みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

街道おじさん

湯築城登城 (2019/08/10 訪問)

室町時代、伊予の国の守護であった河野氏の居城。
土塁や堀が残っている。
また松山城が遠望できる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ゆたくん

国宝 (2019/07/13 訪問)

とにかく国宝です‼️👍

+ 続きを読む

カズサン

越中城廻Ⅵ 謙信公三度攻めた壮大な山城 (2017/06/14 訪問)

 一昨年6月富山市婦中町富崎城を終えて西方面初登城増山城へナビに七曲り口を指示しそれに従い進行、七曲り口に着いたのですが駐車にはむかず赤い橋を渡って増山城城下町復元土塁をの傍を通り抜け和田川ダムを目指す、そこには新しく増山陣屋が出来上がり駐車場、トイレ、資料館完備。
 増山陣屋の資料館では資料を頂き、展示資料で増山城に登城した気分満載、十分楽しめます。
 ダム道路を通って冠木門の有る登城口で案内板解説板、登城路を撮影して比高120m登城は断念、麓は草刈り中で保全管理万全管理されてる方に感謝です。
 増山陣屋は低い所に建って居ますので田畑が曲輪の様に見え往時城下町の様を想像させます、珍しく雉の雄鳥が尾羽を長く引き鳴き声を響かせていました拾数年振りの雉との遭遇です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

18きっぷ3回目 (2019/08/14 訪問)

山城は秋まで我慢。
ここだったら大丈夫でしょうと選んだのが館林城です。
(が、食後に甘くないデザートをつけたのでやっぱりヘロヘロになりました´д` ;)

到着後、最初に目についたのが色とりどりの傘の花☂️☂️
映え〜(((o(*゚▽゚*)o)))♡
しかし、ホントに雨が降り出してきたので、傘本来の役目を果たしており。
インスタ映え狙いとかじゃなくて、ホントに雨避けとして吊るされたのかも⁉︎という気もしてきました。
そしてこの既視感は…神宮球場。
東京音頭がリフレイン。ドッ、ヨイヨイ♪

敷地から一旦外に出たところにあった千貫門跡の碑。神社に奉納された絵馬を元に作られたというレリーフが嵌め込まれていて、これが当時の姿を想像する手がかりになりました。
特徴的なのは鉤型に折れる土塁です。
千貫門から千貫橋を渡ったところにあった土橋門。
復元された土橋門に繋がる鉤型の土塁は残っていて、外側に敷かれた石畳の道を歩いてその見通しの悪さを体験できます。この道は現在、生活道路(抜け道)のようでもありました。
土塁の内側は夏草が生い茂り近づくことができませんでしたが、季節がよければ土塁の上に登ることも出来るのかもしれません。(未確認)

館林城といえば榊原康政です。
ポチって榊原康政を家臣団に加え、徳川四天王がやっと揃い、いくつかのクエストを達成できたからには御墓参りに行かなければ。

榊原家歴代の墓所、善導寺までは2.8㎞。
雨の心配はあったけれどとりあえず歩き出したら途中から土砂降りになり、雷鳴も聞こえてきて(;o;)
傘も役に立たないくらいでしたが、幸い(?)引き返すのはもったいないというところまで来ていたのでしばらく雨やどり。
小雨になったところで残り600mをダダダーッと駆け抜けてゴールイン🏁
ヘロヘロです。
でも、行ってよかった。
初代藩主らしい立派なお墓でした。

で、帰ろって思って近道を検索したらすぐ近くに大きなショッピングモールがあって、これは駅までバスが出ているんじゃないかと調べたら50分後に出ていたので、もうこれは「歩いた方が早い(そしてタダ)」とか考えずにバスで帰ることにしました。
その50分の間に雨はすっかり上がり、気温急上昇。
近くにいた方が、館林は最高気温の記録が売りだったのに観測する場所を移動してから前橋(だったかなぁ?)の方に抜かれてしまった。こんなに暑いのに。とぼやいておられました。
そういえば昨年夏も酷暑の群馬県歩いたなぁ(小幡陣屋=楽山園とか)と思い出しました。

来年もまた同じことを繰り返したい!!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ゆたくん

国宝 (2018/11/11 訪問)

国宝犬山城です、天守閣からの景色は最高です‼️

+ 続きを読む

ゆたくん

現代のお城です (2019/08/18 訪問)

