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チェブ

幻のお城。 (2019/05/04 訪問)

福島県の会津若松市にある「神指城」に行きました。
越後から会津に移封された上杉 景勝さんが、直江 兼続さんに築かせた「神指城」です。
1600年3月から12万人で工事が始まりました。
が、6月で中止です。
家康さんの上杉討伐です。
でも、家康さんは関ヶ原の合戦に変更し引き返してしまうので、上杉 景勝さんはいい迷惑ですよね。
上杉家は1601年に米沢に引っ越しました。
天守以外は完成していたらしいんです。
「神指城」の石垣は会津若松城で再利用したそうです。
現在の「神指城」グランドの奥に遺構があります。
会津若松城の2倍の大きさだったらしいので、周りの田んぼもお城跡でしょうね。
ちょっと草がボーボーしていました。
「CGで再現された勇姿」のポスターはボロボロです。
頑張れ「神指城」!!

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イオ

藤堂高虎最初の城! ですが… (2019/05/21 訪問)

根来寺や高野山と並んで「三ヶ寺」と称され権勢を誇った粉河寺が、戦国末期に寺の防衛のために本堂南側の猿岡山に築いた城で、羽柴秀吉の紀州攻めにより粉河寺が焼亡した後は、粉河に封じられた藤堂高虎の居城となりましたが、高虎の伊予宇和島への移封に伴い廃城になったようです。

下調べでは、城域は公園化されていて、城址碑と説明板があるだけとのことで、全く期待せずに訪れましたが、「戦国和歌山の群雄と城館」の縄張図を見ながら歩いてみると、曲輪の形状は案外残っていて、本曲輪の周囲には付曲輪や溜池?と思しき窪地があること、猿岡山の南麓を流れる中津川が天然の堀となっていることなどがよくわかり、思いの外楽しく見て回ることができました。

アクセスはJR和歌山線・粉河駅から徒歩約20分、車なら粉河寺参拝者用の駐車場(500円前後)から徒歩5分程度ですが、藤堂高虎の最初の城とは言っても石垣など目立った遺構は何もなく、このためだけに訪れるほどではないので、西国三十三所・粉河寺の参拝ついでくらいでどうぞ。30分もあれば充分ひと巡りできます。

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刑部

私の出生地 江戸 (2019/05/30 訪問)

何度も来ていますが令和になって初めて訪問です。 江戸城は計り知れない広大な城、1日中周っても周りきれない。そんな江戸城下に生を受けて数十年 街並みはだいぶ変わりました・・・と天守台から思いふけてみました。

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スミヤキ

是ぞ甲府の花盛り (2019/04/05 訪問)

江戸時代、柳沢父子の治世下で甲府城下の繁栄を伝える言葉です。

5代将軍徳川綱吉の信任厚く、幕政を担った柳沢吉保が1704年、先祖の旧地甲斐国、甲府城主になります。
柳沢氏は甲斐源氏武田氏の一族、一条氏の流れをくむ青木氏の分かれで武川衆に属していました。甲斐武田遺臣の出世頭であり、高家武田家の創設、武田信玄公の133回忌法要を執り行っています。遺臣の鑑です。甲府城の修築、城下町の整備など手掛けています。

跡を継いだ吉里も名君だったようで産業経済を進展させ、特に葡萄の増産に積極的にあたり甲州葡萄を有名にしました。近世になって城主の甲府入りは、吉里が唯一の事例らしく大いに賑わったそうです。1724年大和郡山へ転封するまでの柳沢親子治世20年間が甲府の華やかな最盛期と言われています。

甲府城の稲荷櫓は、発掘調査で判明した遺構の場所に絵図や史料をもとに2004年、史実に基づいた復元整備がされました。大和郡山の柳沢文庫に残された当時の設計図、改修図面が役立ったようです。

今日、美味しい甲州葡萄や甲州ワインをいただけるのも吉保さん、吉里さんのおかげかもしれませんね!

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オイラー

丸亀城登城 (2019/02/10 訪問)

百名城67城目

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オイラー

高松城登城 (2019/02/10 訪問)

百名城68城目

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シロマサ

中世の城 祠のお陰で現存? (2019/05/29 訪問)

グルナビで殆ど迷わず行けました。
まずは南口、次に塚口城(東門口)、続いて清水口、最後に北口跡。
全て祠、住宅地の中にポツリとありました。

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くろもり

桑名城お堀めぐり (2015/04/04 訪問)

現在、桑名城跡は九華(きゅうか)公園となっており、春は桜🌸の名所となっています。

桜が咲く3月下旬から4月上旬の期間限定で、九華公園で「桑名城お堀めぐり」という堀跡を船で巡るイベントがあるようです。全国屈指の水城だった桑名城🏯の堀を船で見ることができる貴重な機会です!

