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カズサン

北条氏水軍の城 (2017/03/20 訪問)

 狩野城を終えて伊豆半島を南下伊豆市内下田公園の北側駐車場を目指すが当日彼岸の中日旗日で既に駐車場は満車、困り果て南側の海中水族館へ海岸線の細い道を水族館駐車場へ、案内の人に下田公園下田城を見学に来た旨伝えて駐車させて貰った。
 南側から長いだらだら坂を山頂部の城郭エリアへ城郭部南西面裾野に長細く連なってる畝掘りが特徴の一つなのですが草に覆われ微かな変化しか確認できませんでした、1郭の伝天守台、2郭、3郭、4郭、5郭と廻り駐車場へ。(情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)

 下城して市内の戸田陣屋跡、海善寺、下田城の模型が展示して有るハーバーミュージアムへ下田城模型を見学し下田の勉強を致しました。

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カズサン

絵師狩野派先祖の城 (2017/03/20 訪問)

 「東国の城」の進化と歴史、西股総生著に香川元太郎画伯の狩野城が載ってましたので探訪したく車を飛ばして初登城しました。
 駐車場完備、国道136号線柿木橋に案内在り西に走って直ぐです麓は公園、東屋も有り立派な案内解説板が有ります、案内板によると絵師狩野派の先祖の城で狩野元信は16代目に当たると有りました。
 城跡は保存整備が奇麗にされており遊歩道に沿って案内柱が適宜あり探訪しやすく土塁、堀、曲輪が良く観察できます。

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ぴーかる

こうつべたじょう (2019/10/06 訪問)

【上津部田城】
<駐車場他>三重県総合文化センター無料、AブロックまたはDブロックが近い。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀
<感想>3回日連続日帰り伊賀攻城の旅3城目。伊賀~津の間の城びとにある城は制覇し、長野城から伊勢国に突入、津城跡の御城印を購入し、この城跡は津城跡の約4㎞程北に行ったところにある。
 城跡は戦国時代の丘城で築城年・築城者共に不明。丘陵地の端にあり、山側のすぐ横に三重県総合文化センターがあり、更に山側は現在はニュータウンになっている。丘城といった感じで、主郭の一部は下を走る洞門トンネルで潰されてしまっている。主郭には井戸跡・門跡の礎石がある。Ⅱ郭は小さすぎてよくわからず、Ⅲ郭は文化センターにほぼ取り込まれ、Ⅳ郭は潰されてしまっていた。かつては主郭を取巻いていたであろう横堀は現在は東面と南面が残っており、南面の主郭とⅢ郭を仕切っているところはまあまあいい感じ。

<満足度>◆◆◇

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エグ1394

品川台場 (2019/10/16 訪問)

台場公園へ行ってきました。
品川台場は江戸湾防衛を目的に幕府が築いた砲台です。江戸時代最後の国家的事業であり、また西欧式の築城術を取り入れた日本で最初の本格的な近代城郭でもあります。1853年(嘉永6年)のペリーの浦賀来航により危機感が増した幕府に対し、江川太郎左衛門の献策で築造が決定しました。当初11基の予定でしたが資金不足により、第一、第二、第三、第五、第六台場の5基が完成しただけでした。大小260門の大砲が設置されたものの使用されることはなく、明治維新後も陸軍省が管理していましたが、その後は民間に払い下げられました。なお第三台場は関東大震災によって破壊されたため、復旧工事がおこなわれ現在は「台場公園」として一般公開されています。第六台場は原型を残していたことから史跡保存のために上陸が許可されておらず、レインボーブリッジの遊歩道から眺めることができます。

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エグ1394

江戸城 (2019/10/17 訪問)

江戸城天守を再建する会の江戸城散策ツアーに参加しました。
いろいろなエピソードを話していただき、とても楽しかったです。御城印を購入しました。
東西約5.5km、南北約4km、周囲約14kmの城域を誇る江戸城は、名実ともに近世城郭として国内最大の巨大城郭といえます。その歴史は太田道灌による築城にはじまりますが、徳川家康によって大幅に改修されました。現在は皇居として利用されていますが、本丸・二の丸・三の丸部分は、皇居東御苑として開放されているため、自由に見学することができます。桜田門をはじめ、切込接の美しい石垣をあちこちで見ることができます。江戸時代に天守は三度建てられており、いずれも当時国内最大の規模を誇っていましたが、明暦の大火で焼失してからは再建されていません。天守台は残っていて見学できます。

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流紋岩の粗野な石垣あり (2019/10/15 訪問)

