大和と河内の国境の高安山には、白村江での敗戦により唐・新羅の侵攻に備えて天智天皇が築いた朝鮮式山城の古代・高安城(たかやすのき)と、戦国後期に松永久秀の信貴山城の支城となった中世・高安城(たかやすじょう)の二つの城が存在します。
古代・高安城は高安山から信貴山にかけてを城域とし、信貴生駒スカイラインの東側山中に倉庫礎石群が発見・保存されています。
中世・高安城は、高安山頂に本丸、遊歩道をはさんで南東に二の丸、南に三の丸を配し、本丸、二の丸は土塁で囲まれています……が、本丸は時季的に藪がひどく、現地で見ればかろうじてわかりますが、写真では何が何やら…。本丸北西下には横堀、東下には腰曲輪が見られます。二の丸は夏場でも藪はそれほどでもなく、曲輪を取り巻く横堀と土塁をはっきりと確認できます。三の丸は藪で藪で、二の丸から眺めるだけで、足を踏み入れるのは断念しました。本丸と二の丸の間は、堀切を拡張したと思われる遊歩道で寸断されており、二の丸の土塁などは状態が良いだけに、遺構が一部破壊されたのは残念なところです。
その遊歩道は、西信貴ケーブル高安山駅から高安山を経て信貴山まで続いており、高安山駅前には高安城と信貴山城の史跡案内の石板、気象レーダー観測所の脇には古代・高安城の石板があります。
高安城の前に立野城に立ち寄っていますが、遺構のある城としては3か月半ぶりの城めぐりであり、時季的に藪は仕方ないとしても、土塁や堀の中を歩き回っていると、やっぱり楽しいなー、と改めて。どうかこれからも平穏に城めぐりできる日々が続きますことを…。
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