まきのしまじょう

牧之島城

長野県長野市

別名 : 牧ノ島城、琵琶城、(牧城)
旧国名 : 信濃

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甚右衛門

馬場美濃守信春築城のザ・甲州流 (2024/06/08 訪問)

葛山城から転戦して攻略。途中で吉窪城を攻略しようとしたけど、城近くの道路が狭く、近隣の西明寺近くに駐車スペースが確保できず攻略断念して牧之島城ヘ。よく形を残す丸馬出に駐車スペースがあります。案内板も整備され、三日月堀もよく形が残っていて甲州流築城術の見応えあり。丸馬出と本丸千人桝形をつなぐ橋は老朽化したのか撤去されており、二ノ丸側から本丸に向かいました。この城は土塁や水堀、空堀がよく残っていますが、特に本丸の桝形は見事です。土塁に上がり見ることをおすすめします。この城から2キロ先に北アルプスの山がよく見える上の平展望台があるのですが、生憎晴れていても雲が多く見えそうに無いため断念。春先か晩秋にもう一度登城しようと思います。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)5日目:牧之島城 (2023/04/22 訪問)

川中島古戦場(長野県長野市)から転戦。丸馬出付近(36.561719、137.999793)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、香坂氏によって築かれたと云われています。
滋野系香坂氏代々の居城でしたが、川中島合戦で上杉氏に通じたため、1561年(永禄4年)武田信玄によって香坂氏は誅され、その名跡は娘婿の春日弾正虎綱が継ぎました。
その後、深志城主馬場信房によって牧之島城は改修され馬場信房が城代となります。
1575年(天正3年)長篠合戦で馬場信房が討死すると、翌年にはその子馬場昌房が城将となり、上尾城主の平林正恒も在城しました。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡すると、上杉景勝が牧之島城を奪い芋川親正を置いた守らせますが、1598年(慶長3年)上杉氏の会津転封により移っていきました。
1603年(慶長8年)松平忠輝が松代城主となると家老を置いて守られせますが、1615年(元和元年)の一国一城令によって廃城となりました。

丸馬出しや三日月堀など、武田流の築城跡が残っています。
遺構が見やすいよう整備されており、説明板も多いです。
小規模ながら素晴らしい史跡公園です。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=仁科城に向かいました。

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じゅんじん

武田流 (2021/05/05 訪問)

カエルの鳴き声に癒されました。

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 中世城郭(虎口)部門 (2020/03/11 訪問)

続いて中世城郭(虎口)部門からは牧之島城を選出。
枡形と丸馬出のセットが見られ、武田の城を堪能できました。城は整備されているので季節関係なく楽しめそうです。篠ノ井駅から本数の少ないバスで向かったのですが乗客はほぼゼロ。緊急事態宣言が発令される前のことなので本当に利用者が少ないのでしょう。公共交通機関で廻っている方はコロナが収まったらお早めに。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 香坂氏(牧城)
築城年 鎌倉時代(牧城)
主な改修者 馬場信春
主な城主 香坂氏(牧城)、馬場氏、芋川氏
廃城年 元和2年(1616)
遺構 曲輪、土塁、三日月堀
指定文化財 県史跡(牧ノ島城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 長野県長野市信州新町牧之島
問い合わせ先 長野市広報広聴課
問い合わせ先電話番号 026-224-5004