この辺りは、岩肌が見え、斜面が直線的な独特の山が多い。竜山石と言われる加工しやすい凝灰岩の産地で、石工の町である。善防山城の北側の山々は流紋岩質凝灰岩で、善防山は流紋岩質溶岩の山体。北側尾根の大きな郭に粗野な流紋岩の石垣があり、良い。その他の郭にも石の切岸(自然石?)あり。
北側に聳える三角の目立つ山(笠松山)に展望台がある。付近の山は尾根伝いの道でアクセスでき、周回コースもある。善防山城も含めてよく整備されている。両側が一枚岩の急斜面である尾根道部分はスリルあり。

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あつ

自然に同化した独特な城跡 (2019/10/17 訪問)

24ある根室半島チャシ跡群の中で見学可能なノツカマフとヲンネモトにレンタカーで行ってきました。まずは根室市歴史と自然の資料館で見学した後スタンプをいただきました。その後2つの遺跡群に移動しました。駐車スペースは数台程度です。現場は土と芝生で出来た壕なので、資料館やネットで歴史や意味を調べてから行くのをおすすめします。快晴の天候でしたが、断崖にあるため風が強く、手摺や綱などの保護がないので充分気をつけてください。
自然に溶け込んだ美しい城跡でした!

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街道おじさん

品川台場 (2019/10/15 訪問)

江戸時代後期に頻発した外国船来航を受け、幕府が築かせた。
こうした台場は全国に800程度あったそうである。

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イオ

南大和最大の商業都市 (2019/07/24 訪問)

今井環濠は室町初期には興福寺の荘園だったのが、戦国後期に一向宗の今井道場(後の称念寺)を中心に寺内町として発展し、石山合戦の際には本願寺に呼応して織田信長と戦いましたが、武装解除を条件に赦免された後は、大幅な自治特権を許され、江戸期には「大和の金は今井に七分」とうたわれるほどに繁栄しました。

武装解除として一旦は破却され埋め立てられた土居や環濠は、江戸初期には復活していたようですが、現在では往時のままの姿ではないものの、西側から南西部にかけて環濠と土居が、称念寺の南側には南口門と環濠や土居が復原されています。

この日は仕事の合間に立ち寄ったので、今井まちなみ交流センター「華甍」でパンフレットと予備知識を仕入れ、今井西環濠広場に車を駐めて、復元された環濠や土居、南口門を見て回り、称念寺や春日神社を見学した程度で終わりましたが、次に来た時には、重要伝統的建造物群保存地区に選定された歴史ある町並みを歩き、重要文化財の町屋などをめぐってみたいと思っています。
 

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ルパン

アイヌの城 (2013/07/09 訪問)

100名城1番
根室半島のチャシは岬や丘の一端を溝で区切って造られた「面崖式」だ。

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ルパン

織田家の城下町 (2019/09/28 訪問)

織田信長に関わりあう陣屋で廃藩置県を迎えるまで織田家が治めた。

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横堀と畝状竪堀の連結がすごいです (2019/10/16 訪問)

東麓の小学生廃校跡左手に小ぶりな説明板あり。ここが登頂口でもある。尾根を登って行くつづら折れの道が見え隠れするが、そのうちにピンクテープの道表示はあるものの道はわからなくなり、毎度の直登モードに。東側はきつい斜面である一方、南や西は比較的緩斜面であるためか、南と西に凄い堀がある。南側は横堀とその外側の畝状竪堀の組合わせ。西側は尾根を断ち切る二重の大きな堀切。主郭から北側の尾根は急斜面に頼ってか造作はあまり無い。
下りは緩斜面の西側→北側の道を行った。これまたよくあるパターンで、最後のところで獣害対策柵や崖に阻まれ、なかなか降りきれない。

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小城小次郎

鹿児島城

城下集住を強要しなかったためか、大藩の本城としては貧弱なくらいに簡素ながら、古写真で見るとさすがに建築物は威風堂々たるものがある。そんな鹿児島城で、2020年の完成を目指して大手門の再建工事が着々と進んでいる。

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小城小次郎

知覧城

シラス台地を刻んだお城の中では比較的威圧感を感じずに済むのは、むしろこの城のスケールが他より大きい(堀が広い)からだろう。武家庭園を数多く残す知覧麓(城下町)も必見。知覧茶は美味しかった。

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ぴーかる

長野城 (2019/10/06 訪問)

【長野城】
<駐車場他>
①Google<34.741158, 136.331501>道の脇に砂利の待避所(3・4台)があります。この地点から2.4㎞登ると城跡に着きます。
②小型車以下の四駆かオフロードバイク以外は止めたほうがいいです。城跡入口に車が2台程度停めれるスペースがあります。上記①の地点に通行止めのゲートがありましたが、横にずらしてあった(誰かがずらしたかも)ので私はそのまま車で上がりました。添付写真の9枚目(写真の路面はまだましな方)のような道を上りますが木の枝が塞いでいたり、大きい落石をどけながら進みます。

