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とってぃ

観音山ファミリーパーク 群馬県高崎市 (2019/08/25 訪問)

観音山ファミリーパーク内にある。

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とってぃ

これ以外は…? (2019/08/25 訪問)

これ以外はわかりません

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とってぃ

国済寺 (2019/08/25 訪問)

雰囲気のある寺

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とってぃ

遺構がある感じ (2019/08/25 訪問)

遺構がある感じ。

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とってぃ

遺構はわからず (2019/08/25 訪問)

私有地なので、遺構はよくわからず。
もっと奥にはあるのか?

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とってぃ

墓もある (2019/08/25 訪問)

畠山重忠の墓もある

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とってぃ

公園の隣に (2019/08/25 訪問)

公園の隣に碑だけが。
立っているところが盛り上がっているので、遺構か。

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城ケ平公園 (2019/08/25 訪問)

城址は整備され城ケ平公園となっています。夏でもよく見ることができます。
単純な縄張りですが、横堀などの遺構を見ることができます。主郭まで車で行くことができて駐車場などありますが、道は細く車一台しか通れない幅です。

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ぞろめ太郎

風情ある小さなお城

小さな町の小さなお城にして、日本最古の現存天守を有する丸岡城、、行ってみたかった!

小雨降る静かなお城の内部は、緩やかな時間が流れていました。階段は極めて急ですが。。

展示のミニチュア城郭模型には、ちょっとした遊び心あり。忍者探しはなかなか難しいですねw

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カズサン

日野城周辺の城探訪 (2018/08/13 訪問)

 昨年の8月日野中野城を探訪し、帰路名神高速道路八日市ICに向かう周辺の城郭をと先ずは「近江鳥居平城」へ目的の願成寺に到着、駐車エリアが見つからず一時停車し城の麓、集落を探訪し次の「佐久良城」を目指す目的の八幡神社を目指すも細い田圃道を行ったり来たりし中々着かずやっとの思いで八幡神社の階段下へ到着、さらに少し進み駐車エリアと案内解説板が有りました、少し陰り夕刻に成り登城は止め周辺麓、案内板を撮影。

 名神八日市ICの近くに改易された最上氏の「大森陣屋」跡石碑が有り路駐して見学写真撮影。

 8月6日早朝出発して若狭、丹後、播磨、因幡、出雲、石見、伯耆、近江と廻り途中古希同窓会に出席し14日深夜浜松に帰って来ました夏の城巡りは大変です。

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カズサン

蒲生氏郷誕生の城 (2018/08/13 訪問)

 昨年の8月近江甲賀の郷、多羅尾氏、和田氏の城郭足跡を探訪し近江蒲生の郷の音羽城を探訪を終え日野城こと蒲生氏郷が誕生した城を訪ねる。
 日野商人の郷と言われ甲賀市に居る叔父たちと何度か周辺を含めて訪ねましたが日野城までは行っていませんでした。

 音羽城から県道182号線をプロットした日野城をカーナビで目指す国道477号線に出る前に村道旧道指示に成り旧街並みを走行するが道が狭く行ったり来たり少し過ぎて日野ダム方向に入る道を進み、ダム湖駐車場に到着。

 日野中野城は日野ダム側に案内解説板が有り進むと土塁の間に堀底道、土塁間にコンクリートの橋が架かってる土塁上に夫々凉橋神社と稲荷神社が有る、石垣は両土塁に築かれてる、土橋を渡って広場に出る、土橋に左右は堀と思われる空堀と池。

 氏郷公はここから松坂、会津若松と90万石を超える大名に昇られますが若くして亡くなられたのが惜しまれます。

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ぴーかる

稗田環濠 (2019/08/13 訪問)

【稗田環濠】
<駐車場他>賣太神社駐車場無料(参拝者専用)あり。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良の環濠巡りと燈花会を見る、5城目。稗田の場所は「古事記」の編纂者の一人である稗田阿礼の出身地であるらしく、賣太(めた)神社は稗田阿礼を祀った神社があり、また遺跡がある。
 環濠集落の濠は保全事業でコンクリと石垣できちんと四方が整備されています。ただし濠のなかは外来種のアカミミカメで大量占拠されていた。環濠内の住宅は写真の通り海鼠壁がある民家があり写真栄えしました。奈良時代の歴史を感じさせるいい場所でした。

<満足度>◆◆◇

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ひろべえ

館と詰の城 (2019/08/21 訪問)

徳島から約170km。高知自動車道南国ICから一般道で約30km。2時間40分の道程はなかなかハードでした。安芸城西側の道路沿いに駐車。安芸市歴史民俗資料館で山内家家老五藤氏について知る。山内一豊の頬に刺さった鏃も見学。パンフレットを入手してから城巡り。追手門枡形の立派な石垣と水堀。内部を見にくくして、しっかり敵に対して防御する意識を感じる。詰の城は階段状に三ノ段・二ノ段・詰という郭がある。詰はとても広大。詰の北側には一段低く北ノ段があり、境界には石積が見られる。詰の南側には土塁、三ノ段には小円丘がある。二ノ段と三ノ段のある郭の東側には東ノ段という雑草が覆い、未整備っぽい郭もあり。入っていくと藪が多く途中で撤退する。下城後、三ノ段の下の付近には低い石垣が残っており破城の痕跡か隅が崩されていました。城域の西側には、崩れ掛けの石積や石垣が残されていました。毒井戸を最後に見学して、姫倉城へ移動。

