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姫街道

太田川沿いにある堅固な山城 (2020/01/25 訪問)

天方城は本城と新城があり、しっかりと勉強しなければならないのだが、今回は新城へ行った。麓からの道中が険しく長いため日没が迫りに不安になったが、着いてビックリ。非常に整備が行き届いた公園となっており、一つ一つの縄張りが大切に保存されていた。
ここは何と言ってもロケーションが最高!見晴らし台が整備されており、さらには、見晴らし台から眼下が見渡せるように適切に伐採が行われてあった。山城にあって伐採された姿は当時の姿であり、本丸から眼下を見渡して当時の状況に想いを馳せる事は、凄く楽しい。

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姫街道

縄張り完成度の高い城 (2020/01/25 訪問)

社山城から飯田城へと夕暮れ時足早にまわる。飯田城や天方城は、遠州の小京都と呼ばれる森町の管轄。森町は、時代を問わず歴史的遺産に対して整備が行き届いている気がする。こと、飯田城はまさに縄張り完成度が高い城!縄張りの一つ一つに管理番号を付けて表記してあり、現地で全体図との整合性が取りやすい。適切に伐採がなされているため主曲輪からの眺望も良い。古城と新城があり地元の豪族である山内氏の城作りの特徴的雰囲気も伝わってくる良い城だ。古城から新城をつなぐ街道なのか車で新城まで行く事ができる道路として整備しつつあるが、旧街道沿いにあったであろう石碑を残しつつ道路整備をしているのも良かった。

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くっしー

石碑があるだけ (2020/01/25 訪問)

室町時代に橋本氏によって築かれた城らしいです。
現状、遺構は消失しており石碑がたっている。
石碑の北に神明社が建っているが、その一帯が城だったらしい。

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赤い城

公園に石碑があるのみ (2020/01/25 訪問)

倉賀野駅から徒歩で10分。
雁児童公園が跡地で石碑と説明板が立っています。
遺構はありません。
烏川の蛇行したところに位置していて自然の堀になっていたようです。

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姫街道

天竜川渡河点の城塞 (2020/01/25 訪問)

我が家から最も近い山城。夕暮れ前にお散歩がてらに初登城。上洛を目指す武田信玄の本陣が一言坂の戦い後、社山城→亀井戸城→二俣城と攻略して行ったのであろう。登城すると木がおいしげって隙間からしか下界が見えないが、当時は眼下に天竜川、約7km先の二俣城まで見渡せただろう。諸説あるようだが、一連の二俣城攻略を信玄公は亀井戸城ではなく、この社山城から指揮を取ったのではないかと私は想像する。なぜなら、武田信玄が陣を張ったと言われる社山城から2キロほど北に行った合代島地域は、つい最近まで北東に鬱蒼とした山を抱えており、奇襲攻撃を受けやすかったと思うからだ。しかも信玄は病持ち。難行不落の二俣城を落とすのを見届けたら、天竜川渡河点の城塞として築かれたこの城からさっさと天竜川を渡って西に急ぎたかったはずだ。徳川対武田の攻防図からも、何となくそう感じる。社山城の縄張りは、典型的な中世期の山城でわかりやすい。
PS.次の日亀井戸城も行ってみた。今は城の面影も寂しく、社山城に比べるとこじんまりとしている。ただ、地元の人に聞くと一般的に言われている位置と違い、もっと高い位置にあったそうだ。これからの発見を期待したい。

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くっしー

二つの有名な戦いで戦場に。 (2020/01/25 訪問)

小牧・長久手の戦いと関ケ原の戦いで戦場となった城です。
遺構は残っていないようです。
看板の後ろに写っているお城風の建物は、羽島市歴史民俗資料館です。

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くっしー

別の城に向かう途中、偶然見つけた・・・亘利城 (2020/01/25 訪問)

なんか、看板がたっているから何かと思って車を止めると…城跡の説明が!!
尾張国葉栗郡松原島村(現:岐阜県各務原市)にあった城で、土岐頼芸の家臣・松原源吾と松原内匠の兄弟が築いたそうです。
まあ、「城屋敷」という地名に残っているだけで、遺構は消失しているみたいですが…

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TAKO

名古屋城夜会 (2020/01/02 訪問)

夜の名古屋城も趣きがあって良かったです。

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姫街道

武田氏時代の山城、徳川時代の平城 (2020/02/09 訪問)



