秋月城には2年ほど前に登城していますが、宅地開発により畑の中にわずかに残っていた遺構も消滅したと聞き、仕事帰りに立ち寄ってみました。
…………う~ん。
もともと見るべきものがあったわけではありませんが、一度訪れていても何処にあったかわからなくなるほどきれいさっぱり無くなってしまうと、やはりちょっと寂しいものがありますね。せめて説明板だけでも建ててもらえないかなぁ…。
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2021/08/11 08:15
2019/10/14 07:16
献血の前に (2019/10/13 訪問)
日曜日の所用がなくなったので急遽、日帰りで和歌山へドライブ。午前3時前にスタート。中央道は伊那インターまで通行止め。遅めのスピードで運転する私ですが、長野県内の下り線では他の車を見かける事はありませんでした。養老SAで千曲川氾濫のニュースを知りました。この日予定していた所用は、長野市での開催。被災してなければ良いのですが。無事をお祈りしています。
和歌山駅前献血ルームでの献血の予約は9:30から。その前にサクッと城攻め。秋月城跡は畑と草叢になっていて遺構の視認は非常に難しい状態でした。
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2019/07/24 17:14
日前神宮・國懸神宮 (2019/06/18 訪問)
延徳年間(1489~1492)に紀伊国造・紀俊連が日前神宮・國懸神宮の神領を護るために太田城などと共に築いたとされ、戦国期には太田城の支城となり、羽柴秀吉の紀州攻めにより廃城となったようです。
城域の真ん中を県道(宮街道)が通っており、県道の北側にある畑が堀跡で、畑の中の一段高くなったところが曲輪らしいですが、そう思いながら見てようやくそんな気がしなくもない、という程度で、このために訪れる価値があるかというと…。
あまりに見どころがないので、当初の築城目的である日前神宮・國懸神宮に行ってみると(秋月城から徒歩10分)、中学校や高校、幼稚園に囲まれた街中の神社でありながら、鳥居の先の神域に足を踏み入れると鬱蒼とした木々に覆われて空気が一変するのを感じます。大正期に境内の建物が一新され、古くからの姿は残っていないようですが、歴史のある格式の高い神社であることに違いはないので、秋月城とあわせて……というか、日前宮(日前神宮・國懸神宮の総称)のついでに秋月城をどうぞ。
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分類・構造 | 平城 |
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築城主 | 紀俊連 |
築城年 | 延徳年間(1489〜1492) |
主な改修者 | 太田氏 |
主な城主 | 飯垣周防守、太田氏 |
廃城年 | 天正13年(1585) |
遺構 | 曲輪、横堀(空堀) |
住所 | 和歌山県和歌山市秋月 |