戊辰戦争勃発の地から東軍の進軍ルートを逆行する形で旧道を南進し淀古城へ。この周辺も戊辰戦争の激戦地であり、銃弾の穴がある寺として度々TVで取り上げられるが、どこに痕跡があるのかは確認できず。
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2024/02/25 23:37
2022/06/05 01:29
2021/03/28 21:01
「淀古城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
淀古城は、三面を川に囲まれた天然の要害であり、守護・畠山政長が応仁の乱に西軍の畠山義就に備えるため築いたとされる。摂津と河内の抑えの城として使用されてきた。戦国時代には、三好長慶の甥に当たる三好義継が城主となる。1568年に織田信長が上洛を果たすと、淀古城も織田軍の焼き討ちにあい、落城した。その後、将軍・足利義昭が織田信長と敵対すると三好三人衆の1人・岩成友通が、淀古城に籠城する。織田方に包囲され、友通は奮戦するが討ち死にする。1582年、本能寺の変の後、明智光秀が淀古城を改修し、山崎の戦いで利用された。1589年に、豊臣秀長が淀古城を改修し、茶々に与え産所とした。これにより茶々は「淀殿」と呼ばれるようになる。最後の城主であった木村重茲も秀次事件に連座し、廃城となった。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
京阪本線 淀駅 徒歩約10分
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
天守構造 | 不明 |
築城主 | 畠山政長 |
築城年 | 室町時代中期 |
主な改修者 | 明智光秀、羽柴秀長 |
主な城主 | 薬師寺氏、細川氏、三好氏、金子氏、木村氏 |
廃城年 | 文禄3年(1594) |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑 |
住所 | 京都府京都市伏見区納所北城堀(妙教寺) |
問い合わせ先 | 京都市産業観光局観光部観光企画課 |
問い合わせ先電話番号 | 075-222-4130 |