江戸末期、外国船の来航に備えるために紀州藩が築いた台場で、家老の三浦長門守が防備にあたりました。
トンガの鼻と呼ばれる岬の先端に築かれ、台場の周囲を土塁が囲み、土塁の下部は石垣造りになっています。西辺(海側)の土塁には2か所の開口部(砲眼)があり、砲床とみられる土壇もあります。また、埋め戻されていますが、発掘調査では砲座と考えられるV字状の石積みも発見されているようです(現地に説明板あり)。台場の南東下には、弾薬庫跡と思われる周囲が石垣造りの方形壇があり、その南下にも同様の造りの方形壇が見られます。
台場から東南東に少し行くと番所跡と思われる平場があり、海側を下部が石垣造りの長大な土塁で守っています。土塁の内側角部は地元産の緑色片岩による算木積みで、なかなか見応えがあります。番所脇から坂道を上った高台は、現在は「お城の見える丘」として整備されていますが、その名の通り和歌山城を見通せる位置にあり、史料にいう狼煙場だったと考えられます。
少しわかりにくい(訪れにくい)場所ですが、県道沿いに案内標識があり、県道から入ったところに3台ほど駐められる駐車場もありますし、30分程度で手軽に状態の良い遺構を楽しめますので、和歌山に来た際にはぜひどうぞ。
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