当地には丸山千枚田に見られる狭隘地に幾重にも重なるように作られた棚田がある。
豊臣秀吉による太閤検地はこのような狭隘地にも及び、厳しく年貢を取り立てられたことから一揆が起こった。これを天正の北山一揆という。
こうした一揆を鎮圧するために豊臣秀長の家臣藤堂高虎が築いたのが赤木城である。
高虎初期の縄張りであり、野面積みの石垣や各郭に枡形虎口を備えるなど、近世城郭のはしりらしく、また当時の原形をとどめているところが重要視されているらしい。
駐車場から登りすぐ左手に伝鍛冶屋敷跡(郭?)という場所があり、歩を進めると東郭門跡を通り東郭Ⅰ、Ⅱへ。北側に進むと枡形虎口を通り主郭に出、眼下には北郭が確認できる。
また、南側には二段になった西郭と、三段になった南郭がある。南郭は樹木で確認しにくい部分もあるが、車道側に面しており、そちらからも確認できる。
初期とは言えども、藤堂高虎の野面積みは武骨かつ美しく見とれてしまう。
しかし道中の田平子峠には一揆に加担した者を処刑した刑場跡もあり、当時の自然と圧政の厳しさを垣間見る場所だ。(そっちは行ってないけど)
スタンプは紀和鉱山博物館と遠く、パンフレットを大量に持ち帰る輩がいて切れていることが多いらしい。パンフレットは道の駅に多くあり、ラーメンは絶品だったけど、新宮~赤木辺りに行くには、見所いっぱいで距離があることから、車でないと回るのはかなり厳しいかと存ずる(; ̄ー ̄A
※携帯変えてから10MBオーバーとなり、これは!という写真に限ってアップロードできません。゚(゚´Д`゚)゚。
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