私は乗ったことはなくたまたま見ただけでしたが、桜も綺麗だし夜もやっているそうなので、今度機会があれば乗ってみたいと思います。

今年はもう終わっているのですが、一応、桑名市のHPにある「桑名城お堀めぐり」の情報です↓
http://kanko.city.kuwana.mie.jp/event/suigofune/index.html

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赤い城

免許センターのすぐ近く (2019/05/25 訪問)

主郭部は公園として整備されています。
戦国時代末期には高城氏の小金城の支城となっていました。
主郭から三郭までが直線に並んだ作りですが二郭、三郭は宅地化されていました。
公園化された主郭部には土塁や虎口が残っていて悪くない感じでした。


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北条早龍

戦国期城郭の最高傑作、中世城郭の教科書 (2019/04/13 訪問)

The 山城 と言わんばかりの見事な曲輪と土塁の数々

実は所々は石積みであることも調査でわかったらしいですね。
横矢や小口の仕掛けなど実践的な配置で教科書と言われるのもうなずけます。

桜がまだ咲いていて本丸から見る麓の桜は美しい。

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小城小次郎

佐伯城

三の丸に建つモダンでアンティークな近代建築、これはこれで味が出てきてしまったが、ぼちぼち御殿の移築復元に切り替えてもよいのかもしれない。

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カルビン

バスに置いていかれて・・・結果オーライ (2015/09/19 訪問)

下田城は2014年の8月最終日曜日に訪問。。。家族サービスに夏休み最後のお休みと言う事で海岸線が大渋滞し、AM6:00頃に家を出たのに、到着したのが午後だった嫌な想い出が(汗)


2015年9月、今度は電車で下田駅から下田海底水族館を訪れた際、帰りに目前でバスに置いていかれましてorz
30分待つのが嫌で、駅まで20分かけて歩こうかと思っていたら、前回登った方とは逆側の下田城の登城口が見えたので、ついでのつもりで再訪しました。

どうも前回の訪問では半分しか確認しておらず、その際に遺構のほとんどを見逃していた事にこの日気付きましたww

横掘や土橋、切通し等のある側は当時藪っていたので、行かなかったんですよね。。。この日もちょっと緑多めだったものの・・・何せこの道しか無いもんでww
公園として有る程度の整備して頂いていたので、藪漕ぎする程酷くはありませんでした(^ω^;)

おかげ様でなかなかの遺構を拝見する事が出来たので、結果オーライでした(笑)


伊豆半島は伊勢新九郎が北条の地盤を築くべく多くの豪族を吸収した地で、あまり有名では無いものの結構お城が多いので、まだ数回は訪問・散策したい場所で御座います。

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北条早龍

広大な敷地に残る遺構群 (2019/04/13 訪問)

山あり谷あり川あり堀あり馬出しありと当時の面影が見れます。

北条氏邦時代に整備拡充され現在の大きさに。
荒川を背に深沢川を挟んで高低差のある地形を活かした縄張りです。
北条家といえばの角馬出やあまりない石積み土塁なんかも見れます。
立派な氏邦桜(エドヒガンザクラ)もありましたが、もう葉桜になってました

整備されているので歩きやすいですが、上下左右結構な範囲の運動になるので、ウォーキングシューズくらいは履いておくと安心。

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吉井川と金剛川の侵食による急斜面 (2019/05/19 訪問)

備前の海岸寄りは流紋岩地帯。北曽根城は、流紋岩の山体を南側の金剛川と西側の吉井川が侵食。山頂に磐座が露頭。本丸石垣も岩の露頭を利用して石垣とを一体化(写真1)。
備前と播磨西端は、赤松氏→浦上氏→宇喜多氏と下克上があった。挟まれた浦上氏は、影が薄い。浦上氏所縁の北曽根城、天神山城、三石城、富田松山城などを巡った。

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チェブ

北九州ナンバー! (2019/05/03 訪問)

「植野城」に行きました。
GW後半の東北自動車道下りは渋滞です。
急ぐ旅でもないので下道に下り「お城を探す」で行けそうなお城巡りをしました。
まっ、いつもの無計画です。
「植野城」、堀田 正高さんが築城します。
お父様が古河藩主だったので遺領の土地を一部、相続しました。
その場所が佐野藩になったそうです。
ただ正高さん、お引っ越ししたので佐野藩は天領になってしまいました。
その後は堀田 正敦さんが入封し陣屋を建てました。
現在、堀田佐野城址公園です。
遺構は近くの堀田稲荷神社に土塁があるそうです。
無計画な為、下調べしていなかったので見逃しました。
公園から少しだけ離れた所に石碑があります。
あんなに渋滞していた高速道路。
「植野城」はだーれもいません。
と、思っていたら一台の車が駐車場に止まりました。
しかも、北九州ナンバーです。
ドライバーさんの休憩か?
いやいや、ドライバーさん「植野城」の写真を撮ってました!
北九州から栃木県まで何城、攻めてきたのか質問したかったです。

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ぴーかる

河後森城 (2018/08/11 訪問)

