狭山陣屋の主、狭山藩北条氏は小田原北条氏の子孫とされています。陣屋は上屋敷と下屋敷に分かれ、下屋敷は狭山池に隣接していました。ちなみに狭山池は1400年前からある日本最古のため池だそうです。
上屋敷は東小学校から北側周辺までが屋敷跡で東小学校の東に面している道(県道198号)を北上して行くと小公園があり、そこに立派な石碑があります。
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2024/11/21 18:58
2024/11/04 05:14
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:狭山陣屋 (2024/10/01 訪問)
大阪狭山市駅から徒歩10分くらいで、御殿跡公園(34.508242、135.555125)に着き、その後、長屋門前(34.506945、135.555323)に向かいました。
1616年(元和2年)北条氏信によって築かれました。 狭山藩北条氏は、小田原北条氏康の五男北条氏規の嫡子北条氏盛を初代とするそうです。
小田原北条氏は豊臣秀吉の小田原征伐により、当主の北条氏直は高野山へ移ることとなりました。
1591年(天正19年)赦免されて関東と近江で10,000石の所領が与えられ大名として復活しますが同年に没し、その遺領のうち下野国4,000石と北条家の名跡を北条氏盛が継ぎました。
さらに1598年(慶長3年)父氏規が没すると、その家督を継いで遺領7,000石が安堵され、計11,000石となって大名に列しました。
二代北条氏信は1608年(慶長13年)わずか八歳で家督を継ぎました。1616年(元和2年)この氏信のとき下屋敷に陣屋が構えられ、三代氏宗のとき上屋敷が完成しました。
1782年(天明2年)北条氏あきら(日方)のとき火災によって陣屋は焼失しましたが、1786年(天明6年)以降に再建されたようです。
狭山陣屋は狭山池の東方に築かれていました。狭山池に流れる東除川を境に北に上屋敷、南に下屋敷があったようです。
陣屋御殿は上屋敷にあり、御殿跡の一角に小公園があり、説明板と石碑が設置されています。
公園と小学校との間に長屋門(有限会社狭山開発の看板が上がっています)があります。
電車の時間がせまっている為、攻城時間は5分で早々に撤退しました。次の攻城先=小山城を目指す為、大阪狭山市駅から電車(南海線➡近鉄線)➡近鉄バスを利用して小山バス停に向かいました。
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2024/07/07 14:56
分類・構造 | 陣屋 |
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天守構造 | なし |
築城主 | 北条氏信 |
築城年 | 元和2年(1616) |
主な城主 | 北条氏 |
遺構 | 移築門 |
指定文化財 | 市史跡 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 大阪府大阪狭山市狭山3 |
問い合わせ先 | 大阪狭山市役所 |
問い合わせ先電話番号 | 072-366-0011 |