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スミヤキ

岐阜が熱い (2020/01/17 訪問)

令和の発掘調査で発見された、織田信長が築いたと見られる岐阜城の天守台の石垣が、一般に公開されるとのことで初登城してきました。

石垣を斜めに積み上げたり、石材の隙間に「間詰め石」という小石を詰める技術は、信長期の特徴らしく、岐阜城天守が日本最古の可能性が高まったようです。

また麓にある岐阜市歴史博物館では、「麒麟がくる」の大河ドラマ館もオープンしており、併せて楽しんできました。明智光秀にゆかりのある岐阜県可児市や恵那市にも大河ドラマ館が開館しているそうです。

「ぎふ戦国きっぷ」という、バスの1dayフリーきっぷと大河ドラマ館入場券、金華山ロープウェー往復券と岐阜城入場券がまるごとセットになったお得なチケットも販売されています。公共交通機関を利用される方におすすめです。

午前中に訪れた関ヶ原古戦場にも7月に記念館がオープンするようですし、今年は岐阜が間違いなく熱いです。たくさん楽しみましょう。

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にのまる

木製兜、水桶になる。 (2019/12/07 訪問)

 徳丹城は川の氾濫で水害の多かった志波城に代わって造営された、律令制最後の城柵です。(資料の中には水害のせいだけじゃない説もありました。)
 幹線道路を挟んで両側に城柵跡が広がっていますが、ちょうどいい場所に歩道橋があり、歩道橋の上から全体を俯瞰できました。志波城や払田柵の推定復元の門のようなシンボルとなる建物はありませんが、政庁跡や各区画はイメージしやすく説明展示されていました。
 小さな井戸の底から出土した、水桶に転用された木製の兜。人々の暮らしを思い浮かべるだけでわくわくしてきます。未解明な部分が多い城柵・官衙遺跡はそのミステリー性も含めて妄想自由なところが大好きです。
 歴史民俗資料館では、資料の見学をしている間にロビーの大きなストーブをつけて暖めてくださっていて申し訳なかったのですが(他に見学者いないので)、一日中屋外を歩きまわり芯まで冷えきっていた体にはとてもありがたく、しばらくストーブの前から動けませんでした。そしておかげさまで元気復活したので、もう一か所寄ってから帰ることにしました。

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赤い城

信玄の財宝が? (2020/01/25 訪問)

山名城からハイキングコースの尾根づたいに15分くらい。
むしろこちらのほうが遺構の見応えがあるかと。
武田信玄が北条や上杉への備えとした城。
主郭には桝形虎口が残る他にも遺構が良く残っていました。
搦手には信玄の財宝伝説の説明板が立っていました。
真偽は定かではないですが。。。

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RED

蹴出門 (2019/07/19 訪問)

城址北西側に残る蹴出門と外堀に架かる石橋。

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RED

巨石群 (2020/01/12 訪問)

大量の巨石を巧みに利用。石積みではなく、方状節理によるもの。

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姫街道

馬場信春公が諏訪原城築城の前に築城した名城 (2020/01/28 訪問)

馬場信春公が諏訪原城築城の前に築城した名城。武田対徳川の攻防を研究する要所だ。大井川を東向きに張り出す地形で、側壁は大井川の流れで削られて断崖絶壁。長篠城に似ているが、長篠城より全面の幅が150m程度と狭く、そこに有名な三重堀が見事に配置されており、今でもはっきりとその姿を残していて見事だ。武田の軍師、馬場信春公が築城技術を教わった「山本勘助の声がかかっている井戸」って意味はわからないが、三重堀の中にひっそりと当時のままあった。
丸馬出しも当時は勿論実際にあったが、現存する馬出しや三ケ月堀は近年再建したとの事。小山城の天守閣は実際は無かったが、資料館として建てられており、これはこれで小山城を後世に残すためには良いと思った。
この小山城は、武田勝頼公の功績がよくわかるようになっていて、展示してある資料も貴重な物が多いと感じた。受付の方も、凄く丁寧で詳しく、満足度が高かった。

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カルビン

何も無さすぎて困る (2020/01/19 訪問)

先日遠征してきた仙台近辺ですが、帰り際に時間があったのでもう1ヶ所行ってみたのが北目城。

JR東北本線で仙台駅の1つ南の長町駅から歩いて20分強かかりました・・・

前々から現地に遺構は無く、解説があるのみと聞いていたので、ものの5分滞在(撮影等)で引き返しました。
ここから北に30分程歩くと若林城にも行けるのは知っていましたが、この日結構歩いたので止めておきました(若林城も遺構は残っていないハズなので)