諏訪原城が楽しくては5週連続で通ってしまった。やはり、武田時代と徳川時代の両方がその特徴を生かして現在しているところが本当に魅力的だ。いくつか自分の中で課題があった。まず武田時代だが、今は一騎掛けになっている土橋がどうやって本曲輪に行ったかについて。竪土塁を経由して水の手曲輪に出ただろうと実際に歩いてみて感じた。諏訪原城には非常に堅固な出曲輪があり、当時の出丸は出曲輪の後方支援の役割もあったのではないかと想像する。城山延命地蔵尊参道入口から出曲輪にも行ってみたが、非常に堅固で要塞だ。東から来た敵は出曲輪で撃退出来るくらいだ。諏訪原城は西から見れば平城だが、東から見ればまさに武田の山城そのもの。東斜面ゾーンが整備されて、見事な内堀や縦堀を見る事ができる。諏訪原城を東斜面から見上げると、作手町で見た古宮城そっくりだった。ニの曲輪東馬出やニの曲輪南馬出し付近から鉄砲弾が発見されているのも魅力的だ。次に徳川時代だが、ニの曲輪北馬出の復元した門の位置関係がどうしても納得いかなかったが、先月末に島田工業高校から素晴らしいジオラマがビジターセンターに寄贈され、一目瞭然で理解した。1573年に信玄公が亡くなった年に築造された城なので、いわば全盛期の武田方の築城技術が結集された山城で整備も常に行われており、本当に素晴らしい史跡だ。

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こるまろ

全国山城サミット可児大会 2日目 山城巡り4城目 久々利城 (2019/11/10 訪問)

全国山城サミット可児大会2日目 可児市の4つの山城巡り4城目。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43587513/

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こるまろ

全国山城サミット可児大会 2日目 山城巡り3城目 今城 (2019/11/10 訪問)

全国山城サミット可児大会2日目 可児市の4つの山城巡り3城目。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43583816/

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こるまろ

全国山城サミット可児大会 2日目 山城巡り2城目 明智城 (2019/11/10 訪問)

全国山城サミット可児大会2日目 可児市の4つの山城巡り2城目。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43581345/

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こるまろ

全国山城サミット可児大会2日目 山城巡り1城目 美濃金山城 (2019/11/10 訪問)

全国山城サミット可児大会2日目 可児市の4つの山城巡り1城目。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43578652/

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チェブ

親切な静岡市教育委員会。 (2020/01/02 訪問)

富士山と駿河湾が見えるらしい「蒲原城」に行きました。
時間的に夕日を期待したのですが、、、。

「蒲原城」も戦国時代の戦いの舞台になりました。
築城は室町時代。定かではないようです。
戦国の世、まずは今川家の家臣が城代です。
次に今川家と同盟関係の北条家、北条 新三郎 綱重さん。
「蒲原城」少し北条デザインに改築しました。
信玄さんに攻められ武田方に。
そして家康さんにより落城です。
同じ日に善得寺の「三国同盟の庭」を見て、穏やか~な気持ちの後の「蒲原城」。
やっぱり、皆さんギラギラしてましたね。

で、期待していた夕日には間に合いませんでした。
でも せっかく来たから、まだ明るいので お邪魔します。
駐車場の案内図に、見学所要時間30分。駐車場向かいのトイレをご利用ください。と、親切なコメント。
みんなの30分は私の足なら60分ね、と確認してスタートしました。
すぐに説明板があり登りましたが、大空堀辺りでテンションアップより、高さに怖くなりました。もうちょっと行くとパイロンが立っていて崩落、危険の文字。
暗くなってきたので退陣です。
当たり前ですが、明るい時に見学しましょう。

北条 新三郎 綱重さんは早雲さんのお孫さんです。
命日の12月6日、節目の年に慰霊祭を行っているそうです。
「蒲原城」の歴史は厳しいけど、静岡市のご配慮は、とても優しく感じました。

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宗良親王 (2020/01/25 訪問)

 主郭からの眺望はすばらしく浜名湖等見ることができます。西側には雛壇状に曲輪があり空堀、土塁、石積みも少し見られます。西曲輪が見所だと思います。東側には二の城があり端まで行くと空堀を見ることができます。斜面には帯曲輪のような地形も存在していました。
三岳神社から20分くらいの登りで遊歩道が整備されています。

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井伊直虎 (2020/01/25 訪問)

 井伊谷バス停から歩いて5分くらいで登城口に着きます。城址まで道は舗装されています。遺構はあまり残っていませんが、見晴らしはいいです。

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金襴の蛇の伝説 (2020/01/25 訪問)

 天竜浜名湖鉄道気賀駅から歩いて15分くらいです。浜松駅からですと落合橋バス停で降りると5分くらいで城址へ着きます。金山神社境内の西側に堀切を挟んで主郭があるらしいのですが、直登しなければならず、かなりの藪で断念しました。土塁や井戸などの遺構があるらしいです。

