伊賀未踏の城廻りⅤ 伊賀の乱主要城郭 (2021/04/11 訪問)

 千賀地氏城を終えて東に約6km程の丸山城を目指す、天正伊賀の乱1次2次と火付け役舞台となった山城なので登城して観たいと思って居りNHKBSプレミアムで英雄たちの選択で放映され今回の伊勢・伊賀未踏の城廻りで期待していた城の一つ。
 情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さんに依る、登城ルートは城郭放浪記さんの丸山集会所、南からの登城。

 駐車場:丸山集会所駐車場(N35°41'59" E136°09'41")
 
 概要案内:集会所前の道から案内指示板が有り指示に従い民家横の南側登城口、案内指示標柱、緩やかな坂道を登って行く、左右には曲輪の跡を思わせる地形、最初の広い曲輪に出る北側に祠が祀って有る出丸かな?、北に向かって緩やかな尾根道を登る、道筋には曲輪のような地形、急な坂道に成り粘土質の土と落ち葉で滑りやすい、虎口を二ヶ所通り本丸へ、虎口の左右には曲輪群小竹藪状態で突入できず、本丸内も小竹藪状態入れない、天守台に城名石碑が建ってる、南下に小曲輪何か祀ってる宝篋印塔、堀底道を南降り西尾根曲輪群へ縄張図も無く途中まで行き引き返す、広い曲輪、縊れた処には土橋と左右に竪堀、来た登城路を駐車場に戻る。
 古城盛衰記さんは西からの登城路で西の丸、西尾根、本丸のルートを案内されてる、城郭放浪記さんは南から登城路で南尾根、北尾根本丸、西尾根を周回探訪されてる。
 全山を城郭に築き上げた大城郭です、登城路は歩けますが道以外は小竹藪潅木状態でちょっと入り込めません、天守台、宝篋印塔の有る曲輪は整備されてますがせめて本丸の藪は整備頂けるとありがたいのですが?

 歴史:北畠氏の養子となった織田信長次男信雄が伊勢を掌握し伊賀を狙い天正6年(1578年)家臣滝川雄利に丸山城を修築を命じた。壮大な城郭で有る事を知った伊賀の土豪衆は完成までに攻撃すべしと総攻撃を仕掛けた、不意を突かれた滝川氏は混乱敗走。
 翌天正7年(1579年)信雄は8千の兵で伊賀を三方から攻めるが伊賀土豪衆の抗戦に敗走。(第一次天正伊賀の乱)
 激怒した信長は天正9年(1581年)信雄を総大将に5万の兵で伊賀を侵攻し1週間ほどで伊賀の国を制圧。(第二次天正伊賀の乱)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 連郭式山城、丘城
天守構造 複合式?[3重?/1578年頃築/破却]
築城主 北畠具教
築城年 天正4年(1576)
主な改修者 滝川雄利
主な城主 滝川氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 曲輪、天守台、櫓台、土塁、堀切
再建造物 石碑
住所 三重県伊賀市枅川
問い合わせ先 伊賀流忍者博物館
問い合わせ先電話番号 0595-23-0311