平成生まれのお城です

+ 続きを読む

todo94

炎天下の徒歩 (2019/08/17 訪問)

野崎城から野崎駅を越えて炎天下を歩いてたどり着きました。もちろん、途中でいろはすスパークリングレモンを購入して水分補給しましたとも。三箇菅原神社が故地のこの城も飯盛山城の出城のようです。

+ 続きを読む

くろもり

日和山とサン・ファン・バウティスタ号 (2019/08/15 訪問)

石巻駅から徒歩で20~25分程でした。車の場合、日和山公園駐車場(無料)に50台程止められます。

事前に調べてもあまり情報はなかったので、城址碑と説明板を確認し、城跡の鹿島御児(かしまみこ)神社を参拝して帰ろうかと思っていましたが、周囲を散策してみると神社の南東に段状の曲輪群らしき場所があり、奥羽の名門・葛西氏がいたであろう名残を強く感じることができました。中世城郭好きの方にはお勧めです。

また、神社下の東側の曲輪跡のような所に、川村某と書かれた銅像が建っており、「仙台藩で川村と言えば川村重吉?」と思いよく見てみると、川村孫兵衛重吉公の像でした。来るまで知らなかったので、「ウオォ!川村重吉!」とテンションが上がってしまいましたw 元は長門国出身で毛利輝元に仕えていましたが、後に伊達政宗に仕えて仙台城下の治水工事で功績をあげた方です。港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるために像が建てられたそうで、菩提寺は石巻市の普誓寺(城址からは少し遠い)とのことです。

東日本大震災の際は、海がすぐ近くなので津波の避難所となり、城跡である日和山(ひよりやま)が津波から多くの命を救った(山頂の鹿島御児神社は標高60m)のを嬉しく思う一方。城跡から眺めた綺麗な海が多くの命を奪ったと思うとなにも言えない気持ちになり、ただ鎮魂の祈りを捧げました。

石巻城から少し離れますが、石巻駅の二つ先の渡波(わたのは)駅から徒歩30分程のサン・ファン館も訪れました。大航海時代に世界中の海を航海したガレオン船(帆船)のサン・ファン・バウティスタ号(仙台藩士・支倉常長公の慶長遣欧使節団を乗せて太平洋を横断した船で、日本に漂着したスペインの冒険家セバスティアン・ビスカイノの監督の下、驚くべきことに日本人が建造!)の復元船を見ることができます。つい最近のサザエさんのOPでもサン・ファン・バウティスタ号に乗る支倉常長公のシーンがあったので、記憶している方もいるかもしれません。東日本大震災の津波とその後の強風により、船は大きく損傷し、2017年3月から乗船は禁止され、2020年まで現状を維持するものの、その後は解体することが有力視されているそうです。ガレオン船が今後、日本で建造される可能性は非常に低いと思われるので、大航海時代や慶長遣欧使節団等に興味がある方は、解体される前に是非足を運ばれてください!

400年前、太平洋横断を果たしたサン・ファン・バウティスタ号を建造し、日本人の技術が世界に通用することを証明してくれた石巻(建造された場所はサン・ファン館ではなく、少し離れた石巻市の月浦)、津波でたくさんの命が失われたことは本当に悲しいですが、400年前と同じく、今度は復興で、世界に石巻と東北の技術を見せてほしいです。Siempre contigo 石巻・東北!(石巻・東北と心は共にある!)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イシテル

山梨城巡:甲府城 (2018/12/22 訪問)

愛知県一宮市から5時間半かけて各駅停車で甲府へ。
石垣の綺麗な素晴らしい城。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イシテル

山梨城廻:武田氏館[躑躅ヶ崎館] (2018/12/22 訪問)

武田神社でお参り。
神社の回りに土塁や天守台などの遺構があって見どころ満載。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

越中城廻Ⅴ 規模の大きい土の城 (2017/06/14 訪問)

 一昨年6月八尾町の城生城を終えて同市内婦中町の富崎城へ段丘丘陵北端に土の城が築城されている余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると大きな横堀で曲輪を分け段丘崖以外にぐるっと横堀城塁を南面東面に構えてる様子が伺える。
 今回夏草、茅野草が大きく生い茂り登る事も土塁、堀、曲輪を見る事が出来ませんでした草が刈られた頃の初冬か草が茂前の桜頃が探訪にいい時期でしょう。
 手前に弥生期の富崎古墳群と案内解説板が有ります。
 車は富崎城案内標識辺り停められる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イシテル

