しゅうちじょう

須知城

京都府船井郡

別名 : 志宇知城、市森城
旧国名 : 丹波

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つちのこ

須知城 (2026/07/19 訪問)

南北朝時代に須知氏によって築城されたといわれており、明智光秀による丹波攻めの際に落城、その後は丹波攻めの拠点として使われたらしいです。
京丹波観光協会で頂いた須知城のパンフによると、登り口は明石口と琴滝の2つがあるが、登りやすいのは明石から、とあったのでそちらから向かうことに。駐車場は麓の玉雲寺にありますが、カーナビで玉雲寺を設定すると山の反対側から向かう、一般車は通行不可のルートを案内されるので注意。パンフに記載されたとおりに向かえばたどり受けました。
明石登城口から約40分で頂上まで到着。休憩するようなスポットがなく歩きっぱなしです。登り切ると、そこから左右に曲輪が伸びています。3郭の石垣が綺麗に残っていました。主郭である1郭は脇からぐるっと回り込むと、4mの高石垣が見えました。下りは琴滝へ下りる道を下りました。確かに明石より急な坂でした。杉木立の森を抜けていくと、水量豊富な琴滝に出ます。 登城ですれ違う方は1組だけでしたが、琴滝には入れ替わり人が訪れていました。
帰りに玉雲寺にお邪魔したところ、境内には桔梗が見頃となっていました。このお寺は明智の丹波攻めの際に焼失したものの、明智光秀により再建されたといわれています。その繋がりで桔梗、なんでしょうか。

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昌官忠

(東海&関西)遠征9日目:須知城 (2025/05/23 訪問)

御影山城から車で35分くらいで、玉雲寺入口付近駐車場(35.140786、135.434372)に着き、そこから徒歩5分くらいで、登城口付近(35.143171、135.433707)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に須知景光によって築かれたと云われています。
1579年(天正7年)織田信長の命を受けた明智光秀による丹波侵攻では、当初は織田方として参戦しますが、途中で離反したために光秀の軍勢に攻められ落城し、須知氏は滅亡しました。
その後は明智氏の丹波支配の拠点として利用されたそうです。
山麓の玉雲寺は須知出羽守慶吉が開山した寺で、落城の際に兵火で焼失したものを光秀が再興したそうです。

③写真の場所の上をさらに100m行くと登山道入口があるはずですが、自分にはみつけられませんでした。
15分くらいウロウロしましたが、断念しました。結構ショックです。高石垣みたかったのに。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=橋爪城へ向かいました。

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小城小次郎

登るのはキツイが実にいい。 (2021/10/24 訪問)

明智光秀に従った時期もあった須知氏だったが去就定まらぬ丹波国衆の一人としていつしか粛清の対象となり、主のいない須知城には高石垣と枡形虎口が設けられ、いわゆる織豊系のお城に生まれ変わった。登るのはキツイが実にいい。

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キンヤ

珍しいシノギ角の高石垣が圧巻の城 (2021/11/21 訪問)

詳細不明の城ですが、須知氏によって築かれ、明智光秀の丹波平定の際に落城したと云われます。

西側曲輪群は石垣造りで明智光秀による改修ともされます。

副郭と主郭の虎口は食い違い・枡形状でテクニカルです。

特に主郭東下の石垣は荒々しい野面積みで高さもあって圧巻です。
1箇所は算木積みの角石垣ですが、2箇所は珍しいシノギ角石垣で積み方も変わっていて興味深いです。

東側曲輪群は多少石垣は見られますが基本的には土造りでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 須知景光
築城年 南北朝時代
主な城主 須知氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 町史跡(須知城)
再建造物
住所 京都府船井郡京丹波町須知市森
問い合わせ先 京丹波町役場教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 0771-84-0028