百名城71城目
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2019/05/26 21:12
2019/05/26 20:38
2019/05/26 19:40
浅井長政の心中は? (2019/05/26 訪問)
信長が朝倉を攻めたため、長政は信長を裏切ったわけですが、
その時長政の本心はどうだったのでしょうか。
お市とは仲むつまじかったと云われます。
信長につくか、朝倉につくか、
家臣の意見、先代の意見、
非常に悩んだと思います。
結局長政は朝倉に加勢するため
信長を裏切り滅びました。
今、長政はどう思っているのでしょう?
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2019/05/26 19:38
2019/05/26 19:10
分かりづらすぎ! 淵野辺城🏯 (2019/05/26 訪問)
遺構度 ★☆☆☆☆ 復元度 ★☆☆☆☆
施設充実度 ★☆☆☆☆ 楽しさ度 ★☆☆☆☆
足利尊氏の弟の足利直義の武将の淵辺義博が南北朝時代に築城した淵野辺城に行って来ました!
ナビして淵野辺城まで行ったもののまず入口どこ⁇って感じでした。入口を探すのに周辺を何周もしてしまいましたm(_ _)m
よく見てみると入口に石碑があったもののそれでもここであってるの⁇って感じでした。どう考えても人の家でしょ!と思うほどです。
勇気を出して入って少し歩くと芝生の庭のような場所があり、そこをよく見てみると奥に石碑があるのが見えたのであった!と思い写真を撮っていたもののよく見ると人の家の庭みたいだったので写真を撮ってすぐに退却しましたが、その時犬に吠えられもう散々でした。
逆に家の敷地内によく置いてあるな〜と思いました。
その家の持ち主さんには感謝ですね*\(^o^)/*
もし入口の石碑がなかったら更にわからなかったと思うので入口の石碑はあってくれて助かりました。
というわけで大変な1日でした(>_<)
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2019/05/26 18:39
深すぎる空堀と野面積みの要塞 (2019/05/26 訪問)
今までにこれほど野面積みに守られたお城や深い渓谷に囲まれた城跡を見たことがなかったので、圧巻でした。
日本で唯一の穴城を体験したかったので、小諸駅側にある大手門から入城を始めました。
駅からも近く、駐車場は広いので行きやすいです。
本丸は懐古神社があり、5月の訪問時には庭園のツツジや藤の花も綺麗でした。
2つの展望台からの眺めは最高で、千曲川のダムとカーブが見えたのは興味深かったです。空気が澄んでいれば富士山まで見えるそうです。
懐古園の入場料で隣接の動物園も入園出来るので、2つの違った雰囲気が楽しめました。
とにかく野面積みに見とれていて、あっという間に2時間経っていました。
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2019/05/26 18:32
2019/05/26 17:39
延岡城
千人殺しの高石垣が有名だが、本丸周辺に残る石垣や精緻な門礎石の方が「萌え」ポイントのような気がする。
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2019/05/26 15:18
西宮砲台から東へ、約1km。 (2019/05/25 訪問)
西宮砲台に来たからには、御前浜公園で若者達とバーベキュー…じゃなくて、車で東に5分ぐらい…距離にして約1kmぐらいの位置に『今津砲台跡』がありますので、ついでに行ってみました。位置関係とか知りたかったので。
なんで西宮砲台から近い距離に同仕様の台場を造ったのかは判りませんが、建造時期は西宮砲台などと同時期に、砂地だったために同じ工法で築かれたのですが、西宮よりも難工事だったようで、こちらはなんと4年もかかったそうです。
そして更に膨れ上がる工費…。
完成後は一度も使われることなく明治を迎え、大正時代に解体されてしまったとのこと。
跡地には残念ながら何も残っておらず、道路とマンションが建っています。
石碑は辛うじて残った今津砲台の堡塔の石材を使ったものですので、観ておく価値はあるかと。
なお、その対岸には『今津灯台』があります。
江戸時代のもので、なんと現役です!もちろん現役では現存最古となります。そして当初から同じ位置にあります。
但し、現在県主導で水門の工事をしていて近々移転するとのことで、現位置で見られるのも見納めとなりそうです。
…なんか、画像だけ見たら今津灯台の記事みたいになっちゃいましたねw
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2019/05/26 13:27
幕末の砲台の貴重な遺構。 (2019/05/25 訪問)
子供の頃に連れて行ってもらって以来、実に30年振りの再訪となりました。
もうそれだけで感慨モノですが。
御前浜公園内の一角に、西宮砲台はあります。
相次ぐ外国船の来訪に危機感を募らせた幕府が、海防策の一つとして大阪湾の防備を固める目的で建造した砲台場の一つが、ここ西宮砲台です。
西から古宮(播磨町)、明石海峡で挟撃するかのように舞子と松帆、和田岬、川崎、西宮、今津と数多くの砲台場が築かれました。
このうち西宮と同仕様の砲台は他に、和田岬、川崎、今津でした。
ちなみに当時の建築担当者はご存知、勝安房守(海舟)です。
建設地が砂地だったことからかなり苦労したようで、約1000本以上の松材の杭を基礎として打ち込んでから石造りの堡塔を建造したそうです。
建造費用は総額約二万五千両。
現在の金額にザックリ換算すると、なんと25億円!
