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べあれん

播磨最大の山城「置塩城」 (2019/01/12 訪問)

地元なのに行ったことがなかったので、登ってみました。
標高370m、駐車場から曲輪群まで約40分。前半は案外急で疲れます。
曲輪は壮大で、播磨最大ということが納得できます!
所々に残る石垣もあり、特に南西の曲輪にある大石垣は圧巻です。
伝本丸からは姫路市街、夢前町方面が見渡され、支城を含め、赤松の本城だと実感できます。
瓦や礎石なども見られ、建物の痕跡も感じることができます。
行く価値ありのお城だと思いました!

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ひろべえ

まるで島のような城 (2017/08/16 訪問)

板敷櫓と加藤清正指導の石垣が目当てでした。扇の勾配に指導の跡が感じられました。桝形虎口やお船蔵跡、穴門、新蔵波止跡など他の城では見られない様々な遺構が堪能できました。夏の朝6時台に訪れましたが大村湾のさざ波を聞きながら遺構を巡るのは何ともぜいたくでした。

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くろもり

小笠原牡丹 (2013/10/14 訪問)

松本城築城以前は、信濃守護小笠原氏の深志城でした。武田氏侵攻後は武田氏家臣・馬場信春が城主を務めていたので、深志城の遺構を探してみましたが、そばのイベントで人が多く、ちょっと分かりませんでした。

深志城の遺構は見つけられませんでしたが、小笠原氏に由来する「小笠原牡丹」が本丸にありました。
以下、現地の説明より。
「天文十九年(一五五〇)七月に甲斐の武田信玄に攻められた小笠原長時は、林城館にあった純白の牡丹が敵兵に踏み荒らされることを憂えて、これを里山辺の兎川寺に託して去った。その後同所の久根下家は、この牡丹を守り、昭和三十二年(一九五七)十一月と平成十八年(二〇〇六)十月にその株を松本城へ移した。これが小笠原牡丹である。」

武家でありながら、花を気にかける所等は流石は後の小笠原流の祖となる小笠原氏ですが、小笠原長時公は越後に逃れるも「御館の乱」が発生、会津に逃れ蘆名氏に保護されるも、会津の地で客死しました(家臣に殺害されたとされる説が有力だそうです)。長時公の子孫は後に大名に復帰し、小倉藩15万石の小倉城主となり、幕末まで存続しました。

そんな小笠原氏の牡丹ですが、私が訪れた時は花は咲いていませんでした。5月中旬くらいが見頃らしいので、その頃に行かれる方は綺麗な牡丹が見られるかもしれません。

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にのまる

日本最大級の木造復元建築 (2019/01/02 訪問)

傍らに鍋島直正像が屹立する鯱の門をくぐり右に折れると(そこはやはり防御の造りか)、鼓の胴の松飾りを掲げ、アームストロング砲を脇に据えた見目麗しい本丸御殿が目に飛び込んできました。
入館料無料です。気持ちの募金でいいのだそうです。名護屋城博物館もそうだったし、佐賀県好感度↑↑です。
順路が示されていても迷いそうな御殿(本丸歴史館)内では終了間近の特別展「肥前さが幕末維新の志」を見ることができました。(こちらも無料で、オールカラーの資料冊子がいただけました。)御座間で直正公とツーショット写真🤳が撮れたりなど、御殿内は仕掛けがいっぱい。
亀甲乱積みの南西隅櫓台から眺める御殿の姿も、幅70mの水堀も壮観でした。裏側もお見逃しなく!です。
西側土塁石垣の先に天守台がありましたが、登り口が見当たりません。木橋を落とした風でもなく、西門を飛び越えることもできず。
こっち側じゃないなと思って鯱の門の方に戻ると、門の石垣側面に♡型の植栽が!こんなところにも仕掛けがあったか(^_^)
天守台は門の外から行けましたっていうか、最初に素通りしてしまっていました。
正月早々、がばいおもしろかお城でした。

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朝田 辰兵衛

旧本能寺/現本能寺 (2018/07/08 訪問)

これから散策される方が増えることを予想して,UPしておきますネ。旧本能寺跡は,うっかりしていると通り過ぎてしまいますので,くれぐれもご注意くださいませ。歩いたら結構ありました。しかも,暑かった…。

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チェブ

100名城スタンプ変わりなーし! (2018/12/30 訪問)

北条 氏康さん、築城。氏政さんの代で秀吉さんとの仲が悪くなり改修した「山中城」
畝掘、障子掘の素晴しさ、霧が立ち込め幻想的。晴れたら大きな富士山も見られ、近くにカッコ良いつり橋のスカイウォークもあります。
みなさん、良い写真ばかりです!
年末と、たまにGWぐらいしか遠出ができません。年末は私の住む近郊のお城がお休みでスタンプもしまわれています。続100名城も合わせると終わりが見えてきません。

今回、静岡の掛川市と三島市にある「山中城」はスタンプ押せました。五年前に押し忘れたスタンプ、今回はきちんと押しました。散策は前回したからスタンプ目的で来た、城びと失格です(笑)
夜7時頃、到着しました。スタンプはいつでもウエルカムです!

