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エグ1394

尼崎城 (2019/05/04 訪問)

尼崎城へ行ってきました。
尼崎城は1617年(元和3年)に入封した戸田氏鉄によって築かれた城です。一国一城令後の築城であり、本丸には4重4階の天守が築かれるなど、5万石の大名には大きすぎる居城でしたが、これは幕府が西国大名の監視を命じていたためです。1635年(寛永12年)に氏鉄が大垣城へ転封となると、替わって入封した青山幸成によって改修されました。1711年(宝永8)以降は桜井松平氏が城主をつとめ、そのまま明治維新まで残ったのですが、1873年(明治6年)に廃城となっています。2015年(平成27年)、旧ミドリ電化(現エディオン)創業者の安保氏が私財を投じて天守を建設することが発表され、2018年(平成30年)11月に尼崎市に寄贈されました。現在は尼崎城址公園内で一般公開されています。

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大阪城 (2019/05/04 訪問)

大阪城へいってきました。
大阪城(正しくは大坂城)は日本でも有数の巨大城郭です。「大坂夏の陣」で廃墟同然となった大坂城(豊臣大坂城)は、1620年(元和6年)に徳川秀忠の命により天下普請によって10年かけて再築されました。豊臣時代の大坂城の跡に高さ数メートルの盛り土をして再建されたため、現在も地下深くに豊臣時代の石垣が埋まっています。現在ある天守は1931年(昭和6年)に復興されたものですが、櫓や門などは江戸時代のものが残っています。天守を中心とした大阪城公園には梅1250本、桜4500本が植えられており、春には花見客で賑わいます。また夜間には天守がライトアップされるため、夜景の名所としても知られています。なお豊臣時代の天守が32年、徳川時代の天守が36年と、いずれも短期間に焼失したため、現在ある復興天守(大阪城天守閣)がもっとも長命の天守となっています。

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岸和田城 (2019/05/03 訪問)

岸和田城へ行ってきました。
岸和田城の歴史は古く、楠木正成が甥の和田高家に城を築かせたのがはじまりとされます(岸和田古城)。羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、江戸時代には徳川家康の妹の子である岡部宣勝が入城し、岡部氏13代の居城となりました。有名な「岸和田だんじり祭り」は岡部氏3代・長泰の時代にはじまったといわれています。現存も城址には石垣や堀が残っており、内堀石垣の下部には犬走りを見ることができます。また1954年(昭和29年)には復興天守が建てられ、天守で結婚式を挙げることもできます。

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和歌山城 (2019/05/03 訪問)

和歌山城へ行ってきました。

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小牧山城 (2019/04/20 訪問)

小牧山城へ行ってきました。
小牧山城は織田信長によって、美濃攻略の本拠地として築かれた城です。信長がはじめて築いた城でもあります。その後、信長は稲葉山城を陥落し、岐阜城と改めて移住したため、小牧山城は約4年間で廃城となりましたが、のちに豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」では、家康がこの地に本陣を置いたとされます。江戸時代には家康ゆかりの地として尾張徳川家が保護し、入山が禁止されたこともあり、山中の堀や土塁などがきれいな状態で残っており、日本の城郭史上、貴重な資料となっています。また近年の発掘調査によれば、石垣を用いた本格的な城であった可能性が指摘されています。現在は山頂に天守を模した小牧市歴史館がありますが、これは名古屋市在住の実業家が寄贈したもので、内部は資料館になっています。

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長篠城址 (2019/04/14 訪問)

長篠城址へ行ってきました。
御城印が3月31日で終了しており残念!!
長篠城は徳川氏と武田氏の国境に存在する城で、愛知県から長野県や静岡県北部へ通じる交通の要衝にあったため、しばしば合戦の舞台になり奪いあった城です。なかでも1575年(天正3年)5月の「長篠の戦い」に先立ち、激しい攻防戦が行われたことで知られています。現在は国の史跡に指定され、城跡として整備されており、本丸付近には空堀や土塁が残っています。春は桜と新緑、秋は紅葉が美しく城址を彩り、また毎年5月5日の「長篠合戦のぼりまつり」では、合戦行列や火縄銃の実演が行われます。

