みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

天下布武

整備が素晴らしい好感もてる山城 (2019/08/15 訪問)

常福院裏手に位置する浦城跡駐車場(39.970260, 140.090725)を利用しました。

浦城城主三浦兵庫守盛永は檜山安東氏と湊安東氏間で繰り広げられた湊騒動で湊安東氏に属すが、
湊安東氏は敗れ三浦氏も自刃し落城したとされてます。

城址は尾根に連なる郭を堀切で分断する連郭式。
郭には木柵が巡らされ見張り台が復元されていたりと雰囲気が良いです。
遺構も鋭いV字型の大きな薬研堀や高低差のある切岸、土塁、井戸等を確認できます。

夏季の訪城でしたが定期的に人の手が入っているのでしょう、散策路をはじめよく整備され気持ちよく見学できました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

若槻環濠 (2019/08/13 訪問)

【若槻環濠】
<駐車場他>駐車場はなし。道が狭く車では入られないので、稗田環濠の賣太神社駐車場から徒歩でいくのが良い。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良の環濠巡りと燈花会を見る、4城目。とりあえず車で近くまで行けばちょこっと駐車できるところくらいあるだろうと突っ込んで行ったのが間違いで、奈良特有の超狭の折れのある道路で環濠手前まで行き、ドン詰まりになる。バックで戻る戻るして何とか支障のない所にちょこっと駐車できた。次に行った稗田環濠の賣太(めた)神社駐車場に駐車して徒歩で行くのがベストです。
 環濠の北側に案内板があり、そばに側溝のような細い濠がそれだろうか?田んぼの用水路のほうが大きくてかなり分かりずらい。環濠の南西側に天満神社があり、行かなかったが後で調べて天満神社の南側の濠が一番遺構が残っているとのことです。ちょっと無念・・。
神社には行ったが、木がすごくて南側の濠は見れないので、南側に回り込む必要があります。神社は土塁上にあり、町並も古民家でいい感じでした。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

甲賀単郭城郭集合の郷 (2018/08/13 訪問)

 昨年8月多羅尾代官陣屋を終えて新名神信楽IC方向へ、近くに在る紫香楽の宮跡を見学、信楽焼窯元を訪ねて何度か行き来してる道なのですが寄った事も無く初めて探訪。
 
 その後県道4号線を柘植方向に進行、草津線油日駅手前を右折県道51号線に入り500、600メートル位で和田の郷の城跡群に遭遇する、余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに51号線沿いに走行しながら遠望し案内解説板を撮影しつつ俯瞰図を元に現地想像を膨らます。
 和田城郭群は北から、殿山城、公家屋敷支城、公家屋敷、和田支城Ⅲ、和田支城Ⅱ、和田支城Ⅰ、和田城と谷沿いにつながって居り連なった城郭のようである、大声を上げると伝わる様です。
 私有地夏草深く入城口いまいち分からず今回は案内解説板の写真、文章を個写真にして投稿、単郭城跡は踏破せず。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トーダイ

冬に再登城します (2019/08/24 訪問)

古城盛衰記と山城讃歌に載る民家裏庭の北登城口<35.453885,135.401101>へ行くが、
奥に見える藪と竹林、夏は絶対無理と即撤退する。

地形アプリを見ると、南登城口<35.453683,135.397827>から愛宕神社へ上がり、
尾根筋を東へ登れば行けるだろうと愛宕神社に辿り着くが、目前には絶壁のような
尾根筋、回り込めば登れそうだが、冬に再登城します。

+ 続きを読む

トーダイ

コンパクトな山城です (2019/08/24 訪問)

詳細は不明だが、上杉氏の城らしいです。

水道(給水)施設前のスペース(2台)<35.362792,135.323468>に路駐、
古城盛衰記の「給水タンクから東に直登すると、堀切があり主郭に至る」に従い、
水道施設後方から(地形アプリを見ながら)給水タンクを目指すと約5分で到着、
その後、人跡を追って東尾根を木々に掴まりながら約100m直登すると堀切、
その上に主郭跡を確認する。

1ヶ月振りの山城、地形アプリを確認しながら下山するのを忘れてしまい、
西ではなく、北西の尾根筋へ下りてしまう。別の堀切を発見できてラッキー
だったが、再び主郭跡まで登るハメに、ようやく下山しました。

