しぎやまじょう

鴫山城

福島県南会津郡

別名 : 南山城、田島城
旧国名 : 陸奥

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しろりん

山城 (2019/10/15 訪問)

城跡でしたが、空堀や石垣が残っていました。
愛宕神社が山頂にあります。
次回は登って参拝したいです。

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カズサン

南会津城郭探訪 (2018/10/14 訪問)

 昨年10月中旬1車中泊で南会津の城郭を探訪、東北道からもかなり離れて居り福島県、東北道を行ったり来たりするのですが中々行く事が出来なかったのですが紅葉の先駆けかもと思い切って東北道のSAで車中泊し那須塩原を経由して南会津へ山頂部は紅葉でしたが麓はもう少し時間が必要。
 鴫島城、田島陣屋、田部原館を探訪、鴫島城入口前の幼稚園駐車場に早朝駐車。熊注意看板有り。

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くろもり

会津南山口の城 (2014/09/14 訪問)

会津田島駅から徒歩で訪問しました。
駅から麓の大門跡まで約10分程。
麓の大門跡から長沼氏時代の主郭跡と伝わる山頂の愛宕神社までは約30分程の登山でした。

鴫山(しぎやま)城の山頂は標高750mですが、会津田島の駅が標高550mにあるので、比高は200m程の山になります。

麓には大門跡の見事な石垣があり、土塁の上に柵を造って往時の雰囲気が出るように整備してくれていました。山頂の愛宕神社からは南会津田島の盆地が360度というわけにはいきませんが、城下を一望できました。

南会津はそばの産地でもあるので、そばが好きな方はそばも楽しめます。

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夏の雪だるま

南会津の城 (2016/06/19 訪問)

福島県南会津町の鴫山城です。源頼朝の奥州攻めの功によりこの地を与えられた長沼氏が1399年頃築いたとされます。長沼氏は南の宇都宮氏と勢力争いをするとともに、北の会津芦名氏とも衝突を繰り返しますが、1566年の芦名氏との合戦に敗れて以降は芦名氏に従っています。会津芦名氏最後の当主義広の時、長沼氏は伊達氏から養子を迎えようとしたため、伊達氏と敵対していた芦名氏は鴫山城を大軍で襲い養子縁組をあきらめさせたとされます。これに反発した長沼氏は1589年芦名氏と伊達氏の摺上原の合戦には参陣はしたものの合戦が始まる前に引き上げ、合戦に勝った伊達氏に服属の使者を送り本領安堵されています。その後、長沼氏は伊達氏に抵抗する久川城河原田氏と交戦し、1590年長沼氏当主盛秀は討死してます。その後、鴫山城は会津を領した蒲生・上杉氏などの家臣が城主となりますが、加藤氏が会津の領主になると1627年廃城となっています。そして1643年この地は幕府領となり現在の役場に陣屋が置かれこの地を支配したとされます。城は会津から関東へ抜ける日光街道の交通の要衝標高750mの愛宕山山頂から北斜面に築かれた山城で、山頂の詰の城と中腹の内城、大手門前の根小屋と呼ばれる家臣屋敷からなり東西300m南北700mと言われます。大手門部分は蒲生氏時代に石垣で造られ、現在石垣が復元整備されています。城は旧南会津郡役所からも登れますが、大手門に続く大鳥居前にも駐車スペースがあり、今回はそちらから大手門を通り詰の城の愛宕神社へ登り、東尾根の二重土塁を下り、横へ歩き上・下千畳から反対側の西外壁塁へ回り、大手門へ戻るコースで所要時間50分でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 長沼義秀?
築城年 南北朝時代後期?
主な城主 長沼氏、大国氏、小倉氏(蒲生氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、石垣
指定文化財 県史跡(鴫山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福島県南会津郡南会津町田島字愛宕山他
問い合わせ先 南会津町教育委員会生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0241-62-6311