道が傷んでいなければ城跡のすぐ近くまで車で行けるが傷んでいないかどうかは行ってみないとわからない(私は歩いた)。一段低い所にある城址碑までよりもむしろその先の曲輪群の方がお城っぽさを色濃く湛えているように見えた。
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2025/12/08 21:46
2025/04/08 21:59
いつもの鉄塔越しの眺望 (2025/03/23 訪問)
朝田辰兵衛さん、山形県コンプリートをおめでとうございます。残念ながら、山形県の城には一つも行けてないです。皆さんの投稿を見て、東北の城に「行きたい」をたくさんつけているので、いずれは、と思っています。にのまるさんの赤い橋シリーズも絶妙ですが、回答も見事ですねえ。
さて、長野城です。鈴鹿山脈の山深いところで、標高540m、比高360m。そしてとても険しいです。青山高原の風力発電風車が近くに見えます。城の構造は単純ですが、室町幕府にたてついて、2年以上籠城したというだけあります。東に向かって眺望が開けているのですが、どうしても真ん中に送電鉄塔が入ってきます。城域への舗装道は、送電線建設、維持のためでしょうから。
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2023/10/18 21:50
山奥に佇む長野工藤氏の城郭。 (2023/10/15 訪問)
長野城は長野氏によって築かれ、長野氏は工藤祐経の孫、祐政が名乗ったのが始まり
とされています。標高540m、比高360mの高地に築かれ、車で通れたり通れなかったり
する林道の先にあります。見所は2か所あり主郭周辺の主要部と北東に広がる堀切や土塁
を備えた遺構になります。主郭は城域の最高部にあり東側を除く周囲に土塁が残って
います。西側に郭が配され、その先にも遺構が残ります。北東の遺構は一度主郭から
降りて駐車場の近くまで戻ると北側に歩道が続いているのでそこを進みます。
すると主郭の北側にいきなり大きな竪堀があり、それに沿って歩道が湾曲して続き
ます。歩道と竪堀はすれすれなので足を滑らすと下に転げ落ちてしまいます。その先には
堀切が下方に延々と続き、それに沿うように左側に郭が配されています。郭は土塁を伴い
一部に石積みが残っています。堀切の下方には門の礎石らしいものが残り、堀切の上方
には左右に大きな土塁が残っています。これらの遺構はその完成度から戦国期のもの
かもしれないと思います。ひとしきり城域を確認した後の満足感はなかなかのもので
わざわざ林道を2km弱歩いてくるだけの価値はあったと思います。(帰りもありますが)
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 長野祐藤 |
| 築城年 | 文永11年(1274) |
| 主な城主 | 長野氏 |
| 廃城年 | 元亀元年(1570) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
| 指定文化財 | 国史跡(長野氏城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 三重県津市美里町桂畑 |
| 問い合わせ先 | 津市教育委員会美里事務所美里総合支所地域振興課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 059-279-8122 |