【続百名城15城目】
<駐車場他>登城口に無料駐車場あり <交通手段>車

<見所>連郭曲輪・堀切

<感想>伊予国攻城の旅2城目。事前に松野町のホームページで駐車場の地図と城の縄張り図を出しておいたので迷うことなく城に到着。駐車場にも城の案内盤があるので控えて回るといいです。駐車場からは1本道で城の山麓に到着し、左に行けばスタンプ小屋のある西第10郭、右に行けば新城に行く。縄張りは郭がUの字状の上に新城と呼ばれる出丸があるような形状をしている。一枚目の写真は新城から撮影したもので、写真の右の方が本郭、尾根状に左に下がって西第2・3・4・・郭となり小屋が西第10郭となる。写真の本郭の右にも郭が数個連なっている。石垣は本郭と西第2郭の間の堀切に一部見受けられるのみだった。シマヘビに遭遇したので、棒で足元確認要です。新城へ行く小道には自生のつつじがあり開花時期には花道のようになるので4・5月に訪城するのがいいかも。比較的草も刈られており、地元の子らが作成した説明板も味がある。いい城跡だった。下山後道の駅で鯛めしを食して大洲城へ向かう。

<満足度>★★★

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ぴーかる

宇和島城 (2018/08/11 訪問)

【百名城35城目】
<駐車場他>桑折長屋門前駐車場有料あり。 <交通手段>車

<見所>上り立ち門・長門丸石垣・藤兵衛丸・本丸石垣・天守

<感想>1泊2日伊予国攻城の旅1城目。伊予国の湯築城以外の百名城4城は2015年に一度来ているので2回目の来城。長門丸で大雨に降られて一時雨宿りで中断→藤兵衛丸石垣は見応えあり。→代右衛門丸は前回も立入禁止だったが、今回もNGで残念→天守周辺の帯曲輪の立入禁止→二之丸も工事中で立入禁止→一の門は見応えあり。→昨年の台風で石垣が崩れて本丸に仮置きされており半面立入禁止状態だった。→天守内は撮影OKで年代物の展示物は無い。最上階の天井が板張りなのが変わっていた。玄関内側の唐破風の下の木組みの構造にも着目した。→上り立ち門付近は前回見たのでパスして井戸丸を見て河後森城へ向かった。総評はいい遺構があるのに整備が追っついていない感じ。代右衛門丸は永久に見れないかと思った。立入禁止遺構多すぎなので満足度★1個減点します。

<グルメ>宇和島城のすぐ近くの道の駅「ささいや広場」フードコートの鯛めしを食しました。まあ鯛茶漬けと言われればそれまでなんですがとても美味しくて何杯でもいけそう。けどお値段少し高め。写真9枚目に添付してます。

<満足度>★★★★☆

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Red☆53

四国お城巡り「憧れの松山城」 (2019/05/01 訪問)

長年憧れていた松山城。ゴールデンウィークの10連休。記念すべき令和初日に訪ねました。ロープウェイで山頂まで。心がはずむ。人が多過ぎて思うように写真が撮れないけれど,楽しい。天守閣に入るまで2時間かかったけれど苦にならず待てました。
天気も上々。城は青空が良く似合う。
傾斜のキツい階段も頑張って登りました。天守閣から眺めた景色は最高でした。
又,機会があれば,ぜひ訪ねたい城です。
帰りはちょっと怖かったけれどリフトで下りました。
怖いけど楽しい(笑)。

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シロマサ

余りにコンパクト、新しさと古さが同居 (2019/05/29 訪問)

国史跡6/22
初めて訪れた感想。コンパクト、ミニチュア城
総構えの城を見たかったから、まずは岸の砦を目指す。
猪名野神社は荒廃して補修が必要。その北側に砦の遺構が 残る。
整備してほしい。
続いて上﨟塚砦に行くが、案内板も見当たらない。
墨染寺の周囲が砦かな?
最後に宮前地区、なんか違和感?

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イオ

再訪を期す… (2019/05/06 訪問)

松本城の最大の見どころはやはり国宝たる天守群だとしても、もちろんそれだけではなく、創建時の技術と道具により復元された太鼓門内では、梁などにちょうなの跡を見ることができ、平面復元された二の丸御殿は歩き回って構造を体感することができますし、名水の町だけあって内堀・外堀は豊かに水をたたえ、埋橋や二の丸裏御門橋が水面に映えています。

また、天守二階の松本城鉄砲蔵はかなり見応えがありますし、天守と共通入場券の松本市立博物館も見て回れば軽く2時間を超えるはず。今回は時間の都合で周辺の史跡は見ていませんが、城下町に残る総堀の跡や食い違いや鉤の手をめぐり、国宝指定されることになった旧開智学校を訪れ、蔵の町・中町通りを散策して、手打ちそばや松本山賊焼を食べて…となると一日がかりですね。

今回見られなかった乾小天守の耐震工事が済み、公開再開となった頃にまた訪れたいものです。次回は寄り道などではなく、城下町散策と周辺の山城(林城とか)もあわせて、充分に時間をかけて…。
 

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