さいがざきだいば

雑賀崎台場

和歌山県和歌山市


旧国名 : 紀伊

投稿する
地元で取れた石垣 地産地消
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

紀伊青石の岩場 (2024/02/25 訪問)

雑賀崎台場の続きです。石積み遺構の先に、土塁を備えた主要部(主郭と表記)があり、そこに大砲を設置していたようです。ライフル弾ならいざ知らず、大砲の直撃を受けると石が爆散して兵士を傷つけてしまうので、これで正解だと思います。防御の面で土塁だけだと少し不安になりますがやむをえません。主郭にはV字型の石積みが有るようですが、今は埋められてしまっているようです。
主郭南東にもV字状の石垣で区画された郭が有り、さらに南東にも土塁や石垣を備えた郭があります。これらの郭には台場に関わる設備があったと考えられているようです。
主郭からは大島や番所庭園を遠望することが出来ます。いずれも緑泥片岩の岩場と見られ、この周辺で採取された石材が和歌山城の主要部に使われているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

平成の調査で石積み遺構などが確認されている。 (2024/02/25 訪問)

雑賀崎台場は和歌山市の雑賀崎に紀州藩によって築かれた台場とされ、和歌山県の史跡に指定されています。この周辺は紀州青石と呼ばれる緑泥片岩の産地であり、和歌山城の本丸周辺の石垣に多用されています。付近には元番所台場跡である番所庭園があるのですが、スルーしています。雑賀崎台場跡に向かう途中、遠くに番所庭園が見えるのでズームで撮影。
もちろん入場料は払っていません。
元番所台場のある岬も、その先にある大島も緑泥片岩の岩肌が露出しています。しかし見事な絶壁です。雑賀崎台場に向かって進んでいくと算木積の石垣が見えてきます。
雑賀崎台場は「トンガの鼻」と呼ばれる岬に築かれていたとされ、平成19年から平成26年までに3度の発掘調査が行われています。土塁や石垣などが確認されており、V字型の石積みの遺構もあり、砲台に関する施設ではないかと考えられているようです。
ちなみにこの周辺では鍬のことをトンガと呼ぶそうです。南太平洋のトンガ王国とは関係ないみたいですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

雑賀崎台場 (2024/03/02 訪問)

【雑賀崎台場】
<駐車場他>駐車場有<34.191880,135.141961>縦列駐車で3台程
<交通手段>車

<見所>石積み・土塁
<感想>日帰り和歌山山城攻めラスト5城目。現地説明板によると雑賀崎台場は紀伊水道に突出したトンガの鼻と呼ばれる舌状丘陵に紀州藩が1854年10月~翌年の9月までに築造したとされます。現地から元番所台場跡(城びと未登録)も見えることから2つの台場が連携していたことをうかがわせます。
 駐車場から段々と下って行って台場跡があります。駐車場から一つ下って畑地、畑地の削平地を通り、舌状の削平地があります。ここから和歌山城がカメラの望遠で見えます。一つ下って算木積みの一文字石積み土塁があります。一つ下って広い削平地があり、先に丘陵状の小丘に砲台跡と思われる土塁囲みの削平地があります。丘陵全体を石積みで囲み、脇の方形区画の曲輪も石積みで囲んでいます。この石積みがなかなか見応えありました。舌状の削平地が段々となっていたり、砲台跡の土塁が石積囲みの主郭のようでもあり、中世山城のようにも見える台場跡でした。これにて日帰り山城攻め終了、280㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

駐車場&アドベンチャー (2023/03/15 訪問)

Googleマップは、雑賀崎台場の高台の北側に導きます。駐車場があります。海へは二重の防潮堤。海側により高い防潮堤を追加したのでしょうか。南海トラフ地震に備えてます。
マップには、雑賀崎台場へ崖を登れと、点線が引かれてます。ふーん( ・-・)
トレッキング風のカップルに行き方を聞いたところ、先ほど、雑賀崎台場から崖を降りてきた、と。崖を登り降りするためのロープを教えてもらいました(最後の写真)。ロープの先のつづら折れの道も細い。降りる際は、もっとひやひや。
崖の上は、遺構も景色もGoodでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 台場
天守構造 なし
築城主 紀州藩
築城年 嘉永7年(1854)
主な城主 三浦長門守
遺構 石垣、土塁
指定文化財 県史跡(雑賀崎台場)
住所 和歌山県和歌山市雑賀崎字永尾西原
問い合わせ先 和歌山市教育委員会文化振興課
問い合わせ先電話番号 073-435-1194