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カルビン

どうしてもライトのファウルグランド先が気になり (2019/01/03 訪問)

宇都宮駅から一路、この日のお城訪問としてのメインの目的地・鹿沼城を目指し、JR日光線に乗って鹿沼駅へ。
ここから徒歩30分以上かけて鹿沼城のある野球場までやってきました。

確かに野球場自体が山の上にあり、その周辺が土塁跡?切岸?と思われる形状ではあるもののはっきりせず、
しかもあるハズの解説版を見つけられず、遺構も確信できるものが見つけられずに右往左往。。。おかしい、どこかに確定遺構が見られるハズなのに。。。

唯一ここ谷になっているのでは?と思われるライトのファウルグラウンド先の下が気になり行ってみると、藪に囲まれた細道が・・・

藪嫌いなのに、先日突入した花園城の時のテンションを維持していたせいか、迷わずツッコんでましたw
するとそこに見事な折れの入った深堀があるではあ~りませんか(笑)

正直この日見た戸祭城のガッカリ感があったので、やっとこれ見て溜飲を下げられました(汗)


ちなみに解説は諦めて帰ろうとしたら、バックスクリーン側の坂道にありました。。。
今年4ヶ所目の初詣(もはや「初」ではありませんがw)した今宮神社側から登れば目の前にあったんですね。。。

・・・どうも今年は遠回りする運勢なのかもしれません(汗)


JR鹿沼駅より東武線の新鹿沼駅への方が鹿沼城からは全然近いですが、東武日光線の本数が劇的に少ない為、またJR日光線も本数少ない事から、公共交通機関利用されるなら宇都宮駅からバスで来られるのが一番本数多いです。
(帰りはすぐ前を通っていたバスで40分弱で宇都宮駅まで戻れました・・・電車の待ち時間考えると全然早いです・・・但し運賃800円近くします(片道))

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リベロスキー

畝状空堀群のお城 (2019/01/10 訪問)

畝状空堀群を見たさに行って来たのですが、草がボウボウで良くわからなかった。
せっかく、この城の見処ポイントなので、もう少しマメに整備をして欲しく思った次第…😅

あと、おまけで、こんなんも早くも売り出されていた😆

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リベロスキー

ザ・秘密基地 (2019/01/10 訪問)

巨石と石垣のミックスが何度来ても迫力有って良いカンジです🎵

さらに近くの中津川の宿場町のお店ではこんな和菓子もありました。😊

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くろもり

相模の獅子初陣の城? (2013/09/14 訪問)

京王よみうりランド駅の東にある穴澤神社から登城しました。穴澤神社側の登城道は、旧城主の小沢重政公も通っていたとされる道で、雰囲気はありましたが、蜘蛛の巣が多かったので、晩秋から冬の登城の方が良さそうです。靴も滑りにくい物がいいと思います。

相模の獅子こと北条氏康が扇谷上杉氏を破り初陣を飾った小沢原の戦いで、北条氏康の陣城だった可能性が高いと言われている城なので、後北条氏の好きな方にお勧めです。

遺構は堀や伝・馬場や伝・物見台等の見所があり、城山から北の景色は多摩川を抑える眺望で、後北条氏が扇谷上杉氏を監視していたであろう往時の雰囲気を味わうことができました。個人的には城址に所々置かれた説明板が印象に残っています。小沢城址里山の会の語り部・宮崎翁(今もご健在なら94歳のはず)の実際に城山を見て来た昭和初期の話や、翁が聞き伝えている明治頃の城址の話等、地元に昔から住んでいないと知らない話ばかりで興味深いものでした。

小沢城址の隣が読売ジャイアンツの練習場なので、読売ランド駅から練習場までの坂道は「巨人への道」と呼ばれており、こちら側からも小沢城へ行けたと記憶していますので、巨人ファンの方はどうぞ。

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朝田 辰兵衛

唐門,復原町並,庭園群もいいですが… (2017/11/28 訪問)