そして同仕様の砲台があと3ヶ所…うわぁ…。
着工から約3年と巨額を費やし、ようやく完成したのでした。
堡塔は石材を四角く加工して円筒状に積み、表面に漆喰を塗り、砲眼11ヶ所と窓1ヶ所をぐるりと巡らし、内部は木造二階構造で二階部に大砲を据え、大砲を冷却するための井戸もあったそうです。
そして堡塔の周囲を土塁で囲んでいました。
しかしそんな西宮砲台に、残念なエピソードが。
試しに大砲を堡塔内に据えて一発なブッ放してみたら、堡塔内に煙が充満。あまり実用に向かなかったようです。残念すぎる…。
そして(幸いにも)一度も実戦で使用されることなく明治を迎えたのです。
現在は西側の土塁の一部と堡塔が残っています。堡塔の内部は残念ながら失火で消失。内側から鉄骨で補強してあります。
国内でも珍しい貴重な遺構です。
いつまでも大切に残していきたいものですね。
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2019/05/26 13:23
お伊勢さんの手前にこんなお城が・・・ (2019/05/18 訪問)
これまで何度となくお伊勢参りに行ったけど、手前にこんな立派なお城があったとは知らなかった(;゜0゜)
まずは玉城町教育委員会でスタンプゲット。何も知らずに立ち寄った方にもスタンプを楽しめるよう登城記念証と一緒になったパンフレットが作られていて親切でいい。町の人の優しさを感じる。
周囲には堀が残っており、東側の堀では今も水を湛えており雰囲気がある。内堀には大賀蓮が群生し夏には蓮の花を咲かせるそうな。
役場大手門跡から桜のトンネルを通り富士見門を見た後に玉城中学校前の駐車場に駐車。本丸跡、天守跡を目指す。
この城の見所は野面積みが美しい石垣。色々な石積が見れる。
郭もこじんまりとまとまっていて見易い。地元の方が次々に散歩に来られ愛されている様子がみてとれる。天守からの眺めも美しい。今回は駆け足だけど、またお伊勢参りのついでに立ち寄りたい。
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2019/05/26 12:34
2019/05/26 12:01
松江城 (2018/07/15 訪問)
【百名城32城目】
<駐車場他>大手門前駐車場有料あり。すぐ満車になるヨ。
<交通手段>車
<感想>1泊2日山陰攻城の旅3城目。2012年からの三度目の登城。当時の写真が8枚しか写してなくて、いい遺構が沢山あるのに知らなくていかに城の知識不足だったかあらためてわかった。当時よりは勉強して少しは知識を得て今回の攻城。前泊して8時過ぎに到着、大手門前駐車場に駐車する。堀の外側から南東側・東側の石垣をじっくり観察する。→大手門枡形→二の丸→本丸東側下段の高石垣→中櫓→水の手門跡→馬洗い池→二の門・一の門→本丸・天守へ。天守は5層望楼型の黒塗り板張りで、写真より実物は大きくてどっしり威風とし、戦いの城という感じがした。天守内は撮影OKです。天守内展示物で目立ったのは、後藤又兵衛の甲冑と国宝指定書だった。乾櫓跡→北の門→腰郭石垣→再度水の手門・ギリギリ井戸・馬洗い池→護国神社に。本丸の北側と通り、西側の梅林・外曲輪→船着門→ほぼ一周して南櫓・中櫓・太鼓櫓を見て終了。馬洗池の北側と後曲輪の西側に土塁があり、近世城郭で内堀内にあるのは珍しいかなと思った。本丸の北側と西側は整備があまりされておらず、樹木が多かった。これはこの投稿時の少し前に知ったことだが堀尾吉晴死後築城中で妻の大方殿が続けていたが資金切れでこうなったことが書物に書かれていて合点がいった。個人的には本丸東側下段二の丸との間からの折れのある高石垣と天守を見上げる眺めが素晴らしいと思った。
<満足度>★★★★☆
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2019/05/26 11:57
悲劇は社叢の静けさの中に眠る。 (2019/05/25 訪問)
以前からなんとなく気になっていた瓦林城にやってまいりました。
南北朝時代に築かれたというこのお城、立地的な点を鑑みて館城の様なものだったんじゃないかと推定されています。
時代は下って元亀元年(1570年)9月28日、三好方の篠原長房より不意打ちにあい、当時織田方についていた河原林三河守が守る瓦林城は劣勢ながらも必死に抵抗したものの、三河守以下106名が討ち死。その中には女子供も含まれていたそうです…。
そんな瓦林城、後の武庫川の氾濫と宅地化によって正確な場所の特定が困難なほどに、歴史の波に呑まれてしまいました。
しかし、その推定地には現在、日野神社が鎮座しております。
この日野神社、元々は瓦林城の守護神として創建されたんだとか。唯一、瓦林城を偲ぶよすがとなっております。
本殿の裏手に兵庫県の指定天然記念物となっている社叢が広がっており、よく見ると堀跡らしき凹凸が!