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郡上八幡城 (2019/04/07 訪問)

郡上八幡城へ行ってきました。
郡上八幡城は遠藤氏や青山氏の居城として知られています。一時的に稲葉貞通が城主を務めたこともあります。1933年(昭和8年)に再建された模擬天守は日本最古の木造再建天守です。小規模な城ながら、城下から眺める天守の姿や、天守から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しく、司馬遼太郎は「日本で最も美しい山城」と評しています。また、山内一豊の妻である千代が初代城主・遠藤盛数の長女であることから、山麓には山内一豊と妻千代の像があります。

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竹中陣屋 (2019/03/31 訪問)

竹中氏陣屋跡へ行ってきました。
竹中陣屋は竹中半兵衛の嫡男、竹中重門が築いた城です。当初は岩手城と呼ばれていましたが、江戸時代に竹中氏が旗本身分に留まったため陣屋と呼ばれるようになりました。現在、城址は岩手小学校となっていますが、櫓門、水堀と石垣の一部が現存しています。また、すぐ南にある「菁莪記念館」は天保年間に建てられた道場で、陣屋の復元予想模型や竹中家にまつわる史料が展示されています(予約推奨)。

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ichiro

竪堀 (2019/10/06 訪問)

名城には選ばれていませんが、遺構がしっかり残っています。

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伊賀上野城 (2018/11/21 訪問)

伊賀上野城へ行ってきました。
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、のちに築城の名手と謳われる藤堂高虎が大規模に改修しました。高虎は徳川家康の命により、豊臣氏を包囲する城として伊賀上野城を拡張しましたが、「大坂の役」によって豊臣氏が滅んだため工事は中止されました。現在は模擬天守が木造で再建されており、藤堂高虎の黒漆塗の兜などが展示されています。また、高さ29.7mと日本有数の高さを誇る内堀の高石垣が特徴です。

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福岡城 (2018/10/12 訪問)

福岡城へ行ってきました。
福岡城は黒田孝高(官兵衛)・長政父子によって築いた城で、江戸時代を通じて福岡藩黒田氏の居城として知られています。城の規模としては九州一の巨城で、築城の名手と謳われる加藤清正もこの城を評価しています。現在、城跡の大半は舞鶴公園として、当時の外堀が大濠公園として整備されています。また、重要文化財に指定されている多聞櫓のほか、祈念櫓や名島門などの遺構が残っており、当時の様子をうかがうことができます。

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唐津城 (2018/10/11 訪問)

唐津城へ行ってきました。
唐津城は寺沢広高によって築かれた城です。築城に際し、豊臣秀吉の死後、廃城となっていた名護屋城の遺材を使用しています。現在は舞鶴公園として整備されており、模擬天守や復興櫓が建てられています。とくに松浦川河口の橋の上から見る天守の姿は格別です。また海城だけあって浜辺から見上げられるのも唐津城ならではの光景です。また夜になると天守がライトアップされます。

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佐賀城 (2018/10/10 訪問)

佐賀城へ行ってきました。
佐賀城は鍋島氏の居城として知られています。もともと龍造寺氏が居城としていた村中城を改修・拡張したものです。城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えました。1874年(明治7年)に起きた佐賀の乱では、江藤新平たち反乱軍に一時占拠され、建造物の大半を失いました。鯱の門には当時の弾痕が生々しく残っています。現在、城跡は佐賀城公園として整備され、2004年(平成16年)には木造復元建物としては全国最大級の規模を誇る本丸御殿(佐賀城本丸歴史館)が建てられています。なお、本丸御殿のうち、御座間の部分は天保期の瓦や柱がそのまま使用されています。

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小倉城 (2018/10/09 訪問)

