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くろもり

Googleマップ君の案内に注意です (2018/10/19 訪問)

カーナビで検索できなかったので、Googleマップで「小島陣屋跡」を目的地に設定して訪れたのですが、案内通りに進んだ所、駐車場のある裏門側の北側ではなく、表門側の南側に誘導されました。表門側には駐車スペースがないので戻ろうとした所、近所の方が出てきて「止めていいよ」と仰ってくれたので、駐車させて頂きささっと散策しました。
静岡市の小島陣屋のHPには専用駐車場はないと書いてありましたが、北側は5~6台は軽く止められるスペースを整備してくれています。パンフレット等も置いてあり、以前は畑だったようですが、訪問できるように整備してくれているようです。
コンパクトながらも石垣が多く、陣屋のイメージが変わる穴場的な所かもしれません。
妻も「岩村城をずっとコンパクトにした感じで、想像してたよりずっと良かった。」とのことでした。
表門側はマロンちゃん(近所の方のワンちゃん)が元気に吠えるので、散策には気を付けてください。
車で訪れる際はくれぐれも北側に駐車するよう、愚か者のくろもりと同じ轍を踏まないようご注意ください。
近所の方々にはこの場を借りてお詫びいたします。

※追記 現地でもらったパンフレットを見ると、「駐車場は小島町自治会館駐車場をご利用下さい。」と記載がありました。
パンフレットのPDFは静岡市の小島陣屋のHPからダウンロードできますので、そちらで確認できます。
自治会館の近くに小島陣屋の書院建物が移築されているらしいです。
後、現地にトイレはなかったので、近くのコンビニ等で済ませてからの方が良いでしょう。

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勝野武士

陣屋敷地が奇跡的によく残っています。

若狭野集落にひっそりと、その跡はあります。
陣屋当時の建築物としては、藩札を作っていたという『札座』と、表門(?)が寺院の山門として移築現存しているのみで他に目立った遺構はないように見えますが、陣屋の古絵図と現況を照らし合わせてみると、跡地がそのまんま神社やら畑やら藪やらに転用されてたりして、敷地自体は結構大部分が残されてます。神社境内には井戸の跡と石碑もあります。
…とはいえ、跡地は結構荒れ気味で、唯一現地に残っている札座は老朽化が激しく、このままでは倒壊の危険すらあります。早急な保存対策が望まれます。
あと、周辺の道がかなり細く、駐車場はおろかそのスペースもあまりありません。私有地もありますので、見学には細心の配慮を。

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勝野武士

秀吉の岩風呂とサウナ。

有馬温泉街の少し高台に温泉寺がありますが、その裏手に極楽寺があります。その極楽寺に隣接して『太閤の湯殿館』という展示施設があります。
内部は蒸風呂と岩風呂の遺構を露出展示しており、わずかながら湯山御殿の面影を偲べます。
周辺には露地庭園の跡と帯曲輪の石垣が!
そして隣接している念仏寺は北政所御殿(=奥御殿?)の跡だといいますが、細い道を通って念仏寺周辺を探ってみると、なんと帯曲輪の石垣の積み方によく似た高石垣が!
…あくまでも推測ではありますが、念仏寺と湯殿館との位置関係や石垣からみても、かなり広大な城構えの山里御殿のようなものだったようです。
まだまだ謎の多い湯山御殿。
それ故にロマンをかき立てられます。

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丹羽長重

伊達家ゆかりの城 (2017/08/20 訪問)

福島市の市街地から少し離れたところ、小高い山の上に大森城はあります。
歴代城主はなんと伊達成実!片倉小十郎!
超有名人が務めています。
今はちょっとした公園になっていて、本丸跡には遊具があります。雨の降った後なのでブランコなどは濡れてました。また、公園には模擬櫓が建っており、福島市街地がみわたせました。もう少し天守っぽく作れば観光客が来るのにな~と思いました。

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モト

唯一の遺構、土塁 (2018/10/10 訪問)

城址には神社が建っていますし、跡地は畑になっています。
また、畑の奥に唯一の遺構であるらしい土塁がありました。

見学に行った時には畑で所有者の方が耕しておりました。
さすがに勝手に行くのもなんでしたので奥に行くことに許可を取ることにして、話しかけました。
あ〜、どうぞどうぞという感じで慣れているようでした。
よくよく話を聞いてみますと、どうやら同じように見学に来る人がよくいるらしいです。
なるほど、慣れているわけです。

確認できる遺構は土塁だけでした。
少々控えめな城址でございました。

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勝野武士

黒田官兵衛生誕の地?

