やまだじょう

山田城

奈良県天理市

別名 : 岩掛城
旧国名 : 大和

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主郭東の堀切
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しんちゃん

堀切と郭 (2024/11/09 訪問)

山田城の登城路は砂防ダムを正面に見て、右手側に付いているようです。鉄製の階段や私の登ったルートは非推奨のようですね。参考にならず申し訳ないです。主郭は山の中腹に小高い丘状に存在し、東側に堀を隔てて広い郭が有ります。主郭北東にも郭が付いていて、そこから主郭に登りました。上から周囲を見下ろすと結構急な切岸があり、高さもそれなりに有ります。主郭背後(西側)にも大きな堀があり、北側へ回り込んで続いています。帰りは東の郭の腰郭沿いに降りて行きましたが、周囲はなかなかに急です。危ないので登城と下山は正式なルートでお願いします。

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しんちゃん

左じゃないのよ登城路は フッフ~♪ (2024/11/09 訪問)

ざっくり先人の皆さんの投稿を読んで来たのですが、砂防ダムを正面に見て左‥じゃなくて右が正解だったのね。階段がヤブに占拠されていたので、城址南側から直登して、直下して戻ってきました。久々に鼻から牛乳です(チャラリ~)。
とにかく登ってくと、腰郭らしき場所を経て比較的広い郭に出ます。その先に主郭らしき高所がありますが、間を大きな堀切が仕切っています。階段が下に続いているので、降りて主郭を目指します。

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要らん直登で、斜面の急峻さを体感した (2024/02/11 訪問)

城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。Googleマップに麓から城域へのアクセスも点線で示されています。ぴーかるさんの投稿の「砂防ダム」も頭に入れて出撃🏍️
Googleマップの目的地に着くと、山田城の説明板あり、山麓を流れる川に砂防ダムも。なんか砂防ダムが小さいなあ、と違和感持ちつつも、状況が三点揃った上に、登城を誘う階段も。しかし、すぐに道はなくなり、熊笹をつかんでの直登に。それでも滑るし。花崗岩の山体を布目川が侵食した急峻斜面を体感できました。東の郭の下に出ました。
先人のレポート通り、本郭周囲の造りは凄いです。本郭への道はないし、直登も場所を選ばないと無理です。
砂防ダム脇を通って下山しました。麓の説明板位置は、大物の城主だった山田道安の石碑の下に立てられてたのですなあ。先人の投稿の写真もちゃんと見とくべし、そして、Googleマップは参考程度に。

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キンヤ

山田道安の城と伝わり、主郭背後の堀切が鋭くて高く見応えある城 (2023/03/19 訪問)

山田氏の居城で、戦国時代に山田道安(道安という名は初代の順貞から三代続いたとの説あり)が城主の時に、馬場城を本城として移し、山田城は支城になったとされます。
山田道安は、1569年に松永久秀と三好三人衆の戦いで焼かれた東大寺大仏の修復に尽力したと伝わります。

東郭群と西側の主郭に分かれ、その中央は大きな堀切で仕切られています。
東郭の東側には、遺構かどうか分かりませんが、笹薮の中に石積のような箇所がいくつか見られます。
東郭の南側には6条位の畝状竪堀がありますが、笹薮で見辛いです。
主郭も笹藪ですが、背後西側の堀切は鋭くて切岸が高く見応えがあり、1番の見所でした。堀切の北西側は横堀状になっています。

城は拡張の途中で山田氏が没落して未完に終わったともされます。
その拡張途中だったかもしれない西側の尾根の上に西遺構の堀切が2ヶ所見られました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山田氏
築城年 室町時代
主な城主 山田氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 説明板(岩掛城跡)
住所 奈良県天理市山田町下山田