小倉城へ行ってきました。
小倉城は細川忠興の居城として知られ、唐造り(南蛮造り)の天守が建てられたことでも有名です。幕末期には長州藩を攻める第一線基地となりました。現在は勝山公園として整備されており、一部の石垣や堀が残り、唐造りの天守も再建されています。隣接する小倉城庭園には奈良や京都から職人を呼んで建てられた書院造りの大名屋敷が再現されています。また、北九州市役所の展望フロアからは小倉城を一望することができます。

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トーダイ

大城と小城(曲輪群)で構成されてます (2017/09/20 訪問)

井上城は、妙徳山の麓に館、山頂に詰めの城(大城と小城)を持つ、
信濃の豪族・井上氏の城です。戦国時代、井上達満は上杉氏に味方し、
武田氏に味方した同族の須田信頼らと争い、この地を追われますが、
天正10年(1582)上杉景勝が川中島を領有して、旧領に復帰します。
慶長3年(1598)上杉景勝が会津に移封されると、達満も会津に移住、
廃城となりました。

浄運寺駐車場を利用、道標が無い登城口<36.628326,138.284703>奥
約100mの道標を右へ進むと、その後は要所に道標がある登城路で
大城→小城→浄運寺境内裏へ一周できます。堀切・竪堀・土塁跡などの
遺構が確認できます。

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彦根城 (2018/07/01 訪問)

彦根城へ行ってきました。
彦根城は徳川四天王のひとりである井伊直政の子、直継によって築かれた城です。以降、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城として用いられました。現存12天守のひとつであり、天守は国宝です。幕末に起きた「桜田門外の変」で暗殺された大老、井伊直弼は藩主となるまでをこの城下で過ごしており、当時の屋敷は「埋木舎(うもれぎのや)」としていまも現存しています。JR彦根駅からも徒歩でいけるほど近く、訪問しやすい現存天守のひとつであり、また人気キャラ「ひこにゃん」でも有名な城です。

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長浜城 (2018/07/01 訪問)

長浜城へ行ってきました。
長浜城は羽柴秀吉が最初に築いた居城です。浅井攻めの功により織田信長から浅井氏の旧領を拝領した秀吉は、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し「長浜」に改名し、小谷城の資材を流用して築城しました。山内一豊が城主を務めたこともあります。江戸時代に入ると長浜城は廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。現在、城址は豊公園として整備されており、模擬天守(市立長浜城歴史博物館)が建てられています。

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エグ1394

犬山城 (2018/04/22 訪問)

犬山城へ行ってきました。
犬山城は織田信長の叔父である織田信康が、この地にあった砦を改修して築いた城です。現存12天守のひとつであり、さらに国宝5城のひとつでもあります。木曽川を押さえる、軍事上・経済上・交通上の重要拠点とされてきました。李白の詩にちなんで、「白帝城」とも呼ばれているほど美しい城で、その天守は全国の現存するもののなかでもっとも古いという説があります。2004年(平成16年)までは城主であった成瀬家が個人所有する文化財でしたが、現在は財団法人犬山城白帝文庫に譲渡されています。木曽川の対岸から見る犬山城もがとても美しいので絶好の撮影スポットです。

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ぴーかる

伊賀上野城 (2019/09/28 訪問)

日帰り伊賀街道攻城の旅1城目。伊賀上野城は2回目の訪城、投稿なので駐車場・満足度は割愛です。今回は御城印取得の為に来た。石垣は自衛隊の訓練伐採前で草木がピーク伸びていた。高石垣もいいが城代屋敷跡石垣も何度みても美しくていい。は高石垣を撮影していると地元の方に声をかけられ、迷惑がかかるといけないので内容は書けませんが関係者以外見れないちょっといい文化財を見せてもらえました。いい発見や出会いがあって良かった。

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カミヤマ

スタンプ設置場所注意 (2019/10/07 訪問)

本日興国寺城に行って来ました。スタンプ無し😨沼津文化財センターに連絡して何とかスタンプゲット🙌『賽銭ドロボーによるイタズラでスタンプ破損との事』お出かけ前に要チェック‼️

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