戦国後期、雑賀御坊として紀伊国の一向宗の中心となった地で、織田信長の雑賀攻めに際しては、雑賀孫一が秋葉山全山を城砦化して本拠としました。弥勒寺山城を舞台としての戦いでは雑賀衆は勇戦しましたが、戦力差は如何ともしがたく降伏。しかし、織田軍が撤兵するとほどなく蜂起するなど、一筋縄ではいかなかったようです。
城跡の秋葉山は公園として整備され、遺構はありませんが、山頂部の歴史と風土の丘には、顕如上人桌錫所の碑が建ち、その説明板と秋葉山古戦場(雑賀合戦)の跡の説明板が並んでいます。山頂西下の広場には遊具があり、広場北西端の展望台からは雑賀庄が一望できます。山頂南下には梅園が広がっていて、公園化で地形は改変されているにしても山上にはなかなかの規模の曲輪を設けられたものと思われます。また、麓からつづら折りの遊歩道を上っていくと、切岸の上から横矢が掛かるっぽく感じる箇所もあったりで、妄想しながら楽しく登っていくことができました(笑)
周辺には雑賀衆ゆかりの地が数多くありますが、秋葉山の麓から西に徒歩6分の矢宮神社は八咫烏を祭神とし、雑賀衆の守り神として雑賀合戦に際しては雑賀孫一が戦勝を祈願したと伝わります。
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