山名城址の入口から尾根に付けられた遊歩道を西へ向かう。遊歩道は石碑埜路(いしぶみのみち)と名付けられ、至る所に万葉集の歌碑が建てられている。金井沢碑の分岐からやや下り、下がりきった所からが主要な跡になる。
説明板に根小屋城は永禄11年(1568)、或いは13年に、武田信玄が山名・鷹の巣の間に新城を築き、信州佐久郡の望月甚八郎・伴野庄の伴野助十郎を入れ守らせた。鷹の巣とは寺尾にある茶臼山城址のことで、北条氏康・上杉謙信に対する狼煙台として築かれた・・・等々が書かれている。
下りきった鞍部には右回り、左回りの道がある。ここにも万葉集の歌碑があり、その裏は堀跡らしく思える。右回り・左回り共に堀切の底を歩くようだ。右周りに行くと堀切の先に追手の標識があるが、どの辺りから上がってくる道があるのか。左には本丸に続く入口。先の右手には自然地形なのか竪堀のように切れ込んでいる。上は郭があるが、笹・木々が多く先に進むのを諦めた。本丸の虎口は右に直角に折れ枡形を形成している。本丸内からは一部で高崎市街が眺められる程度。枡形虎口の反対に坂虎口跡があり、下るにしても急斜面過ぎる上に枯れ葉が多く立木に捕まらなければならない。どなたかの意見で本当に虎口だったか疑問とあった。西に回り込むと堀切がある。堀の左は狭い郭のようだが、下草・木が多く分からない。東の鞍部に向かうが横堀の底らしい。
予備知識なく、井戸跡・土橋跡などまだ観るべき場所があったのが後日分かった。山名城説明板同様、簡単な縄張図でも載っていればもう少し堪能できたか。
+ 続きを読む