三年くらい前に訪城しました。
スミマセン…うろ覚えで書きます。
規模は決して大きくなく、標高120mくらい?の小山に竪堀らしき跡といくつかの削平地が残る。麓には生活の場(館跡?)があって、そこで官兵衛が生まれたのだとか。
地元の伝承によると、落城の際に脱出した官兵衛の母が幼い官兵衛を家臣?に託して、自らは加古川を越えられず溺死してしまったという。悲しすぎる…。

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カルビン

ココモデスカ(゚◇゚) (2014/12/06 訪問)

静岡県のお城で登城口に向かう途中で茶畑に突入したお城は数ありまして
(花倉城、杜山城、飯田城、等々)
ここ勝間田城もガッツリ茶畑が(^ー^;)

お城自体の高低差はさほどでは無かったのですが、案内版のある駐車場から城碑がある場所までの上り坂が地味に疲れました(汗)

主郭は路沿いに進んだ後、開けた郭等を見ながら真っ直ぐ進んだ突当りを目指せばすぐにたどり着きますが、山城らしい遺構はその更に左奥の方に存在する為、主郭を見て満足して引き返してしまわないようにしましょう(-ω-;)

公共交通機関で訪問できるとは言い難い場所なので、車で訪問しましょうねw
小山城や諏訪原城を訪れる際に、その足で勝間田城にも立ち寄られると宜しいかと

お城の北北東に駐車場ありましたが、結構解り辛い場所だったので事前にご確認下さい



勝間田城の名前だからと言って流石に短パンで訪問は止めた方が良いと思います(笑)

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勝野武士

地形を巧みに利用した『天然の要害』。

本丸跡を除いてほとんど宅地化してますが、よーく歩いてみると、雲龍寺(別所長治夫妻の首塚があります)南側の大堀切やその周辺の起伏に富んだ地形に、面影を偲ぶことができます。河岸段丘上に築かれた城っていうのも納得です。
本丸跡からの眺望…すぐ北側に美嚢川が流れてて天然の堀となっています。美嚢川と本丸に挟まれたナメラ商店街はかつての帯曲輪跡。
今はコンクリートに固められた本丸の崖も、以前は犬走り状のテラスがあったとか…。

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チェブ

一番最初の横山さん。 (2018/10/21 訪問)

八王子駅から歩いて15分くらいで着くと思います。
この日、車で来たのですが、この辺りは一方通行と商店街。歩行者が多いので車の方は気をつけてくださいね。
「お城を探す」で、こんな所にもってな感じでやって参りました。
場所は八幡八雲神社の脇っちょに小さい祠があります。もちろん、石垣や掘はありません!

説明板には平安時代~鎌倉時代の領主さんがいて…
むむむっ不得意時代…。
でも、横山姓の始まりとあります。全国の横山さんの生れた場所って考えた方が親近感がわきます。
この辺りをドライブしていると28日は「北条氏照祭」の のぼりを見掛けます。
氏照さんは続100名城の滝山城主ですし100名城の八王子城を築城しました。
もし、この日この辺りの城攻めを計画していたらお祭りはもちろんですが、通行止めになる道があるようですよ。

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ぽんたっく土佐守

雨だったから滑りやすかった (2018/10/20 訪問)

朝、バスで高知を出発して着いたのが午後2時半過ぎ。
岩村城は雨でした。
トレッキングポールを両手に歴史資料館前から登城開始です。
藤坂、初門、一の門と石畳が続きます。
道中はそれほど険しくないですが、
にのまるさんの予言どおり、雨の日の石畳はよく滑ります。
写真4の畳橋。
ガイドマップには書いてありませんが、
写真左と右の石垣には、かつては橋がかかっていたそうです。
そして、岩村城最大の見どころ「六段壁」が見えてきました。
圧巻です。
でも、それに勝るとも劣らず、
長局埋門から続く枡形虎口(写真7)、
本丸から出丸へ降向かう埋門(写真10)も見事でした。
そして、本丸から眼下を見下ろすと霧が見えました。
さすが「霧ヶ城」と呼ばれる城址です。
ところどころ紅葉も始まっていて、
やっぱり城址は季節・天候によって
いろいろな顔を見せてくれるんだなぁと思いました。

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オダリン

中世山城の模擬天守 (2012/11/29 訪問)

地元の木を使い木造で地元の大工さんが造った中世山城である。雨が降っていたが初期望楼型の模擬天守は重厚感がある。

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オダリン

秀吉ゆかりの木下氏の城 (2009/11/10 訪問)

穴太衆が築いた石垣が見事で特に本丸の高石垣が素晴らしい。天守台からの眺めは絶品であるが雨模様で少々残念だった。

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ブラタヌシ

山城❗️攻め❗️ (2018/10/21 訪問)

土累と空堀の城。広い城跡でした。

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ブラタヌシ

難攻不落の城 (2018/10/21 訪問)