上城戸跡,下城戸跡も一見の価値があります。詰城への登山はスケジュールの都合で見送りました。

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カルビン

ここだけ狙って行くのは止めましょう (2019/01/03 訪問)

日付変わって1/3には初詣を兼ねてあえて宇都宮にやって参りました。
宇都宮城はお城巡り始めてすぐと、時間経って評価変わるかな?と思う度、合わせて3、4回来てますが・・・その評価と名前負け感は変わらずw。。。なので今回はスルー

代わりにやって来たのはこれまた「城びと」に登録されていなければ知らなかった戸祭城

ま、宇都宮城から近いと言う事もあって、際立った遺構は無いだろうとは思ってましたが。。。予想を超えて何もありませんでしたorz

あるのは石碑だけ。。。しかもここに来るまでの道で思いっきり犬に吠えられるという(ー"ー;)
お前らの年は終って今年は俺の年なんだよ!(←年男ですw)


今回の遠征のメインが二荒山神社だったのと、ここから離れたお城訪問だったので、損した気分。。。までは行かなかったです。
が、こちらも斎藤氏館以上にここ狙って来るのはくれぐれも控えた方が良いです。


宇都宮駅周辺には主に徳川譜代の大名の菩提寺が多いので、菩提寺巡りの際に立ち寄る・・・くらいで十分だと思います。

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チェブ

黄金2袋で許してね! (2018/12/30 訪問)

武田VS徳川で行ったり来たりの「高天神城」。
家康さんの援軍要請に遅れてしまった為、信長さん兵糧代を送ったそうです。「高天神城」は武田軍に取られてしまうし家康さん、さんざんです。
ただ翌年、長篠の戦いで信長・家康連合軍は大勝。高天神城奪還するため兵糧攻めしました。武田 勝頼公は援軍を送れず落城です。

南口駐車場から本丸、三の丸方面に向かいました。登り始めると案内柱があり、見逃しそうな遺構も案内のおかげで見られました。
途中、進入禁止の場所もああります。ただし違う道があるのでパンフレットを見ながらの方が探索はしやすいと思います。(足元は山城なので休憩中にパンフ確認ですよ)
とても良い運動になり、お腹が空きましたが当時の兵糧攻めを思うと、ここでおにぎりは食べずらいです。

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前ちゃん

織田信孝が養子に行った城 (2019/01/08 訪問)

神戸高校の隣、公園化され整備されている

野面積の石垣、所々崩壊を防ぐため、コンクリで固められていた

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前ちゃん

徒歩で (2019/01/09 訪問)

バスの時間があわず、中津川駅まで往復歩きました。

城下町は行かず

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モト

続々日本100名城があったら当選確実?! (2018/12/11 訪問)

遺構のレベルがすこぶる高い小幡城です。
城跡への案内板を頼りに駐車場に停めて入り口に入るとそこからは異次元空間が広がる感じです。
なんせ、これから進む堀底道、そこから左右に広がる土塁の高さは凄まじい迫力です。
この光景は驚きにプラスして感動します。

迷路のような堀底を歩いて周れるようになっていて、所々に案内板も設置されています。
堀底道もクネクネ曲がったり重なったりで先の視界を妨げる仕組みです。
攻め込む兵士はここに迷いこんで、左右から矢やら岩やらで防御兵が攻撃してきたんだろうななんて想像すると、恐怖すら覚えます。
高い土塁には変則武者走りなる物も見ることができ、なるほどここを移動しながら迫り来る敵兵を攻撃したんだということも理解できます。
進んで行くと、土塁に囲まれた空間があり、本丸跡です。
ここには井戸もあり、雰囲気ありました。
途中、堀底道から土塁の上も歩いたりしながらこの深い空堀を底と上から楽しんで大満足の登城でございました。

今はままだ、日本100名城にも続日本100名城にも選ばれていない小幡城ですが、もし続々日本100名城が制定されたら間違いなく選ばれるのではないかと思いました。
個人的な見解ですけど。(笑)
それほど、素晴らしい城跡だと思います。

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まーやん

2度目の大河ってラッキーな‼️ (2018/12/08 訪問)

八木城(京都府南丹市)、八上城(兵庫県篠山市)と並び丹波三大山城に数えられる黒井城は丹波の赤鬼と呼ばれた赤井(荻野)直正の居城で、福知山城とともに今回続100名城に選ばれている。
明智光秀の攻略後は重臣斉藤利三が城主として入城。その子福は後に大奥の礎を築いた春日の局。
2020年大河『麒麟がくる』で登場するであろうこの地は、小さな町ながら2度目の大河ドラマゆかりの地となるだろう。スゴイ(; ̄ー ̄A
山麓の興禅寺の石垣と濠は下館の雰囲気を感じ、楼門も立派である。城下町も戦国城下町の色が残っており面白い。
道の駅でも幟が掲出され盛り上がりを見せているが、是非この機会に丹波の戦国史が世の中で認知されることを願う。