<交通手段>車

<見所>曲輪
<感想>3回連続日帰り伊賀攻城の旅2城目。長野城跡は以前の投稿した通り長野工藤氏の標高580㍍にある方の山の城です。前回長野氏城跡の東・中・西の城跡を攻略したので今回はこちらを攻略した。
前述の通り駐車するまでの運転は苦労したが城跡前まで行けたので体力的には楽だった。
城跡は尾根続きの端の山頂部に主郭があり下段に主郭を取り巻く腰曲輪があるシンプルな縄張り。東の城と似た感じを受けた。竪掘り・横堀は見受けられなかった。城跡は麓の方の長野氏城跡と違って少し整備されていたので見易かった。国史跡の割には遺構は少ないのですぐ見終わった。

<満足度>◆◆◇

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トーダイ

春日山城の支城でした (2019/10/17 訪問)

京ヶ岳城は、春日山城の支城だったと考えられています。

三叉路にある南登城口<37.038118,138.367412>近くに路駐、
屋敷跡・帯曲輪など探索しながら遊歩道を10分足らず登ると
土塁跡が残る主郭跡です。案内板は無くなっているが、坊ヶ池
と(刈入が終わっていたが)棚田の眺望は素晴らしい。

登城後、北登城口<37.039349,138.367113>に下りました。

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しろりん

山城 (2019/10/15 訪問)

城跡でしたが、空堀や石垣が残っていました。
愛宕神社が山頂にあります。
次回は登って参拝したいです。

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にのまる

淀殿の方の淀城。城下の一角にある妙教寺。 (2019/09/25 訪問)

小さな静かなお寺だったので写真をバシャバシャ撮るのも憚られ、由緒書きと石碑を確認していたら、お参りにいらした方に声をかけられました。
地元の人間ではなく、東京(←ザックリ)から石碑を見に来たと言うと、それはそれはウケてくださいまして(^ ^)
その方に、石碑にあった戊辰戦争で本堂を貫通した弾痕について伺うと、ご親切に、それは本堂の中なので住職さんに開けて案内してもらえるか聞いてみると言ってくださったのですが、さすがにそこまでしていただくのは申し訳ないので遠慮しました。

遺構のあるお城ではありませんが、歴史と逸話の多い場所を訪れることができ、感慨深かったです。

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ぴーかる

百地砦 (2019/10/06 訪問)

【百地丹波城跡】
<駐車場他>永保寺前の駐車スペース3台程度
<交通手段>車

<見所>土塁・横堀
<感想>3回連続日帰り伊賀攻城の旅1城目。まず前回傍まで行ってビギナーミスして見れなかった百地丹波城跡を攻略。今回は慎重・確実に行った。
この城跡は丘陵地帯にあり、主郭部分は方形の居館跡と土塁で囲まれた曲輪がひっついている形をしている。主郭を取り巻く空横堀は高さ5㍍幅10㍍程あり、主郭の土塁はほぼ天然の土壁を利用したもので見応えある。おそらく単郭式の城跡だろうけれど、傍の永保寺や青龍寺も丘陵地で、自然に出来た池なんかもあるので、地形を見るに周囲にも防備をしていたように感じた。

 中世伊賀の城は柏原城跡と百地丹波城跡の2つを見て伊賀者が造った変わった遺構があるかと思いきや以外とオーソドックスな感じの城跡だった。いずれの城も横堀のダイナミックさには見応えあった。
 今回の満足度は城跡とは関係ないが傍にある伊賀88石像も含めます。

<満足度>◆◆◆

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シロマサ

陣屋跡に残る札座は倒壊の危機 (2019/10/09 訪問)

若狭野陣屋は忠臣蔵で有名な播州赤穂藩の分家にあたる。
浅野長直(赤穂浅野藩初代藩主)の長男長友(2代藩主)の義弟長恒。
長直が分家し、幕府直参の旗本なり、若狭野に陣屋を構えました。
陣屋は豪壮で16m2の敷地に本宅(6室)内庭ほか門・倉庫・馬屋・武器庫などがありました。
現在、札座(藩札を作った所)の建物である法界庵と西法寺に移築された陣屋門が残る。
(案内板参照)

今回訪れた札座(陣屋跡)は気づかず通り過ぎて、グーグルナビで引き返して来た。
建物は崩れかけ、解体の危機に瀕する状態でした。
この北にある那須神社が陣屋があった場所だと後で知り、今回行けなかった西法寺と共に、再度訪れたいてみたい。


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