…しかし後で調べたら、武庫川の氾濫時に出来た堆積物の名残のようです。ささやかな期待は敢えなく崩壊orz
というわけで場所すらはっきりしない瓦林城ですが、境内のすぐ南側を阪急電車がビュンビュン走っているのにも関わらず、とても静かで落ち着きますよ。
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2019/05/26 11:46
2019/05/26 11:42
投稿が無かったので行って来ました(^^) (2019/05/24 訪問)
近くにコインパーキングが有りました。
私は路駐しましたが。(^^;;
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2019/05/26 11:42
無料のボランティアガイドさんいます (2017/01/20 訪問)
憧れの大坂城へ行きました!
無料のボランティアガイドさんがいて、申し込むと1時間ほど歩きながらさまざまな箇所を説明してくれます。
自分だけで歩くよりより魅力的になり、楽しい時間となりました。
石垣の大きさ美しさは圧巻!しかし秀吉時代の黒の天守閣が見たいなあ。太閤さん時代のお城復活を望みたいですね。
天守閣内は混雑しており、じっくり見たい私にとってははちょっと大変でした。
秀吉の直筆の手紙などは、どんな気持ちで書いていたのかなどと想像してうっとり。感動しました!
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2019/05/26 11:31
石垣の膨らみが・・・ (2019/05/24 訪問)
歴史を感じさせる本丸表門(現存)。
自衛隊敷地内にあるため内部には入れませんが、
海鼠壁と白漆喰塗壁にT字型の屋根をもつ三階櫓も美しい。
「敵の方向感覚を惑わすためのT字型屋根」という事ですが???
本丸表門左右に切込接布積の美しい石垣が続いているのですが、
表門左側の石垣の一部が大きく膨れあがっているように見えたのが気になりました。
内部崩壊から石垣が崩れるような現象でなければよいのですが・・・
表門ではボランティアガイドさんが藩主溝口氏についてわかりやすく説明してくれました。
ありがとうございます。
本丸から徒歩15分ほどのところに「足軽長屋(現存)」があります。昭和40年代まで人が生活していたという長屋です。
内部にも見れますので、当時の生活を想像しながら見学するのも楽しいです。
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2019/05/26 11:28
工事中、気をつけて!! (2019/05/19 訪問)
山中城とセットで登城。
やはり名護屋城と似ているなーと思いながらまわりました。
石垣はもちろんのこと、眺めもとても良く、小田原城が
見えたときはちょっと感激でした。
Web情報では24時間スタンプが押せそうな記載がありますが、
時間外はスタンプ台が回収され、不可ですのでご注意ください。
私が6時に到着したときにはありませんでしたが、掃除の方が
早めに置いて頂いたようで、7時30分頃には設置されていました。
また、現在保全工事中で2019年9月10日まで井戸曲輪、展望台は
見学できないためご注意ください。
以前箱根を訪れた際も翌週から大涌谷が立ち入り禁止になったのですが、
奇しくもこの日深夜から大涌谷が立ち入り禁止に。
毎回変なタイミングで訪れているみたいです。
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2019/05/26 09:55
小川城を愛する人々との出会い (2019/05/18 訪問)
真田三名城ウォーキングの一環で訪れました。沼田城→名胡桃城→小川城とバス移動も含め10キロ歩いた最後に小川城跡へ。
堀や土塁石積みなどが残っています。堀は草刈りがしてあり、見やすいです。
名胡桃城が注目される今、小川城も歴史の中で重要なお城だったこと、真田ゆかりの城でもあるという自負がある小川城保存会の方々が、自分たちで作ったチラシやパンフレットを配布しながら、熱く歴史を語ってくださいました。
武田信玄と長尾景虎が戦っていた時代、小川城、名胡桃城か明徳寺城の三城の三角地域は、利根川、赤谷川を挟んだ大きな谷、そして街道があり重要な拠点だったとのこと。最後の沼田城主真田信利が、沼田城主になるまで住んでいたが、その後空き城となった。
城跡は上越新幹線の建設残土で、小川城の前後の沢を埋め立てたこと、また新幹線の駅に繋がるバイパス道路は二の丸を横断し二の丸の堀も埋め立てられてしまった。
そんなことを語ってくださいました。
今は本丸とささ郭だけが残っていますが、畑の中に二の丸跡という看板が立ててあるなど、小川城を誇りに思って後世に残していきたいことが伝わってきました。
ありがとうございました。
トイレや休憩所はありませんが、すぐ近くに大きな公園があり、そちらで売店、トイレなどあります。また、その途中に縄文時代の遺跡もありました。
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