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くろもり

扇谷上杉家の城跡 (2013/08/31 訪問)

深大寺の南に位置する深大寺城は、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の当主・上杉朝定(うえすぎともさだ)公が難波田弾正(なんばだだんじょう 善銀?)に命じて深大寺の古要害に築城した城跡です。

後北条氏の侵攻により失った江戸城奪還の為に築城されたようですが、北条氏綱が深大寺城を攻めずに直接朝定公の河越城を攻めた為、深大寺城城主・難波田弾正は深大寺城を放棄し、主家を救援する為に撤退したとされています。

河越城は落城し、深大寺城も後北条氏のものとなりますが、前線から離れた城になったからなのか、後北条氏が深大寺城を活用することはなく、そのおかげで扇谷上杉家の築城技術を確認することができる貴重な城址となっています。

主郭北から西にかけての堀と二郭南面から西面の土塁は平成の公園整備で復元されたもので、土塁は三郭にテニスコートが造成された関係で若干内側に復元されているそうです。

周囲との比高は10m程とそれ程高くありませんが、南に野川、北と東は湿地(現在の水生植物園が名残かと)に囲まれており、攻めにくい城だったと想像できます。野川の南には大河の多摩川が流れ、北上して来る後北条氏を迎え撃つには絶好の場所だったと思いますが、北条氏綱の方が一枚上手だったようです。

お城に興味がない方でも、水生植物園と併せて散策すれば、気が休まるいい所だと思います。近くの深大寺は東京観光の名所で、そばもおいしいですし。

城びとさんで紹介されていた漫画「東京城址女子高生」の第3話で深大寺城が舞台となっていましたが、現代の女子高生目線で見た深大寺城の描き方、とても面白かったです。あまり書くとネタばれになるので、印象に残ったセリフだけ紹介しておきます。「まぁでも 北条に相手にされなかったのは今となってはよかったよな。そのおかげで扇谷上杉家が築いたものがほとんど手つかずで残っている とても貴重な遺構だ」 セリフだけだと良さが伝わらなさそうですが、漫画だとこのセリフの背景に主郭から土橋越しに二郭を見た風景が描かれていて、中世城郭の好きな方にはぐっとくるものがあるかと・・・
作者さん2巻も楽しみにしてます ( *• ̀ω•́ )b

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にのまる

京をもしのぐ寒さ… (2019/01/01 訪問)

名護屋城博物館で温まってから、気持ちのワンコインでガイドマップをいただき、寒風吹きすさぶ中を東出丸、三の丸、本丸と進みました。陣城でこんなの築かせる御仁の怪物ぶりと果てしない妄想には、時代の寵児どころではない恐ろしさを感じてしまいます。破壊され転がっている巨石にも廃城の哀れさはなく、寧ろ豪快で、この姿さえ計算済みだったのではないかと思うほどでした。
奥州でこんな人にケンカを売った九戸政実らの勇気はすごかったんだなと、なぜだかここで九戸城を思い出し…。
そして怪物くんの叶えられなかった夢をぶっ潰した家康はもっとすごいなと思ったり。

本丸の天守台で強風MAXになり、吹き飛ばされそうになりながらも踏ん張りました。3秒ぐらいは立っていられたんじゃないかと思います。
水手通路と伝馬場には行けたけれど、遊撃丸や二の丸、弾正丸は眺めるだけだったし、山里口や、博物館から直接行ける木下延俊陣跡にも行かなかったのが心残り(寒さに負けた^^;)
現在確認されている陣跡は150くらいと博物館で聞きました。白地図を作って塗りつぶしながらまわったら楽しくてたまらないだろうな♪

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朝田 辰兵衛

本丸から眺める大広間の紅葉絶景に癒されました。 (2017/11/27 訪問)

2017シーズンの小谷城は,マダニが大量発生していました。“マダニのオダニ”とまで警戒されていました。しかし,紅葉の時期は短かったものの,その美しさは格別でした。
戦国ガイドステーションから徒歩約60分かけて山王丸跡まで登山。桜馬場からの眺めはとても良いです。この日は大広間跡の紅葉がサイコー!当初は全く期待していなかった,本丸跡と中丸虎口間の大堀切にも圧倒されました。

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