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山口駿河守幻夢斎

桧原城跡 (2019/08/02 訪問)

小谷山城跡とも呼ばれています。

私は駐車スペースすぐ近くの登り口を利用しましたが、登り口は、何箇所かあるようです。

20分ほど登ると、城域を囲む空堀に出会える。が、空堀は笹薮に埋もれています。

比較的、整備されていて夏場でもなんとか見学できましたが、あまりお勧めはしません。

伊達政宗が会津効力のために築いた拠点城郭。

遺構の保存状態も良好です。

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朝田 辰兵衛

信越国境警備の城。 (2019/08/24 訪問)

南東側の尾根道に空堀遺構があると思われますが,ヤブがひどくて断念しました。坊ヶ池のほとりに位置しているため,野鳥や昆虫の宝庫にもなっているようです。実際,約20年ぶりにオニヤンマに遭遇しました。虻のように体当たりで威嚇してきます。
標高:529m,比高:150m。謙信公祭では,残念ながら狼煙は上がらず。

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無頼庵

石垣の野外博物館 (2019/08/13 訪問)

上記所在地の滋賀県近江八幡市牧町は間違いです。修正できません。岡山県の岡山城です。
この岡山城も金沢城に負けず劣らずの石垣野外博物館です。慶長期の宇喜多氏から関ヶ原合戦後の小早川氏へ。そして、元和期から池田氏へと。領主が固定された場合と、領主の交代が繰り返された時の石垣の変遷になにか差が出るのかどうか興味深い点でもあります。職人集団の移動があったかどうかということです。ご教示を。
この本丸下の石垣の褶曲はもとからの技術の制約なのか、後世の孕みなのか気になるところです。

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無頼庵

徳川大坂城石垣の故郷、小豆島石切り丁場 (2019/08/11 訪問)

徳川再築大坂城の石垣の故郷といえば、瀬戸内の島々。岡山県牛窓対岸の前島には行ったことはありましたが、小豆島へ上陸するのは今回が初めて。小豆島自体が火山島で、花崗岩の塊のようなものでした。
現在の大阪城桜門の正面に蛸石があり、その巨大さには驚かされます。その厚みは薄っぺらなものということなんですが、その加工技術はいったいどんな石工集団が担ったのでしょうか。そのヒントが小豆島にありました。
天狗岩丁場に残されている天狗石の大きさをみればわかるように、蛸石の故郷であるに間違いありません。あとはその加工と運搬です。
道の駅大阪城残石記念公園に展示がありました。結論は全部手作業であること。言うまでもありません。当時の技術とその組織力に脱帽です。
近世初期の石垣構築技術が最高潮に達した国指定史跡大阪城と石切り丁場全体が世界遺産級のものなのに、日本遺産でほっといてイイものなのでしょうか。

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無頼庵

天下普請の金城今昔 (2019/07/27 訪問)

台風が迫る中、徳川美術館で開催される大坂冬の陣図屏風再現プロジェクトシンポジウム参加のため、前日に名古屋入り。目的は復元が完成した本丸御殿と解体復元されるであろう昭和の天守閣の勇士拝顔の為。檜の香りが伝わってくるような杮吹きの御殿と、昭和の戦後を耐えてきたコンクリート製の野武士のような天守閣。
木造天守閣の復元議論は賛否両論ですが完全復元は不可能であり、あくまでも令和時代の復元であるので、時代にあった復元であってほしいと思います。
コンクリート製の復元天守閣を否定するような発言もありますが、その時代時代の技術を駆使した先人の知恵を愛でるのも城郭愛なのではないでしょうか。
それにしても見事な算木積みを見るに、さすが天下普請の金城であります。縄張り者と普請者・作事者の見事な技術の結晶のかたまり。

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カズサン

音羽城 蒲生氏の城 滋賀県蒲生郡日野町 (2018/08/13 訪問)

 昨年の8月滋賀県甲賀市甲賀町和田城跡群の探訪を終えて蒲生郡日野町の蒲生氏の日野城に向かう途中に在る音羽城に寄る、県道41号線経由182号線に途中道の細い所が有りますが道沿いに音羽城の案内、駐車場が有ります。
 蒲生氏郷の祖父曾祖父の時代の城、駐車場から舗装林道ですぐ本丸広場へ一面平坦な広さですが案内解説板によるとその広場は本丸、二の丸、南の丸、帯曲輪に分かれていたそうですが明治以降の改変で一体平面化に成ったようです。
 蒲生氏内紛抗争の後音羽城は廃城と成りその後蒲生氏は日野城に移ったと記されます。
 音羽城は林道登城路、本丸、士屋敷入口は夏草が刈られ探訪に当日は問題なしでした。

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天下布武

整備が素晴らしい好感もてる山城 (2019/08/15 訪問)

常福院裏手に位置する浦城跡駐車場(39.970260, 140.090725)を利用しました。

浦城城主三浦兵庫守盛永は檜山安東氏と湊安東氏間で繰り広げられた湊騒動で湊安東氏に属すが、
湊安東氏は敗れ三浦氏も自刃し落城したとされてます。

城址は尾根に連なる郭を堀切で分断する連郭式。
郭には木柵が巡らされ見張り台が復元されていたりと雰囲気が良いです。
遺構も鋭いV字型の大きな薬研堀や高低差のある切岸、土塁、井戸等を確認できます。

夏季の訪城でしたが定期的に人の手が入っているのでしょう、散策路をはじめよく整備され気持ちよく見学できました。

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