東北城廻:会津若松城 (2014/08/14 訪問)

時間が無くて廻りきれなかった。
また行って、ゆっくり廻りたいな。

+ 続きを読む

イシテル

東北城廻:盛岡城 (2014/08/13 訪問)

石垣の素晴らしさに感激

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イシテル

東北城巡り:弘前城 (2014/08/12 訪問)

2014年8月、弘前城の天守石垣が改修により移動される直前の城廻です。

+ 続きを読む

カズサン

越中城廻Ⅳ 神通川段丘の城 (2017/06/14 訪問)

 一昨年6月富山市白鳥城を終えて南下し同市八尾町の城生城へ案内は城郭放浪記さん余湖図コレクションさん資料を手元に探訪、ナビに従い県道25号線沿いに有る入口と案内板を目指す、道沿いの入口は見つかったのですが車を停める適当な所が見つからない路駐もままならず車の通らない間に入口、案内板、城の全体写真を撮って退散。
 余湖図コレクションさんの俯瞰図で構想する。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

国重

見事な石垣 (2019/08/25 訪問)

由佐城→北岡城→筑城城→佐料城→藤尾城→芝山城とまわってきましたが、石垣が見たくなり急遽丸亀城へ。婆娑羅まつりとお城の両方を楽しんできました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

国重

眺めがいいです。 (2019/08/25 訪問)

勝賀城主香西氏の出城の一つで、芝山の頂上にありました。本丸(四間に六間)・北の丸(三間に五間)・南の丸(四間に七間)、現在は土塀の一部がわずかに残っているだけである。城を守っていたのは、香西氏の家臣で、直島に本拠をかまえていた、渡辺氏の一之丞と三之丞兄弟が守っていた水城でありました。【案内板より抜粋】

石段横に駐車場があります。本丸からの眺めは良かったです。

+ 続きを読む

国重

鳥居手前に一台分参拝者用駐車場があります。 (2019/08/25 訪問)

嘉禄年間(1225〜27)初代香西資村は勝賀城を詰城、佐料城を居館としてきた。しかし、18代佳清のとき、土佐の長宗我部元親の讃岐侵攻に備えて、北に海の砦となる芝山城、南に守りの作山城があり、その中央の藤尾山に天正5年(1577)に新城を築きはじめ
、完成を待たずして佐料城から藤尾城に移ったと伝えられている。【案内板より抜粋】

ナビに従っていくと、八幡宮の境内まで案内されますが、道はとても狭いです。鳥居前の参拝者用駐車場に停めさせてもらうのが一番だと思います。案内板も鳥居の横にあります。

+ 続きを読む

ぴーかる

鬼薗山城・燈花会 (2019/08/13 訪問)

【鬼薗山城】
<駐車場他>奈良公園有料P
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良の環濠巡りと燈花会を見る、6城目。奈良の燈花会は奈良公園で開催しているため、燈火前に到着して鬼薗山城と西方院山城を攻めようと来た。先攻め者の方々の投稿通り奈良ホテルになっており、遺構も消滅とあるので、奈良ホテル正面玄関を撮影し終了した。大正浪漫(建築は明治)を感じる立派なホテルでした。ホテルから旧大乗院庭園が眺望できます。
 次に西方院山城に行ってみたが、ゆうが神社の門扉が閉まっていたので断念した。

 そしてメインの燈花会は奈良公園と周辺に数エリアに別れて開催されている。浮見堂と奈良春日野国際と周辺を堪能した。車を若草山入口前の一時Pに入庫したので帰り車に戻る時、車庫手前の外灯歩道の下に30頭程の鹿達が集まって今日のミーティングをしていた。誰もいない夜の鹿軍団のあいだを通り抜けるのは怖かったが、なんとか通過できた。だけどいい思い出になった。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

国重

案内板があります (2019/08/25 訪問)

戦国時代の飯田郷三城の一つで、下飯田城ともいった。当時の城は、土塀囲いの屋敷で、小学校の北側に南門、農協支所の北側に来た門があった。【案内板より抜粋】

付近の道は狭いです。車を止めて写真だけ撮って移動しました。

+ 続きを読む

ページ1494