南北朝時代、島津氏は出水に拠点を構えていましたが、5代貞久は北朝に属し
南朝方の鹿児島郡司矢上氏の東福寺城を攻め落としました。
東福寺城に拠点を移した島津氏は、やがて清水城、内城、鹿児島城と拠点を移していきます。
東福寺城は今は公園になっており簡単に登れるようになっています。
最初の郭がかつて浜崎城と呼ばれていたあたりのようで、その周辺に東郷平八郎の像と
墓があります。天気が良ければ桜島が一望できるのですが、あいにくの曇空です。
2014年に来たときは桜島が良く見えたのですが、2023年は阿蘇山を訪問して
非常に晴天にめぐまれたので、どちらかが良ければどちらかが悪いということでしょうか。
東福寺城の石碑のある郭からさらに上まで行けるようです。
最上部に突き当たるのですが、かつてはその上の丘陵地も城域に含まれていたようですが、
ここまでで、かつての城域の8割は確認できただろうと思ったので
あえて無理はせず、ここで引き返しました。
海側は絶壁だとのことで、情報が不足していると危険だと判断しました。
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