雑賀崎遊園バス停から徒歩5分ちょっとで、雑賀崎台場入口(34.191863、135.141969)に着きました。
1853年(嘉永6年)6月のペリー来航は、和歌山藩にも影響を与えていました。
和歌山藩では1854年(安政元年)頃から海防警備のための台場整備計画が始まり、友ヶ島や和歌山の加太から海南一帯に台場を築造する計画がたてられました。
しかし、雑賀崎台場は資料には登場せず、カゴバとして狼煙や番所の印が付けられているにすぎなかったそうです。
岬の先端でやや小高くなったところに土塁と石垣の遺構が残っていました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=元番所台場(城びと未登録 和歌山県和歌山市)へ徒歩で向かいました。
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