山城攻め❗️何とも景色のよい城跡でした。

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広い水堀をもった平城で、織田信孝が築いた織豊系城郭 (2018/10/13 訪問)

織田信長の侵攻を受けた伊勢の国人領主神戸具盛は、信孝を養子に迎える形で家督を譲って隠居した!
1580年になると、信孝は本格的に神戸城拡張工事に着手致します!
本丸・二の丸・三の丸で構成され、本丸には三重目に唐破風をつけた5重天守が築かれたと言われています!
1595年に桑名城へ移築された神戸櫓が、この天守であったとの伝承が有ります!
本丸に残る天守台は、隅角部や上端に近世の積み直しを受けているものの、未加工の自然石を積み上げた野面積で、信孝時代に築かれた可能性が高いです!
天守台のある本丸は堀で囲まれ、本丸の東と南側には土塁、東側には出枡形の虎口を設けて、二の丸と接しています!
本丸は江戸期には、すでに天守台のみで、建物も存在しない打ち捨てられた曲輪でありました!
本丸東側に位置する二の丸に政庁及び藩主居住の御殿が置かれ、東隅に城内唯一の二重櫓が築かれていました!
東側には二の丸と同程度の面積を有し、大手口が位置する三の丸が、本丸の西側には南北に長い西曲輪が置かれ、三の丸と共に馬出としての機能を併せ持つ曲輪で有りました!
南側には、東西に長い馬場を配置して、さらに三の丸の東側に出曲輪を置き、防備を固めていました!
これらの曲輪群は、いずれも広大な水堀によって囲まれており、城下の西から北を巡り、東側を通って南に流れる六郷川が、天然の堀として総構の役目を果たしていました!
城跡は現在、神戸公園と神戸高校となり、本丸跡と天守台、僅かに水堀などが見られます!

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くろもり

静岡県唯一の国宝建造物久能山東照宮 (2018/10/19 訪問)

静岡駅からレンタカーで訪れたので、日本平のロープウェイ駅に駐車し、ロープウェイで久能山へ。
博物館は小さく写真撮影禁止ですが、徳川家康公がスペイン国王フェリペ3世から贈られた洋時計。目器(メガネ)、鉛筆等を見ることができました。
久能山東照宮の拝殿に、日光東照宮の様な逆さ葵が三つあるらしいのですが、拝殿の北西(霊廟側に向かって右手)に一つ見つけることができました(見つけたのは妻で私は写真撮っただけですが、4枚目の写真)。
また、旧博物館の曲輪に山本勘助由来の井戸跡、一ノ門から南に駿河湾を一望でき、北条水軍を監視したという武田信玄公の築城当時を想像することもできました。

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織田晃司

八橋駅を目指して (2018/10/21 訪問)

鉄道により城跡が分断されて、線路の北側に本丸。石垣があり、南側は曲輪群がある。

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にのまる

見学しやすかったです。 (2018/10/19 訪問)

平安〜戦国時代に使われたお城で、土塁・空堀・曲輪の三点セットが遺構として見学できました。
管理をされているのが隣接するお寺なのですが、そのせいか「土塁」とか「本丸跡」とか書いてある石がどうしても墓石に見えてしまって…。(形がまさに墓石で。)
本丸を囲む空堀がすごく大きくて堀底を歩けるようになっていたので奥の虎口から下りようとしたのですが蜘蛛の巣に阻まれて行けませんでした。大手門にまわってみましたが、こっちも蜘蛛の巣と藪がすごくて突破することができませんでした。さらに、牛がいました。虫じゃなくて牛です。

【おまけ:大篠塚城】
小篠塚城に向かっている途中、仮面ライダーV3に遭遇(写真9枚目)。そしてそのあたりが「大篠塚」という地名だったので「もしかしたら大篠塚城もあり?」と思って検索してみたらありました。便利な世の中になったものです(^^)
Googleマップに麓まで連れて行ってもらいましたが(写真10枚目のスクショ)、地獄の軍団ショッカーが迫ってきて、我らを狙う黒い影が「いー!いー!」って襲ってきてもさっきの仮面ライダーは助けに来てくれそうになかったので踏み込むのはやめておきました。

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todo94

昨日の8城目 (2018/10/20 訪問)

車を駐めておくスペースが全くなく難渋した。結局、近くのうどんのはなまるで昼食を摂り、そのまま歩いて志度城に向かった。JR志度駅が近いので公共交通機関利用で訪れるべき城と云える。

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todo94

昨日の7城目 (2018/10/20 訪問)

十河氏の一族、前田氏の居城。三代・宗清は勇戦するも、再度の長宗我部軍の侵攻に戦死。城も廃城となる。本丸は墓地になっているが、土塁が残り、空堀の痕跡も見られる。二の丸は現・宝寿寺。

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