奥州伊達家の重要なお城も開発の手には勝てず、北目城は解説版も一度撤去されたほどで、今回場所を変えて設置して頂けただけでも良しとしなければならないのでしょう。
(※土塁とされる遺構があるらしいですが、推定なので・・・あと近くにある毘沙門天堂も北目城に関する場所らしいですが、遺構では無いようなので)


付近に車を止められる場所が見当たらず、道もかなり混雑していたので、出来れば公共交通機関での訪問を推奨と言う事で。。。でもここだけ狙って行くのはかなり損なので、他の用事とのセット程度にしておいた方が。。。

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くっしー

大河効果で大賑わい (2020/01/26 訪問)

花フェスタ記念公園の大河ドラマ館から歩いて15分。大勢の観光客が詰めかけていました。ボランティアガイドの方も多数いらっしゃいました。
そのボランティアガイドの方が、「この城は、壊されてほとんど何も残っていなんですよ。」と嘆いておられたのですが、結構楽しめました。確かに大手門から本丸にかけてはあまり何もなかったですが、西大手曲輪から搦め手門の辺りは色々遺構が残っていて面白かったです。

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ぴーかる

小牧山城 (2020/01/11 訪問)

【続百名城36城目】
<駐車場他>小牧市役所
<交通手段>車

<見所>土塁・石垣跡
<感想>小牧山の南側半分はくまなく散策しましたが、北側半分は行っていないので全てを語れませんm(_ _)m

北東側の城跡駐車場が工事中だった為、南側の市役所に駐車した。私は最後に行ったのですが、まず最初に「れきしるこまき」に行って、VTR説明や案内図、復元模型等を観賞してから登られる方が分かりやすいです。

 私の順路は南側大手道入口から行って、右手きれいな復元土塁がある。大手道中程から左手(西側)に曲がると土塁や竪掘りが見られる。山の西側中腹に曲輪群跡があり、虎口、堀切遺構がある。そのまま遊歩道を登って主郭に行った。模擬天守は工事中で足場・幕が張られていました。ちょっと残念。主郭部は円形でここがかつて石垣が取巻いていた所。転落石が所々にあり、周囲の帯曲輪に裏込石が集められ積まれていた。主郭の東方向下段に信長の居館跡ではないかという場所(表示看板はない。案内パンフに載っている。)がある。天気が良かったので主郭から御嶽山・南アルプスが見えました。主郭から南東方向に降りて行って南東方向中腹には高土塁の遺構が見られる。そのまま下って行って「れきしるこまき」を見学して終了した。これにて百・続百名城の尾張国制覇。

<満足度>★★☆

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姫街道

武田支配時、馬場信春公が増築した城 (2020/01/28 訪問)

四重の堀が円形にあった平城の田中城。立地箇所からして、隣接する川を利用して海に出ていたようだ。現在は、堀が道路に変わっていったのか、まるで高速道路のインターチェンジを走っているように道路形状が円形で狭いうえ駐車スペースもないが、またそれが面白い。本丸跡は小学校になっているが、その周りに堀やら橋やら、土塁やらが点在している。明治維新の頃まで廃城にならずに頑張ってくれただけあって状態は結構良い。三ケ月堀の丸馬出しの隣にあるお宅など、擁壁を三ヶ月堀に合わせて丸く出来ていて、オシャレだった。田中城本丸櫓は屋敷として移築されていた。これが本丸にあったと言うが、全く戦を感じさせない優雅さすら感じた。

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織田晃司

小豆島 (2020/01/26 訪問)

東峰と西峰にまたがる城。
写真は東峰のパゴダと舟形遺構。

パゴダはある宗教団体が星ヶ城の石積を利用して造ったそうです。

山頂からの瀬戸内海は絶景です。

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イオ

巨石と絶景の城 (2020/01/19 訪問)

南北朝初期に土岐頼重が築城したと伝わり、その後、土岐明智氏一族の妻木氏が代々城主となりました。明智光秀正室の熙子は妻木氏の出身と言われ、熙子の伯父(または父)の妻木広忠は本能寺の変では光秀に従い、山崎の戦いで敗れて自刃。孫の妻木頼忠が家督を継ぎ、東美濃に勢力を伸ばしてきた森氏の傘下に入りましたが、川中島転封には従わず妻木に留まり、関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦功を挙げ、徳川家康から改めてこの地の領主として認められました。関ヶ原の戦いの後、山麓に御殿や士屋敷を整備して移り住み、元和年間には妻木城は放棄されたようです。