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カズサン

茅野眺望抜群、諏訪氏の山城 (2016/10/30 訪問)

 青柳城を終えて城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報で山城の上まで車で行けるとの案内、高速に乗り中央道の諏訪ICをおりナビがポンコツで予定の道から急坂の農道みたいな細い道を進み途中から本来の道に入り舗装の道で一安心、登城口は道傍で駐車エリア数台は可能、登城路を数分、堀切、竪堀、物見岩場、先端に金毘羅宮、茅野城下が一望の絶景、神社の裏が本曲輪、麓の板垣平に諏訪氏館跡、石碑が在る。

 諏訪氏の城で麓に館群、山頂は詰めの城、武田氏に攻められ上原城を焼き払い桑原城へ退き降伏、武田方の武将が守る。

 隣の桑原城を次に目指したのですが国道20号線からの登城路が分らず交通量も多く探し辛く断念しました、来た道中央道飯田から地道に入り国道153号線151号線標高千mの県境、峠を越えて浜松へ日帰り城廻り。

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ぴーかる

松ヶ島城 (2020/01/04 訪問)

【松ヶ島城】
<駐車場他>城跡の傍にはなし。私は松ヶ崎公園グラウンドに停めさせてもらい徒歩で行った。
<交通手段>車

<感想>新春1泊2日伊勢攻め城の旅3城目。2日目朝一に今日のメインの松阪城に行く前に寄ってみた。
 松ヶ島城は1580年に織田信雄の居城田丸城が焼失したため新たに城を築いた城。現在は埋め立て地の中ほどになっているが当時は海陸の要衝の海城だったそう。その後、信雄の家臣が城主となって、最後は信長から伊勢をもらった蒲生氏郷が入り伊勢国南部の統治拠点とした。1588年に氏郷は松坂城を築いて移転するので、たった八年間しか使われなかった城。

 城跡はかつての天守台と思われる2㍍程の台地が残るのみ。案内板に現存堀跡は雑草がひどくてよくわからず。周辺はビニールハウス・畑・田んぼになっており、かつての雰囲気を味わえるものはない。

<満足度>◆◇◇

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勝野武士

【安志陣屋跡】小笠原氏一万石の政庁跡。 (2019/10/20 訪問)

宍粟市の山崎城と篠の丸城を訪れ、帰宅する道中でもありついでに寄ってみました。
安志陣屋跡は兵庫県姫路市安富町安志(あんじ、と読みます)、現在の安富中学校一帯がその跡地です。

安志藩は小笠原氏一万石の小藩です。
立藩は享保元年(1716)、陣屋はその翌年に完成し、以後明治を迎えるまで藩政の中心を担いました。

藩祖は小笠原長興。小笠原秀政の長男・忠脩の家系であり、本来は小笠原家の嫡流です。
しかし大坂の陣で秀政と忠脩が戦死、遺された長次がまだ幼かったため、忠脩の弟である忠政(後の忠真)が相続し嫡流となりました。
なお、小笠原忠政は後に初代明石藩主として明石城を築城し、さらに小倉藩主となりました。ちなみに、忠脩の正室である亀姫(五姫)は夫の戦死後、徳川家康の命により忠政の正室となり、長次も忠政の下で養育されました。
その長次は10歳を越えると播磨国龍野藩六万石に封じられ、翌年元服、後に豊前中津藩八万石に加増移封となりました。
しかし享保元年(1716)中津藩第五代藩主小笠原長邕が5歳で夭逝し無嗣改易となってしまいます。
しかし弟の長興は『祖先の勤労(大坂の陣で家祖である秀政・忠脩父子が戦死し幕府に忠節を尽くした功)』により、特別に播州安志一万石で立藩を認められた。

こうして初代藩主となった長興は陣屋(藩邸)と藩校を建て、陣屋町を形成させるなどの功績をあげましたが、生来病弱だったために19歳で隠居してしまいました。しかし継嗣がいなかったため小倉藩第三代藩主・小笠原忠基の次男・長逵を第二代藩主に迎え、この血脈が以後明治まで続くことになります。

ちなみにこういった経緯があったため、二代以降小倉藩の支藩の如く扱われるようになりました。
一万石の大名なので参勤交代で江戸まで行かなければいけません。よって藩の財政はやはり苦しかった模様。

さて、そんな安志藩の陣屋跡ですが、前述の通り学校敷地となっており、石碑と説明板があるのみです。
しかしながら、立地が周囲より少し高くなっており、藩の中心部として最適な場所だったんだなと感じることはできます。
また、町内の寺院に陣屋門が山門として移築され残っているとのことで随分探し回りましたが、マイカーでは道がかなり狭いところが多く、日も落ちてしまったため泣く泣く断念…。

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