城址碑、案内板、道標など全く無いので給水タンクの写真をアップします。
クモの巣、やぶ蚊は大したことありませんでしたが、低くても山城は冬ですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

多羅尾代官陣屋 家康伊賀越助力多羅尾氏の郷 滋賀県甲賀市信楽町 (2018/08/13 訪問)

 昨年8月出雲、石見、伯耆の城巡り鳥取市で古希祝同窓会を終えて浜松市へ帰宅途中、新名神信楽IC経由県道138号線経由して家康伊賀越えで1泊した城小川城を目指したのですが案内板、道標に従い林道を進み離合厳しい道で90度クランクしての急な長い坂道、城郭放浪記さんの案内では主郭近くまで林道が繋がってるとの事でしたが、90度クランクの急な長い離合困難な坂道で急に不安に成り90度クランクのポイントを何回もスイッチバックして反転脱出し小川城登城を断念。
 
 次の目的地城主多羅尾氏の代官所陣屋へ向かう、車は陣屋前に駐車場有り、春と秋に一般公開あり、表門前には進入禁止のゲート有る、脇には案内パンフレットのポスト有り、資料ゲット、ゲートを若干侵入して切込接ぎの立派な石垣を探訪、土塁城壁、堀、裏門をぐるっと探訪。
 信長本能寺で光秀に撃たれ家康が堺から京の信長の元にお礼に向かう途中に悲報に接し伊賀を越えて三河に向かう事にこの時近江多羅尾の郷から多羅尾氏の助力で三河へ脱出する事が出来た故事は有名で多羅尾氏は明治まで代々代官職を継承した。
 伊賀越えと言ってるが一部は甲賀越えとも言えるのではないかと思うのですが。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

さんぽ

国宝になってから (2017/09/18 訪問)

2015年に国宝指定されてから行く機会を狙っていたのですが2017年に実現しました。松江神社で発見された創建に関わる文書が書かれた祈祷札と天守柱の釘穴の位置が一致したことで創建年が証明されて国宝に指定されたという、お城ファンにはたまらないエピソード。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

とってぃ

中之条ビエンナーレ2019 (2019/08/24 訪問)

ビエンナーレで。
登山はせず。
嵩山のまわりでもいくつか作品が作られていた。
写真は嵩山城跡関係と周辺の作品。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ひろべえ

登城口2つと曲輪2つ (2019/08/21 訪問)

安芸城の帰りに攻城。月見山にある「子どもの森」のうち「史跡の森コース」が城址でしょうか?曲輪が階段状に2つありました。登城口も2つ。下の段は直接主郭に到達する道。上の段は二の郭を経て、階段を再度上がり主郭へ。夏場ということもあり、雑草が覆い城址の様子がつかみにくかったものの、主郭の土塁と下の段登城口の最初の分岐に堀切がありました。二の郭に朽ちつつある案内板。それぞれの郭に子どもの国を思わせる子どもたちの銅像がありましたが、郭が荒れていたので侘しく感じました。さらに車を月見山上へ進め駐車場に駐車。城の痕跡を探してアスレチックを横目に見ながら展望台へ。土佐湾・太平洋が広がっていました。この辺が城址ではないのかな?よくわかりませんでした。土御門上皇歌碑・仙跡碑を確認して下山。月見山登り口にある「姫倉城古戦場跡」の石碑を最後に確認して城を後にしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「中野長者屋敷跡」 (2019/08/23 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
中野長者屋敷は、鈴木九郎の屋敷跡とされる。鈴木九郎は、武蔵に赴き中野本郷に住み、財をなし「中野長者」と呼ばれた。その後、紀州熊野権現を勧進して十二社権現を祭り、小田原最乗寺で受戒した。そして、居館を精舎とし、多宝塔を建てて民の幸福と安寧を祈願したとされる。また、成願寺の墓域の中ほどに蓮池藩鍋島家(五万二千六百石)の墓碑が安置されている。成願寺が屋敷跡とされているが、現在、遺構は消滅している。中野城山居館跡も徒歩圏内にあるため、併せて見学をオススメする。

<アクセス>
JR中野駅 徒歩25分

+ 続きを読む

天守台発掘調査 (2019/08/24 訪問)

 何回も来ている城址ですが、今回は天守台発掘調査の現場を見るために登城しました。予想以上に石垣を見ることができました。豊臣時代と徳川時代の両時代の石垣を見ることができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