石垣で二段に区画された山頂部の曲輪を中心に、北側に三の曲輪、南側に伝南曲輪、西側に伝太鼓櫓などの曲輪群を配し、一の曲輪には旗立岩の伝承がある巨石、伝物見杉、石垣造りの虎口があり、二の曲輪の北部には枡形虎口が設けられています。三の曲輪からは妻木城下はもとより、白山から御嶽山、中央アルプスの山並みを見晴るかす絶景! 一の曲輪の西側には土塁で囲まれた井戸跡があり、伝太鼓櫓の南側には堀切とくさび跡のある巨石が残っています。

また、旗立岩やくさび跡のある巨石だけでなく、城域には至るところに巨石がごろごろとしており、中でも一の曲輪の南から南東にかけての巨石群は圧倒的で、節理によるものと理解はしていても、人の手で綺麗に積まれた石垣にしか見えません。

岩村城や苗木城に行く際に何度か近くは通っていながら、なかなか来る機会がありませんでしたが、山城サミットで妻木城さんさくマップをもらって行きたい気持ちが募り、ニッポン城めぐりの明智光秀イベントにあわせて訪れることができました。巨石群と絶景が見どころという意味で、苗木城には及ばないまでも苗木城が好きな人ならきっと楽しめると思います。

(後編・士屋敷編へ続く)
 

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やなぎぶそん

滋賀県側(柳ヶ瀬)から玄蕃尾城への行き方について (2020/01/18 訪問)

玄蕃尾城へのアクセスは敦賀側の林道が通行止めになっているので、滋賀県側から登城をおすすめします。
その滋賀県側からの登城ルートがあまり情報がなく、私自身も少し迷ってしまいました。
そこで滋賀県側(柳ヶ瀬)からの登城ルートについてブログにまとめましたので、参考にしていただければ幸いです。
japan-castle100.blog.jp/archives/5316326.html

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こるまろ

続日本100名城の15城目 (2019/11/13 訪問)

続日本100名城巡り、越前大野城でスタンプ15城目。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43659297/

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こるまろ

続日本100名城の14城目 (2019/11/13 訪問)

続日本100名城巡り、スタンプ14城目。 福井城跡は福井県庁になってます。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43655077/

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こるまろ

続日本100名城の13城目 (2019/11/12 訪問)

続日本100名城巡り、鳥越城でスタンプ13城目。 山上部まで車で上がれます。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43622490/

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todo94

御土居史跡公園 (2020/01/12 訪問)

船岡山から佛教大学の北方の御土居史跡公園に脚を伸ばしてみました。北野天満宮の御土居の紅葉特別公開に入ったことがありますが、ここは初めてです。豊臣秀吉が築いた国史跡の土塁、ここは土塁に登れるという点でポイントが高いかなと思いました。史跡碑も説明板もありました。

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山口駿河守幻夢斎

新興住宅地の中の城跡公園 (2020/01/20 訪問)

古屋城跡は、JR物井駅から徒歩12分くらい。住宅街の一角の公園として整備されています。以前は地主さんが頑張って、遺構を残してくださっていました。
10数年前からモネの里として住宅地としての開発が始まり、城跡も公団の手に渡りましたが、地主さんが公団に公園として残すことを条件にしてくださったために、公園として残りました。
その後しばらく、公園整備のため、立ち入り禁止の状態が続いていましたが、2年ほど前に、公開の運びとなりました。
開園直後は、非常にきれいに整備されていたのですが、現在は、台風被害などもあり、やや、荒れた印象となっています。
公園整備、宅地開発に伴い、発掘調査が行われ、障子堀が出ているそうです。

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じゅんじん

2020年最初のお城 (2020/01/04 訪問)

年明け最初のお城・・・正確には道の駅の楠木館でしたが(;´・ω・)
そこから自転車でいきました。遺構はなく城址碑と説明板がありました。その裏は棚田が広がってます。

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六神合体

これが県指定史跡だと!? (2020/01/19 訪問)

駐車場は近くの運動公園を利用。
いやここ堀切と言い石積みと言い物凄い綺麗に残ってて驚きです。
縄張は完全に赤松系ですね。
これで県指定史跡なのが驚きですね。
国指定レベルだと思います(個人的に)
登りごたえと言い、遺構の密度と言い、かなりバランスの取れた満足度の高い城跡です

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