2023年秋、2025年冬と2回行った紀州旅、いずれもラストは雑賀崎台場だった。2回ともクライマックスがここになるのだから、雑賀崎台場は何かを「持ってる」のだろう。確かに景色も良いし遺構も良い。
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2025/11/06 19:52
2025/06/27 04:55
(東海&関西)遠征14日目:雑賀崎台場 (2025/05/28 訪問)
雑賀崎遊園バス停から徒歩5分ちょっとで、雑賀崎台場入口(34.191863、135.141969)に着きました。
1853年(嘉永6年)6月のペリー来航は、和歌山藩にも影響を与えていました。
和歌山藩では1854年(安政元年)頃から海防警備のための台場整備計画が始まり、友ヶ島や和歌山の加太から海南一帯に台場を築造する計画がたてられました。
しかし、雑賀崎台場は資料には登場せず、カゴバとして狼煙や番所の印が付けられているにすぎなかったそうです。
岬の先端でやや小高くなったところに土塁と石垣の遺構が残っていました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=元番所台場(城びと未登録 和歌山県和歌山市)へ徒歩で向かいました。
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2024/08/17 23:44
紀伊青石の岩場 (2024/02/25 訪問)
雑賀崎台場の続きです。石積み遺構の先に、土塁を備えた主要部(主郭と表記)があり、そこに大砲を設置していたようです。ライフル弾ならいざ知らず、大砲の直撃を受けると石が爆散して兵士を傷つけてしまうので、これで正解だと思います。防御の面で土塁だけだと少し不安になりますがやむをえません。主郭にはV字型の石積みが有るようですが、今は埋められてしまっているようです。
主郭南東にもV字状の石垣で区画された郭が有り、さらに南東にも土塁や石垣を備えた郭があります。これらの郭には台場に関わる設備があったと考えられているようです。
主郭からは大島や番所庭園を遠望することが出来ます。いずれも緑泥片岩の岩場と見られ、この周辺で採取された石材が和歌山城の主要部に使われているようです。
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2024/08/14 20:37
平成の調査で石積み遺構などが確認されている。 (2024/02/25 訪問)
雑賀崎台場は和歌山市の雑賀崎に紀州藩によって築かれた台場とされ、和歌山県の史跡に指定されています。この周辺は紀州青石と呼ばれる緑泥片岩の産地であり、和歌山城の本丸周辺の石垣に多用されています。付近には元番所台場跡である番所庭園があるのですが、スルーしています。雑賀崎台場跡に向かう途中、遠くに番所庭園が見えるのでズームで撮影。
もちろん入場料は払っていません。
元番所台場のある岬も、その先にある大島も緑泥片岩の岩肌が露出しています。しかし見事な絶壁です。雑賀崎台場に向かって進んでいくと算木積の石垣が見えてきます。
雑賀崎台場は「トンガの鼻」と呼ばれる岬に築かれていたとされ、平成19年から平成26年までに3度の発掘調査が行われています。土塁や石垣などが確認されており、V字型の石積みの遺構もあり、砲台に関する施設ではないかと考えられているようです。
ちなみにこの周辺では鍬のことをトンガと呼ぶそうです。南太平洋のトンガ王国とは関係ないみたいですね。
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| 分類・構造 | 台場 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 紀州藩 |
| 築城年 | 嘉永7年(1854) |
| 主な城主 | 三浦長門守 |
| 遺構 | 石垣、土塁 |
| 指定文化財 | 県史跡(雑賀崎台場) |
| 住所 | 和歌山県和歌山市雑賀崎字永尾西原 |
| 問い合わせ先 | 和歌山市教育委員会文化振興課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 073-435-1194 |