沓掛城(沓懸城とも)は、今川義元が桶狭間の戦い前夜に軍議を開いた場所です。
旧鎌倉街道沿いの要衝ですが、現在では周囲を田畑と住宅に囲まれた平城です。
遺構としては本丸、曲輪、空掘、土塁、土橋?が残っております。
本丸は現在の城の規模にしては大きく、当時はもっと大きな城であったのではないかと思わせます。
曲輪は高台になっており物見櫓があったとも言われております。
幅8mほどもある当時は水も湛えていたであろう空堀が巡らされておりますが、その外側には土塁や外堀などの遺構はない平地です。
城周辺は小高い丘がいくつもある丘陵地で、そちらの方が見張りにも、防御にも適していたと思えるのですが、ここを選んだ理由は何かあるのでしょうか。
今川義元は2万5千の大軍もの大群でやってきたそうですが、本隊は城に泊まれてもその他大勢はどこにいたのでしょう。
桶狭間の合戦当日、今川軍本隊は5000人程で沓掛城を出陣。その際に落馬してしまったので塗輿に乗り換えていた。
本体より先に出陣した先発隊が、松平元康が兵糧入れを行なった大高城を取り囲む信長方の鷲津砦、丸根砦を攻略したのを聞いて、義元は桶狭間山で休憩・昼食中(酒宴?)に悪天候となったところで、義元が乗っていた輿が目印となってしまい、信長に急襲されてしまった。
隣接する慈光寺は、パッと見ると館城のようで当時の沓掛城を偲ばせます。
駐車場は10台分程あり、トイレもあります。
堀を探索していたら隣接する乗馬クラブの厩舎からお馬さんが顔を覗かせました。
春は桜の名所としても有名で、初夏の空堀には蛍が舞うようです。
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