穴山梅雪 (2019/08/24 訪問)

 江尻小学校周囲が跡地です。
駿河に侵攻した武田信玄によって築かれた城ですが、遺構はありません。小学校に案内板があり道路から見ることができます。二の丸町という町名と穴山梅雪が社殿を造営したと伝わっている魚町稲荷神社が近くにあります。

+ 続きを読む

陣屋ですが (2019/08/24 訪問)

 清水駅からしずてつジャストライン(静鉄バス)で小島バス停下車。下りた目の前に御殿書院が移築された小島町文化財資料館があります。いい意味で期待を裏切る陣屋という評判がありましたが、同感です。他の陣屋跡のイメージとは異なり城郭の雰囲気を持っています。三段の曲輪を持ち、石垣を多用し中には4mに達するものもあり、桝形虎口まであります。きれいに整備されていて夏でも散策しやすかった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

姫路城登城 (2019/08/08 訪問)

我々日本人が世界に誇りうる城である。
その美しさは松本城と双璧と言っていいと思う。
第二次世界大戦の際、姫路城が奇跡的に空襲を免れ、無事を知った
姫路市民の皆さんが涙を流して喜んだ、という話は本当に美しい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

二条城登城 (2019/08/08 訪問)

唐門も二の丸御殿も華麗であった。
天守閣があったころはさぞかし徳川幕府の権威を見せつけたことだろう。
徳川家康が豊臣秀頼と会見を行い、徳川慶喜が大政奉還をしたこの城は歴史のロマンに満ちている。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シロマサ

今回は登城を残念する。 (2019/08/21 訪問)

赤松満祐の義弟上原祐政が築城したとされる。
嘉吉の乱の時、小谷城を預かっていた赤松直操が、破れて自害した。
嘉吉の乱で赤松氏が滅亡した後の詳細は不明である。

福本陣屋から福崎町経て加西市に入り、陽松寺を目指す。
手前の小谷公民館前の駐車場に車を止めて、案内図を確認する。
案内図沿って陽松寺の金剛力像が見て、山門を潜らず東側の遊歩道を北に登る。
たくさんの石仏と、赤松祐尚の墓が見えてくる。
遊歩道の行く先に動物避けの柵の開けて登城する。
今回はまだまだ暑い時期なので、登城を残念して、時期の良い頃に登りたい。

陽松寺の住所 兵庫県加西市北条町小谷369

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「滝野川城」 (2019/08/23 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
滝野川城付近は、源頼朝の布陣伝承地である。戦国期には、名門・豊島氏の一族である滝野川氏の居城とされる。その後、名将・太田道灌に攻められ、豊島氏とともに滅亡し、廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR王寺駅 徒歩15分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「中野城山居館跡」 (2019/08/23 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
中野城山居館は、平重俊の居館とされる。その後、後北条氏の小代官を務めた堀江氏の砦となる。昭和期の発掘調査によって、谷戸運動公園の裏手に幅5.4mの土塁や掘立柱建物、井戸、地下式壙、障子堀が見つかる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR中野駅 徒歩15分

+ 続きを読む

カズサン

久松山をバックの三階櫓台石垣ベストスポット? (2018/08/11 訪問)

 昨年8月2泊3日で山陰、出雲、石見、伯耆の城巡りを終え鳥取市内で中学校、高校の古希の同窓会に出席し中日に鹿野城家老屋敷に在る檀家寺にお参りと墓参りを済ませ時間が有るので鳥取城の探訪、復元擬宝珠橋の進捗を見ながら内堀通りで久松山に抱かれてる鳥取城石垣群を遠望。
 小、中、高校以来から帰省中にも必ず寄って眺める鳥取城です。

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「名門・豊島氏の居城 平塚城」 (2019/08/23 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙のあった場所だと推定されている。平安時代末期には、秩父平氏庶流の豊島太郎近義が城館を築いたとされる。後三年の役で遠征の帰路に源義家が逗留した地であり、義家は近義の饗応に深く感謝し、鎧等を下賜した。近義は義家没後に拝領した鎧を城内に埋め、社を建てて安置したと伝えられる。豊島氏の代々の居城となるが、豊島泰経の代に太田道灌によって落城した。現在、遺構は消滅している。城へ向かう急峻な坂道が城の規模を現代に伝えている。

<アクセス>
JR上中里駅 徒歩5分

+ 続きを読む

ページ1498