はたのじょう

波多野城

福井県吉田郡

別名 : 波多野館、花谷城、城山城
旧国名 : 越前

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波多野道郷 (2024/04/06 訪問)

 波多野氏の居城とされ戦国時代には朝倉氏の一乗谷城の支城として重要な役割を担っていたと考えられています。標高473・7メートルの城山山頂部と、そこから派生する尾根上に曲輪を展開しています。曲輪、堀切、畝状竪堀等が残っていました。特に畝状竪堀が多く見られることが特徴で浅くはなっていますが、よく残っています。水平部にもあり畝状阻塁(阻塞)というべきでしょうか。水の手があり高地ですが水が湧き出ているのが確認できます。池にはおたまじゃくしがいました。よく整備されていて気持ちよく散策できます。

 えちぜん鉄道勝山永平寺線光明寺駅より徒歩3分くらいで城山登山口である花谷友遊広場駐車場に行くことができます。そこから頂上まで2.4Kmあり、舗装されていない林道を歩いて約40分かかりました。道は傾斜も緩く歩きやすかった。登城路から城域まで地元の保存会の方々が整備されているとのことで散策しやすくなっています。林道には地元の志比小学校の児童が書いてくれたという道標がありました。数字で示されていて登城口の1から始まり、ゴールは20でした。歩くのに励みになります。

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ぴーかる

波多野城 (2022/11/05 訪問)

【波多野城】
<駐車場他>波多野城登城口駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>畝状竪堀・堀切・土塁
<感想>波多野城の築城年代は定かではありません。城主の越前波多野氏は鎌倉時代の相模国の秦野氏(波多野氏)の波多野義重が承久の乱で活躍し越前志比荘の地頭とするのが始まりとされます。代々波多野氏がこの城を有したそうです。ちなみに丹波国八上城の波多野氏も相模国秦野氏と同族です。
 駐車場のある登城口から城跡入口まで約2.3㎞の長丁場ですが、道が車1台通れる幅の整備がされているのでかなり登り易いです。入口に柵のあるゲートをくぐり急斜面を登り尾根まで上がります。ここからの眺望がいいです。尾根伝いに進めば城跡に着きます。まず尾根の土塁と緩傾斜地に畝状竪堀が現れます。奥に切通しの堀切があり下部に水の手遺構があります。尾根上を更に進むと右手に尾根上土橋とその下段の平場にも畝状竪堀があります。畝状阻塞とか畝状阻障とかいうそうですがここは畝状竪堀でいきます。名称よりも気になるのが平場に設けられた畝状竪堀の特徴で、先に見た成願寺城や一乗谷城の詰め城でみた平場に設けた竪堀と同じ特徴があります。本来なら曲輪にしそうな削平地を竪堀にする朝倉家の城造りの特徴が分かりました。その右手尾根上土橋、左手奥が堀切があり高い切岸になっている主郭があります。主郭は舌状で段差を付けた曲輪です。主郭先に堀切があります。尾根上土橋を渡った先には主郭と対をなすような形で副郭(仮称)があります。櫓台のような盛り上げがあり石がゴロゴロしているので石積みの櫓台だったかもしれません。副郭の背後の先に堀切があり、堀切を下って行くと水の手に出ます。
 広くて大きな曲輪は無いものの凝らした防御設備遺構が残されたいい城跡でした。平場の竪堀群の特徴が自分の中でも解決できました。

<満足度>◆◆◇

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昌官忠

2022夏の青春18キップ10日目:波多野城 (2022/07/29 訪問)

勝山城からの転戦です。城山登山駐車場(36.087736、136.342007)に駐車しました。駐車場に案内板がありました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代初頭、承久の乱の戦功により、志比庄の地頭を賜った波多野義重が相模より移り、領地監視のため築いたとされます。
波多野氏は相模国波多野荘を出自とし、波多野義重が越前国志比庄地頭職として下向したのが始まりのようです。
その後、波多野氏が数代にわたって、城山を使用しました。戦国時代には朝倉氏に従い、1573年(天正元年)織田信長の朝倉氏討伐後に廃城となりました。

波多野城は説明板によると標高473.8mの城山に築かれており、現在は登山道が整備されています。
駐車場から林道を2.3Kmくらい(結構長いです)熊よけ鈴を鳴らしながら歩くと林道終点に登り口があり、柵、説明板が建てられています。
登り口から急坂を登って行くと西尾根に着きます。
西尾根を歩いて行くと堀切が見え、右手に畝状阻塁(腰曲輪の平場に形成されたものなので、畝状竪堀ではなく畝状阻塁というそうです)が確認できます。ただ埋まっていて深くはありません。
北側に3郭、堀切を挟んで主郭(3段になっています)。ここに波多野城の城址標柱が立てられています。
主郭の北東側に堀切と畝状竪堀、北西側にも堀切が確認できます。
主郭から南側に続く尾根を進むと2郭に着きます。2郭東側に畝状竪堀、南東側に堀切、南側に畝状竪堀が確認できます。
非常に整備されており、とても見学し易い城跡です。(写真をたくさん撮りましたが10枚に絞り込みました)
攻城時間は75分くらいでした。次の攻城先=藤島城に向かいます。

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エグ1394

越前波多野城 (2019/09/01 訪問)

道の駅禅の里で越前波多野城の御城印だけ購入しました。
現在は完売のため販売していません。
越前波多野城は鎌倉時代初頭、承久の乱の戦功により、志比庄の地頭を賜った波多野義重が相模より移り、領地監視のため築いたとされる。その後、波多野氏が数代にわたって、城山を使用した。戦国時代には朝倉氏に従い、天正元年(1573年)、織田信長の朝倉氏討伐後に廃城となった。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 波多野義重
築城年 鎌倉時代
主な城主 波多野氏
廃城年 天正元年(1573)
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状堅堀
指定文化財 県史跡(波多野城跡)
再建造物 碑(城山城址)、説明板
住所 福井県吉田郡永平寺町花谷
問い合わせ先 福井県教育庁文化課
問い合わせ先電話番号 0776-20-0579