この日は午後から急遽空き時間ができたのでなんとなく、これまた黒井城と同じく20年来訪れていなかった丹波國は柏原を再訪することに。
柏原八幡神社や織田家廟所(明治の廃仏毀釈で廃寺となった柏原藩主菩提寺跡)などを訪れた後、旧大手筋を通って柏原藩の陣屋跡を訪れました。
柏原藩は慶長三年(1598)に織田信長の弟である信包が三万六千石で入封して三代信勝の代まで続きましたが無嗣断絶となってしまい、その後は幕府の天領となりました。
しかし元禄八年(1695)、大和宇陀松山より織田信雄の血筋である織田信休が(お家騒動の咎により二万八千石から二万石に減封のうえ)移封されて以来、代々二万石を領し明治維新を迎え、そして由緒ある織田家の血脈を現代までつなぎました。
藩邸の創設は正徳四年(1714)。上記の経緯で移封されたので当然のように財政難。さらに幕府から陣屋建造の許可がなかなか下りず、ようやく許されたのが入封からなんと約18年後の正徳三年(1713)だったそうです。
ところが、文政元年(1818)に失火によって陣屋門を残して全焼。その後、文政三年(1820)になんとか再建されたのが現存する御殿となります。
現存する御殿は表御殿の一部で、玄関、式台、御使者の間、同次の間、書院上段の間、同次の間御使者の間、同次の間、長柄の間からなり、全体規模の約5分の1が明治の取り壊しをも免れて残っています。
内部撮影が出来ないのは残念ですが、千鳥破風と唐破風を組み合せた檜皮葺の玄関も織田家の風格を示す立派なものです。
創設当初から残る陣屋の正門であった長屋門や敷地内に平面整備された台所跡や御用所跡、井戸跡も見所です。
また町内に移築されて現存している『太鼓やぐら』は見逃せません。元々は大手門脇に建っていたそうで、町内の監視の他に番所としての機能もあったようです。
町内には当時の町割りがよく残っていたり、柏原八幡神社や『木の根橋』など見所が多いので、半日コースから十分堪能出来ますよ。
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